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話者数がきわめて少なく、1980年代には既に消滅の危機に瀕していた。[[2000年]]の調査によれば、約35人によって話されており、流暢に話すのはその内の10名ほどであるとされた<ref>ed. György Nanovfszky: Nyelvrokonaink. Budapest, 2000.</ref>。2009年の[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の調査では、 |
話者数がきわめて少なく、1980年代には既に消滅の危機に瀕していた。[[2000年]]の調査によれば、約35人によって話されており、流暢に話すのはその内の10名ほどであるとされた<ref>ed. György Nanovfszky: Nyelvrokonaink. Budapest, 2000.</ref>。2009年の[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の調査では、母語話者はただ一人であると報告されており、2009年2月28日に Viktor Berthold が亡くなったときに、リヴォニア語の最後の母語話者とする報道があったが、誤報であった。2013年6月5日に Viktor のいとこの Grizelda Kristina が103歳でなくなり、これで本当にリヴォニア語の母語話者がいなくなったと考えられる<ref>{{cite web|url=http://www.scienceguide.nl/201306/last-liv-speaker-gone.aspx|title=Last Liv-speaker gone|publisher=ScienceGuide|date=2013-06-12|accessdate=2015-07-02}}</ref>。 |
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とはいえ、リヴォニア語を復興させる努力は続いており、個人で第二言語として学習する人や、リヴォニア語を使う詩人や作家がおり、リヴォニア語新聞や、歌詞にリヴォニア語を使った音楽などが作られている<ref>[http://latviansonline.com/site/print/5316/ Livonian, Latgalian in danger, reports UNESCO atlas]</ref>。ユネスコのリヴォニア語の現状についての評価は「critically endangered (深刻な危機に瀕している)」とされている<ref>[http://www.unesco.org/languages-atlas/en/atlasmap/language-id-380.html UNESCO Atlas of the World’s Languages in Danger]</ref>。 |
とはいえ、リヴォニア語を復興させる努力は続いており、個人で第二言語として学習する人や、リヴォニア語を使う詩人や作家がおり、リヴォニア語新聞や、歌詞にリヴォニア語を使った音楽などが作られている<ref>[http://latviansonline.com/site/print/5316/ Livonian, Latgalian in danger, reports UNESCO atlas]</ref>。ユネスコのリヴォニア語の現状についての評価は「critically endangered (深刻な危機に瀕している)」とされている<ref>[http://www.unesco.org/languages-atlas/en/atlasmap/language-id-380.html UNESCO Atlas of the World’s Languages in Danger]</ref>。 |
2017年2月27日 (月) 09:15時点における版
リヴォニア語 | |
---|---|
līvõ kēļ | |
話される国 | ラトビア |
地域 | リヴォニア |
民族 | リーヴ人 |
消滅時期 | 2013年6月5日 |
言語系統 | |
言語コード | |
ISO 639-3 |
liv |
リヴォニア語(līvõ kēļ)は、ラトビアのクルゼメ半島の北部(リヴォニア)でかつて話されていた言語。現在では、母語としては死語だが、復活を目指す動きもある(#概要を参照)。フィン・ウゴル語派のバルト・フィン諸語に属し、フィンランド湾を挟んで対岸のフィンランド語やエストニア語と関係が深い。
書記にはラテン文字が使われ、種々の特殊なダイアクリティカルマークを用いる。
アルファベット
A/a、Ā/ā、Ä/ä、Ǟ/ǟ、B/b、D/d、Ḑ/ḑ、E/e、Ē/ē、F/f、G/g、H/h、I/i、Ī/ī、J/j、K/k、L/l、Ļ/ļ、M/m、N/n、Ņ/ņ、O/o、Ō/ō、Ȯ/ȯ、Ȱ/ȱ、Õ/õ、Ȭ/ȭ、P/p、R/r、Ŗ/ŗ、S/s、Š/š、T/t、Ț/ț、U/u、Ū/ū、V/v、Z/z、Ž/ž
概要
話者数がきわめて少なく、1980年代には既に消滅の危機に瀕していた。2000年の調査によれば、約35人によって話されており、流暢に話すのはその内の10名ほどであるとされた[1]。2009年のユネスコの調査では、母語話者はただ一人であると報告されており、2009年2月28日に Viktor Berthold が亡くなったときに、リヴォニア語の最後の母語話者とする報道があったが、誤報であった。2013年6月5日に Viktor のいとこの Grizelda Kristina が103歳でなくなり、これで本当にリヴォニア語の母語話者がいなくなったと考えられる[2]。
とはいえ、リヴォニア語を復興させる努力は続いており、個人で第二言語として学習する人や、リヴォニア語を使う詩人や作家がおり、リヴォニア語新聞や、歌詞にリヴォニア語を使った音楽などが作られている[3]。ユネスコのリヴォニア語の現状についての評価は「critically endangered (深刻な危機に瀕している)」とされている[4]。
歴史
19世紀には約2000人のリヴォニア語話者がいたとされている。1852年、リヴォニア人の数は2394人であった[5]。 いくつかの歴史的要因のために、現在では絶滅の危機にさらされている。
- 13世紀、リヴォニア語話者は約3万人であったとされる[6]。
- ドイツ人の侵攻:西暦1200年前後、リヴォニア帯剣騎士団とドイツ騎士団がともに争いながらリヴォニアへ侵攻。バルト・ドイツ人による植民地化(東方植民)。
- 1522年、宗教改革の波が押し寄せる。クールラントがデンマークに併合。
- 1557年、ロシア(モスクワ大公国)の侵攻。
- 1558年-1583年、リヴォニア戦争:ロシア、スウェーデン、デンマーク、ポーランドがリヴォニアを主戦場に戦う。クールラントはポーランド・リトアニア領となる。
- 1655年-1660年、北方戦争:リヴォニアはスウェーデンとポーランドによって分断される。
- 1721年、ニスタット条約が結ばれる。リヴォニア・クールラントはロシア帝国領となる。
- 1918年、ラトビア独立。リヴォニア語が再び盛んになってくる。
- 第二次世界大戦とソ連侵攻:リヴォニア語は排斥される。
- 2009年、最後のネイティブスピーカーが亡くなる。
表現
- こんにちは - Tēriņtš!
- 召し上がれ - Jõvvõ sīemnaigõ!
- おはよう - Jõvā ūomõg! / Jõvvõ ūomõgt!
- こんにちは - Jõvā pǟva! / Jõvvõ päuvõ!
- ありがとう - Tienū!
- あけましておめでとう - Vȯndzist Ūdāigastõ!
- 1 - ikš
- 2 - kakš
- 3 - kuolm
- 4 - nēļa
- 5 - vīž
- 6 - kūž
- 7 - seis
- 8 - kōdõks
- 9 - īdõks
- 10 - kim
参考文献
- ^ ed. György Nanovfszky: Nyelvrokonaink. Budapest, 2000.
- ^ “Last Liv-speaker gone”. ScienceGuide (2013年6月12日). 2015年7月2日閲覧。
- ^ Livonian, Latgalian in danger, reports UNESCO atlas
- ^ UNESCO Atlas of the World’s Languages in Danger
- ^ Paul Ariste. Keelekontaktid. Tallinn: Valgus. [pt. 2.6. Kolme läänemere keele hääbumine lk. 76 - 82]. 1981.(エストニア語文献)
- ^ Schätzung Vääri. 1966.
外部リンク
- Tulli Lum - MySpace - リヴォニア語の話者がリヴォニア語で歌うグループen:Tulli LumのMySpace内の公式スペース(歌の視聴ができる)。