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*[[2003年]]、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。 |
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2017年9月5日 (火) 00:56時点における版
矢島 恒夫(やじま つねお、1931年11月15日 - )は、日本の政治家。日本共産党元衆議院議員(通算4期)。
経歴
- 埼玉県狭山市出身。
- 埼玉県立川越高等学校卒業。埼玉大学文理学部卒業。
- 埼玉県立川越女子高等学校英語教諭を22年間務める。
- 日本共産党に入党し、日本高等学校教職員組合(一橋派)・埼玉県高等学校教職員組合(埼高教)で活動。
- 1966年 川越地方労働組合連絡協議会書記長・会長。
政歴
- 1979年10月6日の第35回衆議院議員総選挙に埼玉県第2区から日本共産党公認で立候補し落選。
- 1980年6月22日の第12回参議院議員通常選挙に埼玉県選挙区から日本共産党公認で立候補し落選。
- 1983年12月18日の第37回衆議院議員総選挙に埼玉県第2区から日本共産党公認で立候補し落選。
- 1986年7月6日の第38回衆議院議員総選挙に埼玉県第2区から日本共産党公認で立候補し初当選。衆議院議員1期目。
- 1990年2月18日の第39回衆議院議員総選挙に埼玉県第2区から日本共産党公認で立候補し落選。
- 1993年7月18日に行われた第40回衆議院議員総選挙に埼玉県第2区から日本共産党公認で立候補し当選。衆議院議員2期目。衆議院逓信委員、大蔵委員などを務める。共産党埼玉県政策委員長。共産党准中央委員を務める。
- 1996年10月20日の第41回衆議院議員総選挙に埼玉県第7区から日本共産党公認で立候補。小選挙区では敗れたものの、比例代表北関東ブロックで復活当選した。衆議院議員3期目。共産党中央委員を務める。
- 2000年6月25日に行われた第42回衆議院議員総選挙に埼玉県第7区から日本共産党公認で立候補。小選挙区では敗れたものの、比例代表北関東ブロックで復活当選。衆議院議員4期目。
- 2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙に出馬せず、引退した。
政治的主張
人物
- 教員時代の教え子の支援を受けた。
- 政治的には全く異なる立場にあったが、同じ選挙区選出の先輩議員だった自由民主党衆議院議員小宮山重四郎とよく意見交換をしていた。小宮山が亡くなる数日前にも議員会館内で懇談、生前小宮山が最後に会話した議員となった。
その他
- 「入間川にサケを放す会」の顧問(1982年就任)を務めた。
脚注
- ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ)