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2017年4月20日 (木) 09:03時点における版

久須美 秀三郎(くすみ ひでさぶろう、1850年4月26日(嘉永3年3月15日[1])- 1928年昭和3年)1月18日[2])は、日本の実業家政治家衆議院議員。号・雲堂[1]

経歴

越後国三島郡小島谷村[3](現長岡市小島谷)で、素封家、旗本知行所代官[3]・久須美毅堂(左衛門[3])の長男として生まれる[4][5]長岡藩需士、大瀬虎治・田中春回に漢籍を、1870年に上京して島田重礼に学んだ[3]

1875年柏崎県第二大区副大区長に就任[3]1876年、久須美家当主、叔父・三郎が死去したため家督を相続[3]1884年、吉田村他14ヵ村戸長となる[3]。三島郡参事会員、新潟県会議員、同副議長も務めた[2][3]1902年8月、第7回衆議院議員総選挙で新潟県郡部から出馬して当選[2]第8回総選挙でも当選し、衆議院議員を二期務めた[2]

地域産業の振興に尽力し、1888年、山口権三郎、内藤久寛らが設立した殖産協会に参加[3]日本石油取締役、長岡銀行取締役、北越鉄道監査役[6]、与板銀行監査役、寺泊銀行監査役、越佐新聞発行所長、岡日進社評議員会長などを務めた[1][2][5]

柏崎新潟間の鉄道敷設を計画し、1911年3月、越後鉄道を設立して初代社長に就任し、死去するまで在任した[3][4][5]

親族

脚注

  1. ^ a b c 『新潟県大百科事典』復刻デスク版、580頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』221頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『鉄道史人物事典』170-171頁。
  4. ^ a b 『県央の人物』199頁。
  5. ^ a b c 『新潟県県民百科事典』283頁。
  6. ^ 国有化時には専務取締役。今城光秀「私設鉄道経営者・技術者一覧」『大東文化大学経営論集』第2号、2001年、126頁。
  7. ^ 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年、く13頁。

参考文献

  • 鉄道史学会編『鉄道史人物事典』日本経済評論社、2013年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 西方藤七編著『県央の人物 : 三条・燕・加茂・吉田・分水・寺泊・田上・栄・弥彦・岩室・下田』野島出版、1989年。
  • 新潟日報事業社出版部編『新潟県大百科事典』復刻デスク版、新潟日報事業社出版部、1984年。
  • 野島出版編集部編『新潟県県民百科事典』野島出版、1977年。