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'''キリスト教民主アピール'''(キリストきょうみんしゅアピール、{{Lang-nl|Christen Democratisch Appèl}}、略称: '''CDA''')は[[オランダ]]の[[中道右派]]、[[キリスト教民主主義]][[政党]]。[[1980年]][[10月11日]]設立。日本語では'''キリスト教民主勢力'''、'''キリスト教民主同盟'''とも表現される。2014年現在、党首はシブラント・ファン・ハールスマ・ブマ。[[欧州人民党]]および[[中道民主インターナショナル]]に加盟。 |
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==歴史== |
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2017年3月11日 (土) 13:42時点における版
キリスト教民主アピール Christen Democratisch Appèl (CDA) | |
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党首 | シブラント・ファン・ハールスマ・ブマ |
成立年月日 | 1980年10月11日 |
本部所在地 | デン・ハーグ |
第二院議席数 |
13 / 150 (9%) |
第一院議席数 |
12 / 75 (16%) |
国際組織 | 中道民主インターナショナル |
公式サイト | www.cda.nl |
キリスト教民主アピール(キリストきょうみんしゅアピール、オランダ語: Christen Democratisch Appèl、略称: CDA)はオランダの中道右派、キリスト教民主主義政党。1980年10月11日設立。日本語ではキリスト教民主勢力、キリスト教民主同盟とも表現される。2014年現在、党首はシブラント・ファン・ハールスマ・ブマ。欧州人民党および中道民主インターナショナルに加盟。
歴史
1977年以前
1880年以降、規模の大きなカトリック系およびプロテスタント系諸政党が宗教学校への公的支出問題について共闘関係にあったことから、1888年に反革命党(プロテスタント系)のマッカイ男爵を首班とする初のキリスト教民主主義政権が誕生する。
だがこの政権は大規模であったが故に内紛が絶えず、教皇庁やオランダ領東インドの処遇を巡り1894年に保守系の反カトリック派が反革命党を離れキリスト教歴史同盟を結党。1918年以降はオランダ議会の両院に3党(カトリック人民党、反革命党、キリスト教歴史同盟)が鼎立し、うち少なくとも2党は政権与党であった。こうした状況は1967年まで続いた。
1960年代はオランダ社会において世俗化が進み、支持基盤がキリスト教民主主義政党から離れていった時代でもある。1963年の総選挙において3党で総得票数のうち半数以上を占めたものの、1972年の選挙では 32% にまで低下した。この凋落により3党は再び接近を図り、1967年に将来の合併を企図すべく6名の国会議員がシンクタンクを設立。翌年、3党の党首が今後も共闘を続ける旨の声明を出す。
この声明は3党内(とくにカトリック人民党や反革命党)の進歩派に政治的連携への後悔の念を抱かせる結果に終わり、1968年には進歩派が社会民主主義を掲げる労働党との協力を模索する左派政党の急進党を結成。しかしながら3党は地方において依然として協力関係にあり、キリスト教民主主義政権を共に支えたり統一候補のリスト作成を提案したほか、1971年には共通のマニフェストを発表した。
1972年の選挙後、共闘関係は新たな局面を迎える。1973年に第二院議員のピエト・スティーンキャンプ(カトリック人民党所属)が3党合併協議会の会長に選出されると、新党結成の機運が一気に高まることとなる。
1977年から1994年まで
1977年の選挙に際し、3党はカトリック人民党のドリス・ヴァン・アフトを第一候補とする統一名簿を公表。選挙戦でアフトは、新党が左右いずれにもよらない中道政党であることを強調した結果、安定多数を獲得したことからアフトを首班とする自由民主国民党との少数派連立内閣がスタート。しかしこの連立内閣は自由民主国民党との望まれざる交渉の末に誕生したもので、キリスト教民主アピール内部でも進歩派(王党派)と保守派との間で少なからぬ軋轢が生じた。
こうして1980年10月11日、これまでの3党が解党しキリスト教民主アピールが正式に結成された。翌年の選挙後キリスト教民主アピールも自由民主国民党も大敗した結果、キリスト教民主アピールが労働党と連立を組んで第2次アフト政権が発足する。1982年の総選挙後、自由民主国民党とキリスト教民主アピールとの連立による第1次ルベルスが議会の大多数の支持を得て誕生する。
キリスト教民主アピールの新党首となったルベルスは、老齢年金および障害者年金の削減や公共部門の民営化など諸改革を矢継ぎ早に実施。この間キリスト教徒のみならず一般の国民からも支持を取り付けながら、1986年、1989年の各選挙に勝利した。しかし1989年の選挙で自由民主国民党と合わせても過半数に届かなかったため、労働党と共に第3次ルベルス政権を発足させ、労働党内から反発を少なからぬ受けつつも新自由主義的改革を断行していった。
1994年から現在まで
キリスト教民主アピールにとって1994年の総選挙は試練の連続であった。老齢、障害者両年金の改革に対して支持が集まらなかったことなどから、世論調査でも劇的な敗北を喫し、新政権は1918年以来初めてキリスト教民主主義政党以外の閣僚が占めることとなった。この決定はキリスト教民主アピール内に衝撃を与え、従来の方針を転換し共同体主義を掲げる政党へと舵を切る。
ピム・フォルタインが暗殺された2002年の総選挙中、多くの国民はキリスト教民主アピールに投票しオランダ社会に安定を齎すことを望んだ。キリスト教民主アピールは自由民主国民党やピム・フォルタインリストと共に第1次バルケネンデ連立政権を発足させた。この連立内閣はピム・フォルタインリストとの内部抗争が生じ、2003年の総選挙後に労働党との組閣交渉に入る。しかし交渉が不調に終わったため、バルケネンデのもと自由民主国民党や民主66とともに事実上の連立政権が誕生。連立政権は移民法の厳格化や社会保障および労働法の改革などに取り組んだ。
2006年の総選挙後、キリスト教民主アピールはより急進化する。新たに発足した第4次バルケネンデ連立政権はキリスト教民主アピールのほか労働党や社会派のキリスト教連盟を与党としながら、より高額の課税によって政府支出の増大を図っている[1]。2010年の総選挙では第1党の座を自由民主国民党に明け渡し、マルク・ルッテ連立政権に加わった。2012年の総選挙では13議席、第5党に後退し、野党となった。
イデオロギーと政策
キリスト教民主アピール(CDA)はキリスト教民主主義政党であるが、党内にはユダヤ教徒やムスリム、ヒンズー教徒の議員もいる。これらのマイノリティがオランダの文化へ統合されることを支持している。
CDAは中道の政党とされている。2010年には極右の自由党の閣外協力を受けるマルク・ルッテ内閣に参加したが、フェルハーヘン院内総務はCDAが右翼的な政党になったとする見方を強く否定している。2012年に採択された新しい党の方針では、中道路線をとることを確認し、個人の機会の平等や環境税の導入などを掲げた。
主な主張としては、以下のようなものがある。
- 財政赤字は高齢化社会と対峙するため1世代で完済すべき。
- 薬物には厳罰をもって臨み、売春や中絶、そして安楽死により制限を加える。
- 欧州連合を強く支持し、将来のトルコの加盟にも賛成。
- 学校や病院への政府の規制を減らし、自主的な運営をさせることを目指す。
地方自治
国内の地方議会において所属議員数が最多を誇るうえ、ほとんどの自治体政府において与党となっている。また、414名中135名の党員市長を抱える。
選挙母体
カトリック、プロテスタント双方の信者に支えられ、とりわけ農村部の高齢者の間で支持が厚いが、キリスト教民主アピールが一時期中道政党を標榜していたことから、各階層のあらゆる宗教の信者を惹き付けている。地理的に見ると、北ブラバント、リンブルフ、オーファーアイセルの各州で強い。2006年の選挙ではオーファーアイセル州トゥッベルヘンにて最高得票率(66.59%)を記録。一方、国内4主要都市(アムステルダム、ロッテルダム、デン・ハーグおよびユトレヒト)で弱い。
組織
520の地方支部に69,560名の党員を有するほか、キリスト教民主青年アピール (CDJA; Christen-Democratische Jongeren Appèl) という青年組織や、放送局、新聞社、経営者団体、労働組合に党関連団体あり。
国際比較
キリスト教民主アピール以外でヨーロッパに存在する、主要キリスト教民主主義政党としてはドイツのキリスト教民主同盟が挙げられる。キリスト教民主アピールは国内最大の右派政党だが、イギリスの保守党よりは中道寄りと看做される。
脚注
外部リンク