「デル・シャノン」の版間の差分
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2016年11月12日 (土) 01:28時点における版
デル・シャノン(Del Shannon、1934年12月30日 - 1990年2月8日)は、アメリカのシンガーソングライター。1961年のデビューシングル「悲しき街角(Runaway)」がビルボード1位を獲得するヒット曲となった。
経歴・人物
ミシガン州グランドラピッズに生まれ、その近くのクーパースヴィルで育った。本名は、Charles Weedon Westover。14歳の時にギターを手にしたのきっかけにミュージシャンになる事を決意。高校時代にはバンドも結成し、更にはナイトクラブにも出入りし活動を開始。一時期は軍隊にも入隊するが、除隊後と地元ミシガンでオルガニストのマックス・クルックと共にバンドを結成し、レコードを出すものの鳴かず飛ばずだったという。
1961年に「悲しき街角」が大ヒットをし、ここからシャノンの運命が大きく変わっていった。その後ヒットを何曲か飛ばし、1963年にイギリスに上陸した際にはビートルズとも面識があったという。1964年にピーター&ゴードンが歌った「アイ・ゴー・トゥ・ピーセス」がヒットした(シャノン自身のパージョンは翌1965年に発表された)。
しかし、1960年代の半ば頃から徐々に精神的バランスを崩すようになり、アルコールにも手を出してしまう。ヒットも「さすらいの街角(街角のストレンジャー)」を最後に長い低迷時代を向えた。1982年にフィル・フィリップスの1959年のヒット曲「シー・オブ・ラブ」をカヴァーをし、全米トップチャートで40位にランクインする。1985年には「ミュージックフェア」にも出演を果たし、テレビ朝日のオールディーズ番組にも出演した。しかしその日は番組開始10分過ぎ位に入った御巣鷹山の日航機事故特別臨時ニュースのため、シャノンのシーンがカットになった。
1990年2月8日、自宅において猟銃自殺を遂げた。55歳没。
主な楽曲
- 悲しき街角 Runaway (1961)
- 花咲く街角 Hats Off to Larry (1961)
- さらば街角 So Long, Baby (1961)
- 鏡の中のジニー Ginny in the Mirror (1962)
- スイスの娘 The Swiss Maid (1962)
- 街角のプレイ・ガール Little Town Flirt (1962)
- ふた粒の涙 Two Kinds of Teardrops (1963)
- フロム・ミー・トゥー・ユー From Me to You (1963)
- 太陽を探せ Keep Searchin' (We'll Follow the Sun) (1964)
- アイ・ゴー・トゥ・ピーセス I Go to Pieces (1965)
- さすらいの街角 Stranger in Town (1965)
- シー・オブ・ラブ Sea of Love (1981)
街角男
日本では特にシャノンのヒット曲には「悲しき街角」を筆頭に邦題に「街角」が付くのが多く、シャノンのキャッチフレーズも「街角男」だった。
- 悲しき街角
- 花咲く街角
- 恋する街角 Give Her Lots of Lovin'
- さらば街角 So Long Baby
- 街角のプレイガール
- さすらいの街角 Stranger in Town