「三遊亭圓雀 (5代目)」の版間の差分
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2016年6月8日 (水) 01:42時点における版
三遊亭 圓雀(さんゆうてい えんじゃく)は、落語の名跡。称5代目死後は空き名跡。なお5代目以前にも同名を名乗った落語家は7人ほど確認されている。
- 三遊亭圓雀 - 後の上方 2代目三遊亭圓馬。本名:竹沢斧太郎。
- 三遊亭圓雀 - 後の三遊亭橘園。本名:福田富次郎。
- 三遊亭圓雀 - 後の5代目三遊亭圓橘。本名:富永富太郎。
- 三遊亭圓雀 - 2代目圓馬の従兄弟で、朝馬から力馬となり圓雀となった。
- 三遊亭圓雀 - 後の柳亭芝楽。本名:伊藤豊。
- 三遊亭圓雀 - この間にもう一人いた模様。
- 三遊亭圓雀(1896年3月11日 - ?) - 落語協会で紙切りを演じていたが1955年頃まで名簿に確認されている。本名:小川正二。
- 5代目三遊亭圓雀 - 本項にて詳述。
五代目 三遊亭 圓雀 | |
本名 | 柳本 修(やなぎもと おさむ) |
---|---|
生年月日 | 1949年3月22日 |
没年月日 | 2016年1月4日(66歳没) |
出身地 | 日本・東京都世田谷区 |
師匠 | 四代目 三遊亭圓馬 |
名跡 | 1. 三遊亭はる馬(1968年 - 1971年) 2. 三遊亭春馬(1971年 - 1983年) 3. 三遊亭圓雀(1983年 - 2016年) |
出囃子 | 喜撰中程 |
活動期間 | 1968年 - 2016年 |
活動内容 | 落語家 |
配偶者 | 有 |
所属 | 落語芸術協会 |
5代目三遊亭 圓雀(1949年3月22日 - 2016年1月4日)は落語芸術協会所属の落語家。本名は柳本 修(やなぎもと おさむ)。出囃子は「喜撰中程」。
来歴・人物
東京都世田谷区出身。都立烏山工業高校(※現在は東京都立世田谷泉高等学校)卒業。古典落語を専門とし、得意ネタは、唐茄子屋政談、紙入れ、妄馬、錦の袈裟など[1]。
落語芸術協会のデキシーバンド、にゅうおいらんずではクラリネットを担当した。メンバーの中で数少ない演奏経験者でもある為、結成してから初めて演奏をはじめたメンバーと同じパートを担当したり、サポート演奏をする事もあった。また、曲によってはボーカルも兼ねた[2]。趣味は、ワイン[1]。長唄の初代杵屋三左衛門は叔父にあたる。
2016年1月4日に脳梗塞のため鹿児島の病院で死去[2][3]。葬儀・告別式は近親者のみで執り行い、後日報道によりその死が公表された。同じく密葬を執り行った上方落語の「四天王」の一人の3代目桂春団治の死去と発表が前後している。
芸歴
- 1968年2月 - 4代目三遊亭圓馬に入門。「はる馬」で初高座
- 1971年10月 - 二ツ目昇進と同時に“はる”を漢字に変え、三遊亭春馬。
- 1983年4月 - 真打昇進し、5代目圓雀を襲名。
- 2016年1月4日 - 脳梗塞のため死去。満66歳没[2][3]。
脚注
- ^ a b “三遊亭圓雀(落語芸術協会)”. 2016年1月17日閲覧。
- ^ a b c “落語家の三遊亭円雀氏が死去”. 産経新聞. (2016年1月16日) 2016年1月16日閲覧。
- ^ a b “【訃報】 三遊亭円雀”. 落語芸術協会 (2016年1月15日). 2016年2月24日閲覧。
出典
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X