「シルヴィア (歌手)」の版間の差分
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2016年11月10日 (木) 17:11時点における版
シルヴィア | |
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出生名 | 松田理恵子 |
生誕 | 1958年3月21日 |
出身地 | 日本 |
死没 | 2010年11月28日(52歳没) |
ジャンル | ムード歌謡 |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | 歌 |
活動期間 | 1979年 - 2010年 |
共同作業者 | ロス・インディオス |
シルヴィア(本名:松田理恵子 (まつだ りえこ)、1958年3月21日 - 2010年11月28日)は、日本の歌手。
1979年(昭和54年)にリリースされたデュエット曲「別れても好きな人」の女性歌手として殊に有名。シルビアとも表記される。
来歴
大阪府東大阪市の出身。血液型AB型。元実業団のバレーボール選手。大阪の佐川満男の店で歌っているところをスカウトされ、ロス・インディオスに初代女性ボーカリストとして参加。ロス・インディオス&シルヴィアとして、1979年にリリースされたデビュー曲「別れても好きな人」がミリオンセールスとなり、一躍スター歌手となる。その後も、ロス・インディオスと活動を共にしていたが、83年に菅原洋一と歌ったデュエット曲「アマン」がヒット。これを転機にひとり立ちしてソロ歌手としても活動を始める。
ソロ活動はイベントやディナーショーが中心で、自身のヒット曲を観客の1人とデュエットするコーナーのほか、彼女の音楽的ルーツであるブラジル音楽も取り入れ、ボサノバの「イパネマの娘」やナラ・レオンが日本のCMのために録音した「あの日からサウダージ」の日本語訳も歌う。 特に「あの日からサウダージ」の絶唱では涙する観客もいるほどだった。この録音が世に出なかったことが残念である。
その後、東京プリンやエド山口とのコミカルなデュエット曲を発売した。
結婚し、子供にも恵まれて幸せな生活を送っていたが、2009年(平成21年)に精密検査の結果、肺癌であることが判明。長い闘病生活後、2010年(平成22年)11月28日に東京都港区の病院で、長男に看取られ逝去した。52歳没。
代表曲
- 別れても好きな人(1979.9) オリコン最高4位,90.0万枚
- それぞれの原宿(1980.12) オリコン最高43位,6.4万枚
- うそよ今夜も(1981.7) オリコン最高95位,0.6万枚
- 雨にしのんで(1982.3) 作曲は来生たかお
- おもい手(1982.9) (以上、ロス・インディオス&シルヴィアとして)
- アマン(菅原洋一とのデュエット)(1982.11) オリコン最高134位
- 愛のキャラバン(1983.8) 作詞・作曲は谷村新司(ソロデビュー曲)
- Let's Dream(1988.9) 日立建機イメージソング
- 離婚適齢期(1992.5)
- 二股の女(東京プリンとのデュエット)(1999.3) (えんか!!えいべっくす)
- ムードコーラス命です。(エド山口とのデュエット)(2003.6) (日本コロムビア)
- 能登空港(三輪一雄とのデュエット)(2006.6)「能登空港」
- 東京の男が好きなんか(2007.1) カップリングに「別れても好きな人」ハワイアンバージョンを収録(徳間ジャパン)
NHK紅白歌合戦出場歴
- 第31回(1980年12月31日、NHKホール) 『別れても好きな人』(ロス・インディオス&シルヴィアとして。)
- 第32回(1981年12月31日、NHKホール) 『うそよ今夜も』(同上)
- 第33回(1982年12月31日、NHKホール) 『コモエスタ赤坂』(同上)
- 第34回(1983年12月31日、NHKホール) 『アマン』(菅原洋一のサポートであるため、正式な出場には含まない。)
以上出場したすべての映像が現存し、『思い出の紅白歌合戦』(NHK BS-2)内で再放送された。
CM
- 「味の素のほんだし」
- 「タカノユリビューティクリニック」
- 「さつま小鶴」
ラジオ番組
- 「シルヴィアの別れても好きな曲」(アール・エフ・ラジオ日本、毎週土曜日17時40分から17時55分)