「宮島町」の版間の差分
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2003年3月、当時の[[小田和宣]]町長は対岸の[[大野町 (広島県)|大野町]]とともに[[廿日市市]]に合併協議に関する申し入れを行った。だが町民の間では、廿日市市よりも遠方ではあるが知名度のある[[広島市]]と合併すべきであるという意見も根強かった。これは「宮島町」という知名度のある名称が消えることによる、観光振興上の懸念を代表する意見であった。一方で、廿日市・大野地域とは上下水道やごみ収集などのインフラ面で既に基盤を共にしており、行政サービスの充実を重視する立場からは廿日市市との合併が望ましいとする意見も有力であり、「廿日市市か広島市か」は町を二分する論争に発展した。 |
2003年3月、当時の[[小田和宣]]町長は対岸の[[大野町 (広島県)|大野町]]とともに[[廿日市市]]に合併協議に関する申し入れを行った。だが町民の間では、廿日市市よりも遠方ではあるが知名度のある[[広島市]]と合併すべきであるという意見も根強かった。これは「宮島町」という知名度のある名称が消えることによる、観光振興上の懸念を代表する意見であった。一方で、廿日市・大野地域とは上下水道やごみ収集などのインフラ面で既に基盤を共にしており、行政サービスの充実を重視する立場からは廿日市市との合併が望ましいとする意見も有力であり、「廿日市市か広島市か」は町を二分する論争に発展した。 |
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同年5月の宮島町議選(定数10)では合併先が最大の争点となり、廿日市市派6人、広島市派4人という結果になったが<ref>[https://web.archive.org/web/20030703003057/http://www.l-co.co.jp/times/log/03/030509/15.html 西広島タイムス2003年5月9日付「合併めぐり新議員10人決定 廿日市市派過半数超え6人 宮島町」](2003年7月3日時点の[[インターネット |
同年5月の宮島町議選(定数10)では合併先が最大の争点となり、廿日市市派6人、広島市派4人という結果になったが<ref>[https://web.archive.org/web/20030703003057/http://www.l-co.co.jp/times/log/03/030509/15.html 西広島タイムス2003年5月9日付「合併めぐり新議員10人決定 廿日市市派過半数超え6人 宮島町」](2003年7月3日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、有効得票の44.8パーセントを獲得した広島市派は住民投票による直接採択を主張し、廿日市市との合併協議は一旦中断した。 |
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[[2004年]][[8月22日]]、合併相手を廿日市市とするか、広島市とするかを問う宮島町住民投票が実施された。結果は廿日市市票917、広島市票711、無効票5<ref>[https://web.archive.org/web/20090404180151/http://www.city.hatsukaichi.hiroshima.jp/sumai_machi/gappei/ayumi/gappei/keii.html 廿日市市 市政情報―廿日市市・大野町・宮島町合併までの経緯](2009年4月4日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。206票差で廿日市市が合併相手に決定した。 |
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その後、同年11月に法定協議会が設置され、翌[[2005年]]2月に両市・町議会で合併議決。県議会議決と総務大臣告示を経て、[[2005年]]11月3日に廿日市市と合併し、町域は廿日市市宮島町となった。 |
その後、同年11月に法定協議会が設置され、翌[[2005年]]2月に両市・町議会で合併議決。県議会議決と総務大臣告示を経て、[[2005年]]11月3日に廿日市市と合併し、町域は廿日市市宮島町となった。 |
2017年9月4日 (月) 19:56時点における版
みやじまちょう 宮島町 | |
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廃止日 | 2005年11月3日 |
廃止理由 |
編入合併 大野町、宮島町 → 廿日市市 |
現在の自治体 | 廿日市市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 広島県 |
郡 | 佐伯郡 |
市町村コード | 34327-7 |
面積 | 30.39 km2 |
総人口 |
1,942人 (推計人口、2005年11月1日) |
町の木 | モミジ |
町の花 | アセビ |
宮島町役場 | |
所在地 |
〒739-0505 広島県佐伯郡宮島町1162番地18 |
特記事項 | 当時の町役場は、一時期宮島支庁として使われたが、現在は空き家になっている。 |
ウィキプロジェクト |
宮島町(みやじまちょう)は、かつて広島県佐伯郡に存在した町である。
概要
日本三景・安芸の宮島(厳島)として有名である。特に厳島神社は神殿を始め数多くの国宝・重要文化財をもち、1996年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録された。町域は厳島全体と一致していた。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、厳島町が発足。以後2005年の合併まで、区域変更なし。
- 1950年(昭和25年)11月3日 - 厳島町から宮島町に町名変更。
- 2005年(平成17年)11月3日 - 対岸の大野町とともに廿日市市に編入合併され、消滅した。新しい地名は「廿日市市宮島町」。同時に、佐伯郡は消滅した。
合併をめぐる経緯
宮島町は戦前の町村制施行以来一度も合併を経験せず、100年以上にわたって単独町制を維持していた。しかし町域すべてが信仰の対象であること、文化財を多くもつこと、島嶼部であることなどの理由から、産業振興や再開発について制約が多く生じていた。高度経済成長期以降は人口流出と財政難も深刻化し、特に公営事業(宮島水族館・宮島競艇)会計の長期積立金を取り崩して一般財源の不足分に宛てていた慣行は問題視された。なかでも2004年3月8日には地方自治法に基づき、広島県から財政運営を健全化するよう勧告を受けるほどの危機的状況であった。このため、宮島町は平成の大合併において合併特例債を当て込んだ合併論議の渦中におかれた。
2003年3月、当時の小田和宣町長は対岸の大野町とともに廿日市市に合併協議に関する申し入れを行った。だが町民の間では、廿日市市よりも遠方ではあるが知名度のある広島市と合併すべきであるという意見も根強かった。これは「宮島町」という知名度のある名称が消えることによる、観光振興上の懸念を代表する意見であった。一方で、廿日市・大野地域とは上下水道やごみ収集などのインフラ面で既に基盤を共にしており、行政サービスの充実を重視する立場からは廿日市市との合併が望ましいとする意見も有力であり、「廿日市市か広島市か」は町を二分する論争に発展した。
同年5月の宮島町議選(定数10)では合併先が最大の争点となり、廿日市市派6人、広島市派4人という結果になったが[1]、有効得票の44.8パーセントを獲得した広島市派は住民投票による直接採択を主張し、廿日市市との合併協議は一旦中断した。
2004年8月22日、合併相手を廿日市市とするか、広島市とするかを問う宮島町住民投票が実施された。結果は廿日市市票917、広島市票711、無効票5[2]。206票差で廿日市市が合併相手に決定した。
その後、同年11月に法定協議会が設置され、翌2005年2月に両市・町議会で合併議決。県議会議決と総務大臣告示を経て、2005年11月3日に廿日市市と合併し、町域は廿日市市宮島町となった。
行政
- 町長
地理
- 山 : 弥山
交通
港湾
航路
以下の航路は、主要県道の広島県道43号厳島公園線(1954年9月17日・告示510号)に指定されていた[3]
県道
- 広島県道43号厳島公園線(1954年9月17日・告示510号)[3]
- 広島県道170号厳島港厳島神社線(1960年10月10日・告示682号)[3]
名所・旧跡・観光
施設
- 包ヶ浦自然公園
- 広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所
脚注
- ^ 西広島タイムス2003年5月9日付「合併めぐり新議員10人決定 廿日市市派過半数超え6人 宮島町」(2003年7月3日時点のアーカイブ)
- ^ 廿日市市 市政情報―廿日市市・大野町・宮島町合併までの経緯(2009年4月4日時点のアーカイブ)
- ^ a b c 『平成28年4月1日現在 国・県道路線一覧表 (PDF) 』
外部リンク
- 宮島町 - ウェイバックマシン(2006年4月24日アーカイブ分)
- 廿日市市・宮島町合併協議会(廿日市市) - ウェイバックマシン(2015年8月19日アーカイブ分)
- 市町のすがた 宮島町(2000年当時のデータ)広島県 - ウェイバックマシン(2007年12月17日アーカイブ分)