コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ボビー・ブラウン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Overhate (会話 | 投稿記録)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ポップ歌手のカテゴリ修正依頼: 性別付け - log
67行目: 67行目:
[[Category:アフリカ系アメリカ人のミュージシャン]]
[[Category:アフリカ系アメリカ人のミュージシャン]]
[[Category:アメリカ合衆国のR&B歌手]]
[[Category:アメリカ合衆国のR&B歌手]]
[[Category:アメリカ合衆国のシンガーソングライター]]
[[Category:アメリカ合衆国の男性シンガーソングライター]]
[[Category:グラミー賞受賞者]]
[[Category:グラミー賞受賞者]]
[[Category:MCAレコードのアーティスト]]
[[Category:MCAレコードのアーティスト]]

2016年11月12日 (土) 01:24時点における版

ボビー・ブラウン(Bobby Brown、1969年2月5日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身のR&B歌手でありダンサー。本名:ロバート・ベレスフォード・「ボビー」・ブラウン(Robert Beresford "Bobby" Brown)

人物

ボビー・ブラウンのキャリアは、1983年に少年アイドルグループ、ニュー・エディション (en:New Edition) の一員としてデビューしたことから始まる。ニュー・エディションのリード・ボーカルはラルフ・トレスヴァント(en:Ralph Tresvant)が務めていたため、ボビーはセカンド・リードというポジションだった。86年にボビーはグループから脱退し(後任としてジョニー・ギルが加入)、1987年キャメオのラリー・ブラックモンらをプロデューサーに招き、『キング・オブ・ステージ』でソロ・デビュー。「Girlfriend」がシングルビルボードブラック・コンテンポラリー・チャートで1位を記録。アルバムもまずまずのヒットとなった。

1988年に発売したアルバム『Don't Be Cruel』は、彼の唯一のビルボード・アルバム・チャート1位記録アルバムである。当時まだ駆け出しだったLA & Babyface、Teddy Rileyらをプロデューサーとして起用したこの作品は、世界中で累計1000万枚以上を売り上げて、8度のプラチナ・アルバムを記録するミリオン・ヒット・アルバムとなった。アルバムからは、「Don't Be Cruel」やブリトニー・スピアーズがカバーしたことで有名な「My Prerogative」,「Roni」「Every Little Step」「Rock Wit'cha」が立て続けにビルボードTop10ヒットを記録した(「Every Little Step」は、日本でもTBCのCMに使われ、彼のダンスシーンが放映された)。その間にも、『ゴーストバスターズ2』のテーマソング「On Our Own」も大ヒット。グラミー賞の最優秀R&B男性シンガーも獲得するなど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで快進撃を続けた。1992年に発売したアルバム『Bobby』からシングルカットされた「Humpin' Around」は、日本で松下電器産業(現:パナソニック)のラジカセ「サイバートップ」のCMソングに起用された。

当時は日本のミュージックシーンでも彼の存在が大きくクローズアップされ、1990年前後に人気を博した日本のテレビ番組ダンス甲子園では、踊り方を真似したい人気ダンサーとしてM.C.ハマーと引き合いに出されるほどの存在だった。

また、彼の髪型、服装などのスタイルを真似したボビ男と呼ばれる若者が巷に多く現れ、社会現象にもなった。

1990年に、古巣ニュー・エディションのメンバーによるソロ活動(ジョニー・ギルベル・ビヴ・デヴォーラルフ・トレスヴァント)がそれぞれ大成功をおさめると、ボビーもニュー・エディションの活動にも頻繁に参加するようになる。1996年の『ホーム・アゲイン』が、いまのところ最初にして最後となる、新旧6人のニュー・エディションとしてのアルバムであるが、このアルバムリリース後のツアー中にメンバーと再び決裂。その後は度重なる不祥事などもありグループへの参加はなくなり、ソロ作品も1997年の『Forever』以来リリースしていない。

近年ではラッパーのジャ・ルールや、ボブ・マーリーの息子ダミアン・マーリーと共演したりしている。

なお、ボビーは1992年に、R&B歌手ホイットニー・ヒューストンと結婚し、一人娘ボビー・クリスティーナ・ブラウンがいる。だが、結婚してからの彼は、妻へのドメスティックバイオレンス、交通違反による補導など、度重なる犯罪、不祥事などによりファンの支持を失っていき、90年代後半にはビルボード・チャートへの主だったヒットもなくなる。

2000年以降は他のアーティストとの共演、かつてソロ活動を始める前に所属していたニュー・エディションへの回帰(2005年11月のBET Awardsで再結成)、ホイットニー・ヒューストンと子供たち、夫婦・家族共同で私生活をさらけ出したテレビの大型企画系バラエティ番組に出るなど、その存在が再度クローズアップされていた。

2006年9月13日、結婚生活14年目にしてホイットニー・ヒューストンから離婚申請書を裁判所に提出されることになったとホイットニー・ヒューストンの広報担当者が明らかにした。

2015年7月26日、娘のボビー・クリスティーナが22歳で死去。

ディスコグラフィ

アルバム

  • - King of Stage (1987年)アメリカ 88位, イギリス 40位 (1986年発売); US Sales: Gold
  • - Don't Be Cruel (1988年)アメリカ 1位, イギリス 3位 (1988年発売) 売り上げ1000万枚;US Sales: Diamond
  • - Dance!... Ya Know It! (1990年)アメリカ 9位, イギリス 26位 (1989年発売); US Sales: Platinum
  • - Bobby (1992年)アメリカ 2位, イギリス 11位; (1992年発売) 売り上げ200万枚; US Sales:2x Platinum
  • - Remixes N the Key of B (1993年)
  • - Forever (1997年)アメリカ 61位
  • - Greatest Hits (2000年)
  • - The Masterpiece (2012年)

ビデオ

  • Girl Next Door1986
  • Girlfriend1987
  • Every Little Step1988
  • My Prerogative1988
  • Don't Be Cruel1988
  • On Our Own1989
  • New Edition MTV VMA]990
  • Humpin Around1992
  • Good Enough1992
  • Something in Common1993
  • Bobby Brown and Ja Rule - thug luvin2001
  • Damian Marley feat Bobby Brown - Beautiful2006

日本公演

6月5日 神戸国際会館、6日 横浜アリーナ
6月20日~22日 横浜アリーナ、24日 大阪城ホール、26日 横浜アリーナ
3月17日,18日 横浜アリーナ
5月17日,18日 大阪城ホール、19日,20日,24日~26日 日本武道館、27日 浜松アリーナ、28日 名古屋レインボーホール
12月15日,16日 ビルボードライブ東京 共演/ジョニー・ギル、ラルフ・トレスヴァント

外部リンク