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2016年11月12日 (土) 01:49時点における版
レイ・チャールズ | |
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グラミー賞授賞式でのパフォーマンス(1980年) | |
基本情報 | |
出生名 | Ray Charles Robinson |
生誕 | 1930年9月23日 |
出身地 | アメリカ合衆国ジョージア州オールバニ |
死没 | 2004年6月10日(73歳没) |
ジャンル | R&B |
職業 | 歌手、ピアニスト |
担当楽器 | 歌、ピアノ |
公式サイト | http://www.raycharles.com/ |
レイ・チャールズ・ロビンソン(Ray Charles Robinson、1930年9月23日 - 2004年6月10日)は、アメリカ合衆国・ジョージア州オールバニ出身の歌手、ピアニスト。
盲目というハンディを背負いながらも、R&Bやジャズ、ゴスペル、黒人霊歌などのブラックミュージックを、黒人である自らのルーツを遡って行くような音楽活動の中で、自分の魂を歌うという「ソウルミュージック」の形を自らで実証し、「ソウルの神様」と呼ばれたカリスマとなった。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第2位[1]。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第10位。
「Q誌の選ぶ歴代の偉大な100人のシンガー」において第24位[2]。
生涯
6歳の頃、仲の良かった弟のジョージ・ロビンソンを亡くした。その9か月後、緑内障のために失明した。目が見えないというハンディを背負いながらもピアノを学び、また盲学校に通う。1947年にシアトルに移り、この頃クインシー・ジョーンズと出会う。初期の頃はレイ・ロビンソンの名で活動、この頃よりマリファナやヘロイン等の麻薬に手を出している。後に同名のボクサーがいるため、ミドルネームのレイ・チャールズに改名。自己バンドでツアーを行っているうちに、アトランティック・レコードより声を掛けられ契約する。1959年の「ホワッド・アイ・セイ」が自身初のミリオンセラーである。人気を高める一方で、ゴスペルを大胆にアレンジしていたことから、敬虔なクリスチャンからは非難されていた。
1959年に、アトランティックとの契約切れを期にABCレコードと契約、1961年に代表曲の一つとなる「我が心のジョージア」を発表、ミリオンセラーを記録。一方でこの曲は大衆化してしまったと批判する者もいた[誰?]。
20年近く麻薬を常用していたが、1965年に3度目の逮捕後、ロサンゼルスの更生施設に入所、ヘロインを絶つことに成功した。チャールズはジョージア州が行う黒人差別を反対、同州でのコンサートをキャンセルしたため、州はチャールズを追放していたが、1979年4月24日、ジョージア州議会は追放を撤廃、『Georgia On My Mind (わが心のジョージア)』を正式な州歌と定めた。1980年には映画『ブルース・ブラザーズ』(1980年)に楽器店店主の役で出演し、『Shake Your Tailfeather』を演奏している。また1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのブリッジ部分でリードボーカルをとった。
1989年には、サザンオールスターズの「いとしのエリー」をカヴァーしたことで日本で話題になる。この曲をカヴァーするに至る経緯は、サントリーが発売するウイスキー「ホワイト」のCMソングとして、日本の楽曲をカヴァーして欲しいという依頼がチャールズに舞い込んだことによる。幾つか提示されていた楽曲の中で唯一気に入ったとされるこの曲のカヴァーが起用され、日本でヒットを記録することとなる。日本では、2002年にもドキュメンタリー番組「いのちの響」に取り上げられてもいる。
2004年に、テイラー・ハックフォード監督の伝記映画『Ray/レイ』が公開され、アカデミー音響賞、主人公のジェイミー・フォックスはアカデミー主演男優賞を受賞した。製作中に、撮影現場で演技指導を行った際に、ジェイミーのあまりの演技力から「あんたは俺の後継者だよ!」と賞賛の言葉を送った。
しかし、2004年6月10日に肝臓癌で死去。73歳だった。完成された映画を観ることは出来なかった。また、彼をリスペクトするアーティストによる「音楽葬」が行われたことも話題となった。2005年2月13日、第47回グラミー賞授賞式では、ノラ・ジョーンズとのデュエット曲「ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン」が最優秀レコード賞となったほか、最優秀アルバム、ポップス・ボーカルやゴスペルなど、計8部門で受賞した。
作品リスト
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シングル
- メス・アラウンド - Mess Around (1953)
- アイヴ・ガット・ア・ウーマン - I've Got A Woman (1955)
- ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー - Hallelujah, I Love Her So (1956)
- ホワッド・アイ・セイ - What'd I Say (1959)
- ベイビー・ドント・ユー・クライ - Baby Don't You Cry (1960)
- ルビー - Ruby (1960)
- 我が心のジョージア - Georgia On My Mind (1960)
- スティックス・アンド・ストーンズ - Sticks And Stones (1960)
- 旅立てジャック - Hit The Road Jack (1961)
- ワン・ミント・ジュレップ - One Mint Julep (1961)
- 愛さずにはいられない - I Can't Stop Loving You (1962)
- アンチェイン・マイ・ハート - Unchain My Heart (1962)
- ユー・アー・マイ・サンシャイン - You Are My Sunshine (1962)
- ハイド・ノア・ヘアー - Hide Nor Hair (1962)
- ユー・ドント・ノー・ミー - You Don't Know Me (1962)
- ユア・チーティング・ハート - Your Cheating Heart (1962)
- ボーン・トゥ・ルーズ - Born To Lose (1962)
- ケアレス・ラブ - Careless Love (1962)
- 打ちのめされて - Busted (1963)
- 泣かずにいられない - Take These Chains From My Heart (1963)
- ドント・セット・ミー・フリー - Don't Set Me Free (1963)
- ノー・ワン - No One (1963)
- ピタリ命中 - Smack Dab In The Middle (1964)
- マイ・ハート・クライズ・フォー・ユー - My Heart Cries For You (1964)
- メイキン・ウーピー、パート - Makin' whoopee (1965)
- クライング・タイム - Crying Time (1966)
- レッツ・ゴー・ゲット・ストーンド - Let's Go Get Stoned (1966)
- アイ・ドント・ニード・ノー・ドクター - I Don't Need No Doctor (1966)
- トゥギャザー・アゲイン - Together Again (1966)
- イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・ナイト - In The Heat of The Night (1967) - 『夜の大捜査線』の主題歌。
- イエスタデイ - Yesterday (1967) - ビートルズのカバー曲。
- エレノア・リグビー - Eleanor Rigby (1968) - ビートルズのカバー曲。
- アメリカ・ザ・ビューティフル - America The Beautiful (1976)
- ウィ・アー・ザ・ワールド - We Are the World(1985) - USAフォー・アフリカの一員として参加 。
- エリー・マイ・ラブ - Ellie My Love (1989) - 「いとしのエリー」(サザンオールスターズ)のカバー曲。
脚注
- ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Ray Charles”. 2013年5月26日閲覧。
- ^ “Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。