「ケイプロ」の版間の差分
→歴史: リンク先を日本語ページに変更 |
|||
67行目: | 67行目: | ||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
* [http://web.archive.org/web/20080509095544/http://www.kaycomputers.com/ Kay Computers](2008年5月9日時点の[[インターネット |
* [http://web.archive.org/web/20080509095544/http://www.kaycomputers.com/ Kay Computers](2008年5月9日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]): [http://web.archive.org/web/20071208122220/http://www.kaycomputers.com/andy.html Andrew Kay] の伝記あり(2007年12月8日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) |
||
* [http://oldcomputers.net/kayproii.html Kaypro II: pictures and details on oldcomputers.net] |
* [http://oldcomputers.net/kayproii.html Kaypro II: pictures and details on oldcomputers.net] |
||
* [http://www.obsoletecomputermuseum.org/kaypro/ Kaypro II on Obsolete Computer Museum] |
* [http://www.obsoletecomputermuseum.org/kaypro/ Kaypro II on Obsolete Computer Museum] |
||
* [http://www.old-computers.com/museum/computer.asp?st=1&c=548 Kaypro IV & 4] |
* [http://www.old-computers.com/museum/computer.asp?st=1&c=548 Kaypro IV & 4] |
||
* [http://web.archive.org/web/20120402210023/http://www.fortunecity.com/marina/reach/435/kpro10.htm Kaypro 10 and 2: pictures and details](2012年4月2日時点の[[インターネット |
* [http://web.archive.org/web/20120402210023/http://www.fortunecity.com/marina/reach/435/kpro10.htm Kaypro 10 and 2: pictures and details](2012年4月2日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) |
||
*[http://bitsavers.org/pdf/kaypro/1484-D_KayproTechnicalManual_Dec84.pdf Kaypro Technical Manual] for all models, December, 1984 (5 MB PDF) |
*[http://bitsavers.org/pdf/kaypro/1484-D_KayproTechnicalManual_Dec84.pdf Kaypro Technical Manual] for all models, December, 1984 (5 MB PDF) |
||
* [http://www.old-computers.com/museum/company.asp?st=1&m=92 OLD-COMPUTERS.COM] |
* [http://www.old-computers.com/museum/company.asp?st=1&m=92 OLD-COMPUTERS.COM] |
2017年9月5日 (火) 02:29時点における版
ケイプロ・コーポレーション(Kaypro Corporation)は1980年代に存在したアメリカ合衆国のホーム/パーソナルコンピュータ製造企業。電子部品検査器メーカーのノンリニア・システムズ(Non-Linear Systems)社が当時人気のあった オズボーン1 (Osborne 1) に対抗するコンピュータを開発する目的で創設した。Kaypro は可搬型のCP/Mベースのコンピュータを開発してライバルに取って代わり、1980年代初期のパソコン売り上げ首位となった。
しかし、その後のPC/AT互換機への転換には対応できず、1992年には倒産した。
歴史
ケイプロの母体となったノンリニア・システムズは1952年創立の電子部品検査器メーカーであり、創業者のアンドルー・ケイはデジタル電圧計の発明者でもある。
1981年、ノンリニア・システムズは Osborne 1 という可搬型コンピュータと対抗できる ケイコンプ(KayComp)というパーソナルコンピュータの設計を開始した。翌1982年に子会社のケイプロ・コーポレーションが設立され、それと同時にコンピュータ名もケイプロ(Kaypro)とした。
最初の製品はケイプロII と名づけられた。ローマ数字を付けたのは、当時最も人気のあった Apple II にあやかったものである。ケイプロII は オズボーンのような可搬型として設計された。アルミニウム製のケースで、重量は約13キログラム。ザイログ Z80 マイクロプロセッサを搭載し、64KiBのRAM、5¼インチ倍密度フロッピーディスクドライブを2台内蔵している。デジタルリサーチのオペレーティングシステム CP/M が動作し、当初約1795ドルで販売されたが1983年中頃に価格を1595ドルに下げると、1カ月で1万台以上を売り上げケイプロ社は世界第5位のコンピュータメーカーに躍り出た。
ケイプロII の成功の要因はいくつかある。まず、Osborne よりも画面が大きかった。サードパーティのアプリケーションソフトウェアが同梱されていた(PerfectWriter、PerfectCalc。後にマイクロプロのWordStarとCalcStarに置換)。ディーラー網によるサポートがしっかりしていた。ケイプロII は、ユーザーグループが全米規模で結成されるほど人気となった[1]。ケイプロ社は月刊誌 ProFiles: The Magazine for Kaypro Users を出版。同社製品だけでなく CP/M や MS-DOS についても扱った。寄稿者にはテッド・チャン、ロバート・J・ソウヤーらがいた。
その後80年代中盤にかけて、コンパックなどがこの種のコンピュータへの進出を果たしたものの、ケイプロ社はIBM互換機市場への参入に手間取り、1985年にようやくMS-DOSマシンの互換機を開発したものの苦戦を強いられた。それからの数年間、減少する売り上げをなんとかしようとがんばったが、1990年3月、連邦倒産法第11章の適用を申請することになった。しかし再生はうまくいかず、1992年6月に連邦倒産法第7章による清算対象となった。1995年、残存資産が270万ドルで売却された。
ケイプロの名称は1999年にオンラインPCベンダー名として再利用されたが、売り上げ低迷によって2005年に再度消滅した(親会社は Premio Computers Inc.)[2]。ケイプロ社の創業者であるケイも、同社倒産後に似たような戦略の企業 ケイ・コンピュータ(Kay Computers)を創業している。
製品
ハードウェア
特に説明がない限り、可搬型である。
- Kaycomp I(1982年)
- 主にディーラー向けデモンストレーションに使用された機種。ケースはその後の機種とほぼ同じだが、緑色に塗られ、フロッピードライブは Osborne 1 のように中央のディスプレイの両側に配置されていた。
- Kaypro II(1982年)
Kayproの最初のコンピュータ Kaypro II の構成は、2.5 MHz Zilog Z80 マイクロプロセッサ、RAM 64KiB、片面191KBの5.25インチフロッピーディスクドライブ2台、80桁9インチグリーンCRTである。なお、初期には主プリント基板が既存のコンピュータのものを許可なくコピーしたものだと訴えられたことがある。外装はアルミニウム製。キーボードは着脱可能で、本体に収納するときはディスプレイとフロッピーディスクドライブに蓋をするような形となる。普通の交流電源を使い、電池は装備していない。1984年には簡易グラフィック機能付きの Kaypro II がリリースされている。
- Kaypro IV(1983年)
- 両面倍密ドライブ(390kB)を2台搭載し、WordStar を同梱。
- Kaypro 10(1983年)
- 10メガバイトのハードディスクドライブと両面倍密フロッピードライブ1台を搭載。
- Kaypro 4(1984年)
- Kaypro IV とほぼ同じだが、フロッピードライブは薄型で、クロック周波数は4MHzで、簡単なグラフィックス機能を持つ。また、300ボーのモデムを内蔵。
- Kaypro Robie(1984年)
- CP/Mマシンとしては唯一可搬型でない機種。Kaypro 4 と同じキーボードを装備したデスクトップ機。2.6MBの高密度フロッピードライブと300ボーモデムを装備。このフロッピードライブはメディアを壊してしまうことで有名だった。あまり売れなかったが、『こちらブルームーン探偵社』でブルース・ウィリス演じるデビッド・アディスンが使うコンピュータとしてしばしば登場している。黒い色と形状から「ダースベイダーの弁当箱」と呼ばれた。
- Kaypro 2X(1985年)
- Kaypro 4 とほぼ同じだが、プリンター付きで販売された。
- Kaypro "New" 2(1985年)
- 2X の廉価版。同梱されるソフトウェアが少なく、モデムを内蔵していない。
- Kaypro 4+88(1985年)
- Z80 と Intel 8088 の二つのプロセッサを搭載した機種。MS-DOSとCP/Mの両方が動作する。MS-DOS用にRAMは256KBあり、CP/MではRAMディスクとして利用可能。
- Kaypro 16(1985年)
- 8088プロセッサを搭載しMS-DOSが動作する機種。メモリは256KB。
- Kaypro 2000(1985年)
- 唯一のラップトップ型。バッテリー駆動のMS-DOSマシン。見た目は通常のラップトップ型でフロッピーディスクも3.5インチを使っているが、キーボードを本体から着脱可能。
- Kaypro PC(1985年)
- PC互換機市場への本格参入を意図した機種。IBM PC-XT 対抗を意図しており、クロック周波数をIBMよりも高くし、ハードディスク容量もIBMより大きくし、ソフトウェアも多数用意した。ただし、XTが1983年にリリースされたことを考えれば、遅すぎると言わざるを得ない。
- Kaypro 1(1986年)
- 最後のCP/M機種。Kaypro 2X のソフトウェアを減らしたバージョン。フロッピーを縦に挿入する点がそれまでの機種と異なる。
- Kaypro 286i(1986年)
- Intel 80286 12MHz を搭載。
- Kaypro 386(1987年)
- Intel 80386 20MHz を搭載。
ソフトウェア
当初の標準オペレーティングシステムはCP/Mであった。最初に同梱されたアプリケーションソフトウェアは Select という無名のワープロソフトだったが、すぐに Perfect Software のオフィススイート(PerfectWriter、PerfectCalc、PerfectFiler、PerfectSpeller)や Kaypro 独自のコンパイラ S-BASIC に置き換えられた。PerfectFiler はいわゆるフラットファイル型データベースである。その後、Microsoft BASICのCP/M版であるMBASICや The Word Plus というスペルチェッカが同梱されるようになった。The Word Plus はクロスワードパズルを解くのにも使えるユーティリティで、ハイフンの挿入、単語をアルファベット順に一覧表示する機能、単語出現頻度の計算などが可能である。また、他社のマシンでフォーマットされたディスクを読める Uniform というユーティリティもある。
同梱ソフトウェアは間もなく有名な WordStar、SuperCalc、Microsoft BASIC、dBaseII などに置換された。
CSVファイルフォーマットを使うと、これらのプログラム間で容易にデータをやり取りできた。
また、ゲームもいくつか同梱されていた。たとえばスタートレック、パックマン風ゲームをASCII化した CatChum、ドンキーコング風ゲームをASCII化した Ladder などがある。
これらの同梱ソフトをすべて個別に購入すると、システムの価格よりもかなり高額になった。MS-DOS版のKayproでも似たようなソフトウェアの同梱が行われた。
脚注
外部リンク
- Kay Computers(2008年5月9日時点のアーカイブ): Andrew Kay の伝記あり(2007年12月8日時点のアーカイブ)
- Kaypro II: pictures and details on oldcomputers.net
- Kaypro II on Obsolete Computer Museum
- Kaypro IV & 4
- Kaypro 10 and 2: pictures and details(2012年4月2日時点のアーカイブ)
- Kaypro Technical Manual for all models, December, 1984 (5 MB PDF)
- OLD-COMPUTERS.COM