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「岸田家」の版間の差分

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*[http://web.archive.org/web/20090728032016/http://www.komaki-aic.ed.jp/bunka/kisi00.htm 市指定有形民俗文化財「岸田家」公式サイト] - 閉鎖。(2009年7月28日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
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*[http://www.city.komaki.aichi.jp/bunkazai/bunkazai/shiminzoku/kishida/index.html 小牧市/市指定有形民俗文化財「岸田家」]
*[http://www.city.komaki.aichi.jp/bunkazai/bunkazai/shiminzoku/kishida/index.html 小牧市/市指定有形民俗文化財「岸田家」]



2017年9月5日 (火) 04:02時点における版

岸田家(きしだけ)は、愛知県小牧市に残る旧家。古くは「岡島」姓を名乗っていた。江戸時代後期の天保年間に同家の岸田七右衛門不磷[1]が、小牧村(現在の愛知県小牧市)で代々庄屋を務めていた江崎家の養嗣子となる。以後同家が幕末まで、小牧村の庄屋を務める事となった[2]明治維新後は竿秤などの販売も行っていた。現在の当主は岸田宗喜。今も残る同家の町屋は、小牧市の指定有形民俗文化財に指定されている。

町屋

岸田家の町屋

岸田家の町屋は、19世紀初頭に建てられたと考えられている建物。当時は母屋として利用されていた他、小牧宿脇本陣の役割も果たしていた。またすぐ隣(西側)にはかつて小牧御殿代官所があり、現在も目の前を走る道路はかつての旧・上街道である。

現在残る建物は、2000年平成12年)・2001年(平成13年)度の小牧市の「指定文化財修理費補助金対象事業」で、江戸時代後期の姿に修復・復元されたものである。同建物は1988年昭和63年)3月23日に、同市の有形民俗文化財に指定されている。

なお町屋には、現在も同家の人間が暮らしている。そのため町屋内の見学には、事前予約する必要がある[3]。また以前は母屋の他にも別の建物や土蔵もあったが、現在はこの建物のみである。

所在地

愛知県小牧市小牧4丁目827

交通手段

名鉄小牧線小牧駅下車、徒歩12分。

ポケットパーク

岸田家町屋の側面とポケットパーク

岸田家町屋北側に整備された施設。同町屋見学者用に設けられた。2台分の駐車場や小牧宿、小牧御殿・代官所などの解説板が設置されている。[4]

年表

  • 19世紀(1800年代)初頭 - 町屋が建てられる。
  • 天保年間(1830年1843年) - 町屋が改装・増築。岸田七右衛門不磷が江崎家の養子に。岸田家が小牧村の庄屋を務めるようになる。七右衛門が天保川の開削などの事業を手掛ける。
  • 弘化3年(1846年) - 家相図が作られる。
  • 安政3年(1856年) - 再度家相図が作られる。
  • 明治時代初期 - 竿秤などの販売を始める。町屋が改装。
  • 明治24年(1891年) - 濃尾地震で町屋が被害を受ける。
  • 昭和63年(1988年3月23日 - 町屋が小牧市の指定有形民俗文化財に。
  • 平成12年(2000年)~平成13年(2001年)度 - 小牧市の指定文化財修理費補助金対象事業で町屋が修復・復元される。

関連項目

関連書籍

『「岸田家」住宅修理報告書 小牧市指定有形民俗文化財』小牧市指定有形民俗文化財「岸田家」保存計画策定委員会/編(小牧市教育委員会2003年3月)

脚注

  1. ^ 読みは「きしだ しちえもん ふりん」
  2. ^ 七右衛門はその後、天保川開削などの事業も手掛けている。
  3. ^ 公式サイト参照
  4. ^ 岸田家の北隣に駐車可能なポケットパークが完成

外部リンク