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| 生死=死亡 |
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| 死亡日=[[1998年]][[5月15日]] |
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| 没地=[[イスタンブル]] |
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| 配偶者= |
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== 経歴 == |
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[[1943年]]に[[イスタンブル大学]]経済学部を卒業後、シュメール銀行({{lang|tr|Sümerbank}})で勤務し、[[1946年]]からはトルコ中央銀行で勤務した。1967年に中央銀行総裁に就任。 |
[[1943年]]に[[イスタンブール大学]]経済学部を卒業後、シュメール銀行({{lang|tr|Sümerbank}})で勤務し、[[1946年]]からはトルコ中央銀行で勤務した。1967年に中央銀行総裁に就任。 |
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[[1972年]]に第2次[[ニハト・エリム|エリム]]内閣の通商相として初入閣。[[フェリト・メレン|メレン]]内閣でも引き続き通商相を務めた。 |
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2016年10月18日 (火) 11:40時点における版
ナイム・タル Naim Talu | |
任期 | 1973年4月15日 – 1974年1月26日 |
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出生 | 1919年 イスタンブール |
死去 | 1998年5月15日 イスタンブール |
ナイム・タル(トルコ語:Mehmet Naim Talu、1919年 - 1998年5月15日)は、トルコ共和国の政治家、首相(1973年4月15日 - 1974年1月26日)。
経歴
1943年にイスタンブール大学経済学部を卒業後、シュメール銀行(Sümerbank)で勤務し、1946年からはトルコ中央銀行で勤務した。1967年に中央銀行総裁に就任。
1972年に第2次エリム内閣の通商相として初入閣。メレン内閣でも引き続き通商相を務めた。
1972年に、タルは、スナイ大統領から上院議員に任命され、翌年実施される総選挙までの期間、選挙管理内閣の首班を務めることとなった。しかし、1973年の総選挙では、どの政党も過半数を制することができず、タル内閣は後継の内閣が組織されるまでの間、暫定政権として執務を続けることになった。1974年2月に共和人民党と国民救済党の連立政権が発足し、タル内閣は後継のエジェヴィトに政権を引き渡すことになった。
1974年から1976年まで、トルコ最大の銀行であるアク銀行の経営陣に加わった。イスタンブルで死去。妻との間に二女。
外部リンク
- Dünden Bugüne Başbakanlık (1920-2004), Ankara, 2004 (T.C. BAŞBAKANLIK DEVLET ARŞİVLERİ GENEL MÜDÜRLÜĞÜ Yayın Nu: 17) [1]