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2016年11月13日 (日) 03:44時点における版
菊池 長右ェ門 きくち ちょううえもん | |
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生年月日 | 1934年4月7日(90歳) |
出生地 | 岩手県宮古市 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部 |
前職 |
菊長商店社長 宮古市長 |
所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) (民主党→) (国民の生活が第一→) (日本未来の党→) 生活の党 |
親族 |
祖父・菊池長右衛門(元衆議院議員) 父・菊池長右衛門(元衆議院議員) 叔父・菊池良三(宮古市長) |
選挙区 | 比例東北ブロック |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2009年9月11日 - 2012年11月16日 |
第16代 旧宮古市長 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1993年 - 1997年 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1983年 - 1993年 |
菊池 長右ェ門(きくち ちょううえもん、1934年4月7日 - )は、日本の政治家。
祖父は立憲政友会に所属した元衆議院議員の菊池長右衛門、父は初代宮古市長で日本自由党に所属した元衆議院議員の菊池長右衛門。叔父は元宮古市長の菊池良三。親子3代揃って同名な為、代々「菊長」と呼ばれる[1]。
略歴
岩手県宮古市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。1965年、株式会社菊長商店(燃料販売会社)社長に就任する。1983年に自由民主党公認で岩手県議会議員選挙に出馬し、初当選。以後2回当選するが、3期目の途中に県議を辞職。宮古市長選挙に出馬して当選する。宮古市長就任後も党籍を有していたが、自由民主党副総裁の金丸信をめぐる東京佐川急便事件に反発し、自民党を離党した。市長退任後、1999年に宮古東ロータリークラブ会長に就任する。
2009年の第45回衆議院議員総選挙に民主党から同党比例東北ブロック単独24位で出馬し、当選する。2011年2月17日、民主党政権交代に責任を持つ会に入会。2012年、内閣総理大臣の野田佳彦が消費税増税などを含む社会保障・税一体改革関連法案の提出を表明した際には、法案の内容を批判した[注釈 1]。衆議院本会議における社会保障・税一体改革関連法案の採決では、反対票を投じた。7月2日に離党届を提出するも受理されず、9日に除籍処分が確定[2]。11日の国民の生活が第一結党に参加した[3]。同年12月の第46回衆議院議員総選挙には日本未来の党から比例東北ブロック単独8位で出馬するも落選。
不祥事
国民の生活が第一への移籍時に、民主党岩手県連が管理していた政治資金を民主党に無断で自らの資金管理団体に移していたことが発覚。2012年10月11日、民主党岩手県連は菊池と岩手県議・佐々木順一の2人に約4,950万円の損害賠償の支払いを求めて盛岡地方裁判所に提訴し、現在係争中である[4]。
脚注
- ^ 宮古大事典 *岩手県宮古市/三陸宮古
- ^ 鳩山元首相、党員資格停止3カ月に短縮 小沢元代表ら37人除籍処分は原案通り 民主党臨時常任幹事会 - 産経ニュース 2012年7月9日
- ^ 新党の参加議員 - 時事ドットコム 2012年7月11日
- ^ 民主岩手県連、生活2議員を提訴…資金移転巡り 読売新聞 2012年10月11日