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* 産経新聞社の同僚で、同年齢だった[[俵孝太郎]]と結婚し1男1女をもうけたが後に離婚。戸籍上は旧姓の「中野」に戻したが筆名として「俵」の名字を用いた。女性の権利尊重や住民参加の拡大を訴える萌子の主張は、保守派の論客として活動を続ける孝太郎とは一線を画している。
* 産経新聞社の同僚で、同年齢だった[[俵孝太郎]]と結婚し1男1女をもうけたが後に離婚。戸籍上は旧姓の「中野」に戻したが筆名として「俵」の名字を用いた。女性の権利尊重や住民参加の拡大を訴える萌子の主張は、保守派の論客として活動を続ける孝太郎とは一線を画している。
* [[乳癌]]を患った経験から、癌により乳房を失った女性らが温泉に入浴し、交流を深めることを目的としたグループ「1・2の3で温泉に入る会」を2001年に設立し、会長を務めた。2006年からは[[がん患者団体支援機構]]の理事長も務めた<ref name="47news20081201"/>。
* [[乳癌]]を患った経験から、癌により乳房を失った女性らが温泉に入浴し、交流を深めることを目的としたグループ「1・2の3で温泉に入る会」を2001年に設立し、会長を務めた。2006年からは[[がん患者団体支援機構]]の理事長も務めた<ref name="47news20081201"/>。
* 2008年11月27日、[[肺炎]]のため東京都渋谷区の病院で死去<ref name="47news20081201"/>、{{没年齢|1930|12|7|2008|11|27}}。同年[[12月1日]]には先述の俵萠子美術館も閉館となった<ref>『[http://web.archive.org/web/20051029101234/http://www.yukan-fuji.com/archives/2005/05/post_2197.html 夕刊フジBLOG|俵萠子さん(74)、乳がんや事故続き鬱に…睡眠薬やめて復調]』 - [[夕刊フジ]] (2005年10月29日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref>『[http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_413695.html 全国ネットのカルチャースクール|NHK文化センター青山教室:俵萠子の元気老年学~21世紀を拓く(評論家 俵萠子)]』 - [[NHK文化センター]] {{リンク切れ|date=2013-05-28}}</ref><ref>『[http://www.tawaramoeko.com/cover.html 表紙]』 - '''俵萌子''' {{リンク切れ|date=2013-05-28}}</ref>。
* 2008年11月27日、[[肺炎]]のため東京都渋谷区の病院で死去<ref name="47news20081201"/>、{{没年齢|1930|12|7|2008|11|27}}。同年[[12月1日]]には先述の俵萠子美術館も閉館となった<ref>『[http://web.archive.org/web/20051029101234/http://www.yukan-fuji.com/archives/2005/05/post_2197.html 夕刊フジBLOG|俵萠子さん(74)、乳がんや事故続き鬱に…睡眠薬やめて復調]』 - [[夕刊フジ]] (2005年10月29日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref>『[http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_413695.html 全国ネットのカルチャースクール|NHK文化センター青山教室:俵萠子の元気老年学~21世紀を拓く(評論家 俵萠子)]』 - [[NHK文化センター]] {{リンク切れ|date=2013-05-28}}</ref><ref>『[http://www.tawaramoeko.com/cover.html 表紙]』 - '''俵萌子''' {{リンク切れ|date=2013-05-28}}</ref>。


== 著書 ==
== 著書 ==

2017年9月4日 (月) 22:12時点における版

俵 萠子(たわら もえこ、1930年12月7日 - 2008年11月27日)は、日本評論家エッセイスト

経歴・人物

著書

  • 『子どもの世話にならずに死ぬ方法』- 2005年6月 中央公論新社 (2009年3月 中公文庫)
  • 『命を輝かせて生きる―わたしの選んだ第二の人生』 - 1996年3月 ISBN 4759304592
  • 『親は逃げられない―私の育てた2人のこども』 - 1986年11月 ISBN 4759301623
  • 『教師にのぞむこと―いじめ,体罰,管理教育をなくすには』 - 1986年2月 ISBN 4000049968
  • 『俵萌子の教育委員日記』 - 1983年1月 ISBN 4620304069
  • 『どぎまぎ性教育―娘と息子に試みたこと』 - 1979年11月
  • 『離婚は怖くない』 - 1979年7月
  • 『ママ、日曜でありがとう』- 1964年 サンデー新書[6]

脚注

外部リンク