「社会党 (オランダ)」の版間の差分
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2017年3月13日 (月) 18:23時点における版
社会党 Socialistische Partij(SP) | |
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党首 | エミール・ルーマー |
成立年月日 | 1971年10月22日 |
本部所在地 | ロッテルダム市 |
第二院議席数 |
15 / 150 (10%) |
第一院議席数 |
9 / 75 (12%) |
政治的思想・立場 | 民主社会主義、左派 |
国際組織 | 無し |
公式サイト | http://www.sp.nl |
社会党(しゃかいとう、Socialistische Partij; SP)はオランダの社会主義政党。2014年現在、第二院に15議席(150議席中)を有し、第3党である。第2次マルク・ルッテ政権には野党の立場をとる。欧州統一左派・北方緑の左派同盟に加盟しているが、欧州左翼党には不参加。
党史
結党から1994年まで
1971年10月22日、オランダ共産党(マルクス・レーニン主義派)(KPN/ML)というマオイスト政党として設立。結党当初は中国共産党との関係が深かったが、翌年には社会党と改名。この間階級闘争の主体を知識人および学生とするかプロレタリアートに据えるかで白熱した議論が行われ、後者の方針が採られることとなった。
強力な地方組織に裏付けられた地域政党としてネットワークを構築すべく、自前の開業医のオフィスを構え市民相談を行ったほか、独立系の労働組合や環境保護団体をはじめ党の前衛組織も多数生まれた。この結果、オスや北ブラバント州などの自治体で地盤を築くことに成功した。
「人民」とりわけ労働者階級に密接した政策を展開することが多く、時には出版物が物議を醸すこともあった。1980年代に出したブックレット「外国人労働者と資本」は、外国人労働者の受け入れをプロレタリアートの階級意識を鎮める資本家の策略であると述べ公然と非難したものであった。プロレタリアート同士の内部分裂を防ぐ唯一の解決策として外国人労働者の同化や帰国促進を掲げており、これには社会党を「左の中央党」(当時の極右政党)と呼ぶ地方議員が出たほどである。
しかしながら地方議会に進出するにつれ穏健化。1977年以降第二院への進出を試みてきたが、同年を含め1981年、1982年、1986年および1989年の各総選挙でいずも敗北。1991年にはマルクス・レーニン主義を公式に放棄した。
1994年以後
1994年、党としては初めて2名の議員が当選。1990年代はこれまで社会民主主義を掲げてきた労働党 (PvdA) が中道寄りとなったため、社会党やフルンリンクスが左派政党支持者の受け皿となった。1998年には、保革連立政権での野党としての能力を国民から買われ、選挙で5議席を獲得したほか、翌年の欧州議会選挙でも当選者(1名)を出した。
2002年、翌年の各第二院選挙では9議席を得て議席がほぼ倍増。2003年の第二院選挙については、事前の世論調査にて24議席を獲得するとの予測も出たれたことから、選挙での大勝を見越した社会党支持者が労働党へ戦略投票したものと見られる。2004年の欧州議会選挙では2名が当選。2005年の欧州憲法条約批准の是非を問う国民投票に際しては批准に反対する唯一の左派政党となった。
2006年の地方選挙では議席を倍以上伸ばすなど大健闘。自治体へ多くの候補を擁立したほか、国政では右派の第2次バルケネンデ政権下で福祉予算の削減が行われたことに対して、国民が反発したことなどが議席増大に繋がった。また少数派による第3次バルケネンデ政権下で行われた同年の第二院選挙では、3倍近く議席を伸ばし25議席を得て議会第3党へ躍進した[1]。
議会でも議席を伸ばしたにも関わらず、2006年から翌年にかけての内閣改造では与党入りがならなかった。2007年の地方選挙では、前回(2003年実施)を上回る54自治体で議席を得て、全体では83自治体で議席を獲得した。同選挙の結果、第一院では4議席から11議席へ倍増となった。
イデオロギー
民主社会主義を掲げる。マニフェストでは人間の尊厳や平等および連帯に基づく社会づくりを掲げており、教育や治安および医療への公的支出の増加を目指す。また、公共サービスの民営化には反対の立場でグローバル化にも批判的である。
選挙母体
党員数
50,000名以上の党員がおり、特に党員数で国内第3党となった1994年以降大きく伸びている。
党評議会
党最大の意思決定機関は、全地方支部長および党委員会の委員らで構成する党評議会(おおむね年4回開催)である。国政や欧州議会選挙の候補者を決めるほか、党方針についての最終決定権を有する。なお、党に対してはヒエラルキーに基づく硬直的な組織体制がたびたび批判を受けている[2]。
他党との関係
結党以来野党を貫いており、フルンリンクスとは共闘関係にある。これまで中道左派の労働党と疎遠であったものの、2002年以降は右派路線を打ち出すバルケネンデ政権に対し、共闘に向け関係改善に動き出している。
その他
議会外での抗議活動が盛んで、党員の多くは地方の街宣活動団体に所属し活動を行っている。また、党内には2つのトロツキストグループが存在していたが、2009年2月までに所属党員が除名処分となるか、活動が党により禁じられた。
脚注
- ^ オランダ総選挙 与党の福祉削減に審判 “政治の変化”期待 国民の願いを反映
- ^ Kagie R. De Socialisten, Achter de Schermen van de SP Mets & Schilt (2004) Amsterdam