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「印刷」の版間の差分

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'''印刷'''(いんさつ、'''[[:en:Printing|printing]]''')とは、[[インク|インキ]]により、[[紙]]などの[[メディア (媒体)|媒体]]に文字や絵、写真などの画像を再現することを指し、印刷された物を'''印刷物'''という。
'''印刷'''(いんさつ、{{lang-en-short|printing}})とは、[[インク|インキ]]により、[[紙]]などの[[メディア (媒体)|媒体]]に文字や絵、写真などの画像を再現することを指し、印刷された物を'''印刷物'''という。


現代では[[2次元]]の媒体に限らず、車体など[[3次元]]の曲面に直接印刷する技術も多数開発されている。印刷がカバーする範囲は極めて広く、気体以外の全ての物体に対して可能であるとされている([[ゲル]]状の物体にすら印刷が可能な技術がある)。
現代では[[2次元]]の媒体に限らず、車体など[[3次元]]の曲面に直接印刷する技術も多数開発されている。印刷がカバーする範囲は極めて広く、気体以外の全ての物体に対して可能であるとされている([[ゲル]]状の物体にすら印刷が可能な技術がある)。

2017年3月17日 (金) 10:23時点における版

印刷(いんさつ、: printing)とは、インキにより、などの媒体に文字や絵、写真などの画像を再現することを指し、印刷された物を印刷物という。

現代では2次元の媒体に限らず、車体など3次元の曲面に直接印刷する技術も多数開発されている。印刷がカバーする範囲は極めて広く、気体以外の全ての物体に対して可能であるとされている(ゲル状の物体にすら印刷が可能な技術がある)。

歴史

印刷技術が発明されたのは、東アジアであると考えられている。2世紀頃に中国で紙が発明され、7世紀頃には木版印刷が行われていたといわれる。この木版印刷は朝鮮半島および日本にも伝来し、764年から770年にかけて現存する印刷物で製作年代がはっきりと判明しているものとしては世界最古のものである、日本の「百万塔陀羅尼」が印刷された[1]。また11世紀には陶器による活字を使った印刷が行われていた。金属活字による印刷は1314世紀朝鮮高麗)にあらわれている。ただし中国や日本においては文字数が膨大なものにのぼったため活字はそれほど普及せず、19世紀半ば以降にヨーロッパから再び金属活字が流入するまでは木版印刷が主流を占め続けていた。この木版印刷の技術はシルクロードを西進してヨーロッパにももたらされたが、その当時は本の複製はもっぱら写本が一般的であった。14世紀から15世紀ごろには、エッチングの技法がヨーロッパにおいて広がり、銅版印刷の技術が新たに生まれた。銅版は繊細な表現が可能であることから主に文字ではなく絵画の印刷に使用され、銅板による版画(銅版画)はルネサンス期以降広く使用されるようになった。

印刷に一大転機をもたらしたのが、1450年頃のヨハネス・グーテンベルクによる金属活字を用いた活版印刷技術の発明である。グーテンベルクは金属活字だけでなく、油性インキ印刷機、活字の鋳造装置などを次々と開発し[2]、これらを組み合わせて大量に印刷ができるシステムを構築して、印刷という産業が成り立つ基盤を整えた。さらにそれまで使用されていた羊皮紙よりもはるかに印刷に適していた紙を印刷用紙に使用した。こうしたことからそれまでとは比べ物にならないほど書物が簡単に生産できるようになり、印刷が急速に広まった。その伝播速度は非常に早く、発明から20年ほどたった1470年までには、発明されたドイツのマインツのみならず、ライン川流域やパリ北イタリアローマにすでに印刷所が設立され、それからさらに10年後の1480年までにはイングランドフランス全域・アラゴンネーデルラント北ドイツ、さらにはチェコポーランドハンガリーにいたるヨーロッパの広い地域で活版印刷所が設立されていた[3]。グーテンベルクの発明から1500年以前までに印刷された書物はインキュナブラ揺籃期本初期刊本)と呼ばれ、どれも貴重書であるため莫大な古書価がつくこともままある。当時の印刷物は、聖書を始めとする宗教書が半数近くを占めており、活版印刷による聖書の普及は、マルティン・ルターらによる宗教改革につながっていく。ただし当時の印刷物の増大は宗教書に限らず、学術や実用書などあらゆる分野の印刷物が激増した。

その後、欧米においては長らく活版による文字、凹版による絵画、挿絵の印刷が行われた。活版印刷は熟練の植字工が必要であり、いまだ大量の印刷物を素早く印刷するというわけにはいかなかった。18世紀初頭にはスコットランドのウィリアム・ゲドが鉛版を考案した。これは組みあがった活字に可塑性のあるものをかぶせて雌型を作り、それにを注いで印刷用の板を再作成する方法で、組みあがった活字の再作成が容易になり、再版のコストを大きく下げた[4]。こうした鉛版には当初粘土、次いで石膏が使われていたが、19世紀前半にフランスのジュヌーが紙を使って紙型を作成することを考案し、以後この方法が主流となった。1798年にドイツのセネフェルダー石版印刷リトグラフ)を発明。これが平版印刷の始めとなる。1800年にはイギリスのチャールズ・スタンホープ(スタナップ)が鉄製の印刷機を発明し、それまでの木製のグーテンベルク印刷機にとってかわった。1811年にはドイツのフリードリヒ・ケーニヒが蒸気式の印刷機を開発し、1851年には輪転印刷機が発明された[5]。こうした機械化によって、印刷物はより速く大量生産でき安価なものとなった。1884年にはオットマー・マーゲンターラーライノタイプと呼ばれる鋳植機を発明し、これによって印刷工が一行ごとにまるごと活字を鋳造できるようになったことで印刷はより効率化した[6]。現在主流となっている平版オフセット印刷は、1904年にアメリカのルーベルが発明したといわれているが、それ以前にイギリスではブリキ印刷の分野で使用されていた。ルーベルの発明は紙への平版オフセット印刷である。

日本では、「百万塔陀羅尼」が作成されて以降二百数十年間、印刷物が出されることはなかったが、平安時代中期になって、摺経供養が盛んに行われるようになった。これが、奈良を中心とする寺院の間に、出版事業を興させるようになる。興福寺などで開版した印刷物を春日版と呼ぶ。鎌倉時代には高野山金剛峰寺でも出版を行うようになった。これは高野版と呼ばれる。13世紀頃からは、へ留学した僧がもたらした宋刊版の影響を受け、京都で五山版が出る。安土桃山時代になると、宣教師に日本語を学ばせるため、初めて活字による印刷(キリシタン版)が行われ出す。近世以前は金属活字を用いたキリシタン版や駿河版といった例外を除き、木版印刷が中心だった。江戸時代初期から中期にかけて、美麗な嵯峨本を始め、庶民の読み物である赤本黄表紙など、一気に出版文化が花開くことになる。これらには、木活字もしくは木版を用いた整版が使われた。

木版以外では、1783年司馬江漢が腐食による彫刻銅版画を製作している。1856年には長崎奉行所内で活版による近代洋式印刷が始まる。

明治時代に入り、1870年には本木昌造が長崎に新町活版所を創立、これが日本における民間初の洋式活版の企業化である。1888年には合田清木口木版西洋木版)を日本に初めて紹介した。なお、日本初の印刷専門誌『印刷雑誌』の創刊号(1891年)の表紙には、合田清の木口木版画が使われている。1896年には、小川一真が日本初の3色版印刷を発表した。1902年には、小倉倹司が一般刊行物では日本で最初の3色版印刷物を発表した(明治35年7月15日発行の「文藝倶楽部」第8巻第10号の口絵に発表した「薔薇花」)。1918年築地活版製造所が邦文活字の鋳造を開始。1919年には、HBプロセス法が日本に移入された。

1924年石井茂吉森澤信夫が邦文写真植字機の試作機を発表、1926年には、写真植字機研究所を設立した。1929年、実用機が完成。その後2人は袂を分かち、それぞれ写研モリサワとして写植オフセットの時代を支えていくことになる。

1960年電子製版機カラースキャナ)が実用化され、1970年代には、国産4色同時分解スキャナが開発された。この頃から電算写植オフセット印刷が主流となる。

1985年、アメリカでDTPが始まり、1989年、日本初のフルDTP出版物『森の書物』が刊行された。この頃からデータのデジタル化が加速。オンデマンド印刷電子出版などが徐々に現実となり始める。

プレスとプリント

パソコンなどのプリンターからの「プリントアウト」と、印刷会社にあるような印刷機による「印刷」は、まったく別のものとも言われるが、ともに「印刷」と訳される。後者はプレスと呼んで区別されるが、これは印刷機が刷版を用紙に対して圧力をかけて(=プレス)画線部を印字するためである。

このプレス機構はそもそも近代的な印刷の初発的段階から存在し、グーテンベルクがブドウ絞り器から着想を得て開発したものと言われる。大量印刷(すなわちマスメディア)と「プレス」はその後不可分に結びつき、報道のことをプレスとも言うようになった。

版式による分類

有版式

版の色々

凸版

版の凹凸を利用する印刷法の一つで、非画線部を凹、画線部を凸にして凸部にインクをつけ、紙に転写する方式。

活版印刷(活字や写真凸版・線画凸版、罫線などを組み合わせて版とする)はこの版式である。印刷時での圧力により紙に凹凸ができることがある。また、印刷された文字にマージナルゾーン(インクの横漏れにより、実際の活字の線幅以上の余分な太さとなる部分)が見られるなどの特徴がある。版が鉛製で取り扱いにくいこと、オフセット印刷の発達などにより、活版印刷は廃れた。現在主に行われている凸版印刷は、樹脂凸版印刷およびフレキソ印刷である。樹脂凸版印刷とは、活版の代わりに感光性樹脂を刷版に用いるもので、週刊誌のモノクロページ、シール、ラベル印刷などで使用されている。ただし現在では、週刊誌のモノクロページはほとんど平版オフセットで印刷されるようになった。フレキソ印刷は、ゴムや感光性樹脂の版を用い、刷版にインキを供給する部分にアニロックスロールと呼ばれるローラーを用いる方法である。アニロックスロールは、表面に規則正しい配列で凹みを彫刻し、その凹部に詰まったインキを版に供給するもので、用途に合わせて凹部の線数を選択することができる。印圧がほとんどない「キスタッチ」が理想とされ、段ボールライナー、包装フィルムなどの印刷に使用されている。

線画凸版

印刷物には文字だけで無く挿し絵などの図版も必要とされることが多い。図や表などの線画から光学的にネガフィルムを作成し、それを感光剤を塗布した亜鉛版(または銅版)に焼き付ける。感光したところだけ硬化して皮膜となるので、塩酸などで金属を腐食させることで感光部(画線部)だけが凸状に残る線画凸版が出来上がる。

写真版

写真を印刷するための凸版を写真版という。詳細は#写真印刷を参考。

鉛版

複製鉛版、ステロ版ともいう。活字や線画凸版を組版して作った原版は摩耗などにより一定枚数しか印刷出来ないのが通常であるため、原版に紙型を載せてプレス加圧を行って型を取り、その紙型を鋳型としてアンチモン合金を流し込んで複製版が作られる。この際、半円形に鋳造した物を2つ組み合わせれば「丸鉛版」となり輪転機にかけることが可能となる。これによって大量印刷が可能となった。

凹版

凹版の基本的仕組み
(下の版にある凹部分のインクが紙(上)に転写される)

版の凹凸を利用する印刷法の一つで、非画線部である凸部のインクを掻き取り凹部に付いたインクを紙に転写する方式。現在では電子彫刻された銅製のシリンダーを用いた刷版が使用されるため耐久性があり、大量の印刷に向いている。微細な線を表現できることから、偽造防止の目的で紙幣収入印紙などに採用されることが多い。

また、グラビア印刷も凹版印刷の仲間と言える。グラビア版は、ほかの印刷方法のような錯覚を利用した濃淡表現と、凹部分の深さの違いによるインクの量の増減による濃淡の変化の双方が可能であるため、写真などの再現性に優れている。かつて、雑誌においては本文は凸版で印刷され、写真ページはグラビアで印刷されていたことから、転じて写真ページのことをグラビアページと呼ぶようになった。現在は本文、写真ともオフセット印刷が利用されることが多い。

平版

オフセット印刷

平らな版の上に、化学的な処理により、親油性の画線部と親水性の非画線部を作成し、インキを画線部に乗せて、紙に転写する方式。 一般的にはオフセット印刷と同義で理解されているが、オフセットとはインキが版からゴム版に一度転写されることを指すのであり、本来、平版印刷と言うのが正しい。オフセットする凸版(ドライオフセット印刷など)や凹版(パッド印刷=タコ印刷など)もまれに存在する。石版印刷(リトグラフ、リソグラフィ)も平版の一種。

現代日本の出版物は、多くが平版オフセット印刷で刷られている。直刷りの凸版や凹版と違い、刷版上の画像が反転していないので間違いなどを見つけやすい。また高速、大量の印刷に適している。日本において平版印刷が普及した理由として写真植字が挙げられる。写真植字による版下作成はその後工程として製版フィルム化(集版)が不可欠であり、この工程を経る限り平版印刷が最適であるからである。カラー印刷は殆どすべてこの方式である。

孔版

版(油紙など)に微細な孔を多数開け、圧力によってそこを通過したインクを紙などに転写する方式。

手軽な設備で実現できる。身近な代表例は理想科学工業プリントゴッコリソグラフ(製品名)。複製絵画に使用されるシルクスクリーンや、謄写版(ガリ版)も孔版の一種。文字や画像の印刷に限らず、物体表面に各種の機能性材料の皮膜を形成する技術として広く用いられている。一例では、カラーブラウン管のシャドーマスクや液晶表示装置のカラーフィルターといった部品が、印刷技術を用いて製造されている。別名ステンシル印刷とも称されるが、最近ではスクリーン印刷と呼ばれることが多い。ステンシルテンプレートは孔版の一種といえる。

無版式

無版印刷とは、製版フィルムや刷版などを作成することなく、直接、用紙にプリントする印刷方式。無版式の印刷方式には、下記のような種類はあるが、通常これらの方式は工業的には印刷とは呼ばず、プリントと呼称されることが多い。

・静電複写(複写機参照)、溶融型/昇華型熱転写(サーマルプリンター参照)、インクジェット(インクジェットプリンター参照)

写真印刷

網点

モノクロ網点、45°スクリーン
同じ写真のカラー/CMYK網点
CMYK網点スクリーン角度の例

写真は連続階調を持つのに対し、凸版印刷、平版印刷では白黒の場合、白と黒の2階調しか出力できない。そこで網点(ハーフトーンドット)の大小によって写真の濃淡を表現している。(網版法)

この手法が印刷に用いられるようになったのは、ドイツのマイゼンバッハらの発案を元に、1886年、アメリカのレビー兄弟が網スクリーンの実用化に成功したのが始まりである[7]

製版には黒と白しか出ない超硬性のリスフィルムが使用される。フィルムの前に一定の距離を空けてコンタクトスクリーン(網スクリーン)を置く。このスクリーンは格子状に光が透過する模様が入っており、写真の濃淡を黒い網点の大小に置き換えてリスフィルムに焼き付ける効果を持つ。こうして作られた網ネガが製版フィルムとなる。

なお、網の細かさは「網点の数/インチ」で表わされ、それをスクリーン線数という。新聞などインキのにじみやすい紙質のものは85線(1インチに85個の網点)、一般書籍は100線、写真中心の画集などは175線といった具合である。

凸版ではこうして出来た製版フィルムと亜鉛版(もしくは銅版)に感光剤を塗布したものを組み合わせて露光する。感光した部分だけが硬化して残り、他の部分が洗い落とされる。この亜鉛版を塩酸で腐食させることで感光した部分だけが凸状に残った写真版(網版)が出来上がる。活字と写真版から組版により印刷に用いる原版が出来上がる。

ところで、写真版や網版というのは凸版についての用語であるが、オフセット印刷に代表される平版でも基本的な原理は同じである。文字原稿から写植あるいは電算写植により版下が作成され、写真はコンタクトスクリーンによる露光によって網ネガが作られて、文字版下と組み合わされ網ポジが作られる。この網ポジがPS版に焼き付けられて製版される[7]

なお、同人誌などをオフセット印刷に回す場合、濃淡部分は事前に網点化(網掛け/網入れ)しておくと料金が安く済むことが多い。個人用のプリンターで印刷したものの場合、既にこの処理は行われている。

カラー写真の場合、製版時にCMYK各色用フィルターを用いるなどして4色分解を行い、それぞれの色に対応した版を作る。この時用いる網スクリーンは格子の角度をそれぞれの色ごとに10゜~15゜ずつずらしたものを使い、モアレの発生を抑制している。

2015年現在、商業印刷で主流のオフセット印刷では最新のCTPダイレクト刷版により製版フィルムが不要になっているケースがある。CTPによって写真は電子的に色分解や網点化が行われるため、スクリーンを使った光学的な置換はもはや行われない。

凹版

(a) 凹版はセルの深さで濃淡を表現出来る。
(b) 凸版は網点の大きさで濃淡を表現する。

凸版や平版と異なり凹版では画線部を凹部で製版する。凹版印刷の代表であるグラビア印刷では、窪み(「セル」という)の深さにより印刷されるインキの量を調整できるため、網点を使うこと無く色の濃淡を表現することができる。これをコンベンショナル法という。現在グラビア印刷で主流は網グラビア法で、これは網点を使った印刷手法である。

主要印刷会社

印刷会社の項を参照のこと。

主要印刷機械メーカー

関連項目

参考文献

  1. ^ 「図説 本の歴史」p30 樺山紘一編 河出書房新社 2011年7月30日初版発行
  2. ^ 「図説 本の歴史」p45 樺山紘一編 河出書房新社 2011年7月30日初版発行
  3. ^ 「図説 本の歴史」p46 樺山紘一編 河出書房新社 2011年7月30日初版発行
  4. ^ 「世界を変えた100の本の歴史図鑑 古代エジプトのパピルスから電子書籍まで」p180 ロデリック・ケイヴ、サラ・アヤド著 樺山紘一日本語版監修 大山晶訳 原書房 2015年5月25日第1刷
  5. ^ 「ビジュアル版 本の歴史文化図鑑 5000年の書物の力」p132 マーティン・ライアンズ著 蔵持不三也監訳 三芳康義訳 柊風舎 2012年5月22日第1刷
  6. ^ 「図説 世界史を変えた50の機械」p49 エリック・シャリーン著 柴田譲治訳 原書房 2013年9月30日第1刷
  7. ^ a b 日本印刷新聞社『早わかり印刷の知識: “版式の原理”から“デジタル技術”の基礎まで』日本印刷新聞社、2006年。ISBN 978-4888841627 

外部リンク