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2016年10月18日 (火) 08:49時点における版
Phew | |
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生誕 | 1959年9月12日(65歳) |
ジャンル | パンク・ロック |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1978年 - |
レーベル | パス・レコード |
共同作業者 | アーント・サリー |
公式サイト | http://homepage3.nifty.com/phew/(リンク切れ 2015年9月5日確認) |
Phew(フュー、1959年9月12日 - )は日本の女性シンガー。
1979年にアーント・サリー (Aunt Sally (band)) としてデビュー、現在に至るまで広義のパンク/ニューウェイヴのフィールドで活動を続けている。日本のアンダーグラウンドにおいては、phewの影響を公言する戸川純と双璧を成す女性ヴォーカリストとして知られている。
バイオグラフィー
大阪府出身。ミッション系のお嬢様学校に通っており、当時はそのことにコンプレックスを抱いていた。
高校時代偶然テレビで放送していたセックス・ピストルズを聴き、同年代の若者によるアンチ・キリスト的な表現にカルチャーショックを受ける。77年夏に渡英して様々なパンクバンドを生で観、帰国後アーント・サリーを結成。芸名やトレードマークとなるベレー帽はbikke(Gt)のアイデアによるものとのこと。
アーント・サリー解散後ソロシンガーで活動するようになり、パス・レコード(PASS RECORDS)と契約する。そして坂本龍一とのコラボレーションである『終曲(フィナーレ)/うらはら』を1980年3月25日に発表。「終曲」発売後、パスレコードのプロモーション・ツアーに参加。バッキングメンバーは坂本龍一と後藤美孝であった。2人とも揃ってシーケンシャル・サーキットProphet-5とアープ・オデッセイと言うシンセサイザーの名機を使用し、坂本はシンセベースを担当し、後藤はノイズを担当したと言われている。
そして1981年の1月から2月の間にアルバム『Phew』を西ドイツ(当時)ケルンのコニー・プランクのスタジオで制作。レコーディング・メンバーはPhew、コニー・プランク、ホルガー・シューカイ、ヤキ・リーベツァイト、そしてパス・レコードの創立者である後藤美孝(坂本と共同で『B-2ユニット』を制作した後)。同アルバムは、1981年6月パス・レコードから発売されたが、Phewはその後数回のライブに出演後活動を中断。
1987年、活動を再開。近藤達郎、大津真らとアルバム『View』を発表。1991年10月21日 恒松正敏 高橋豊 大津真 藤本敦夫 藤井信雄らと『songs』発表。1992年にはアルバム『Our Likeness』を再びコニー・プランクのスタジオで制作。レコーディング・メンバーはヤキ・リーベツァイト、アレキサンダー・ハッケ、クリスロー・ハアス、トーマス・シュターン。同アルバムは英ミュート・レコードよりリリースされ、Phewは同レーベルから作品を発表した最初の日本人アーティストとなった。また、2010年には15年ぶりのソロ名義で初のカバーアルバムとなる『ファイヴ・フィンガー・ディスカウント(万引き)』をリリース。ジム・オルーク,石橋英子, 山本精一が録音に参加している。
以後はソロやユニットの形でライブ活動、アルバム制作を定期的に行っている。現在のユニットは、MOSTとBig Picture。また、2012年春より小林エリカとのプロジェクト、project UNDARK を開始。楽曲提供はCLUSTERのMOEBIUSが行なっている。
夫は音楽家の長嶌寛幸。子供もおり、湘南乃風やマキシマムザホルモンのファンだという。一度パンクが聴きたいとせがまれイギー・ポップを聴かせたら「古い」と答えたとのこと。
ソロ・ディスコグラフィー
- 終曲/うらはら(1980)
- Phew(1981)
- View(1987)
- Songs(1991)
- Our Likeness(1992)
- 秘密のナイフ(1995)
- Five Finger Discount(2010)
- A New World(2015)
バンド・ディスコグラフィー
- アーント・サリー「アーント・サリー」(1984)
- NOVO TONO「パノラマ・パラダイス」(1996)
- アーント・サリー「LIVE 1978-1979」(2001)
- BIG PICTURE「BIG PICTURE」(2001)
- MOST「MOST」(2001)
- MOST「MOST MOST」(2003)
- MOST「THE MOST NOTORIOUS! 」(2010)
- Project Undark「ラジウム・ガールズ 2011」(2012)
「終曲」について
「終曲」の原曲はアーント・サリー終期に制作された「踊りましょう」であり、LIVE1978-1979にも収録されている。
制作の過程に関しては、Phewがカセット・テープにアカペラで録音した歌を坂本龍一が受け取り、ヴォーカルへのイコライジングとシンセサイザーなどによるバッキングを加えて楽曲の形にまとめ上げたという説があるが、クロック信号が録音されていないカセットテープ録音である上に、絶対音感が無い者のアカペラ歌唱に、後から音楽的なバッキングを被せる事は、当時のテクノロジーでは、ほぼ不可能である(「終曲」でのPhewの歌唱は音符内でのピッチが不安定であり、絶対音感が無い事は明白である)。また、シングルのクレジットには、Phewは、ヴォーカル、声(Voice)、ノイズを担当したとある。そして数々のインタビューでは坂本龍一のスタジオワークの模様や、ミックスダウンの手法(イコライジングでは無く、シンバルの上の置いたヘッドフォンから再生された音を再び録音した)について語っているので、この曲はスタジオでヴォーカルを録音する通常のレコーディング手法により録音された可能性が非常に高いと思われる。
資料
- CD "PASS NO PAST"の湯浅学の解説
- CD "AUNT SALLY"の戸川純の解説
- CD "Phew"の加藤彰の解説
- CD "songs"のライナーノーツ