コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「金沢明子」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ポップ歌手のカテゴリ修正依頼 - log
94行目: 94行目:
{{Singer-stub}}
{{Singer-stub}}
{{DEFAULTSORT:かなさわ あきこ}}
{{DEFAULTSORT:かなさわ あきこ}}
[[Category:日本の歌手]]
[[Category:日本の女性歌手]]
[[Category:日本の民謡歌手]]
[[Category:日本の民謡歌手]]
[[Category:演歌歌手]]
[[Category:演歌歌手]]

2016年11月10日 (木) 20:09時点における版

金沢明子
生誕 (1954-10-25) 1954年10月25日(70歳)
出身地 日本の旗 日本千葉県市川市
ジャンル 民謡
演歌
職業 歌手
担当楽器
活動期間 1975年 -
事務所 カナザワオフィス
公式サイト カナザワオフィス

金沢 明子(かなざわ あきこ、1954年10月25日 - )は日本民謡歌手千葉県市川市出身。

概要

津軽民謡を得意とするアマチュアの民謡歌手であった父の影響で子供の頃から民謡を始める。

1970年に16歳で日本民謡協会主催の第19回全国大会個人優勝杯戦優勝。

1975年にアルバム「若い民謡」(ビクターエンタテインメント)でデビュー。デビュー当時のキャッチフレーズは「民謡界の百恵ちゃん」であった。1979年ゴールデン・アロー賞新人賞芸能部門受賞、芸術祭優秀賞受賞。

原田直之と共にNHKの番組『民謡をあなたに』の司会を務めた。その中でジーパンをはいて民謡を歌う姿が当時は新鮮で人気を決定的にした。津軽民謡を得意としたが三味線奏者の本條秀太郎に師事したことによりレパートリーを広げ、民謡のレパートリー300曲と言われその場でリクエストに答えて即座に歌うコーナーもこなしていた。結果、1979年から2年連続『NHK紅白歌合戦』に出場。一日3時間しか寝られないというほどの売れっ子となり民放でも大活躍したがフジテレビの社員と結婚後、人気が急落した。離婚後、歯科医と再婚。

1982年大瀧詠一プロデュースの「イエロー・サブマリン音頭」がヒットした。この曲はビートルズ結成20周年記念として企画された。

寺田創一によるomodakaにボーカルとして参加している。

清酒大関のCMのほか、ロウソクの炎を揺らさずに歌う日東あられ(現在は越後製菓などに譲渡)のCMも話題になったが、その後充電期間を置きながらも地道に歌手として活動。現在は民謡よりも演歌を主体に活動している。

他の活動では1984年に初のヌード写真集を発売。

インターネットのヘビーユーザーで、公式サイトのBBSの返答は自らが書いている。

楽曲

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1979年(昭和54年)/第30回 津軽じょんがら節 08/23 さだまさし
1980年(昭和55年)/第31回 2 津軽あいや節 16/23 菅原洋一

※その他、1978年第29回原田直之と共にゲスト出演し、秋田音頭で応援合戦を行った。

出演歴

テレビ番組

ほか多数

テレビドラマ

ラジオ

CM

  • 日東あられ(1980年)
  • 日本酒造組合中央会(1981年)

関連項目

外部リンク