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地元のバルマークというクラブのマネージャーを務めていた父の影響でサッカーを始め、1980年に[[ブンデスリーガ]]2部の[[1.FCザールブリュッケン]]でプロデビュー。翌1981年に[[1.FCカイザースラウテルン|カイザースラウテルン]]に移籍し、すぐさま頭角を現すと1986年に国内の名門[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]へ移籍。1987-88シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]準優勝を始め多くのタイトル獲得に貢献した。その活躍が認められ1988年に[[セリエA (サッカー)|セリエA]]の強豪[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル・ミラノ]]へ移籍。スクデット獲得に貢献し、代表でもチームメイトの[[ローター・マテウス|マテウス]]や[[ユルゲン・クリンスマン|クリンスマン]]と共にドイツ人トリオとして存在感を示した。 |
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また[[サッカードイツ代表|ドイツ代表]]としても1984年2月に初選出され6月の[[UEFA欧州選手権1984|欧州選手権]]に出場。[[1986年]]の[[1986 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・メキシコ大会]]では西ドイツの準優勝、[[1990年]]の[[1990 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・イタリア大会]]優勝にそれぞれ貢献した。1990年大会の準決勝の[[サッカードイツ代表|イングランド]]戦では直接フリーキックを、決勝のアルゼンチン戦では、唯一の得点となったPKを冷静に決めている(元々は右利きながら、右足でも左足でも正確にキック出来る選手で、1990年大会決勝のPKは右足で慎重にゴール隅に蹴っている)。 |
また[[サッカードイツ代表|ドイツ代表]]としても1984年2月に初選出され6月の[[UEFA欧州選手権1984|欧州選手権]]に出場。[[1986年]]の[[1986 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・メキシコ大会]]では西ドイツの準優勝、[[1990年]]の[[1990 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・イタリア大会]]優勝にそれぞれ貢献した。1990年大会の準決勝の[[サッカードイツ代表|イングランド]]戦では直接フリーキックを、決勝のアルゼンチン戦では、唯一の得点となったPKを冷静に決めている(元々は右利きながら、右足でも左足でも正確にキック出来る選手で、1990年大会決勝のPKは右足で慎重にゴール隅に蹴っている)。 |
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2017年8月29日 (火) 10:21時点における版
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名前 | ||||||
本名 | Andreas Brehme | |||||
愛称 | アンディ | |||||
カタカナ | アンドレアス・ブレーメ | |||||
ラテン文字 | Andreas BREHME | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1960年11月9日(64歳) | |||||
出身地 | ハンブルク | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 引退 | |||||
ポジション | DF/MF | |||||
利き足 | 両足 | |||||
代表歴 | ||||||
1984–1994 | ドイツ | 86 (8) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アンドレアス・ブレーメ(Andreas Brehme、1960年11月9日 - )は、ドイツ・ハンブルク出身の元同国代表サッカー選手、指導者。ポジションはDF(サイドバック)・MF(ウイングバック・センターハーフ)。
積極的な攻撃参加と、正確無比なクロスボールは彼を「精密機械」、「クロス王」と呼ばしめた。ドイツきってのFKの名手でもあり、多くの得点源となった。歴代ドイツ代表の中でも最高のサイドバック(ウィングバック)との声も多い。
略歴
地元のバルマークというクラブのマネージャーを務めていた父の影響でサッカーを始め、1980年にブンデスリーガ2部の1.FCザールブリュッケンでプロデビュー。翌1981年にカイザースラウテルンに移籍し、すぐさま頭角を現すと1986年に国内の名門バイエルン・ミュンヘンへ移籍。1987-88シーズンのUEFAチャンピオンズカップ準優勝を始め多くのタイトル獲得に貢献した。その活躍が認められ1988年にセリエAの強豪インテル・ミラノへ移籍。スクデット獲得に貢献し、代表でもチームメイトのマテウスやクリンスマンと共にドイツ人トリオとして存在感を示した。
またドイツ代表としても1984年2月に初選出され6月の欧州選手権に出場。1986年のワールドカップ・メキシコ大会では西ドイツの準優勝、1990年のワールドカップ・イタリア大会優勝にそれぞれ貢献した。1990年大会の準決勝のイングランド戦では直接フリーキックを、決勝のアルゼンチン戦では、唯一の得点となったPKを冷静に決めている(元々は右利きながら、右足でも左足でも正確にキック出来る選手で、1990年大会決勝のPKは右足で慎重にゴール隅に蹴っている)。 大会を通じて質の高いプレーを披露したブレーメは、インテルでの活躍もあって1990年のバロンドール3位に輝く。
その後、スペインのレアル・サラゴサ、古巣のカイザースラウテルンと移り1996年に2部落ちしたクラブの一部復帰と翌シーズンの優勝を見届け1998年に現役を引退した。
2000-2001シーズンからはカイザースラウテルンの監督を務めた。
エピソード
- ドイツ代表・所属クラブでは長い間、背番号「3」であったが、ドイツ代表引退後は「6」となった。
- 夫人がレアル・サラゴサ時代に知り合ったスペイン人という事もあり、ドイツ語、イタリア語、スペイン語に堪能である。
所属クラブ
- 1980-1981 1.FCザールブリュッケン
- 1981-1986 1.FCカイザースラウテルン
- 1986-1988 バイエルン・ミュンヘン
- 1988-1992 インテル・ミラノ
- 1992-1993 レアル・サラゴサ
- 1993-1998 1.FCカイザースラウテルン
獲得タイトル
クラブ
バイエルン・ミュンヘン
- DFLスーパーカップ 1回(1986-87)
- ブンデスリーガ 1回(1986-87)
インテル
- セリエA 1回(1988-89)
- UEFAカップ 1回(1990-91)
カイザースラウテルン
- ブンデスリーガ 1回(1997-98)
- DFBポカール 1回(1995-96)