「宮本浩次 (エレファントカシマシ)」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
Gabigon Sho (会話 | 投稿記録) タグ: モバイルアプリ編集 |
m WP:BOTREQ: Category:東京都区部出身の人物新設に伴う貼り変え作業 |
||
229行目: | 229行目: | ||
[[Category:1966年生]] |
[[Category:1966年生]] |
||
[[Category:存命人物]] |
[[Category:存命人物]] |
||
[[Category:東京都出身の人物]] |
[[Category:東京都区部出身の人物]] |
||
[[Category:東京国際大学出身の人物]] |
[[Category:東京国際大学出身の人物]] |
2016年6月8日 (水) 05:21時点における版
宮本浩次 | |
---|---|
別名 | みやじ、ひろじ、先生 |
生誕 | 1966年6月12日(58歳) |
出身地 | 日本 東京都北区赤羽 |
学歴 | 東京国際大学 |
ジャンル | ロック |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 |
ボーカル ギター ブルースハープ |
活動期間 |
1976年 1981年 - |
レーベル |
ユニバーサルミュージック (ex:エピックソニー,ポニーキャニオン,東芝EMI) |
事務所 | フェイスミュージックエンタテインメント |
共同作業者 | エレファントカシマシ |
宮本浩次(みやもと ひろじ、1966年6月12日 - )は、日本のロックミュージシャン、シンガーソングライター、元童謡歌手。ロックバンド・エレファントカシマシのボーカリストおよびギタリスト、音楽プロデューサー。東京都北区赤羽出身。
人物
人物像
- NHK東京放送児童合唱団に小学校3年生から5年生まで入団。声楽指導を受けていた。ソロを任されるほど歌が上手くボーイ・ソプラノのスター的存在であった。また、ウィーン少年合唱団との交流もあったと言う。声域は裏声も含めhihiAを越える曲もあり「覚醒(オマエに言った)」「生命賛歌」「部屋」などがある。「曙光」は、hihiA#。さらに「男は行く」「コール アンド レスポンス」はhihiB。「星くずの中のジパング」はhihiC#である。
- デビュー当初からテレビ出演もライブでのMCもほとんどなく、雑誌などのインタビューでも無口・無愛想を貫くキャラクターであった。しかし1992年頃、何の前触れもなくライブで突然フレンドリーなMCをしはじめたときには、客席から「宮本ぉー、何があったのか言え!」との声が飛んだという[1]。
- 髪を掻き揚げてぐしゃぐしゃにする癖は男っぽい仕草として高校生の頃から意識してする様になったと雑誌のインタビューで語っている。大学生時、レコードショップのアルバイトでは「お客さんが来る度に髪をぐしゃぐしゃする」という理由で3日で辞めさせられた。その他、メキシコ大使館の草むしりや船着場のアルバイトなどを経験している。
- 出身地である赤羽がバンド誕生の地である為、バンドのアイデンティティーとして、またファンの聖地として語られることが多い。
しかし本人は、特に赤羽に対して思い入れは無いとラジオで語っている。その反面、憧れの文豪が過ごした東京の地そのものに対する郷土愛には相当なものがあり、数々の歌に納められている。エレファントカシマシのアルバム『浮世の夢』のジャケットは赤羽一番街商店街で、ヒットシングル「今宵の月のように」のプロモーション・ビデオの一部は赤羽の荒川土手で撮影。また、「桜の花、舞い上がる道を」のプロモーション・ビデオは赤羽台団地内にて撮影が行われた。
趣味・嗜好
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 音楽 幼少時はベートーヴェンのクラシックや沢田研二などの流行歌や歌謡曲を好み、当時隆盛であったラジオのベストテン番組を熱心に聴いていた。中学に入ってからは、同級生で後にエレファントカシマシのドラムスを担当する冨永義之の薦めもあり、ディープ・パープル、レインボー、ドアーズ、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズなどに傾倒し、RCサクセションの『BLUE』は全曲コピーしたほどの愛聴盤であった。後に、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのようなファンクや、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レディオヘッド、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、ナイン・インチ・ネイルズといったオルタナティヴ・ロックに感銘を受けたことも公言している。
最も好きなヴォーカリストとしてドアーズのジム・モリソンの名を挙げている。
- 読書 散歩や移動の際には岩波文庫・講談社学術文庫などの文庫本を携帯していることが多い。作家は森鴎外・永井荷風・太宰治・夏目漱石・滝沢馬琴・ゲーテ・ニーチェなど、古典的な名作文学を敬重し、鴎外や荷風といった一部の作家は楽曲の歌詞にも登場する。中原中也は「大嫌いなので絶対に読みません」とラジオ番組内で公言している。また歴史書等も愛好している。
- 散歩 好きである。過去に夏目漱石『三四郎』、森鴎外『青年』・永井荷風『日和下駄』等の作品を準えた古地図を基とした散歩に趣をおいていた。『上野の山(浮世の夢)』・『月夜の散歩(明日に向かって走れ-月夜の歌-)』・『雨の日に…(町を見下ろす丘)』・『冬の朝(STARTING OVER)』といった散歩風景を描写した散歩に纏わる楽曲も多く作品として残している。
- 煙草 ヘビースモーカーであり、何度も禁煙をしようとしては失敗している。レコーディングなどでスタジオに缶詰めになる際には1日で80本近く吸ってしまう。
- 食べ物 好きな食べ物を聞かれると昔はハンバーグとカレーと答えていたが、現在ではスパゲッティと答えている。一人暮らし当初、中華鍋ひとつだけで自炊し、得意料理は中華料理であったが、柳宗理のパスタ鍋を購入してからは専らパスタ好きになった。映画「扉の向こう」にもそのパスタ鍋が登場している。また、母親がよく買ってきてくれたという銀座アスターの肉団子も好物の一品としている[2]。雪印(現:メグミルク)の牛乳を飲む習慣がある。嫌いな食べ物は茗荷で、理由は「ネギと思い込んで食べたら見当違いの味がして吃驚した」から。
- 日本古来のもの 浮世絵や掛け軸などの日本古来のものを好み、古美術商や骨董市に足を運ぶ。また、地方ツアーの際にはイベンターの送迎を断り、移動時間に余裕をとって各地の城跡や古墳を訪れている。最も好きな古墳の1つとして埼玉古墳群を挙げている。芥川龍之介に憧れ、火鉢を収集していたことがある。10個の火鉢に囲まれて読書をしたときには、一酸化中毒になった。江戸古地図や江戸名所図会の収集家でもあり、趣味が昂じてタモリ倶楽部の古地図探訪の企画番組やバラエティ番組で古地図講師として出演した。
- 急須 収集している。130年前の骨董急須を含め、所有数は100個程である(2009年2月現在)。本場、中国宜興の急須を手に入れるべく、中国語講座で1年間学習し過去5回程中国へ渡航した。使い込むほどに飴色に輝き風合いを増す急須の光沢を得るため烏龍茶(鉄観音)を多飲する。多い日は1日100杯。常にお湯を沸かし茶壷にお湯を注ぐという作業を繰り返すので、生活導線を短縮しキッチンのみで寝食生活を行っていたこともある。
- 将棋 将棋棋士・加藤一二三、森内俊之のファン。喫茶店で偶然居合わせた森内棋士に緊張しながらも声を掛け、サインを頂戴した程である。CS放送の囲碁・将棋チャンネルの視聴は日課であるという。
- ル・コルビュジェ ル・コルビュジェの著書「建築をめざして」に影響を受け、コルビュジェ建築の見学の為にフランス縦断旅行を行い、またレコーディングでニューヨークへ渡航した際には、建築家フランク・ロイド・ライトが設計したグッゲンハイム美術館を訪れたりと、一時期は建築デザインやインテリアデザインについて追求した。
- 衣装 デビュー当初は父親のジャケットを借りてステージ衣装にしていたが、ポニーキャニオンへの移籍直後はロックのイメージへと変えるために髪を伸ばし、アニエス・ベーの白シャツを着用するようになった。白シャツ(又は黒シャツ)に黒のパンツスタイルが多い。現在のプロモーション・ビデオやコンサートでの衣装はN.ハリウッドで、パンツはN.ハリウッド×Levi's517を着用。2008A/Wのコレクションが掲載されているN.ハリウッドのムック本では、N.ハリウッド好きの17人の中の一人としてインタビューが掲載されている。
- 車 小学校の頃からポルシェと決めており、最初に購入した車はポルシェ・ボクスター、次にポルシェ・カレラ[要曖昧さ回避]RSとポルシェ以外の車を所有したことはない。徐々に旧型に移行し、2009年4月の時点では乗り換え7台目であった。2010年2月にはピストン西沢からの誘いを受け、富士スピードウェイでサーキット走行デビューした。
エピソード
- 両親と歳の離れた兄からはとても可愛がられて育ったらしく、「僕は猫かわいがりだった」と語っている。学研の総合百科事典に乳幼児成長記録のモデルとして「1歳にして立つ」というタイトルで1歳時の写真が掲載されていた事がある。
- NHKみんなのうた「はじめての僕デス」で歌手デビュー。当時レコード会社各社から競作でシングルレコードが発売された。(1976年9月1日、東芝EMIより発売)10万枚のヒット。レコード用に再録音されたビクター音楽産業制作のステレオ盤(KV-41)のB面のタイトルは「ゴクロウサン」(こちらは東京放送児童合唱団名義)であり、後にエレファントカシマシが偶然同名の楽曲を発表する。みんなのうた放送時と同一音源のモノラル録音のポリドール盤(DQ-1004)のB面曲は「ドラキュラのうた」(歌:クニ河内)。
- 高校が男子校であったため、女性とのフランクな付き合いが苦手としている。彼女の誕生日に図書券をプレゼントし「親戚のおじさんみたい」と言われ喜んで貰えなかったことや、クリスマスに彼女が作ったフライドチキンを「こんなにいっぱい喰えるか」と食卓をひっくり返してしまったなど、失敗談として語っており、女性に対しての不器用さを物語っている。また、自身のウィークポイントは「女性問題」と答えている[3][4][5]。
- 文明の利器を否定しクーラーを取り外していたが、暑さを凌ぐためにシャワーを浴びていることが利器を利用しているという矛盾に気付き、33歳で自動車の免許取得に至った。免許取得後からは毎日のように首都高を何度も周回するなど5万円のハイウェイカードを月に5枚消費するペースで、当初の走行距離は一晩で220 - 230㎞を超える程であったが、免許停止処分を受けてからは呪縛を解かれたかのように電車移動が多い生活に戻ったという。現在は、「レコーディング等創作活動が完了すれば車に戻る」とのこと。
- ダウンタウンが司会を務める歌番組「HEY!HEY!HEY!」の出演をきっかけに、浜田雅功に推薦されTBS系ドラマ『Friends[6]』で売れない放送作家役として役者デビューを果たし、新人俳優賞を受賞。
- エレファントカシマシのアルバム『扉』の収録時期に、信頼の出来る人物であると事務所に紹介された、金銭面の管理を任せていた人間に財産を持ち逃げされ、それまで住んでいた高級マンションを引き払い、所有していた2台のポルシェを処分、古書の大半を売り払っている。発覚時、財布には現金3,000円程しか残っていなかった。後に、渋谷の路上を散歩中に財産を持ち逃げした人間に出くわすが、「元気そうで何よりだった」とのこと。
- 鈴木万由香がパーソナリティを務めるTOKYO FMの生放送番組『TOYOTA SOUND IN MY LIFE』2009年4月18日放送に出演時、鈴木がアルバム『昇れる太陽』に対する個人的な感想として「全曲がメインディッシュで食べ難い」という表現(「でも実際飲み込んでみると、こんなに美味しいもんないや」と続いた)を発言し、これに怒った宮本が「人の前で食べにくいって言いましたよこいつね。失礼な奴だこいつは」「食うな」と発言。鈴木が「散々食ったのでお返し出来ないんですけど…」と返すと、「ゲロで吐け」と返した。その後鈴木が場の空気を変えようとトークを続けるが、宮本は心ここにあらずといった状態で黙りこんでしまう。それを見かねた鈴木が「宮本さん?遠くに行ってました?」と突っこむと、「ま、悪気がねえのはわかってっけどよ」と発言。それに対し鈴木が「喧嘩売られてます、今」と返したため、さらに宮本は「喧嘩じゃねえだろ、おめえが売ってんだこのバカ」「気をつけろこのドアホ」と切り返したため険悪な状況となった。後日、同月20日に宮本が直筆の謝罪文をウェブに掲載し、翌21日には鈴木も謝罪文を掲載した[7]。
- 2012年9月1日に左耳が聞こえなくなり、急性感音難聴と診断された。同月5日に手術を受け回復し、日常生活に支障はなかったものの、聴力が安定していないことなどを理由に、10月2日、グループの公式サイトでライブ活動休止の報告をした[8]。
出演
テレビ・他
番組名 | 放送局 | 出演年月 | コーナー | 備考 |
---|---|---|---|---|
フレンズ | TBS | 2000年7月 - 9月 | 金曜ドラマ 役名:本城直哉 |
第26回 ザ・テレビジョン ドラマアカデミー賞 新人俳優賞受賞 共演:浜田雅功・和久井映見・竹内結子・ 山口達也・村田雄浩・鈴木砂羽・大杉漣 |
JUSTICE | i-mediaTV | 2000年11月6日 - 2002年1月31日 | 宮本浩次、かくかたりき | webmagagine ※動画配信 |
私の10のルール | TBS | 2009年5月13日 | 宮本浩次の10のルール | 密着ドキュメンタリー |
王様のブランチ | TBS系 | 2014年6月14日 | 読書LOVERS |
CM
タイトル | 提供 | 放送年 | 素材 | 備考 |
---|---|---|---|---|
オウガバトル64 | 任天堂 | 1999年 | ゲームソフト | 出演・ナレーション:宮本浩次 |
DODA | 学生援護会(インテリジェンス) | 2001年 | 転職情報誌 | 出演:宮本浩次 ※オフィス編・満員電車編・自転車通勤編 |
ポッカコーヒー | ポッカコーポレーション | 2006年 | 缶コーヒー | ドキュメンタリー映像 |
映画
タイトル | 監督 | 提供 | 公開年 | 備考 |
---|---|---|---|---|
扉の向こう~エレファントカシマシ・宮本浩次という生き方 | 是枝裕和 | フジテレビ NONFIX | 2004年 | ナレーション: りょう |
刊行物
著書
タイトル | 初版発行年月 | 出版社 | 備考 |
---|---|---|---|
風に吹かれて | 1997年9月13日 | ロッキング・オン | ROCKIN'ON JAPAN連載エレファントカシマシ関連記事とインタビュー (1988年 - 1997年) |
明日に向かって歩け | 2002年5月 | 集英社 | 週刊プレイボーイ連載(2000年27号 - 2001年28号)※絶版 |
エレカシ宮本の率直に言って! | 未出版 | マガジンハウス | Olive連載(2000年5月 - 2000年7月)※Olive休刊の為終了。 |
旅の途中 | 未出版 | マガジンハウス | an・an連載(2000年6月 - 2001年6月) |
東京の空 | 2003年8月30日 | ロッキング・オン | bridge/ROCKIN'ON JAPAN連載(1999年8月 - 2002年4月/2002年4月 - 2003年4月) ※2008年6月15日第2刷発行 |
関連書籍
タイトル | 著者 | 出版社 | 備考 |
---|---|---|---|
宮本から君へ | 新井英樹 | 太田出版 | 「週刊モーニング(講談社)」の連載漫画(1991年 - 1994年)。 主人公(東京都北区在住の宮本浩(みやもとひろし))のモデルが宮本浩次(作者談)。 |
カラス | 太田光・唐澤和也 | ビッグ・スピリッツ・ブックス | 太田光の語り下ろしロングインタビュー。宮本浩次と対談。 |
21―世紀を超える神々たち | 金子達仁 | ぴあ | 「Weeklyぴあ」連載「金子達仁 世紀末才人列伝」の単行本。 |
阿川佐和子のガハハのハ | 阿川佐和子 | 文芸春秋 | 「週刊文春」の連載対談より22篇を収録。 |
脚注
- ^ 宮本浩次「風に吹かれて」株式会社ロッキング・オン
- ^ 銀座アスター赤羽店の商品に限る。
- ^ 著書「明日に向かって歩け」- 「二〇〇〇年十月~十二月」の章より。
- ^ “2012年09月18日(TUESDAY)”. J-WAVE「GROOVE LINE Z」ホームページ (2012年9月18日). 2015年6月27日閲覧。
- ^ “スカパー!な日々「THE ELEPHANT KASHIMASHI SP 愛情編(1)」”. スカパー! (2006年10月30日). 2015年6月27日閲覧。
- ^ 2011年2月現在DVD化されていない。
- ^ 鈴木の謝罪文
- ^ “重要なお知らせ” (2012年10月2日). 2012年10月2日閲覧。 - エレファントカシマシ
外部リンク
- ElephantKashimashi.com - エレファントカシマシ公式ウェブサイト
- FAITH MUSIC ENTERTAINMENT - フェイスミュージックエンタテインメント