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2016年6月8日 (水) 00:44時点における版

喜熨斗 勝史
名前
カタカナ キノシ カツヒト
ラテン文字 KINOSHI Katsuhito
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1964-10-06) 1964年10月6日(60歳)
出身地 東京都練馬区
身長 176cm
体重 70kg
選手情報
ポジション FW
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

喜熨斗 勝史(きのし かつひと、1964年10月6日 - )は、日本サッカー指導者。日本サッカー協会公認S級コーチ(コーチ・フィジカルコーチ)。東京都練馬区出身。日本体育大学東京大学大学院修了。

日本人フィジカルコーチの草分け的存在、現在はコーチ。サッカー雑誌や新聞等に多数の連載をもっていた。また語学力を活かし、グラウンドでは英語ポルトガル語の通訳も兼任できる。

来歴

日本体育大学卒業後、教員を経て東京大学大学院総合文化研究科に入学。同修士課程修了後、1995年ベルマーレ平塚ユースチームのフィジカルコーチで指導者キャリアを始める。一方、プロ選手歴はないが関東サッカーリーグフォワードとして29歳までプレーした経験がある。その後同博士課程で学びながらベルマーレ平塚トップチームをはじめ、Jリーグ所属のプロクラブでコーチやフィジカルコーチを歴任。

2004年には尚美学園大学サッカー部をヘッドコーチとして指導し、関東大学リーグ2部に昇格させたほか、同年には三浦知良のパーソナルコーチとして契約。2005年以降は後に三浦知良が所属する横浜FCでコーチを務め、2006年にはフィジカルコーチとして横浜FCをJ2リーグ優勝に導きJ1昇格を、2010年には名古屋グランパスのJ1初優勝を陰で支えた。

2007年4月-2010年3月、早稲田大学スポーツ科学学術院の研究員。2008年4月-2011年3月、日本体育大学大学院でコーチ学、2014年4月-2015年8月、愛知学泉大学現代マネージメント学科でスポーツ戦略・戦術論の非常勤講師も務めた。

2008年シーズンより名古屋グランパストップチームのフィジカルコーチ、2014年-2015年8月までコーチを務めた。

2015年8月よりドラガン・ストイコビッチが監督として所属する、中国スーパーリーグ広州富力に、ヘッドコーチ格として抜擢されている[1]

2009年4月:日本サッカー協会公認S級コーチに認定される。

また、財団法人生涯学習開発財団公認ビジネスコーチの資格も持ち、コミュニケーションやモチベーションコントロールのスキルを多方面にわたり発揮している。

選手歴

  • 1983年 -  : 日本体育大学
  • 1991年 -  : 東京教員クラブ (東京都社会人1部リーグ)
  • 1993年 - 1994年  : 青梅FC (関東サッカーリーグ)

指導歴

著作物

DVD
著書
  • 超一流 自己実現力 (学習研究社、2008年)
  • サッカーのコンディショニング 第 III 章 (大修館書店、2010年)

関連項目

  1. ^ 2015年10月27日、中日スポーツ紙面より