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[[1952年]]、VfBミュールブルク(''VfB Mühlburg'')とカールスルーエFCフェニックス(''Karlsruher FC Phönix'')の合併により誕生した。[[1955年]]、[[シャルケ04]](''FC Schalke 04'')に3対2で勝利し、カップ戦で初優勝を果たした。更に、翌[[1956年]] は[[ハンブルガーSV]](''Hamburger SV'')を3対1で下し、カップ戦の2連覇を果たした。ブンデスリーガ発足後は2部に在籍していたが、[[1975年]]に優勝してブンデスリーガ1部に昇格した。 |
[[1952年]]、VfBミュールブルク(''VfB Mühlburg'')とカールスルーエFCフェニックス(''Karlsruher FC Phönix'')の合併により誕生した。[[1955年]]、[[シャルケ04]](''FC Schalke 04'')に3対2で勝利し、カップ戦で初優勝を果たした。更に、翌[[1956年]] は[[ハンブルガーSV]](''Hamburger SV'')を3対1で下し、カップ戦の2連覇を果たした。ブンデスリーガ発足後は2部に在籍していたが、[[1975年]]に優勝してブンデスリーガ1部に昇格した。 |
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1980年代はブンデスリーガ1部と2部の昇降格を繰り返した。1990年代に入ると安定してブンデスリーガ中位に位置した。この躍進を支えた新人キーパーが[[オリバー・カーン]]であったが、[[1994年]]に[[バイエルン・ミュンヘン]]に引き抜かれてしまった。その他にも多くの優秀な若手選手がいたが、その多くがビッグクラブへ移籍していった。1990年代末より低迷期に入り、1998年にブンデスリーガ2部へと降格、更に2000年には[[レギオナルリーガ]](3部)にまで降格したが、翌年に2部へ復帰した。そして2006-07シーズンでは2部において優勝し、2007-08シーズンでは1部に復帰することが決まった。2007-08シーズンは[[ハイナル・タマーシュ]]らの活躍で11位と大健闘した。2008-09シーズンは苦戦が続き、17位で2部降格となった。2011-12シーズンには2部で16位となり、3部3位となった[[SSVヤーン・レーゲンスブルク]]との入替戦に敗れ3部降格となった。翌2012-13シーズンには3部で優勝し、1シーズンで2部へ復帰した。2016-17シーズンでは残り3試合の時点で2部18位が確定、5シーズンぶりの3部降格となった<ref>[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?214984-214984-fl 山田大記所属のカールスルーエが3部降格…3試合残して2部最下位が確定]ゲキサカ 2017年4月30日</ref>。 |
1980年代はブンデスリーガ1部と2部の昇降格を繰り返した。1990年代に入ると安定してブンデスリーガ中位に位置した。この躍進を支えた新人キーパーが[[オリバー・カーン]]であったが、[[1994年]]に[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]に引き抜かれてしまった。その他にも多くの優秀な若手選手がいたが、その多くがビッグクラブへ移籍していった。1990年代末より低迷期に入り、1998年にブンデスリーガ2部へと降格、更に2000年には[[レギオナルリーガ]](3部)にまで降格したが、翌年に2部へ復帰した。そして2006-07シーズンでは2部において優勝し、2007-08シーズンでは1部に復帰することが決まった。2007-08シーズンは[[ハイナル・タマーシュ]]らの活躍で11位と大健闘した。2008-09シーズンは苦戦が続き、17位で2部降格となった。2011-12シーズンには2部で16位となり、3部3位となった[[SSVヤーン・レーゲンスブルク]]との入替戦に敗れ3部降格となった。翌2012-13シーズンには3部で優勝し、1シーズンで2部へ復帰した。2016-17シーズンでは残り3試合の時点で2部18位が確定、5シーズンぶりの3部降格となった<ref>[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?214984-214984-fl 山田大記所属のカールスルーエが3部降格…3試合残して2部最下位が確定]ゲキサカ 2017年4月30日</ref>。 |
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== タイトル == |
== タイトル == |
2017年8月29日 (火) 09:42時点における版
カールスルーエSC | ||||
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原語表記 |
Karlsruher Sport-Club Mühlburg-Phönix e.V | |||
愛称 | KSC | |||
クラブカラー | 青と白 | |||
創設年 | 1952年 | |||
所属リーグ | ブンデスリーガ | |||
所属ディビジョン | 3部 | |||
ホームタウン | カールスルーエ | |||
ホームスタジアム | ヴィルトパルクシュタディオン | |||
収容人数 | 33,000 | |||
代表者 | インゴ・ヴェーレンロイター | |||
監督 | ミルコ・スロムカ | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
カールスルーエSC(Karlsruher SC)はドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州・カールスルーエを本拠地とするサッカークラブ。オリバー・カーンが最初に所属したクラブ。日本人のサッカー選手では、1998年から1999年にかけて、永井雄一郎が下部組織のKSCアマチュア(3部)でプレーしていた。
クラブの歴史
1952年、VfBミュールブルク(VfB Mühlburg)とカールスルーエFCフェニックス(Karlsruher FC Phönix)の合併により誕生した。1955年、シャルケ04(FC Schalke 04)に3対2で勝利し、カップ戦で初優勝を果たした。更に、翌1956年 はハンブルガーSV(Hamburger SV)を3対1で下し、カップ戦の2連覇を果たした。ブンデスリーガ発足後は2部に在籍していたが、1975年に優勝してブンデスリーガ1部に昇格した。
1980年代はブンデスリーガ1部と2部の昇降格を繰り返した。1990年代に入ると安定してブンデスリーガ中位に位置した。この躍進を支えた新人キーパーがオリバー・カーンであったが、1994年にバイエルン・ミュンヘンに引き抜かれてしまった。その他にも多くの優秀な若手選手がいたが、その多くがビッグクラブへ移籍していった。1990年代末より低迷期に入り、1998年にブンデスリーガ2部へと降格、更に2000年にはレギオナルリーガ(3部)にまで降格したが、翌年に2部へ復帰した。そして2006-07シーズンでは2部において優勝し、2007-08シーズンでは1部に復帰することが決まった。2007-08シーズンはハイナル・タマーシュらの活躍で11位と大健闘した。2008-09シーズンは苦戦が続き、17位で2部降格となった。2011-12シーズンには2部で16位となり、3部3位となったSSVヤーン・レーゲンスブルクとの入替戦に敗れ3部降格となった。翌2012-13シーズンには3部で優勝し、1シーズンで2部へ復帰した。2016-17シーズンでは残り3試合の時点で2部18位が確定、5シーズンぶりの3部降格となった[1]。
タイトル
国内タイトル
- カップ戦:2回
- 1955, 1956
国際タイトル
なし
過去の成績
シーズン | リーグ | 順位 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001-02 | ブンデスリーガ2部 | 13位 | 34 | 11 | 8 | 15 | 45 | 51 | −6 | 41 |
2002-03 | ブンデスリーガ2部 | 13位 | 34 | 9 | 12 | 13 | 35 | 47 | −12 | 39 |
2003-04 | ブンデスリーガ2部 | 14位 | 34 | 11 | 10 | 13 | 38 | 44 | −6 | 43 |
2004-05 | ブンデスリーガ2部 | 11位 | 34 | 11 | 10 | 13 | 46 | 47 | −1 | 43 |
2005-06 | ブンデスリーガ2部 | 6位 | 34 | 15 | 8 | 11 | 55 | 45 | +10 | 53 |
2006-07 | ブンデスリーガ2部 | 1位 | 34 | 21 | 7 | 6 | 69 | 41 | +28 | 70 |
2007-08 | ブンデスリーガ1部 | 11位 | 34 | 11 | 10 | 13 | 38 | 53 | −15 | 43 |
2008-09 | ブンデスリーガ1部 | 17位 | 34 | 8 | 5 | 21 | 30 | 54 | −24 | 29 |
2009-10 | ブンデスリーガ2部 | 10位 | 34 | 13 | 7 | 14 | 43 | 45 | −2 | 46 |
2010-11 | ブンデスリーガ2部 | 15位 | 34 | 8 | 9 | 17 | 46 | 72 | −26 | 33 |
2011-12 | ブンデスリーガ2部 | 16位 | 34 | 9 | 6 | 19 | 34 | 60 | −26 | 33 |
2012-13 | ブンデスリーガ3部 | 1位 | 38 | 23 | 10 | 5 | 69 | 27 | +42 | 79 |
2013-14 | ブンデスリーガ2部 | 5位 | 34 | 12 | 14 | 8 | 47 | 34 | +13 | 50 |
2014-15 | ブンデスリーガ2部 | 3位 | 34 | 15 | 13 | 6 | 46 | 26 | +20 | 58 |
2015-16 | ブンデスリーガ2部 | 7位 | 34 | 12 | 11 | 11 | 35 | 37 | −2 | 47 |
2016-17 | ブンデスリーガ2部 | 18位 | 34 | 5 | 10 | 19 | 27 | 56 | -29 | 25 |
2017-18 | ブンデスリーガ3部 | 位 |
現所属メンバー
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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ローン移籍選手
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
- ハンス・ヒップ 1952-1953
- フリーデル・モーザー 1953
- アドルフ・パテク 1953-1956
- ルートヴィク・ヤンダ 1956-1959
- エドゥアルト・フルーヴァート 1959-1962
- クルト・ゾマーラット 1962-1965
- ヘルムート・シュナイダー 1965
- ヴェルナー・ロス 1965-1966
- ポール・フランツ 1966-1967
- ゲオルク・ガヴリツェク 1967-1968
- ヘルベルト・ヴィドマイヤー 1968
- ベルンハルト・テルマート 1968
- クルト・バルゼス 1968-1971
- ハインツ・バース 1971-1973
- カール=ハインツ・レール 1973-1977
- ベルント・ホッス 1977
- ロルフ・シャッフシュタル 1977-1978
- ヴァルター・バウライス 1978
- マンフレート・クラフト 1978-1981
- マックス・メルケル 1981-1982
- ホルスト・フランツ 1982-1983
- ローター・シュトレーラウ 1983
- ヴェルナー・オルク 1983-1985
- ローター・ブッフマン 1985-1986
- ビンフリート・シェーファー 1986-1998
- ヨルグ・ベルガー 1998
- ライナー・ウルリッヒ 1998-1999
- ヨアヒム・レーヴ 1999-2000
- シュテファン・クンツ 2000-2002
- ローレンツ=ギュンター・ケストナー 2002-2004
- ラインホルト・ファンツ 2004-2005
- エドムント・ベッカー 2005-2009
- マルクス・カウツィンスキ 2009, 2010, 2011, 2012-2016
- マルクス・シュップ 2009-2010
- トーマス・オラル 2016
- ミルコ・スロムカ 2017-
歴代所属選手
GK
- オリバー・カーン 1987-1994
DF
- イェンス・ノボトニー 1991-1996
- ギド・ブッフバルト 1997-1998
- アンドレアス・ゲルリッツ 2007-
- ディノ・ドルピッチ 2009.1-
MF
- メーメット・ショル 1989-1992
- トーマス・ヘスラー 1994-1998
- パトリク・イェジェク 2003
- ハイナル・タマーシュ 2007-2008
- 池邉征史 2013-
- ヨナス・メファート 2014-
- 山田大記 2014-
FW
- 永井雄一郎 1998-1999
- イヴァン・サエンコ 2001、2002-2005
- ジョシュア・ケネディ 2008-2009
脚注
- ^ 山田大記所属のカールスルーエが3部降格…3試合残して2部最下位が確定ゲキサカ 2017年4月30日
- ^ “Spieler”. Karlsruher SC. 2016年2月9日閲覧。