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[[ファイル:Crusader coins of the Kingdom of Jerusalem.jpg|thumb|350px|[[エルサレム王国]]十字軍のコイン:[[聖墳墓教会]]([[1162年]] - [[1175年]])柄の欧州タイプの[[フレンチ・ドゥニエ|ドゥニエ]]、[[クーフィー体]]で書かれた金のベザント([[1140年]] - [[1180年]])、[[キリスト教]]のシンボル付の金のベザント([[1250年代]])。金貨は最初は[[ディナール]]のコピーであり、[[クーフィー体]]が刻まれていた。しかし、[[1250年]]以降カトリック教会の不満に従い、[[キリスト教のシンボル]]が追加された。(大英博物館)]]
[[ファイル:Crusader coins of the Kingdom of Jerusalem.jpg|thumb|350px|[[エルサレム王国]]十字軍のコイン:[[聖墳墓教会]]([[1162年]] - [[1175年]])柄の欧州タイプの[[フレンチ・ドゥニエ|ドゥニエ]]、[[クーフィー体]]で書かれた金のベザント([[1140年]] - [[1180年]])、[[キリスト教]]のシンボル付の金のベザント([[1250年代]])。金貨は最初は[[ディナール]]のコピーであり、[[クーフィー体]]が刻まれていた。しかし、[[1250年]]以降カトリック教会の不満に従い、[[キリスト教のシンボル]]が追加された。(大英博物館)]]
[[ファイル:Tripoli gold bezant in Arabic 1270 1300 Tripoli silver gros 1275 1287.jpg|thumb|350px|[[トリポリ伯国]]の金のベザント。[[アラビア語]]([[1270年]] - [[1300年]])、トリポリの銀の[[グロシュ|グロ]]([[1275年]] - [[1287年]])。[[大英博物館]]]]
[[ファイル:Tripoli gold bezant in Arabic 1270 1300 Tripoli silver gros 1275 1287.jpg|thumb|350px|[[トリポリ伯国]]の金のベザント。[[アラビア語]]([[1270年]] - [[1300年]])、トリポリの銀の[[グロシュ|グロ]]([[1275年]] - [[1287年]])。[[大英博物館]]]]
'''ベザント'''は [[中世]]の[[金貨]]。この言葉は[[ビザンティウム]]が語源で、もともとの[[ギリシア語]]の[[東ローマ帝国]]の首都[[コンスタンティノープル]](現在の[[イスタンブル]])の旧名[[ビザンティオン]]({{lang|el|Βυζάντιον}} or "Byzántion" )が[[ラテン語]]化した形をとったもの。[[コンスタンティヌス1世]]の時代以降、金貨はしばしコンスタンティノープルからもたらされ、コンスタンティノープルを連想するものだった。
'''ベザント'''は [[中世]]の[[金貨]]。この言葉は[[ビザンティウム]]が語源で、もともとの[[ギリシア語]]の[[東ローマ帝国]]の首都[[コンスタンティノープル]](現在の[[イスタンブル]])の旧名[[ビザンティオン]]({{lang|el|Βυζάντιον}} or "Byzántion" )が[[ラテン語]]化した形をとったもの。[[コンスタンティヌス1世]]の時代以降、金貨はしばしコンスタンティノープルからもたらされ、コンスタンティノープルを連想するものだった。


== 歴史 ==
== 歴史 ==

2016年10月18日 (火) 12:37時点における版

エルサレム王国十字軍のコイン:聖墳墓教会1162年 - 1175年)柄の欧州タイプのドゥニエクーフィー体で書かれた金のベザント(1140年 - 1180年)、キリスト教のシンボル付の金のベザント(1250年代)。金貨は最初はディナールのコピーであり、クーフィー体が刻まれていた。しかし、1250年以降カトリック教会の不満に従い、キリスト教のシンボルが追加された。(大英博物館)
トリポリ伯国の金のベザント。アラビア語1270年 - 1300年)、トリポリの銀のグロ1275年 - 1287年)。大英博物館

ベザント中世金貨。この言葉はビザンティウムが語源で、もともとのギリシア語東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)の旧名ビザンティオンΒυζάντιον or "Byzántion" )がラテン語化した形をとったもの。コンスタンティヌス1世の時代以降、金貨はしばしコンスタンティノープルからもたらされ、コンスタンティノープルを連想するものだった。

歴史

西欧中世初期では、金貨はほとんど鋳造されず、銀貨銅貨通貨としての選択肢だった。しかもそれらは、地中海地域を中心に、小さな単位で流通したのみだった。典型的な金貨は特別に儀礼上重要な機会か、尊敬の印として使われた。東ローマのソリドゥス金貨は、後のイスラム製のものとともに特に高く評価された。これらの金貨は通常「ベザント」と呼ばれた。語源的にはビザンティウムが由来とされ、首都コンスタンティノープルのギリシア語の名称ビザンティオン(Βυζάντιον, Byzántion)のラテン語化が起源であった。コンスタンティヌス1世の時代以降、金貨は基本的にコンスタンティノープルからもたらされるもので、コンスタンティノープルを連想するものであった。

最初のベザントは東ローマのソリドゥス金貨で、後には、この言葉はイスラームのカリフ国で鋳造された金のディナールも示すようになった。それらもソリドゥスをモデルとしていた。

ベザントという言葉はヴェネツィア共和国ではエジプトのディナール金貨を指し、マルコポーロ東アジアへの旅において王朝の通貨について記述する時にベザントという言葉を利用している[1]。彼の記載では、1ベザント = 20 グロート = 133⅓ トロネセルであった[1]

フィレンツェ市が1252年フローリンとして知られる金貨を鋳造し始めた時に、金貨は欧州に再度導入された。

10世紀11世紀イングランドでは金貨は銀2シリングと等価であり、金銀交換比率は 1:9だった。

ベザントの紋章

コーンウォール公爵の徽章はコーンウォールを代表する15個のベザントがその由来である

紋章学においては、ベザントは金の円盤(ラウンデル)のことを表す。これら紋章学上の円盤の名称の多くはコインの名称に由来している。

脚注

  1. ^ a b Yule, Henry; Cordier, Henri. The Travels of Marco Polo: The Complete Yule-Cordier Edition. Third edition (1903), revised and updated by Henri Cordier. Plain Label Books. p. 1226-27. (ISBN 1603036156)

関連項目