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2016年11月12日 (土) 02:37時点における版
手仕事屋 きち兵衛(てしごとや きちべえ、1949年12月31日 -)は、日本の歌手・彫刻家・作詞家・作曲家・エッセイスト[1]。
来歴・人物
長野県松本市出身。長野県松本県ヶ丘高等学校卒業[2]。本名、伊東重喜。
音楽の道を志し、音楽大学進学を目指すも、さまざまな事情で進学を断念。しかし、音楽の道を諦めることはなく、木彫刻を生業としながら(20歳代で、長野県主催の工芸展に於いて奨励賞を受賞[1])作詞・作曲を行い、NHK放送局等に投稿する。
1986年、自らが作詞・作曲した「ねがい星」、「雨」等が、NHKの新ラジオ歌謡に採用され、音楽作家としてデビュー。次いで、自身が歌う「わすれ雪」で歌手としてもデビューする。以降、テレビドラマの主題歌や愛知県豊橋市立東陽中学校の校歌の作詞・作曲を手掛る。
1992年に渡米し、サンフランシスコ市主催のコンサートに「日本の心を歌う歌手」として招待され、賞賛を受ける[1]。しかし、家庭の事情で音楽活動を一時休止し、本業の木彫刻業に専念する。
1999年、子供達が自立したことを契機に、長年住んでいた故郷である松本を離れて、安曇野に移り音楽活動を再開。
2001年、東海テレビ制作昼の帯ドラマのはるちゃん5で、楽曲「風の誘い」がBGMとして使用されている。 同年、2枚目のアルバム「風景色」をリリース。7月の松本文化会館での再デビューコンサートは、SBCテレビのスペシャル番組として「手仕事屋きち兵衛?歌・語り遅れてきた吟遊詩人」が放映され、音楽関係者の注目を集めた。続けて「素描画(そびょうが)」「安曇野(あずみの)」「風暦(かぜごよみ)」「風の誘い」のCDアルバムをリリース。 2001年の夏から秋にかけ、北海道から鹿児島までの20数個所でコンサートツアーを成功させる。
近年、本業の木彫刻、コンサートや講演活動のほかにも、人気ラジオ番組「テレフォン人生相談」(ニッポン放送系全国ネット)にもレギュラー出演[1]。
名前の「手仕事屋きち兵衛」は、本来は、きち兵衛が夫人と経営している店の名前であった。その由来は当人が少年時代、物事にのめり込み易く、さらに他の事が見えなくなってしまう性格であったことから、友人達から「気違い」という意味で、「きち」、「きち」と呼ばれていたこと、そう呼ばれていた当人もこれを気に入っており、それを店の名前、そして芸名として使ったということである。
主な楽曲
- わすれ雪
- ねがい星
- 眠れ私の恋
- 雨
- 光る風
- 安曇野
- さよなら恋唄(ワルツ)
- 生きている悲しみ
- 出会い
- 印象派
- 秋の日
脚注
- ^ a b c d “「六平の一声一大 フォーク祭り40周年記念イベント2010年1月23日 手仕事屋きち兵衛プロフィール」”. 2016年4月24日閲覧。
- ^ 松本県ヶ丘高等学校東京同窓会(音楽界で活躍する縣陵OBのアーチスト紹介)