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2016年6月8日 (水) 04:56時点における版
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Tokyo Bay lusters #10 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都江東区 |
生年月日 | 1982年11月23日(42歳) |
身長 体重 |
177 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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松坂 恭平(まつざか きょうへい、1982年11月23日 - )は、東京都江東区出身の野球選手(内野手)。現在は、社会人野球のTokyo Bay lustersに所属している。
兄はプロ野球選手の松坂大輔、妻はフリーアナウンサーの廣川明美。
来歴・人物
学生時代
小学1年生で野球をはじめ、江戸川南リトル時代は投手兼遊撃手として全国3位に輝く。中学時代は軟式野球で投手として活躍。
実兄・大輔に遜色なき実力を見込まれ、中学卒業直前に幾校もの強豪私学野球部から勧誘があったものの、兄が私立横浜高等学校進学の矢先に実父が失業(勤務先の倒産他)するなどの経済的事情から、東京都立篠崎高等学校に進学。篠崎高校時代は投手として1年生の時からベンチ入りを果たすが、故障に悩まされ甲子園出場はできなかった。
その後法政大学に進学、野球部に所属して東京六大学野球新人戦で投手として神宮球場のマウンドを踏む(対東京大学戦)。2年生の時には右足首を手術。3年生からは外野手に転向するものの、控えに甘んじた。大学の同期に田中彰らが、2年先輩には松坂大輔と横浜高校同級生だった後藤武敏らがいた。
大学卒業後
卒業後は、スポーツ用品メーカーに就職・勤務の傍ら社会人クラブチームの東京LBCでプレー。2006年に愛媛マンダリンパイレーツのトライアウトに合格して入団を果たし、勤務先を休職してプレーに参加した。2007年、千葉ロッテマリーンズの入団テストを受け、一次を通過し、育成選手での契約も予想されたが結局指名はされなかった。同年11月30日付で愛媛を退団。現在は、スポーツ用品メーカーに復職して社業に就きながら[1]、再び東京LBC(2016年度よりTokyo Bay lustersにチーム名変更)でプレーしている。
エピソード
- 2007年1月7日に東京ドームで行われた茨城ゴールデンゴールズと兄・大輔率いる横浜サムライの壮行試合では、横浜サムライの3番ショートで参加。なぜか「柴田恭平」という名前で出場していた。6回には投手としても出場し、3者凡退に抑えた。
脚注
- ^ “ソフトB松坂が元同僚石井貴氏と記念写真”. 日刊スポーツ. 2015年2月6日閲覧。
関連項目
外部リンク
- m.kyohei (@kyohei1982) - X(旧Twitter)