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* [http://www.linkedin.com/pub/0/a57/305 Andrew Morton's LinkedIn profile] - [[LinkedIn]]のプロフィール。
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* [http://web.archive.org/web/20080504002242/http://www.zipworld.com.au/~akpm/ 今は亡きモートンのウェブページ。][[インターネットアーカイブ]]によるホスト。
* [http://web.archive.org/web/20080504002242/http://www.zipworld.com.au/~akpm/ 今は亡きモートンのウェブページ。][[インターネットアーカイブ]]によるホスト。
* [http://archive.is/20120709160641/kerneltrap.org/node/10 Interview: Andrew Morton]; ジェレミー・アンドリューズ({{Lang|en|Jeremy Andrews}})によるインタビュー。{{仮リンク|KernelTrap|en|KernelTrap}}。2002年2月14日。
* [http://archive.is/20120709160641/kerneltrap.org/node/10 Interview: Andrew Morton]; ジェレミー・アンドリューズ({{Lang|en|Jeremy Andrews}})によるインタビュー。{{仮リンク|KernelTrap|en|KernelTrap}}。2002年2月14日。
<!--* [http://www.linuxworld.com.au/pp.php?id=1546887162&taxid=24 インタビュー]; ナディア・キャメロン({{Lang|en|Nadia Cameron}})によるインタビュー。LinuxWorld。2003年7月16日。--><!--{{リンク切れ}}-->
<!--* [http://www.linuxworld.com.au/pp.php?id=1546887162&taxid=24 インタビュー]; ナディア・キャメロン({{Lang|en|Nadia Cameron}})によるインタビュー。LinuxWorld。2003年7月16日。--><!--{{リンク切れ}}-->

2017年9月4日 (月) 20:22時点における版

アンドリュー・モートン
Andrew Morton
2008年モスクワで開催されたInteropでのスピーチの様子
生誕 1959年
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
別名 akpm
配偶者 キャスリン・モートン(Kathryn Morton)
子供 ヴィクトリア・モートン(Victoria Morton)
マイケル・モートン(Michael Morton)
マシュー・モートン(Matthew Morton)
父:デーヴィッド・モートン教授(Prof. David Morton)(故人)
業績
勤務先 Google
成果 mmツリー
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アンドリュー・キース・ポール・モートン英語: Andrew Keith Paul Morton, 1959年 - )はオーストラリアのソフトウェアエンジニア。イギリス生まれであり、Linuxカーネル開発を率いるリード開発者のひとりとしてもっとも良く知られている。彼は現在、ext3ファイルシステムとJournaling layer for block devices(JBD英語版; ext3を含め、Linuxカーネルがサポートするジャーナリングファイルシステムにおけるジャーナル管理用の共通API[1])の共同メンテナである。

経歴

1980年代末頃、シドニーにあるApplix 1616英語版というコンピュータを製造する会社で、(今は亡き)オーストラリアのゲーム製造会社Keno Computer Systemsへの機器納品のためハードウェアエンジニアとして勤務していた。彼はまた、オーストラリアのニューサウスウェールズ大学電気工学学位学士)を取得している。

彼はmmツリーとして知られるパッチセットのメンテナンスに関わっている。このパッチセットには、リーナス・トーバルズによりメンテナンスされている公式のLinuxカーネルツリーにのちに取り込まれる可能性が高いが、「作業途上」("work-in-progress")のパッチが含まれている。カーネル開発における初期フェーズ用テスト基盤にあたるmmツリーは最早アンドリューの手に負えないほど巨大かつせわしい物となってしまったため、2008年に"linux-next"というソースツリーがその役割を完全に担うものとして作成された。

2001年、モートンとその家族はオーストラリアニューサウスウェールズ州ウロンゴンからパロアルトへ引っ越した。

2003年7月、彼は彼の以前の勤務先Digeo Inc.との合意の下、Open Source Development Labs(OSDL)に加入した(Digeo Inc.はMoxi英語版 home entertainment media centerを製造した会社である)。OSDLは彼がDigeoにおける先任エンジニアとしての待遇そのままでLinuxカーネル開発に従事できるよう支援した[2]

2006年8月、モートンはGoogleから給料を受け取るようになったものの、現在のLinuxカーネルのメンテナンスの仕事も続けることになった[3][4]

2004年のOttawa Linuxシンポジウムでモートンは基調演説を行った。またMontaVista英語版 Software's Vision 2007 Conferenceにおいても特別講演を行っている[5]

2003年から始まったSCOIBMUNIX著作権を巡る法廷闘争(SCO対IBM事件英語版)では証言台に立っている[6]

彼の電子メールアドレスやウェブページ(現在は消滅)のURLから彼のユーザー名がakpmであるのはまた良く知られている。ある人物が"KP"が何を意味するのか尋ねてみたところ、彼はこう答えた。「ある人はカーネルプログラマーKernel Programmer)と言うだろうね。 私の両親からはキース・ポールKeith Paul)と呼ばれるのだけれども[7]。」

脚注

外部リンク