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'''海御前'''(うみごぜん、あまごぜ)は、[[福岡県]][[宗像郡]]東郷村<ref name="goi">{{Cite book|和書|author=民俗学研究所編著|editor=[[柳田國男]]監修|title=綜合日本民俗語彙|year=1955|publisher=[[平凡社]]|volume=第1巻|pages=172頁}}</ref>(現・[[宗像市]])、[[北九州市]][[門司区]]大積に伝わる海の[[妖怪]]<ref name="kirakyushu">{{Cite web|author=|date=2005-1-1|url=http://web.archive.org/web/20070929092951/http://www.city.kitakyushu.jp/page/archive/shisei-dayori/2005/050101/tokusyu01.html|title=市政だより きたきゅうしゅう~平成16年12月15日号 特集「地域づくり」|work=[http://www.city.kitakyushu.jp/ 北九州市]|publisher=[[北九州市役所]]|accessdate=2009年6月10日}}([[インターネット |
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== 概要 == |
== 概要 == |
2017年9月5日 (火) 04:38時点における版
海御前(うみごぜん、あまごぜ)は、福岡県宗像郡東郷村[1](現・宗像市)、北九州市門司区大積に伝わる海の妖怪[2]。河童の女親分と言われている[3]。かつて壇ノ浦の戦いで敗れ去った平家が海へ身を投じた際、武将・平教経の奥方(母親という説もある[4])が福岡まで流れ着き、河童に化身したものとされる[3](ちなみの他の女官たちは手下の河童に、武将たちはヘイケガニに化身したと言われる[2][5])。
概要
普段は他の河童たちを支配しているが、毎年5月5日だけは支配を解いて河童たちを自由に放す[1]。この際に河童たちに、ソバの花が咲く前に帰るように告げると言うが[1]、これは、自分たち平家を滅ぼした源氏の旗印が白であるために白い色のソバの花を恐れているためといい[4]、自身もソバの花が咲く時期には住処にこもって一歩も外へ出ず、わなわなと震え上がりながら過ごすという[3]。
また平家出身であるため、人に危害を加える際も、源氏の人間以外に手を出すことは決してなかったと伝えられている[3]。
この伝承の名残りで門司港地区には現在でも、教経の奥方を葬ったという「海御前の碑」が建てられている[2][5]。
脚注
- ^ a b c 民俗学研究所編著 著、柳田國男監修 編『綜合日本民俗語彙』 第1巻、平凡社、1955年、172頁頁。
- ^ a b c “市政だより きたきゅうしゅう~平成16年12月15日号 特集「地域づくり」”. 北九州市. 北九州市役所 (2005年1月1日). 2009年6月10日閲覧。(インターネットアーカイブによる記録)
- ^ a b c d 山中登『かっぱ物語』河出書房、1956年、37-38頁頁。
- ^ a b 村上健司編著『日本妖怪大事典』角川書店〈Kwai books〉、2005年、19頁頁。ISBN 978-4-04-883926-6。
- ^ a b “海御前の碑”. 門司の名所・旧跡巡り. 2009年6月10日閲覧。