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初代の山梨県庁は、[[1874年]](明治7年)に竣工した。明治初年に建てられた初代の県庁庁舎は、当時としては斬新なデザインと規模を誇り、ギヤマン堂の異名がつけられた<ref>植松(1977)pp.132-133、甲府市役所(1988年)p.139</ref>。しかしその後、県庁の機構が拡大し、更に[[1923年]](大正12年)の[[郡制]]廃止に伴って県庁職員が大幅増員となったため、県庁庁舎は手狭となっていた。また建築後50年近くが経過し、建物自体の老朽化も目立つようになり、震災時の危険性が指摘されるようになった<ref>山梨県(1930)叙、山梨県(1942)p.228、甲府市役所(1988年)p.139</ref>。 |
初代の山梨県庁は、[[1874年]](明治7年)に竣工した。明治初年に建てられた初代の県庁庁舎は、当時としては斬新なデザインと規模を誇り、ギヤマン堂の異名がつけられた<ref>植松(1977)pp.132-133、甲府市役所(1988年)p.139</ref>。しかしその後、県庁の機構が拡大し、更に[[1923年]](大正12年)の[[郡制]]廃止に伴って県庁職員が大幅増員となったため、県庁庁舎は手狭となっていた。また建築後50年近くが経過し、建物自体の老朽化も目立つようになり、震災時の危険性が指摘されるようになった<ref>山梨県(1930)叙、山梨県(1942)p.228、甲府市役所(1988年)p.139</ref>。 |
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同2016年11月には、山梨をホームグラウンドとするプロサッカークラブである[[ヴァンフォーレ甲府]]のJ1残留を祝い、別館がチームのクラブカラーの青と赤にライトアップされた<ref>[http://mainichi.jp/articles/20161106/k00/00e/040/199000c 毎日新聞「ヴァンフォーレ甲府 ライトアップ山梨県庁でJ1残留祝福]2017年7月23日閲覧</ref>。また2017年5月にも、[[自閉症]]への理解を深めることを目的に、[[世界自閉症啓発デー]]と発達障害啓発期間に合せ、別館が自閉症啓発デーのシンボルカラーである青色の光でライトアップされた<ref>[http://www.spbook.jp/sample/115971101/17049190s/_SWF_Window.html Sannichi eBook サクライザー新聞 2017年5月号]2017年7月23日閲覧</ref><ref>[https://mainichi.jp/articles/20170403/ddl/k19/040/050000c 毎日新聞「自閉症 理解を 世界啓発デー、チラシなど配布 甲府/山梨]2017年7月23日閲覧</ref>。 |
同2016年11月には、山梨をホームグラウンドとするプロサッカークラブである[[ヴァンフォーレ甲府]]のJ1残留を祝い、別館がチームのクラブカラーの青と赤にライトアップされた<ref>[http://mainichi.jp/articles/20161106/k00/00e/040/199000c 毎日新聞「ヴァンフォーレ甲府 ライトアップ山梨県庁でJ1残留祝福]2017年7月23日閲覧</ref>。また2017年5月にも、[[自閉症]]への理解を深めることを目的に、[[世界自閉症啓発デー]]と発達障害啓発期間に合せ、別館が自閉症啓発デーのシンボルカラーである青色の光でライトアップされた<ref>[http://www.spbook.jp/sample/115971101/17049190s/_SWF_Window.html Sannichi eBook サクライザー新聞 2017年5月号]2017年7月23日閲覧</ref><ref>[https://mainichi.jp/articles/20170403/ddl/k19/040/050000c 毎日新聞「自閉症 理解を 世界啓発デー、チラシなど配布 甲府/山梨]2017年7月23日閲覧</ref>。 |
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== 参考文献 == |
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2017年7月23日 (日) 08:01時点における版
山梨県庁別館、山梨県議会議事堂 | |
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情報 | |
旧名称 | 山梨県庁 |
用途 | 教育委員会、警察本部(山梨県庁別館) |
旧用途 | 県庁(山梨県庁別館) |
設計者 | 佐野利器? |
施工 | 合資会社清水組ほか |
構造形式 | 鉄筋コンクリート造 |
敷地面積 | 24,035.854 m² |
建築面積 |
※6,134.97(山梨県庁別館)、3,1590.38(山梨県議会議事堂) |
階数 | 3 |
竣工 | 1930年3月31日 |
所在地 | 甲府市丸の内1-6-1 |
山梨県庁別館(やまなしけんちょうべっかん)とは、山梨県甲府市丸の内にある山梨県庁の以前の本庁舎、現在の別館である[1]。
沿革
初代の山梨県庁は、1874年(明治7年)に竣工した。明治初年に建てられた初代の県庁庁舎は、当時としては斬新なデザインと規模を誇り、ギヤマン堂の異名がつけられた[2]。しかしその後、県庁の機構が拡大し、更に1923年(大正12年)の郡制廃止に伴って県庁職員が大幅増員となったため、県庁庁舎は手狭となっていた。また建築後50年近くが経過し、建物自体の老朽化も目立つようになり、震災時の危険性が指摘されるようになった[3]。
こうして県庁庁舎の改築が進められることになったが、同時に県議会議事堂の改築を行い、また県庁庁舎、県議会議事堂とともに、1900年(明治33年)に建てられた甲府中学校の移転改築も一緒に行う案が持ち上がった。甲府中学校の定員は1900年当時よりも増加し、中学校校舎も老朽化が目立っており、狭く老朽化した校舎の移転改築が望まれていたのである。そこで狭隘な初代の山梨県庁庁舎と県議会議事堂の敷地から、隣地である甲府中学校の土地への移転を行うとともに、甲府中学校の移転改築を進める計画されたのである[4]。
新たに県庁庁舎と議事堂が建設される予定となった甲府中学校の敷地は、もともとは甲府城の城内であった。戊辰戦争時に板垣退助らによって無血開城して廃城になった後、甲府城の敷地内には現在の甲府駅や醸造所などが建てられ、その後、甲府中学校が移転してきた[5]。
当時は深刻な不況下にあったたため、当事業に際して新たに起債することや増税で工事費用を賄うことは困難であると判断され、県庁庁舎、県議会議事堂の敷地とともに、他の県有地の売却、更には旧甲府城の堀を埋め立てた上で売却し、旧庁舎で使用された古材までも売却し、また寄付金を募ることによって県庁庁舎、議事堂、中学校の移転改築を進めることになった[6]。
計画が明らかにされると文化財保護の観点から、また改築は時期尚早ではないかとの反対意見が出された。結局、計画が審議された1926年(大正15年)の県議会では、県民負担の増大を招かないとの条件付きで認める方向となった。県当局は山梨出身の事業家に県庁庁舎、県議会議事堂の敷地、及び他の県有地の売却益が見込みを下回った場合、工事の入札額を県側の予定金額で引き受けるとの内諾を貰い、更に改築に際しての寄付金35万円が得られたことによって、県議会は県庁庁舎、議事堂、中学校の移転改築計画を了承した[7]
1927年(昭和2年)9月、県庁庁舎と議事堂が起工された。県庁庁舎、県議会議事堂は当時清水組の副社長であった佐野利器によって設計された。新たに建設される県庁舎、議事堂とも鉄筋コンクリート造とし、県庁庁舎は前庁舎と比較して3割以上の職員の執務が可能になるよう規模を拡大し、また県議会議事堂も規模を拡大して議会の各委員会室を備えるようにして、また一般県民も公会堂としても利用できるものとした[8]。
県庁庁舎と議事堂は2年6か月の工期を経て、1930年(昭和5年)3月31日に竣工した[9]。46500人余りが工事に従事し、山梨県始まって以来の大工事とされた[10]。4月17日には新築なった県議会議事堂で落成式が行われた。落成式には1500名の参列者が会し、平田県知事の式辞の後に安達謙蔵内務大臣の式辞が代読された[11]。
なお、県庁庁舎と議事堂の同一敷地内には、山梨県出身の有力財界人であった根津嘉一郎の資金寄付によって、山梨県教育会附属図書館の建築が行われた。1930年(昭和5年)9月15日に竣工し、10月26日に落成式が行われた山梨県教育会附属図書館は、山梨県教育会から山梨県へ寄付されたことにより、1931年(昭和6年)4月1日より山梨県立図書館となった[12]。
庁舎には正庁、知事室、内務部長室、警察部長室、学務部長室ほか各課事務室などがおかれた。議事堂には議場をはじめ、委員長室、議員控室などが配された[13]。戦時下には県庁の機構が拡充され、庁舎、議事堂とも手狭となり、戦後には議員定数も増加して手狭になった[14]。また、1932年の三浦環リサイタルをはじめ[15]、公会堂として使用され、戦後は集会、演芸会や音楽会に頻繁に用いられた。交通の便もよく、県民に親しまれた[16]。これを好ましく思わない意見も多く[17][18]、1957年に県民会館が完成したことを受けて、専用のための改装が発議された[19][20][21]。 。
1957年10月11日、9月定例県議会で議場改装工事が議決される。12月12日に着工し、1958年2月27日に竣工、総工費は1000万円となった。1957年12月の定例会および翌年1月の臨時会は、改装のため県民会館で開会された。1958年2月28日に改装後初の県議会が開かれ、3月8日に竣工祝賀式が挙行された[22]。
建築
佐野利器が設計[23]、または何らかの関与をしたと考えられる[24]。山梨近代人物館の展示では、山梨県の建築係が設計を担当し、佐野が指導をしたとしている[25]。
平面形状は「山」の字をかたどったもの。建物のフォルムは、正面から見ても上から見ても、「山」の字型にデザインされている[26]。庁舎と議事堂は渡り廊下によって結ばれている[27]。
外壁は腰部に塩山産の花崗岩または擬石塗、その上部には愛知県産のタイルを張り、軒周りには濃緑色の陶瓦の庇が配される [28]。玄関ポーチにも塩山産[29]の花崗岩が使われ、床は楢板張および大理石張となる[30]。後者の大理石もまた、山梨県内の道志産である[29]。屋根はアスファルト防水の陸屋根、議事堂議場上部は一部濃緑色陶瓦葺きとなる[31]。 外部建具はスチールサッシ、内壁・天井は漆喰塗りのほか、天井コルク吹き付けペンキ塗り穴壁張[32]。室内の装飾については全て高島屋が担当し、知事室、貴賓室などは豪華に作られた[33]。
工事要覧は建築様式を「東洋味ヲ加ヘタル近世式」としている[34]。『山梨県の近代遺産』は、「左右対称の平面計画、記念性を意識して組積造的な重々しい形式間を表現する縦長の開口部とタイル張りの外装、適度の装飾等」を挙げ、近代化された様式主義建築の特徴が外観によく表れていると評す。『日本近代建築大全』も同様に、左右対称の外観と縦長の開口部などに重厚さを尊重する形式美が表現されているとし、当時の技術の粋を尽くして建築されたことをうかがわせると結んでいる。
文化財指定
隣の県議会議事堂とあわせて、2009年に山梨県の有形文化財の指定を受けている[29]。
耐震改修工事
2013年から[29]2015年にかけて[35]改装が実施され、2階の部屋には山梨県内の偉人を紹介する「山梨近代人物館」が設けられた[35]。建物の外観は既存の瓦やタイルなどを生かしており、竣工当時と同じ「洗い出し工法」で仕上げられている[35]。またこの瓦には、県章が刻印されている[26]。
山梨近代人物館
山梨県庁舎別館内に、山梨ゆかりの人物の功績を紹介する施設として、2015年4月2日に開館した。見学は無料[36]。展示対象は、小林一三や初代根津嘉一郎ら、概ね明治時代から戦前にかけて、政治、経済、農林、国際交流、学術、教育、芸術など、幅広い分野で活躍した人物とされている[37]。
子供向けに、山梨の発展に貢献した人物や、山梨県出身で日本国内および日本国外で活躍した人物をわかりやすく解説するコーナーや、山梨の人物を大型モニターとタッチパネルでクイズ形式で学習できる「ふるさと人物伝」も設置されている[38]
山梨の魅力を県内外へ広く発信するための展示物として[36]、竣工当時の内装に再現された旧知事室・旧正庁、県政の歴史を紹介するコーナーも併設されている。旧知事室は、竣工当時の調度品、写真、家具類をもとに、竣工当時の内装が再現されている。旧正庁はかつては特別な行事に用いられていた施設であり、平成以降も様々な行事にも用いられる[39]。
行政以外での使用
旧本館の外観は、竣工当時とほとんど変わっていないため、大日本帝国陸軍司令本部などとして、テレビドラマや映画の撮影に用いられることも多い[40]。2階には富士の国やまなしフィルム・コミッションの事務局がある[41]。2011年には、実写映画版『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の撮影に用いられた[42]。
2016年10月のハロウィンでは、甲府で開催された「やまなしハロウィンフェス2016」の一環で、歴史ある県庁別館と最新技術を融合させる試みとして、10月28日から30日までに、別館壁面におばけカボチャなどの映像を投影するプロジェクションマッピングが実施され、参加者たちを楽しませた[43][44]。
同2016年11月には、山梨をホームグラウンドとするプロサッカークラブであるヴァンフォーレ甲府のJ1残留を祝い、別館がチームのクラブカラーの青と赤にライトアップされた[45]。また2017年5月にも、自閉症への理解を深めることを目的に、世界自閉症啓発デーと発達障害啓発期間に合せ、別館が自閉症啓発デーのシンボルカラーである青色の光でライトアップされた[46][47]。
脚注
- ^ [1]、「山梨県庁舎別館(旧本館)及び県議会議事堂」『山梨の文化財ガイド(データベース)建造物』山梨県. 2017/07/23閲覧
- ^ 植松(1977)pp.132-133、甲府市役所(1988年)p.139
- ^ 山梨県(1930)叙、山梨県(1942)p.228、甲府市役所(1988年)p.139
- ^ 山梨県(1942)p.228、甲府市役所(1988年)p.139、山梨県立甲府第一高等学校同窓会(1993)p.140、p.222
- ^ 山梨県教育委員会(2010)p.29
- ^ 山梨県議会事務局(1979)pp.1020-1021、山梨教育委員会学術文化課(1997 )p.44
- ^ 山梨県議会事務局(1979)pp.1021-1023
- ^ 山梨県議会事務局(1979)pp.1021、山梨県教育委員会(2010)p.6
- ^ 山梨民報、1930年4月17日、「東洋味を加えた近代的県庁舎改築落成式」
- ^ 甲府市役所(1988年)pp.139-140
- ^ 山梨日日新聞、1930年4月18日、「新緑に聳え立つ新県庁舎 きのう栄ある開庁式」
- ^ 山梨県教育委員会(2010)pp.12-13
- ^ 山梨県教育委員会学術文化課(1997)p.44.
- ^ 落合(1958)p.71.
- ^ 甲府市市史編さん委員会(1990)p.682.
- ^ 清水(1958)p.72
- ^ 米山(1958)「刊行のことば」
- ^ 落合(1958)p.71
- ^ 小尾(1958)p.70
- ^ 内藤(1958)p.74
- ^ 吉田(1958)p.75
- ^ 山梨県議会事務局(1958)「年表」p.6
- ^ 山梨県教育委員会(2010)p.6
- ^ 山梨県教育委員会学術文化課(1997)は設計者の記録が残っておらず不明とし、佐野がしばしば建設現場を視察したことから関与の可能性を指摘する。山梨県議会(1958)p.76.は、佐野の指導の下で建築されたとしている。米山監(2010)p.249. は設計を清水建設としている。
- ^ 山梨近代人物館、「山梨県庁舎別館(旧本館)」展示資料
- ^ a b 山梨日日新聞、2009年10月2日、「県指定文化財に登録へ」
- ^ 山梨県教育委員会学術文化課(1997)p.44.
- ^ 米山監(2010)p.249、山梨県教育委員会学術文化課(1997)p.44.。凝(原文ママ)石塗については後者に記載
- ^ a b c d 山梨日日新聞、2013年6月13日(地域面(19面))、「わが街の近代化遺産 31 県庁別館」
- ^ 山梨県教育委員会学術文化課(1997)p.44.
- ^ 山梨県教育委員会学術文化課(1997)p.44.
- ^ 山梨県教育委員会学術文化課(1997)p.44.
- ^ 山梨民報、1930年4月17日、「東洋味を加えた近代的県庁舎改築落成式」
- ^ 山梨県『新築工事要覧』山梨県. 1930.
- ^ a b c 山梨日日新聞、2015年2月22日(地域面(19面))、「県庁別館改修、調度品も復元 創建時 昭和初期の姿に」
- ^ a b 地球の歩き方、2015、『県庁舎別館内に「山梨近代人物館」4月2日オープン』2017年7月23日閲覧
- ^ 山梨県教育庁学術文化財課(2015)p.1
- ^ 山梨県教育庁学術文化財課(2015)p.40
- ^ 山梨県教育庁学術文化財課(2015)p.41
- ^ 甲府市「山梨県庁舎別館(旧本館)および県議会議事堂」2017年7月23日閲覧
- ^ 富士の国やまなしフィルム・コミッション2017年7月23日閲覧
- ^ naka1019のツイート(100189578010439680)
- ^ 朝日新聞 山梨)県庁でプロジェクションマッピング 28~30日2017年7月23日閲覧
- ^ 産経新聞「山梨県庁の壁に“お化け”」2017年7月23日閲覧
- ^ 毎日新聞「ヴァンフォーレ甲府 ライトアップ山梨県庁でJ1残留祝福2017年7月23日閲覧
- ^ Sannichi eBook サクライザー新聞 2017年5月号2017年7月23日閲覧
- ^ 毎日新聞「自閉症 理解を 世界啓発デー、チラシなど配布 甲府/山梨2017年7月23日閲覧
参考文献
- 植松光宏「山梨の洋風建築」甲陽書房、1977
- 甲府市役所「甲府市史別編2 美術工芸」、甲府市史編さん委員会、1988
- 甲府市市史編さん委員会『甲府市史 通史編』第三巻 近代. 1990.
- 山梨県立甲府第一高等学校同窓会「百年誌」山梨県立甲府第一高等学校同窓会、1993
- 山梨県「県庁舎議事堂 新築工事要覧」山梨県、1930
- 山梨県「山梨県政五十年誌」山梨県、1942
- 山梨県議会事務局「山梨県議会誌 第三巻」1979
- 山梨県教育委員会「旧山梨県立図書館(山梨県立第一南別館)記録保存調査報告書」山梨県教育委員会、2010
- 山梨県議会事務局『議会の今昔』山梨県議会 1958
- 米山泉「刊行のことば」
- 小尾不二夫「県会議場の改装に當りて」p.70
- 落合政治「議事堂の改装を祝う」山梨県議会 1958 p.71
- 清水武文「議場改装に当つて」p.72
- 内藤竹治郎「議事堂の変遷に想う」p.74
- 吉田長兵衛「七彩の虹を」p.75.
- 山梨県教育委員会学術文化課『山梨県の近代化遺産~山梨県近代化遺産総合調査報告書』山梨県教育委員会。1997.3.
- 山梨県教育庁学術文化財課編集『山梨近代人物館展示ガイドブック』山梨県教育庁学術文化財課、2015年
- 米山勇監修『日本近代建築大全<東日本篇>』講談社. 2010.