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2016年6月8日 (水) 05:50時点における版
柳家 海舟 | |
本名 | 並木 治 |
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生年月日 | 1957年7月22日(67歳) |
出身地 | 日本・東京都杉並区 |
師匠 | 柳家小里ん |
名跡 | 1. 柳家り助(2000年 - 2003年) 2. 柳家麟太郎(2003年 - 2015年) 3. 柳家海舟(2015年 - ) |
出囃子 | 二人椀久 |
活動期間 | 2000年 - |
所属 | 落語協会 |
柳家 海舟(やなぎや かいしゅう、1957年7月22日 - )は、東京都杉並区出身の落語家。落語協会所属。本名は並木 治。出囃子は「二人椀久」[1]。血液型はA型[2]。
2015年3月、57歳という昭和以降では最高齢の記録で真打に昇進した。そのことが落語協会新真打のお披露目会見で話題に上ると、「年の話は避けて通れないですね」と苦笑するも、同協会会長の4代目柳亭市馬(当時53歳)からは、「私より年の上の人がいる。体に気をつけて」と声援が贈られた[3][4]。
来歴・人物
東京工業高等学校卒業[2]。1996年に柳家小里んと出会ってから、落語を本格的に学び始める。当初はサラリーマンとして働きながら、素人落語会に参加したり、遊びでエキストラをやったりしていた。40歳を過ぎたあたりから、「もっと面白い人生」としての別の道を歩もうと考えるようになり、プロの落語家になることを決意する[1]。
芸名の由来
2003年7月21日海の日、東京の発展に尽力した勝海舟の功績を顕彰するため、有志らの手によって東京都墨田区役所前の広場に「勝海舟銅像(勝安芳像)」が建てられた[5][6]。当時はまだ前座で墨田区の自宅から浅草の師匠宅へ通うのに、その前を自転車で通るのを日課としていた。それまでは勝海舟への思い入れはなかったものの、銅像建立に気付いたのがきっかけとなり、勝に感興を覚えたという。まもなく二ツ目に昇進すると、勝の幼名および通称である「麟太郎」と改名するが、これは師匠の名の「小里(こり)ん」とも無縁ではないことから、話がうまくまとまっている。改名後は勝の子孫らと親交を築き、また顕彰会の催しにて司会を務めたりするなど、その活動は顕彰の一環として関係者の御墨付きを得るに至った。その後2014年になり、真打昇進の声がかかるようになると、勝の子孫から「海舟」に改名することを提案される。師匠と相談した結果それを受けるとことはうまく運び、57歳という異例の年齢で真打昇進を果たす。そのうえで「これからも墨田の英雄を世に広めるお手伝いをしたい」と今後の抱負を語った[7][8]。
略歴
- 1999年4月 - 柳家小里んに入門。
- 2000年4月 - 前座となり、り助を名乗る。
- 2003年10月 - 二ツ目に昇進し、麟太郎(りんたろう)に改名。
- 2015年3月 - 真打に昇進し、海舟に改名。
脚注
- ^ a b c “芸人紹介 - 柳家 海舟(やなぎや かいしゅう)”. 落語協会. 2015年9月19日閲覧。
- ^ a b “出演者プロフィール<柳家海舟>”. 大和田落語会. 2015年9月19日閲覧。
- ^ “昭和以降最高齢で真打ち昇進 柳家海舟”. デイリースポーツ. (2015年3月11日) 2015年3月19日閲覧。
- ^ “50歳過ぎて新たな世界に挑む落語家の噺を一度、聞きたい”. サンケイスポーツ. (2015年3月14日) 2015年4月29日閲覧。
- ^ “東京都墨田区の歴史 勝海舟銅像”. 墨田区 (2011年5月13日). 2015年4月29日閲覧。
- ^ “歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ―浅草~両国」”. 学研. 2015年4月29日閲覧。
- ^ “海舟 落語家として体現柳家麟太郎さん 真打ち昇進で改名”. 東京新聞・共同通信. (2015年2月10日) 2015年4月29日閲覧。
- ^ “柳家麟太郎改め柳家海舟真打昇進披露宴”. 柳家小袁治・新日刊マックニュース (2015年3月6日). 2015年4月29日閲覧。