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2016年11月10日 (木) 19:14時点における版
泰葉 | |
---|---|
出生名 | 海老名 泰葉 |
生誕 | 1961年1月17日(63歳) |
出身地 | 日本・東京都台東区 |
学歴 | 桐朋学園大学音楽学部中退 |
ジャンル | J-POP |
職業 | シンガーソングライター、タレント、プロデューサー |
担当楽器 | 歌 |
活動期間 |
1981年 - 1988年 2007年 - 現在 |
レーベル |
アイアン・キャンドル つばさレコーズ |
事務所 | 小澤音楽事務所→レッドバス・エンタープライズ→アイアン・キャンドル→ねぎし事務所→FISEMAN→ねぎし事務所 |
公式サイト | 泰葉オフィシャルサイト&ブログ |
泰葉(やすは、1961年1月17日 - )は、東京都出身のシンガーソングライター、タレント、プロデューサー。血液型A型。初代林家三平の娘。春風亭小朝の元妻。本名:海老名 泰葉(えびな やすは)。
所属事務所は、小澤音楽事務所→レッドバス・エンタープライズ(結婚による芸能界引退まで)→アイアン・キャンドル→ねぎし事務所(亡父の事務所で実母が代表者)→株式会社FISEMAN→ねぎし事務所→泰葉エンターテイメント[1]。結婚引退中は、夫小朝の事務所「春々堂」の社長だった。
来歴・人物
父は落語家の初代林家三平。母は海老名香葉子。伯父は釣竿職人の中根喜三郎(母・香葉子の兄)、祖父に7代目林家正蔵、実姉に海老名美どり、実弟に9代目林家正蔵と2代目林家三平、義兄に峰竜太、義妹に国分佐智子、甥に下嶋兄がいる。
幼少のころからクラシックを学ぶ。東京都立芸術高等学校卒業。音大進学の失敗を機にクラシックから転向し、ジャズやポピュラー歌手を志す。1981年に『フライディ・チャイナタウン』でシンガーソングライターとしてデビュー。また、アーティストへの楽曲提供も行い、『夏のRELIFE』(松本伊代)、『YES、IT'S MY HEART』(少女隊)『目黒の実家に帰ります』(五十嵐祐子)などを残した。タレントとしては『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)初代アシスタント司会を務めるなどした。
その後、春風亭小朝と婚約し、1988年4月に小朝の援助を受けて桐朋学園大学音楽学部に入学、同年6月に結婚した。しかし、寝坊癖が直らず音大の出席が困難となり、わずか3ヶ月ほどで中退することになる。[要出典]自身は芸能界を引退し、小朝の事務所「春々堂」の社長として小朝のマネージメントを務め始めた。
引退で当然のように表舞台から姿を消したが、2004年の林家正蔵襲名記念披露パーティーの企画に携わるなど落語界で裏方的な活動をこなしており、時々テレビに映ることはあった。
2007年11月に帝国ホテルの宴会場で小朝と離婚という形で記者会見を開き、久々に公の前に姿を見せることになった。この会見では結婚などめでたい時に使う金屏風を会見場に立てており、しきたりに反すると同時に芸能界でも前例のないパフォーマンス・演出により、一躍ワイドショーで格好の話題を提供することになった。当初は「社長業と主婦業の両立が出来ない」という理由で「円満離婚」を強調していた。慰謝料は1億5千万円で、泰葉は「安い」と不平を漏らしている。これを機にアイアン・キャンドルを立ち上げるなど芸能界へ本格復帰(エピソードで後述)し、アメブロ上に公式ブログを開設した。2008年に夫婦生活や離婚の経緯などを綴った著書『開運離婚』を出版。父・三平の半生を描いたドキュメンタリー映画を製作するとあったが既に2010年時点で進展が無くなっている。
2008年大晦日に有明コロシアムで行われるハッスル・マニア2008の電撃会見を行い、プロレスのリングに於いてフランク・シナトラが360度観客に囲まれて歌を歌ったように、プロレスのリングで歌を歌う「ファイティング・オペラハッスル」として参戦することを公言した。しかしそこに、ハッスルの支配者高田総統が現れ、歌を歌いたければリング上で戦い勝つことを条件として課せられ、強制的にプロレスラーとなってしまった。試合は12月30日に行われ、大晦日のゴールデンタイムに放映され、『NHK紅白歌合戦』とも戦うこととなった。本番試合では対戦相手アン・ジョー司令長官に対し7分10秒で勝利した(決め技は『回転“海老名”固め』)。
2009年には自作新曲で歌手再デビューを果たし、ライブハウスでのショーやCDのインストアライブに幾つか出演する傍ら、川嶋あいら『つばさアーティスト』の一員としてライブ「つばさ祭」にも出演した。しかし、2010年4月に予定していたミュージックラウンジでのライブ出演が中止となり、所属マネージメント会社をファイズマンへ移籍。同年8月の神宮外苑花火大会への登壇を以て歌手活動を休止し充電期間に入る。休業期間中もブログの更新は続けていた。
2011年5月8日に実弟の林家三平 (2代目)、義妹に当たる国分佐智子、母(香葉子)と共に東日本大震災の被災地である岩手県大船渡市を慰問[2]。また、同年10月に催された三平と国分の結婚披露宴に出席し、マスコミ取材では「弟やったぜ!」「来年アーティスト活動を(再開)しますので」と発言していた[3]が進展はなく、2013年7月にねぎし事務所への再所属と歌手活動再開を発表。ライブ活動とディナーショーの開催。
2016年6月6日、ねぎし事務所を退社し、個人事務所「泰葉エンターテイメント」を設立。同社社長就任を発表 [1]。
小朝との結婚・離婚
仕事のことで悩みがあり引退したがっていたが、辞めたら辞めたでやることがなくなるから辞められない、ということを小朝に相談したところプロポーズされ、2人は結婚した。同時に泰葉は芸能界から引退した。
その後は小朝が所属する事務所の社長を務め、主に小朝のマネージメント活動を行っていたが、時折テレビに出演し、小朝や弟のいっ平と共演する機会もあった。
2007年11月12日、自らのプロデューサーとしての活動発展を理由に離婚し、翌日にメディア発表を行い、小朝、実弟2人の同席や金屏風をバックにした異例づくめの離婚会見を行った。[4]離婚の経緯について、仕事を続ける中で主婦業に集中できず、中途半端がいやなため、夫婦という関係を解消しようと申し出たことを明らかにした。TBSの取材では、落語家である小朝を尊敬するあまり、夫の小朝との関係が家族愛ではなく師弟愛であったと涙ながらに語り、落語家の妻には二度とならないと語るなど、落語家の妻として振舞うことに相当の苦労があったことを覗かせていた。
離婚後、「落語家の元妻」ということで『笑点』の大喜利でなぜかネタにされることがあり、「金髪糞豚野郎」をもじって、「何々野郎」と罵倒する言葉を考えるというお題が出されたり、特に6代目三遊亭圓楽からは、「うるせえ泰葉(アニメのキャラクターをもじる問題が出題された際にて、うる星やつらのもじり)」、根岸に近づいたところで「落語家の皆さん、そろそろ根岸ですからね、泰葉が来るぞー」、「春風亭小朝」と「海老名泰葉」で(ネットで組み合わせ)検索したらパソコンが燃えました(いわゆる、「ブログ炎上」をネタにしたものと思われる)、「泰葉です。海老名家の困りもの(エコを頭に付けた言葉を考える問題にて)」などとネタにされることが多々ある。桂歌丸からも、「あれが来るとロクなことがない」と合いの手を入れることがある(ちなみに「金髪糞豚野郎」のもじりで6代目圓楽は歌丸のことを「ハゲタカ骨野郎」と呼んだことがある)。
有吉弘行からは、泰葉の目の前ではないが、「おしゃべりブタ野郎」というあだ名を付けられた。
アイアン・キャンドル
2007年に脚本家の田渕久美子と、芸能事務所「アイアン・キャンドル」[5]を共同設立し、本名で代表取締役に就任した。2008年1月から放送されたNHK大河ドラマ「篤姫」の脚本を担当した田渕のマネジメントと、同作品の総合プロデュースを名目に事業を行っていた。なお、泰葉も同社マメジメント期間中にNHK『思い出のメロディー』に出演している。
しかし事務所設立前に、田渕が自身の衣装として事務所に向けて発注した着物の代金未払いが発覚し、2008年11月に事務所に対して2000万円の損害賠償請求訴訟が提起された。続いて泰葉が呉服店関係者に対して、田渕の再婚した夫の最期が近いことなどを連絡したにもかかわらず連絡に応じなかったとして、留守番電話や電子メールに罵倒を発したことから、同年12月には泰葉に対して名誉毀損訴訟も提起された。泰葉はハッスル・マニア2008の練習などで顔を出し、マスコミに対して損害賠償については和解勧告を受けているおり、名誉毀損については罵倒を認め、謝罪文を送付したことを明らかにしている。
その後、一連の騒動で会社解散の危機に追い込まれたが、泰葉自身の歌手活動の復活と共に、つばさエンタテンメント(つばさレコーズ)とエージェント契約を結ぶことで継続した。
エピソード
- 泰葉の名前の由来は、父・三平の本名、泰一郎の「泰」の字と、母・香葉子の「葉」の字からとって付けられた。
- 1984年4月23日、『笑っていいとも』のテレフォンショッキングに出演した際、泰葉が「お友達紹介」の際に誤って一般人に電話をかけてしまい、タモリが冗談で「明日来てくれるかな!?」と問いかけたところ相手が「いいとも!」と答えたため、その次の日から3日間、本コーナーの前に一般人がゲストのテレフォンショッキングが行われた[6][7]。
- 明石家さんまにプロポーズされたことがあり、それを本気にしていたという[8]。
ディスコグラフィ
シングル
- フライディ・チャイナタウン/ モーニング・デート - 1981年9月
- ブルーナイト・ブルー / 突然ハプニング - 1982年3月
- 水色のワンピース / Thinking of you - 1982年8月
- ポール・ポーリー・ポーラ / 涙のブロークンハート - 1983年4月
- COOL TOWN / HOT TOWN - 1983年10月
- 夏の恋・ジェラシー / 夏のエピソード - 1984年6月25日
- 下町スウィング / ショート・ストーリー(短編小説) - 1984年9月25日
- Sincerely Yours / Don't You Know -1986年9月25日
- お陽様よほほえんで / 大聖堂 -2008年12月17日
- I Believe (C/W フライディ・チャイナタウン2009)- 2009年12月2日
アルバム
- TRANSIT(1981年11月1日)
- 1994年にQ盤としてCD化されている。
- ViVid(1982年4月25日)
- わっ不っ思議ー。(1982年 ミニアルバム)
- レコードの溝が2本切ってある特殊加工レコード(A面のみ)。同じ曲(「水色のワンピース」)のアレンジ違い版が入っており、レコード針の落とし方でどちらかが流れる。
- RESERVED(1983年3月25日)
- わっ不っ思議ー。Part.2(1983年11月1日 ミニアルバム)
- レコードの溝が逆方向に切ってある特殊加工レコード(A面のみ)。通常のレコード盤と違い、針を内側に落として再生する。曲の進行とともに針が外側に移動する。
- ジャケットはアルバム「RESERVED」のジャケットを反転(文字が裏返し)したもの。
- White Key(1984年9月5日)
- YAHHOO!!(ヤッホー、1986年9月25日)
- GOLDEN☆BEST 泰葉(2006年3月1日)
- 横浜幻想(2004年1月28日 GT Music) - 「フライディ・チャイナタウン」
- ISETAN Songs Collection 1972-1986(2011年4月13日 GT Music) - 「セクシー28℃」(『わっ、不っ思議ー』の収録曲。伊勢丹のキャンペーンソングとしてタイアップ)
著書
- 開運離婚(2008年2月、小学館刊)ISBN 4093637180
主な出演番組
- 午後は○○おもいッきりテレビ(1987年10月 - 1988年3月、初代アシスタント)
- たかじんのそこまで言って委員会 - 離婚の経緯などを説明。
- おはようスタジオ
- ウィークエンドイングス
- ハローナショナルショールーム
- MBSヤングタウン - たかじんと共にパーソナリティを務めていた。
- テリー伊藤のってけラジオ(2008年6月13日)
- 今夜は最高!
- 下北FM「DJ Tomoaki’s Radio Show!」(2009年1月22日)
- 笑っていいとも!テレフォンショッキング(2009年7月14日(1986年4月7日出演以来23年ぶり3回目))
- ビートたけしの絶対見ちゃいけないTV - ナレーションを担当
- 海老名さん家の茶ぶ台(複数回ゲスト出演。キーボードでピアノ即興演奏を披露するなどした。)
- ばらえてい テレビファソラシド - レギュラー
泰葉役を演じた女優
- 白石まるみ「ことしの牡丹はよいぼたん」(フジテレビ)
- 土田真里恵「林家三平ものがたり」(テレビ東京)
脚注
- ^ a b “泰葉『ねぎし事務所』円満独立 新事務所設立で社長に就任”. ORICON STYLE. (2016年6月6日) 2016年6月7日閲覧。
- ^ 泰葉、国分と初対面「私たち美人姉妹!?」 MSN産経ニュース 2011年5月9日
- ^ 三平の結婚式に姉・泰葉「弟は親孝行」-OliconEltha
- ^ 小朝&泰葉“陽気離婚”強調もポロリ 2007年11月14日 スポーツニッポン閲覧
- ^ 鋼の蝋燭(溶けない蝋燭)という意味。
- ^ “「いいとも」30年超の歴史 テレフォンショッキング 最長トークは46分!”. スポーツニッポン (2013年10月23日). 2014年6月2日閲覧。
- ^ ザテレビジョン(KADOKAWA)2014年3月21日号 56ページ
- ^ “2007年4月10日(火)OA 放送内容・面白コメント集”. 日本テレビ『踊る!さんま御殿!!』公式サイト (2007年4月10日). 2014年6月2日閲覧。
外部リンク
- 泰葉“ファミリー”オフィシャルサイト(ねぎし事務所運営)
- 泰葉オフィシャルサイト&ブログ(2010年7月22日 - :現在はブログのみ機能)
- 泰葉オフィシャルブログ「HAPPY 革命」Powered by Ameba(2009年12月2日 - :現在休止)