コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ヘロイン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
48行目: 48行目:


== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[ロンドン]](イギリス)の聖マリア病院のライト (C. R. Write) が1874年にジアセチルモルヒネを合成するが動物実験で反応を得られなかった{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。[[1890年]]に[[ドイツ]]の科学者ダンクヴォルト (W. Dankwort) が別の合成法で同じ誘導体を合成し、その性質についてエルバーツェルト色素製造工場・薬理研究所のドレ―ザー (H. Dreser) が見出した{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。エルバーツェルト色素製造工場・薬理研究所はバイエル社の前身である{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。ベルリン大学病院とバイエル社が、試験し、1889年に商品名ヘロイン (Heroin) で発売される{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。その後30年以上、ドイツでは自由に入手できた{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。名称はギリシャ語の「ヘロス」(''hḗrōs''、[[ヒーロー]])に由来する。
[[ロンドン]](イギリス)の聖マリア病院のライト (C. R. Write) が1874年にジアセチルモルヒネを合成するが動物実験で反応を得られなかった{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。[[1890年]]に[[ドイツ]]の科学者ダンクヴォルト (W. Dankwort) が別の合成法で同じ誘導体を合成し、その性質についてエルバーツェルト色素製造工場・薬理研究所のドレ―ザー (H. Dreser) が見出した{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。エルバーツェルト色素製造工場・薬理研究所はバイエル社の前身である{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。ベルリン大学病院とバイエル社が、試験し、1889年に商品名ヘロイン (Heroin) で発売される{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。その後30年以上、ドイツでは自由に入手できた{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。名称はギリシャ語の「ヘロス」(''hḗrōs''、[[ヒーロー]])に由来する。


1912年の[[万国阿片条約]]が、ドイツで1921年に[[批准]]されると麻薬に指定され回収された{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。(アヘンやモルヒネの誘導体を規制するこの条約は、[[第一次世界大戦]]のため各国の条約の批准が延期されていた<ref name="向精神薬条約">{{Cite book|和書|author=松下正明(総編集)|editor=編集:牛島定信、小山司、三好功峰、浅井昌弘、倉知正佳、中根允文|title=薬物・アルコール関連障害|series=臨床精神医学講座8|publisher=中山書店|date=1999-06|isbn=978-4521492018|page=109}}</ref>)1924年にはアメリカでも医薬品として取り消された{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。
1912年の[[万国阿片条約]]が、ドイツで1921年に[[批准]]されると麻薬に指定され回収された{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。(アヘンやモルヒネの誘導体を規制するこの条約は、[[第一次世界大戦]]のため各国の条約の批准が延期されていた<ref name="向精神薬条約">{{Cite book|和書|author=松下正明(総編集)|editor=編集:牛島定信、小山司、三好功峰、浅井昌弘、倉知正佳、中根允文|title=薬物・アルコール関連障害|series=臨床精神医学講座8|publisher=中山書店|date=1999-06|isbn=978-4521492018|page=109}}</ref>)1924年にはアメリカでも医薬品として取り消された{{sfn|ツェンク|田端|1996|p=97}}。


にアメリカの作家として知られるようになる[[ウィリアム・バロウズ]]は、1945年に[[モルヒネ]]を使い始め依存するようになり、売人となったが、1956年にはイギリスで治療を受けてその状態を脱した<ref name="履歴書">{{Cite journal |和書|author=山形浩生|date=1992|title=ウィリアム・バロウズ履歴書|journal=ユリイカ|volume=24|issue=5|pages=172-186}}</ref>。1953年に[[タンジェ]](タンジール)にてバロウズがヘロインに溺れ、体調が悪そうだと友人が記している<ref>{{Cite journal |和書|author=ポール・ボウルズ|translator=越川芳明|date=1992|title=タンジールのバロウズ|journal=ユリイカ|volume=24|issue=5|pages=55-57}}''Buroughs in Big Table2, 1959</ref>。『ジャンキー』は<ref>{{Cite book|和書|author=ウィリアム・バロウズ|translator=鮎川信夫 |title=ジャンキー|publisher=河出書房新社|date=2003|isbn=4-309-46240-5}} Junkey, 1953.</ref>、その時期の自伝であり売人、おかま、泥棒といった裏社会を扱った味わいの強い小説である<ref name="履歴書"/>。
のちにアメリカの作家として知られるようになる[[ウィリアム・バロウズ]]は、1945年に[[モルヒネ]]を使い始め依存するようになり、売人となったが、1956年にはイギリスで治療を受けてその状態を脱した<ref name="履歴書">{{Cite journal |和書|author=山形浩生|date=1992|title=ウィリアム・バロウズ履歴書|journal=ユリイカ|volume=24|issue=5|pages=172-186}}</ref>。1953年に[[タンジェ]](タンジール)にてバロウズがヘロインに溺れ、体調が悪そうだと友人が記している<ref>{{Cite journal |和書|author=ポール・ボウルズ|translator=越川芳明|date=1992|title=タンジールのバロウズ|journal=ユリイカ|volume=24|issue=5|pages=55-57}}''Buroughs in Big Table2, 1959</ref>。『ジャンキー』は<ref>{{Cite book|和書|author=ウィリアム・バロウズ|translator=鮎川信夫 |title=ジャンキー|publisher=河出書房新社|date=2003|isbn=4-309-46240-5}} Junkey, 1953.</ref>、その時期の自伝であり売人、おかま、泥棒といった裏社会を扱った味わいの強い小説である<ref name="履歴書"/>。


[[第二次世界大戦]]後には後続の[[麻薬に関する単一条約]]が規制を引き継いでいる<ref name="向精神薬条約"/>。
[[第二次世界大戦]]後には後続の[[麻薬に関する単一条約]]が規制を引き継いでいる<ref name="向精神薬条約"/>。
65行目: 65行目:
== 作用 ==
== 作用 ==
[[ファイル:Injecting heroin.jpg|thumb|left|230px|静脈注射によるその摂取]]
[[ファイル:Injecting heroin.jpg|thumb|left|230px|静脈注射によるその摂取]]
アメリカの作家[[ウィリアム・S・バロウズ]]は、1956年に『イギリス中毒学会』誌53巻2号に「危険薬物中毒の熟練者からの手紙」を掲載しており、12年間に渡ってアヘンを使用してきたとしてその効果について記している<ref name="裸のランチ補遺">{{Cite book|和書|author=ウィリアム・バロウズ|translator=鮎川信夫|chapter=補遺―危険薬物中毒の熟練者からの手紙(「イギリス中毒学会誌」五十三巻二号より)|title=裸のランチ|publisher=河出書房|date=2003|isbn=4-309-46231-6|pages=321-343}} ''The Naked Lunch'', 1959.</ref>。その摂取方法は、ヘロインでは皮下注射、静脈注射、筋肉注射、注射器がない場合に鼻からとしている<ref name="裸のランチ補遺"/>。
米国の作家[[ウィリアム・S・バロウズ]]は、1956年に『イギリス中毒学会』誌53巻2号に「危険薬物中毒の熟練者からの手紙」を掲載しており、12年間に渡ってアヘンを使用してきたとしてその効果について記している<ref name="裸のランチ補遺">{{Cite book|和書|author=ウィリアム・バロウズ|translator=鮎川信夫|chapter=補遺―危険薬物中毒の熟練者からの手紙(「イギリス中毒学会誌」五十三巻二号より)|title=裸のランチ|publisher=河出書房|date=2003|isbn=4-309-46231-6|pages=321-343}} ''The Naked Lunch'', 1959.</ref>。その摂取方法は、ヘロインでは皮下注射、静脈注射、筋肉注射、注射器がない場合に鼻からとしている<ref name="裸のランチ補遺"/>。

様々な点においてこれらの中でも特に重視されるのが静脈注射による摂取である。静脈注射によって摂取した直後から数分間にわたって続く「ラッシュ」と呼ばれる強烈な快感は何物にも代えがたいものと言われ、時には『[[オーガズム]]の数万倍の快感を伴う射精を全身の隅々の細胞で行っているような』と、また時には『人間の経験しうるあらゆる状態の中で、ほかの如何なるものをもってしても得られない最高の状態』などと表現される。

常態の人間が一生のうちに体感し得る全ての「快感」の合計を上回る快感を瞬時に得ることに等しいと云われるその快楽度の強さ、そしてそこから生ずる至福感は、しばしば「約束された安堵」などと表現されてきた。


==依存性==
==依存性==

2016年9月14日 (水) 05:16時点における版

ヘロイン
IUPAC命名法による物質名
臨床データ
胎児危険度分類
  • Category X
法的規制
依存性
薬物動態データ
生物学的利用能<35% (経口)、44–61% (吸入)[1]
血漿タンパク結合0% (モルヒネ代謝物35%)
代謝肝臓
半減期10分未満[2]
排泄90% はグルクロニドのまま尿で排出、残りは胆汁
データベースID
CAS番号
561-27-3
ATCコード N02AA09 (WHO)
PubChem CID: 5462328
DrugBank DB01452
ChemSpider 4575379 チェック
UNII 8H672SHT8E チェック
ChEMBL CHEMBL459324 チェック
別名 Diamorphine, Diacetylmorphine, Acetomorphine, (Dual) Acetylated morphine, Morphine diacetate
化学的データ
化学式C21H23NO5
分子量369.41 g/mol
テンプレートを表示

かつての商品名がヘロイン (heroin) である[3]3,6-ジアセチルモルヒネ (3,6-diacetylmorphine) は、アヘンに含まれるモルヒネから作られる麻薬。オピオイドの中では短時間型である。塩酸モルヒネを無水酢酸で処理し生成する。

1889年にドイツで(バイエル社より)商品名ヘロインで発売され[3]、1912年の万国阿片条約で規制され第一次世界大戦後に各国が条約に批准すると[4]、ドイツで1921年、アメリカで1924年に医薬品の指定がなくなると、後に非合法に流通するようになった[3]

日本国内では麻薬及び向精神薬取締法によって、その製造・所持・使用は制限されている。専門家によって薬物の評価では、ヘロインは快感3点、精神的依存3点、身体依存3点といずれも最高の3点となっている唯一の薬物である[5]

歴史

ロンドン(イギリス)の聖マリア病院のライト (C. R. Write) が1874年にジアセチルモルヒネを合成するが動物実験で反応を得られなかった[3]1890年ドイツの科学者ダンクヴォルト (W. Dankwort) が別の合成法で同じ誘導体を合成し、その性質についてエルバーツェルト色素製造工場・薬理研究所のドレ―ザー (H. Dreser) が見出した[3]。エルバーツェルト色素製造工場・薬理研究所はバイエル社の前身である[3]。ベルリン大学病院とバイエル社が、試験し、1889年に商品名ヘロイン (Heroin) で発売される[3]。その後30年以上、ドイツでは自由に入手できた[3]。名称はギリシャ語の「ヘロス」(hḗrōsヒーロー)に由来する。

1912年の万国阿片条約が、ドイツで1921年に批准されると麻薬に指定され回収された[3]。(アヘンやモルヒネの誘導体を規制するこの条約は、第一次世界大戦のため各国の条約の批准が延期されていた[4])1924年にはアメリカでも医薬品として取り消された[3]

のちにアメリカの作家として知られるようになるウィリアム・バロウズは、1945年にモルヒネを使い始め依存するようになり、売人となったが、1956年にはイギリスで治療を受けてその状態を脱した[6]。1953年にタンジェ(タンジール)にてバロウズがヘロインに溺れ、体調が悪そうだと友人が記している[7]。『ジャンキー』は[8]、その時期の自伝であり売人、おかま、泥棒といった裏社会を扱った味わいの強い小説である[6]

第二次世界大戦後には後続の麻薬に関する単一条約が規制を引き継いでいる[4]

1968年に南ドイツで不法なヘロインが登場する[3]ベトナム戦争で負傷した兵は治療のために不運にもドイツに送られた[3]。1970年代のイギリスパンク・ロックを描いた映画『シド・アンド・ナンシー』では、麻薬クリニックへ通院するシーンがあり、ヘロインの産地が黄金の三角地帯であり、アメリカの若者が戦争で死んでいく中、中央情報局 (CIA) がそこへヘロインを運んでいたという逸話が語られる[9]

1990年代でも黄金の三角地帯黄金の三日月地帯で生産されるようになったアヘンから、ジャングルの中で、モルヒネの分離を経てヘロインが製造される[10]。1996年のイギリス映画『トレインスポッティング』では、ヘロインの売人としての主人公が描かれた。

薬物動態

ヘロインはモルヒネに代謝されるため、作用の本体はモルヒネであるが、脂溶性が高いため血液脳関門の通過はモルヒネより早い[3]

作用

静脈注射によるその摂取

米国の作家ウィリアム・S・バロウズは、1956年に『イギリス中毒学会』誌53巻2号に「危険薬物中毒の熟練者からの手紙」を掲載しており、12年間に渡ってアヘンを使用してきたとしてその効果について記している[11]。その摂取方法は、ヘロインでは皮下注射、静脈注射、筋肉注射、注射器がない場合に鼻からとしている[11]

様々な点においてこれらの中でも特に重視されるのが静脈注射による摂取である。静脈注射によって摂取した直後から数分間にわたって続く「ラッシュ」と呼ばれる強烈な快感は何物にも代えがたいものと言われ、時には『オーガズムの数万倍の快感を伴う射精を全身の隅々の細胞で行っているような』と、また時には『人間の経験しうるあらゆる状態の中で、ほかの如何なるものをもってしても得られない最高の状態』などと表現される。

常態の人間が一生のうちに体感し得る全ての「快感」の合計を上回る快感を瞬時に得ることに等しいと云われるその快楽度の強さ、そしてそこから生ずる至福感は、しばしば「約束された安堵」などと表現されてきた。

依存性

複数の専門家による危険性の相対性を数値化したグラフ[5]

専門家によって薬物の危険性を最高3点として数値化した研究によれば、ヘロインは快感3点、精神的依存3点、身体依存3点と依存性は最高の3点となっている唯一の薬物である[5]

離脱症状

多量の長期のオピオイドを中止あるいは減量すると、怒りやすいとか、痛みに対する感受性の増加からはじまり、薬物を渇望して行動して落ち着きがなくなり、腰や足に痛みを感じるようになる[12]。そして、不快な気分、吐き気や嘔吐、筋肉痛、涙や鼻漏、散瞳や起毛や発汗、下痢、あくび、発熱、不眠といった症状が出現する[12]。ヘロインでは最後の摂取から6-24時間以内離脱症状が生じ、1-3日でピークとなり、5-7日で軽快する[12]。急性でない離脱症状として、不安、不快、無快感、不眠、薬物の渇望が、数か月続くこともある(遷延性離脱症候群[12]

身体中の関節に走る激痛、小風に撫でられただけで素肌に走る激痛、体温の調節機能の狂いにより生じる激暑と酷寒の体感の数秒ごとの循環、身体中に湧き上がる強烈な不快感と倦怠感、などが挙げられる。こうした一連の症状は「地獄そのもの以外の何でもない」などと表現される苛烈なもので、この禁断症状を指していう「コールド・ターキー」(cold turkey) というスラングが生まれた。このスラングは1969年に歌手のジョン・レノン(プラスティック・オノ・バンド)が発表した楽曲 "Cold Turkey" (邦題「冷たい七面鳥」)によって世界的に著名となった。レノンはこの曲を通して薬物の禁断症状の恐ろしさを世に知らしめようとしたつもりだったが、ドラッグソングと誤解を受け放送禁止にした放送局もあったという。

依存の治療

より有害性が低いメタドンに置換する方法がある[13]。メサドンは長時間作用するため、離脱症状が出現するまでに2-4日かかる[12]

オピオイド作動薬のメタドンが従来用いられてきた。21世紀に入り、オピオイド部分作動薬のブプレノルフィンも用いられている。

出典

  1. ^ Rook, Elisabeth J.; Van Ree, Jan M.; Van Den Brink, Wim; Hillebrand, Michel J. X.; Huitema, Alwin D. R.; Hendriks, Vincent M.; Beijnen, Jos H. (2006). “Pharmacokinetics and Pharmacodynamics of High Doses of Pharmaceutically Prepared Heroin, by Intravenous or by Inhalation Route in Opioid-Dependent Patients”. Basic & Clinical Pharmacology & Toxicology 98: 86–96. doi:10.1111/j.1742-7843.2006.pto_233.x. 
  2. ^ Chemical Sampling Information: Heroin”. Osha.gov. 2010年10月20日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m ツェンク & 田端 1996, p. 97.
  4. ^ a b c 松下正明(総編集) 著、編集:牛島定信、小山司、三好功峰、浅井昌弘、倉知正佳、中根允文 編『薬物・アルコール関連障害』中山書店〈臨床精神医学講座8〉、1999年6月、109頁。ISBN 978-4521492018 
  5. ^ a b c Nutt, D.; King, L. A.; Saulsbury, W.; Blakemore, C. (2007). “Development of a rational scale to assess the harm of drugs of potential misuse” (pdf). The Lancet 369 (9566): 1047–1053. doi:10.1016/S0140-6736(07)60464-4. PMID 17382831. http://www.antoniocasella.eu/archila/NUTT_2007.pdf.  編集
  6. ^ a b 山形浩生「ウィリアム・バロウズ履歴書」『ユリイカ』第24巻第5号、1992年、172-186頁。 
  7. ^ ポール・ボウルズ「タンジールのバロウズ」『ユリイカ』第24巻第5号、1992年、55-57頁。 Buroughs in Big Table2, 1959
  8. ^ ウィリアム・バロウズ 著、鮎川信夫 訳『ジャンキー』河出書房新社、2003年。ISBN 4-309-46240-5  Junkey, 1953.
  9. ^ 『シド・アンド・ナンシー』1時間11分30秒から1時間13分
  10. ^ ツェンク & 田端 1996, p. 99.
  11. ^ a b ウィリアム・バロウズ 著、鮎川信夫 訳「補遺―危険薬物中毒の熟練者からの手紙(「イギリス中毒学会誌」五十三巻二号より)」『裸のランチ』河出書房、2003年、321-343頁。ISBN 4-309-46231-6  The Naked Lunch, 1959.
  12. ^ a b c d e アメリカ精神医学会『DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル(新訂版)』高橋三郎・大野裕・染矢俊幸訳、医学書院、2004年。ISBN 978-4260118897  他に各版がありページ数が異なるが「アヘン類関連障害」の「アヘン類離脱」。
  13. ^ コロンビア大学嗜癖物質乱用国立センター (2012-06). Addiction Medicine: Closing the Gap between Science and Practice. The National Center on Addiction and Substance Abuse at Columbia University. http://www.casacolumbia.org/templates/NewsRoom.aspx?articleid=678&zoneid=51 

参考文献

関連項目