「コードトーカー」の版間の差分
MomijiRoBot (会話 | 投稿記録) m Bot: [http://en.wikipedia… War I code talkers] → [[:en:Choctaw#World_War_I_code_talkers|Choctaw : World War I code talkers]], [http://en.wikipedia…ト December 21, 2000] → [… , Replaced external link to the wikilink ∵Check Wikipedia #91 |
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
||
10行目: | 10行目: | ||
さらに、ナバホ族コードトーカーたちは、単にナバホ語で会話したのではなく、英単語をそれと同じ文字で始まる別の英単語に置き換え、さらにそれをナバホ語に翻訳するといった[[換字式暗号|置換暗号]]を開発した。こうして、必要があれば英語で表現できるものは何でも訳すことができた。その際、特別な意味を持たせたナバホ語やコードブック(暗号書)を使うことにより、交信をより一層暗号化している。例えば、アメリカ海兵隊による[[硫黄島の戦い]]における「[[摺鉢山 (東京都)|摺鉢山]]の占領」は、「大きな口の七面鳥、羊の目は治療された」というナバホ語に翻訳されて司令部に報告された。 |
さらに、ナバホ族コードトーカーたちは、単にナバホ語で会話したのではなく、英単語をそれと同じ文字で始まる別の英単語に置き換え、さらにそれをナバホ語に翻訳するといった[[換字式暗号|置換暗号]]を開発した。こうして、必要があれば英語で表現できるものは何でも訳すことができた。その際、特別な意味を持たせたナバホ語やコードブック(暗号書)を使うことにより、交信をより一層暗号化している。例えば、アメリカ海兵隊による[[硫黄島の戦い]]における「[[摺鉢山 (東京都)|摺鉢山]]の占領」は、「大きな口の七面鳥、羊の目は治療された」というナバホ語に翻訳されて司令部に報告された。 |
||
ナバホ語[[母語|話者]]にとっても、コードトーカーとして訓練されていないかぎりは、こうした暗号通信の全体はまったく理解できず、そのような者が日本軍の捕虜になっても、暗号解読されることを防がれた。実際、日本側が[[1942年]]にフィリピンで捕虜にしたナバホ族出身のアメリカ陸軍軍曹[[:en:Joe Kieyoomia|Joe Kieyoomia]]は暗号を解読するに至らず、日本側によって拷問を受けている。日本側はついに最後までナバホ語の解読に成功しなかった。しかし、ナバホ語の暗号は、[[暗号学]]の基準からみれば非常に複雑なものではなく、 |
ナバホ語[[母語|話者]]にとっても、コードトーカーとして訓練されていないかぎりは、こうした暗号通信の全体はまったく理解できず、そのような者が日本軍の捕虜になっても、暗号解読されることを防がれた。実際、日本側が[[1942年]]にフィリピンで捕虜にしたナバホ族出身のアメリカ陸軍軍曹[[:en:Joe Kieyoomia|Joe Kieyoomia]]は暗号を解読するに至らず、日本側によって拷問を受けている。日本側はついに最後までナバホ語の解読に成功しなかった。しかし、ナバホ語の暗号は、[[暗号学]]の基準からみれば非常に複雑なものではなく、母語話者と訓練された暗号学者が効果的に協力すれば解読することもできたかもしれない。アルファベット文字による[[換字式暗号]]の様に単純であったなら、Joe Kieyoomiaの知識が日本の暗号学者に渡った場合、暗号は簡単に破られていただろう。 |
||
[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]は第一次世界大戦においてコードトーカーが果たした役割に注目し、第二次世界大戦前に30名ほどの人類学者をその言語の習得を目的にアメリカ国内に派遣しているが、言語の複雑さゆえに失敗している。ヒトラーがその言語の解明に動いたことを知ったアメリカ側は、ヨーロッパ戦線におけるコードトーカーの使用を中止し、太平洋戦でのみ使用することを決定した。 |
[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]は第一次世界大戦においてコードトーカーが果たした役割に注目し、第二次世界大戦前に30名ほどの人類学者をその言語の習得を目的にアメリカ国内に派遣しているが、言語の複雑さゆえに失敗している。ヒトラーがその言語の解明に動いたことを知ったアメリカ側は、ヨーロッパ戦線におけるコードトーカーの使用を中止し、太平洋戦でのみ使用することを決定した。 |
2017年2月27日 (月) 17:49時点における版
コードトーカー(Code talker)とは、アメリカ軍において、傍受される可能性の高い無線交信に英語ではない、部族語を駆使して偵察報告や命令下達に登用されたアメリカインディアンを指す。彼らの部族語をコード(暗号)の代わりに用いた。インディアンの言葉が暗号として使われた理由は、アメリカ国内で訓練なしにその言葉の使い手を調達でき、国外にはその言葉を解するものがいなかったことが挙げられる。
概要
第一次世界大戦でもチョクトー族[1]、コマンチ族両部族出身者がコードトーカーとして従軍しているが、第二次世界大戦において最初に用いられたのはナバホ族だった。約400名がサイパン島、グアム島、硫黄島、沖縄に従軍した。
これらの部族語に共通するのは、いずれも複雑な文法構成をしているほか、発音も特殊な音が使用されており、幼少時からその言語環境で育ったもの以外には習得・解明が極めて困難であるという点である。知らない言語の会話は知っている言語の会話よりも暗号解読が難しい。選ばれた言語は書かれた文献がわずかしかないので、非話者にとっては研究することすら困難だった。したがって、偽の暗号文を送ろうと試みても成功する可能性は低かった。
さらに、ナバホ族コードトーカーたちは、単にナバホ語で会話したのではなく、英単語をそれと同じ文字で始まる別の英単語に置き換え、さらにそれをナバホ語に翻訳するといった置換暗号を開発した。こうして、必要があれば英語で表現できるものは何でも訳すことができた。その際、特別な意味を持たせたナバホ語やコードブック(暗号書)を使うことにより、交信をより一層暗号化している。例えば、アメリカ海兵隊による硫黄島の戦いにおける「摺鉢山の占領」は、「大きな口の七面鳥、羊の目は治療された」というナバホ語に翻訳されて司令部に報告された。
ナバホ語話者にとっても、コードトーカーとして訓練されていないかぎりは、こうした暗号通信の全体はまったく理解できず、そのような者が日本軍の捕虜になっても、暗号解読されることを防がれた。実際、日本側が1942年にフィリピンで捕虜にしたナバホ族出身のアメリカ陸軍軍曹Joe Kieyoomiaは暗号を解読するに至らず、日本側によって拷問を受けている。日本側はついに最後までナバホ語の解読に成功しなかった。しかし、ナバホ語の暗号は、暗号学の基準からみれば非常に複雑なものではなく、母語話者と訓練された暗号学者が効果的に協力すれば解読することもできたかもしれない。アルファベット文字による換字式暗号の様に単純であったなら、Joe Kieyoomiaの知識が日本の暗号学者に渡った場合、暗号は簡単に破られていただろう。
ヒトラーは第一次世界大戦においてコードトーカーが果たした役割に注目し、第二次世界大戦前に30名ほどの人類学者をその言語の習得を目的にアメリカ国内に派遣しているが、言語の複雑さゆえに失敗している。ヒトラーがその言語の解明に動いたことを知ったアメリカ側は、ヨーロッパ戦線におけるコードトーカーの使用を中止し、太平洋戦でのみ使用することを決定した。
1968年の機密解除に至るまで、コードトーカーたちの活躍は世間に知られることはなかった。その後、1982年にロナルド・レーガン大統領によって表彰され、同時に8月14日をコードトーカーの日(National Code Talkers Day)と定められることになった。また2000年にはナバホ族コードトーカーに議会名誉黄金勲章(Congressional Gold Medal)が授与[2]されている。
コード例
- 鉄の魚 = 潜水艦
- 豊作 = 8月
- 黒い羊 = 分隊
- 鶏鷹 = 急降下爆撃機
- 烏 = 偵察機
- 亀 = タンク
- 鯨 = 戦艦
その他
- ノルマンディー上陸作戦のとき、14名のコマンチ族が従事していた。第二次世界大戦時の最後のコマンチコードトーカーだったチャールズ・チビティー(Charles Chibitty)は2005年7月20日に死去した[3]。
- イギリス軍では、ウェールズ語を用いた似たようなシステムを採用していたが、広くは用いられていなかった。
- 日本がドイツから寄贈されたU-511の出航に関する情報のやりとりに用いたのが「早口の薩隅方言」であった。暗号化を施さないばかりでなく、堂々と正規の国際電話を使っていたため簡単にアメリカ軍に傍受されるが、同方言のリスニングに全く不慣れだったアメリカ軍にとっては当初、会話の内容は全く判別出来なかった。日系アメリカ人によって、最終的に薩隅方言だと特定された。
映画化
- 2002年には、ニコラス・ケイジ、アダム・ビーチ、クリスチャン・スレイター(Christian Slater)が出演したコードトーカーを題材にした映画『ウインドトーカーズ(Windtalkers)』が公開されているが、全てが歴史的に正確に描写されているわけではなく、また元コードトーカーの兵士からも批判された[要出典]。
脚注
- ^ Choctaw : World War I code talkers
- ^ 議会名誉黄金勲章受章者リスト December 21, 2000 を参照
- ^ Last WWII Comanche 'code talker' dies(Wikinews)
参考文献
- Kenji Kawano(河野謙児)『Warriors: Navajo Code Talkers』 Northland Pub (1990/09)ISBN 978-0-87358-513-2