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2016年10月19日 (水) 10:51時点における版
木下理樹 | |
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生誕 | 1978年10月14日(46歳) |
出身地 | 日本 大阪府大阪市 |
ジャンル | オルタナティヴ・ロック |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | ボーカル、ギター |
共同作業者 |
ART-SCHOOL killing Boy ex-KAREN |
木下 理樹(きのした りき、1978年10月14日 - )は日本のシンガーソングライター。ソロ活動を経て、ART-SCHOOL、killing Boyのボーカル、ギター担当として活動している。2010年末まではART-SCHOOLの戸高賢史らとともにKARENでも活動していた。大阪府大阪市出身。血液型はO型。
2015年にはART-SCHOOLを休止し、自主レーベル「Warszawa-Label」を立ち上げていた。
来歴
父親が好きだったビートルズやビーチ・ボーイズ、サイモン&ガーファンクルなどを聞きながら幼少時代を過ごす[1]。小学校のときに「ミュージック・ライフ」を読んだことがきっかけで洋楽にはまっていく[2]。小学校の頃に4つ年上の兄から洋楽を聞かされるようになり、初めにプリンス[3]、小学3年生の頃にはメタリカ、スレイヤーといったヘヴィメタルを愛好するようになる[4]。
中学1年生の頃にラジオでニルヴァーナのスメルズ・ライク・ティーン・スピリットと出会ってからは、徐々にオルタナティヴ・ロックやグランジなどに傾倒していく[3]。この頃聴いていたUSインディやブリットポップの「下手なバンド」から「俺にもできるんじゃないかな」と思ったことをきっかけに音楽を始め[5]、高校時代は「オレンジクラッシュ」というコピーバンドでベースを弾いた。
高校卒業後に作曲を始め後に上京、1999年にソニー傘下のインディーズ・レーベル、テレスコープ・レーベルからアルバムを発表する[6]。その後ソロライブのサポートをしていた日向、櫻井と、当時飲み仲間で専門学校生だった大山でバンドを結成し、2000年にてART-SCHOOLとしての活動をはじめる。
音楽
ギブソン・フライングVを使用している。
音楽マニアであり、ロック以外にも様々なジャンルの音楽に精通している(インディーズ時代に既に20000枚のCDを所有していた)[7]。
音楽シーンの中でのART-SCHOOLの位置づけについて「日本初のオルタナバンド[8]」、「バンドとしてはダークネス〈負〉を表現してポピュラリティーを得たい。いまの主流を否定したい[9]」、「モーサム・トーンベンダーやSyrup 16gなどの新しい流れ・価値観を持ったバンドのひとつでありたい[9]」と発言している。
またART-SCHOOLとテーマが近い日本のバンドとして、くるり、Syrup 16g、ナンバーガール、GRAPEVINEを挙げ、「男の暗さ、影みたいな所に理由があると思う」と書き込んだ事がある[10]。
影響
影響を受けたアーティストは、ニルヴァーナ、ダイナソーJr.、ペイヴメント、スマッシング・パンプキンズ[11]、レディオヘッド、ジーザス&メリーチェイン[12]、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン[12]、ライド、アリス・イン・チェインズ、サウンドガーデン、シェラック[13][14]、ブロック・パーティ、クラクソンズ、プリンス、エリオット・スミス、スピッツ、フリッパーズ・ギター、ナンバーガール等。
カート・コバーンの大ファンでカートについて「カートが僕にしてくれたように、僕も傷ついたり疎外感を抱いているような人に希望を与えたい[15]」、「世の中は糞で、大人は最悪だ。僕はいつも死ぬことばかり考えている。でも、カート・コバーンが僕に教えてくれたようにみんなにも生きる希望を感じてもらうために、音楽をやります[7]」などの発言をしている。
歌詞
木下は「僕自身のイノセントな季節は、25歳ぐらいに終わってしまっている。イノセントな部分を失くしてしまったことを境に歌詞の世界が変わったかもしれない。大人になること、汚れてしまうことへの恐れが、それまでは強かったけど、それ以降は混沌とした精神状態を歌うようになっていった。今はもう1周して逆にピュアになった」「常にアウトサイダーの視点に立っていたい。そうじゃないと、弱い人たちのところまで届かない」「幸せな歌詞を書きたいと思っても出てこない」と語っている[16]。
人物
マッシュルームカットがトレードマーク。
小学校、中学校時代は完全な対人恐怖症であり、学校をよく早退して家で1人で音楽や映画を鑑賞していた[17]。また18歳から23歳になるまでのインディーズ時代の約5年間、母親の仕送りだけで生活していた[18]。
映画を広く愛好し、自身の楽曲に映画の題名をつけることもある。小学生の頃から映画が好きで、スティーヴン・スピルバーグの作品のファンであった[18]。好きな作品は汚れた血、ギルバート・グレイプ等、多数[18]。また、音楽雑誌「MARQUEE」に映画評論のコーナー「俺的映画道」を長期に渡って連載している。母親の仕送りだけで生活していた間、映画を毎日1本はレンタルして観ていた[18]。またART-SCHOOLの楽曲「Missing」「左ききのキキ」のPVを監督している。
純文学や詩を好む文学青年(特に村上春樹や中島らも、ボリス・ヴィアン、中原中也[19]などを敬愛していることが過去の日記から分かる)で、作詞にその影響(いわゆる「カットアップ」手法など)が見られることもある。携帯サイトでは処女小説「皆殺しのキキ」を執筆中である。
123RECORDS時代の公式サイトではIQ145と自称したり、バンドを始めた理由を「女性と付き合うため」と答えている[20]。
好きな女優は宮崎あおい、新垣結衣[21]、上野樹里、ウィノナ・ライダーなど。
FCマッコリというフットサルチームの(初代)監督をするほど海外サッカーが好き。好きなサッカークラブはマンチェスター・ユナイテッド[22]。
作品
ミニアルバム
- TEENAGE LAST (1999年10月21日)
- 廃盤。
- GLORIA/RASBERRY/RIVERS EDGE/SWAN DIVE/LIKE A DAYDREAM/NORTH MARINE DRIVE
他にも、木下理樹名義のデモ音源が数点ある。
参考文献
- as-biography - ART-SCHOOL公式サイト(2002年6月4日のアーカイブ)
脚注
- ^ 「いつかの僕とビートルズ」 旧『狂人日記』、2005年12月12日。
- ^ インタビュー 夢を見ることで得られたもの ART-SCHOOLインタビューCINRA.NET 2013年3月13日
- ^ a b 「ニック・ドレイクと俺の音楽史」 旧『狂人日記』、2003年11月7日。
- ^ ART-SCHOOL|Skream!インタビューSkream!2010年7月号
- ^ ART-SCHOOL(木下理樹)インタビュー!!PLAYLIST MAGAZINE、2007年2月28日(2007年3月10日時点のアーカイブ)
- ^ TELESCOPE_release_newsTELESCOPE_LABEL(2007年9月2日時点のアーカイブ)
- ^ a b UK PROJECT/new release/ART SCHOOL
- ^ ukproject.comArtist Information
- ^ a b ART-SCHOOL - bounce.com インタビュー『bounce』誌、238号のインタビューより(2002年12月20日時点のアーカイブ)
- ^ 「GREAT3、あるいは男と女について」 旧狂人日記、2004年1月10日。
- ^ music UP's-ART-SCHOOLインタビュー-music UP's vol.70
- ^ a b music UP's ART-SCHOOL インタビューmusic UP's vol.95
- ^ killing Boy『Destroying beauty』 - TOWER RECORDS ONLINETOWER RECORDS ONLINE 2012年06月06日
- ^ ART-SCHOOL 『BABY ACID BABY』 - TOWER RECORDS ONLINETOWER RECORDS ONLINE 2012年07月25日
- ^ 「日本ロック界の革命」 BARKS、2002年5月8日。」
- ^ 【Power Push】 ART-SCHOOL「The Alchemist」インタビュー(1/4)ナタリー
- ^ 「中島くんと今村昌平論」 旧『狂人日記』、2003年11月6日。
- ^ a b c d 「香港マフィアと俺の映画史」 旧『狂人日記』、2003年11月3日。
- ^ 「中也に捧ぐ」 旧『狂人日記』、2003年11月16日。
- ^ as-biographyART-SCHOOL公式サイト(2002年6月4日のアーカイブ)
- ^ インタビュー クボケンジ(メレンゲ)×木下理樹(ART-SCHOOL)LIQUIDROOM
- ^ I DREAM
外部リンク
- 狂人日記 - 本人によるブログ。
- 狂人日記 - 本人によるブログ(2003-2006年)。2012年に冊子にまとめられ部数限定でライブ会場で配布[1]。
- 木下理樹 - 魔法のiらんど
- 木下理樹 (@kinoshitariki) - X(旧Twitter)
- Riki Kinoshita - soundCloud
- rikikundeath - Instagram
- kinoshitarikiの本棚(kinoshitariki) - ブクログ