「田口寛 (作曲家)」の版間の差分
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2017年1月27日 (金) 16:39時点における版
田口 寛 たぐち ゆたか | |
---|---|
生誕 |
1900年 日本 岡山県 |
死没 | 1979年 |
学歴 | 東京音楽学校甲種師範科 卒業 |
ジャンル | 県民歌、校歌 |
職業 |
作曲家 香川大学教授 |
田口 寛(たぐち ゆたか、1900年 - 1979年)は、昭和時代後期の日本で活動した作曲家、教育者。
経歴
1900年(明治33年)、岡山県に生まれる。1928年(昭和3年)に東京音楽学校甲種師範科を卒業した後[1]、1931年(昭和6年)から1949年(昭和24年)まで兵庫県の尼崎市立高等女学校(現在の尼崎市立尼崎高等学校)で音楽教諭を務める。学制改革に伴い兵庫県立尼崎高等学校へ転籍し、同校の校歌を作曲した[2]。
1952年(昭和27年)11月、香川大学学芸学部(のち教育学部)教授に着任。在職中は1954年(昭和29年)1月に制定された「香川県民歌」並びに、岡山・香川両県内の小中学校の校歌を作曲する。1964年(昭和39年)に香川大学を定年退官した後、岡山へ帰郷し作陽短期大学(現在の作陽音楽短期大学)教授に着任した。1970年(昭和45年)、京都家政短期大学(現在の京都文教短期大学)教授に至る。
1979年(昭和54年)死去。享年80。
作品
「音楽の早期教育とその後の音感教育」(『香川大学学芸学部研究報告 第1部』通号7、1956年) NAID 40000432299
自治体歌
- 香川県民歌(作詞:小川楠一)