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「千住葱」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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これは地区総称名としての北千住の意味。住居表示で言うなら千住中居町としなければならず、千住ではありません。rvさせていただきます。
北千住という地区・地域名はありません。地区名にこだわるのであれば、千住地区となります。
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品質の良い千住葱は鍋物や煮物などにして火を通しても、煮崩れせず甘みが出て美味である<ref name="農業名所めぐり88-89"/><ref name="日テレNEWS24"/>。「千寿葱炒め」、「千住葱串カツ」など、加熱して引き出した葱の甘みを活かすレシピも工夫され、千住地区の飲食店で食べることも可能である<ref name="ガジェット">{{Cite web|url=http://getnews.jp/archives/965930|title=ネギが主役! ネギ問屋から仕入れた伝統野菜「千住葱」料理を味わえる店 |publisher=ガジェット通信|accessdate=2017年9月9日}}</ref>。
品質の良い千住葱は鍋物や煮物などにして火を通しても、煮崩れせず甘みが出て美味である<ref name="農業名所めぐり88-89"/><ref name="日テレNEWS24"/>。「千寿葱炒め」、「千住葱串カツ」など、加熱して引き出した葱の甘みを活かすレシピも工夫され、千住地区の飲食店で食べることも可能である<ref name="ガジェット">{{Cite web|url=http://getnews.jp/archives/965930|title=ネギが主役! ネギ問屋から仕入れた伝統野菜「千住葱」料理を味わえる店 |publisher=ガジェット通信|accessdate=2017年9月9日}}</ref>。


千住にある成田酒店(足立区千住中居町25-12)では、「千住ねぎ焼酎」を取り扱っている<ref name="ぶらり途中下車の旅">{{Cite web|url=http://www.ntv.co.jp/burari/contents/detail_2682667.html|title=[[ぶらり途中下車の旅]](2015年6月20日放送分)|publisher=日本テレビ|accessdate=2017年9月8日}}</ref>。この焼酎の製造元は滋賀県の太田酒造で、多様な農産物を素材に、ワインから日本酒・焼酎などを醸造している<ref name="ぶらり途中下車の旅"/>。太田酒造の創立者の先祖には[[太田道灌]]がいて、江戸城築城の時期には千住に住んでいた<ref name="ぶらり途中下車の旅"/>。その縁で、江戸時代に千住市場から多く出荷された葱を使って焼酎を作ったという<ref name="ぶらり途中下車の旅"/>。
千住地区にある成田酒店(足立区千住中居町25-12)では、「千住ねぎ焼酎」を取り扱っている<ref name="ぶらり途中下車の旅">{{Cite web|url=http://www.ntv.co.jp/burari/contents/detail_2682667.html|title=[[ぶらり途中下車の旅]](2015年6月20日放送分)|publisher=日本テレビ|accessdate=2017年9月8日}}</ref>。この焼酎の製造元は滋賀県の太田酒造で、多様な農産物を素材に、ワインから日本酒・焼酎などを醸造している<ref name="ぶらり途中下車の旅"/>。太田酒造の創立者の先祖には[[太田道灌]]がいて、江戸城築城の時期には千住に住んでいた<ref name="ぶらり途中下車の旅"/>。その縁で、江戸時代に千住市場から多く出荷された葱を使って焼酎を作ったという<ref name="ぶらり途中下車の旅"/>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2017年9月9日 (土) 12:56時点における版

葱善 千寿葱

千住葱(せんじゅねぎ)は、かつて足立区を中心に栽培されていた江戸野菜で、千住河原町付近にある市場で取引されるの総称をいう。大阪城落城後に江東区砂町に種を持ち込まれたのが、葱栽培の始まりとされている[1][2]

第二次世界大戦前までは足立区内の農家で栽培されていたが、今は埼玉県下の農家など約100軒が栽培した葱が取引されている。千住葱と区別して、千住にある専門の市場で取り引きされる白ネギは「千寿葱」というブランド名で呼ばれている[3]

歴史

葛飾北斎 『富嶽三十六景』より14番 『武州千住』

ネギ属は主に北半球に分布し、500種以上を含んでいる[4]。この属にはタマネギ、ニンニク、ネギなどのように数千年前から栽培された古い野菜が含まれる[4]。ネギの原産地は中国西部またはシベリアとされる[4][5]。原種はアリウム・アルタイクム英語版Allium altaicum)といわれ、ネギより草丈が低く球は小さい[4][注釈 1]。中国では約2200年前の『礼記』などに記述がみられ、その頃には栽培されていたと推定される[4][5]

ネギはヨーロッパ(16世紀末)、アメリカ(19世紀)に伝わっていたがあまり普及することはなく、東洋(特に日本)で多く栽培がみられる[4]。日本に渡来した時期は古く、『日本書紀』の仁賢天皇6年9月(493年)に「秋葱(あきぎ)」の名が出ている[4]。『本草和名』(918年)では和名「岐(き)」、『和名抄』(931年)では葱、和名「紀(き)」、冬葱を「布由木(ふゆぎ)」と記述していて古くからネギの栽培がおこなわれていたことがわかる[4][5]

千住葱の原産地は江戸東部にあった砂村(現在の江東区砂町)とされる[6][7]。起源としては天正年間(1573年~1593年)[2]や大阪城落城時(1615年)[1]と諸説あるが、大阪から種子を持ち込まれ、品種改良・育成を重ね葛飾・足立に広まったといわれる[6]

原種となったネギは、「難波葱(なんばねぎ)」という説がある[7]。このネギは中国から渡来してきたネギが大阪に定着したもので、さらに大阪から京都に種が運ばれて風土に合わせて改良されたものが「九条葱」となったという[7]。難波葱の種を大阪から砂村に運んで栽培したものが「砂村葱」となり、砂村葱が千住付近で栽培されたものが本種とされる[7]。本種の本格的な生産は明治中期以降とされ、この時期に産地名にちなんで「千住葱」とよばれるようになった[7][8]

当初は青い部分を食す葉葱であったが、江戸の気候が大阪に比べて寒く霜枯れするため、白い部分を食すようになり、更に土寄せをして葉柄部分を軟白するようになって、現在の根深葱の形態になった[6][9]

千住葱は千住青物市場に出荷され、その質の良さから名声が高まった[10][注釈 2]。蕎麦屋を始めとした業界筋からは「千住葱でなければ」と評されるほどの品質を保っていた[10][11]

第二次世界大戦の時期、千寿葱は他の野菜類とともに受難の時期を迎えた[5]。栽培は徐々に減らさざるを得なくなり、品種を維持するのがやっとの状態だった[5]。終戦後の立ち直りは早かったが、これはネギ類の交雑性の低さに加えて自家採種による種子の保存が功を奏したものと考えられる[5]

ネギ類は栽培期間が長く、広い農地を有している農家でないと栽培が困難になることから、都市化の進行や相続などで農地面積が小さくなった農家では栽培を断念せざるを得なくなった[10]。そのため千住葱の産地は、葛飾区新宿や埼玉県などの広い農地の残る場所に移って行った[10]。千住青物市場も1945年(昭和20年)に足立市場に移転し、1979年(昭和54年)9月には北足立市場に青果部が移転した。[11]ただし、千住葱商組合は千住青物市場発祥の地である千住河原町に残留して「千住山柏青果物市場」で葱の商いを続け、「千住葱(千寿葱)」のブランドを守っている[3][11]

JA東京グループは、葛飾区東金町の葛西神社に「千住ネギの産地」という屋外説明板を設置している[注釈 3][13]。2011年(平成23年)にJA東京中央会は「江戸東京野菜」を商標登録し、千住葱(千住一本ネギ)を含む34種類の野菜を認証した[14][15]

葛飾北斎による富嶽三十六景の14番「武州千住」の馬の背のカゴに入っているものは「葱」であるという説もある[16][17]

品種

ネギは古くからある野菜としては変異性が強くないため、品種数はそれほど多くはない[4]。中国から日本に渡来した時期に、すでに太ネギ(根深ネギ)と葉ネギ(九条ネギなど)に分化していたものと推定されている[4]

日本のネギは、加賀、九条、千住の三品種群に大別される[18][19]。加賀は太ネギで耐寒性に優れ、九条は葉ネギで年間を通して収穫される[18]。千住は太ネギ(根深葱)で秋冬に多く出荷されている[18]。ネギの生産は、愛知県を境として東日本では葉鞘の白くなった部分(俗に白根と呼ばれる)を食する千住群や加賀群の根深ネギ、西日本では緑色の部分を食べる葉ネギ(九条など)に分かれている[18][19]

関東地方は、根深ネギ栽培の好適地である[4][19]。葉ネギが耕土の浅い西日本で多く栽培されたのに対して、耕土の深い場所が多い東日本では根深ネギが多く作られる[4][19]

千住葱は、根深ネギの代表的な品種とされる[4][18][19][20]。その中にもいくつか系統があり、千住系品種と総称される[4][21][19]。当初は分けつ性(株分かれする性質)があったが、明治時代に改良が試みられて分けつしない一本ネギの形態になったものとの推定がなされている[5]

主な品種として千住赤柄(せんじゅあかがら)、千住黒柄(せんじゅくろがら)、千住合黒(せんじゅあいぐろ)、千住合柄(せんじゅあいがら)がある[4][19][21]。この4系統は大正時代に分類されたもので、葉の色の緑が濃いものから薄いものへと4段階に分かれ、さらにその中にも「黒昇」(千住黒柄)、「金長」(千住合柄)、「石倉」(千住合黒)、「玉喜」(千住赤柄)などの固有名を持つ品種が細分化されて存在していた[5][19][6][22]

  • 千住赤柄:葉は淡緑色で多少分けつがみられる。収穫量は多いが品質はやや落ちる。冬季でもよく成長する[4][19][6]
  • 千住黒柄:夏から出荷可能な品種で、葉の色は濃緑色。品質は極上で耐暑性に優れた品種だが、秋から冬にかけての生長はやや劣る[4][21][19][6]。。
  • 千住合黒:耐暑性・耐寒性がともに優れ、品質が高い[19]
  • 千住合柄:千住間柄とも表記される[4][21][5]。低温でも成長可能で、赤柄と黒柄の中間的な性質を持つ。千住系の品種としてはもっとも普及している[4][21][5][6]
  • その他:合柄系品種と赤柄系品種の中間型として、合赤系を区別する場合がある[22]。ただし、赤柄系や合赤系の品種は廃れている[22]

地域の篤農家は明治から昭和にかけて品種改良の試みを続けてこれらの品種は各地に広まり、深谷・越谷・石倉・利根などの千住系品種の有名産地が誕生した[13]。昭和30年代に葛飾の篤農家、長谷準太郎・清治父子が育成した千住合柄系の「金長」は品質・収量とも優れていて、日本全国で栽培が行われた[13][6]

栽培法

ネギの生育には耕土が深く、保水性に優れた土壌が適している[21][6]。千住葱は土寄せして栽培するため、崩れやすい性質を持つ砂や火山灰土は適していない[6]。千住を含む東京の東部は旧利根川、荒川などの河川が運んだ土砂による沖積地で、適度な水分と砂と粘土が混合した土壌であり、ネギの栽培に向いていた[6]

千住系の品種は冬季の休眠が浅く生長を続けるため、周年生産用として広く栽培される[21]。作型はその収穫時期によって秋冬どり、春どり、夏秋どりに大別されている[21]

発芽の適温は15-25度、生育の適温は15-20度とされている[21]。苗を移植栽培し、土寄せを行って葉鞘の部分を軟白して播種後220日で収穫可能になる[21]。栽培期間が長いため風雨の被害を受けやすく、これらが誘因となる病害を起こしやすい[21]。この品種は酸性土壌を嫌うため、苦土石灰などを散布して土壌のph値を調整する[21]

調理法と利用

千寿ネギ焼き 一歩一歩

品種の節で既に述べたとおり、千住葱を含む根深ネギは土寄せをして軟白された葉鞘の白くなった部分を主に食するが、緑色になった葉の部分も柔らかくて味が良く、薬味などに使うことが可能である[23]。葉柄の白くなった部分が長くてよくしまったものが、千寿葱の良品とされている[13]。生食では葉の部分も含めて薬味に使い、加熱料理では炭火焼、鍋物の具、味噌汁の具などに広く使われる<[23][24]

品質の良い千住葱は鍋物や煮物などにして火を通しても、煮崩れせず甘みが出て美味である[13][3]。「千寿葱炒め」、「千住葱串カツ」など、加熱して引き出した葱の甘みを活かすレシピも工夫され、千住地区の飲食店で食べることも可能である[25]

千住地区にある成田酒店(足立区千住中居町25-12)では、「千住ねぎ焼酎」を取り扱っている[26]。この焼酎の製造元は滋賀県の太田酒造で、多様な農産物を素材に、ワインから日本酒・焼酎などを醸造している[26]。太田酒造の創立者の先祖には太田道灌がいて、江戸城築城の時期には千住に住んでいた[26]。その縁で、江戸時代に千住市場から多く出荷された葱を使って焼酎を作ったという[26]

脚注

注釈

  1. ^ ただし、アリウム・アルタイクム原種説には異論も見られる[5]
  2. ^ 千住青物市場は江戸三大市場の1つであり、1576年(天正4年)にはすでに存在が確認されている[11]
  3. ^ JA東京グループは農業協同組合法施行50周年記念事業として、1997年(平成9年)から東京都神社庁などの協力のもとに「江戸・東京の農業屋外説明板」を各農産物にゆかりのある神社などに合計50枚設置した[12]。2002年(平成14年)発行の『江戸・東京農業名所めぐり』は、これらの屋外説明板と既存の農業関連記念碑などを通して江戸から東京にかけての農業の歴史を解説する教材となっている[13]

出典

  1. ^ a b  『足立区の歴史』東京都足立区役所編、1990年、128"頁。 
  2. ^ a b 江戸東京野菜「千住ネギ」復活へ!”. 足立区. 2017年9月2日閲覧。
  3. ^ a b c 日テレNEWS24 (2015年11月25日)”. 日本テレビ. 2017年9月8日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 青葉高『日本の野菜文化史事典』八坂書房、2013年、281-286頁。ISBN 978-4-89694-160-9 
  5. ^ a b c d e f g h i j k 『野菜園芸大百科第2版 ネギ・ニラ・ワケギ・リーキ・やぐら性ネギ』農山漁村文化協会、2004年、17-22頁。ISBN 4-540-04121-5 
  6. ^ a b c d e f g h i j k 『江戸・東京ゆかりの野菜と花』JA東京中央会、1992年、120-124頁。ISBN 4-540-92065-0 
  7. ^ a b c d e warmerwarmer (2017年5月14日). “大阪市なにわの伝統野菜 難波ねぎ”. 食育通信online. 2017年9月7日閲覧。
  8. ^ 『DESIGN OF LIFE生活文化史 No.53』日本生活文化史学会、2008年、44"頁。 
  9. ^ 大竹道茂編『江戸東京野菜 物語編』社団法人 農山漁村文化協会、2009年、19-20頁。ISBN 978-4-540-09108-7 
  10. ^ a b c d 大竹道茂編『江戸東京野菜 物語編』社団法人 農山漁村文化協会、2009年、29-30頁。ISBN 978-4-540-09108-7 
  11. ^ a b c d 大竹道茂編『江戸東京野菜 物語編』社団法人 農山漁村文化協会、2009年、66-67頁。ISBN 978-4-540-09108-7 
  12. ^ 仲宇佐達也『江戸・東京農業名所めぐり』JA東京中央会、2002年、3-4頁。ISBN 4-540-02060-9 
  13. ^ a b c d e f 仲宇佐達也『江戸・東京農業名所めぐり』JA東京中央会、2002年、88-89頁。ISBN 4-540-02060-9 
  14. ^ 佐藤勝彦『江戸東京野菜』株式会社マガジンランド、2014年、5頁。ISBN 978-4-86546-027-8 
  15. ^ 江戸東京野菜の栽培期間一覧” (PDF). 江戸東京野菜通信. 2015年5月7日閲覧。
  16. ^ 葛飾北斎 「富嶽三十六景」武州千住”. 葛飾北斎 「富嶽三十六景」解説付き. 2017年9月3日閲覧。
  17. ^ 富嶽印鑑・武州千住”. 城山博文堂. 2017年9月3日閲覧。
  18. ^ a b c d e 野村圭佑『江戸の自然誌 『武州産物志』を読む』どうぶつ社、2002年、71-72頁。ISBN 4-88622-319-2 
  19. ^ a b c d e f g h i j k 板木利隆『ぜひ知っておきたい昔の野菜 今の野菜』幸書房、2001年、72-75頁。ISBN 4-7821-0188-0 
  20. ^ 木村正典『二十四節気の暮らしを味わう 日本の伝統野菜』G.B、2014年、30-31頁。ISBN 978-4-906993-13-0 
  21. ^ a b c d e f g h i j k l 農文協編『野菜の施肥と栽培 根茎菜・芽物編|publisher=農文協』2006年、44-52頁。ISBN 4-540-05306-x{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  22. ^ a b c 『野菜園芸大百科第2版 ネギ・ニラ・ワケギ・リーキ・やぐら性ネギ』農山漁村文化協会、2004年、87-90頁。ISBN 4-540-04121-5 
  23. ^ a b 葱が必需品の一流料理屋がこぞって使う最高の葱 池波正太郎も愛した千寿葱”. All About. 2017年9月9日閲覧。
  24. ^ 堀知佐子さんの千住ねぎとはんぺんのすき煮 紀文 笑顔のレシピ”. 紀文. 2017年9月9日閲覧。
  25. ^ ネギが主役! ネギ問屋から仕入れた伝統野菜「千住葱」料理を味わえる店”. ガジェット通信. 2017年9月9日閲覧。
  26. ^ a b c d ぶらり途中下車の旅(2015年6月20日放送分)”. 日本テレビ. 2017年9月8日閲覧。

参考文献

  • 青葉高 『日本の野菜文化史事典』 八坂書房、2013年。ISBN 978-4-89694-160-9
  • 板木利隆 『ぜひ知っておきたい昔の野菜 今の野菜』 幸書房、2001年、72-75頁。ISBN 4-7821-0188-0
  • 大竹道茂編 『江戸東京野菜 物語編史』 社団法人 農山漁村文化協会、2009年。ISBN 978-4-540-09108-7
  • 木村正典 『二十四節気の暮らしを味わう 日本の伝統野菜』 G.B、2014年。ISBN 978-4-906993-13-0
  • 佐藤勝彦 『江戸東京野菜』 株式会社マガジンランド、2014年。ISBN 978-4-86546-027-8
  • 農文協編 『野菜の施肥と栽培 根茎菜・芽物編』農文協、2006年。ISBN 4-540-05306-x
  • 農文協編 『野菜園芸大百科第2版 ネギ・ニラ・ワケギ・リーキ・やぐら性ネギ』農文協、2004年。ISBN 4-540-04121-5
  • 野村圭佑 『江戸の自然誌 『武州産物志』を読む』 どうぶつ社、2002年、71-72頁。ISBN 4-88622-319-2
  • JA東京中央会 『江戸・東京農業名所めぐり』 農山漁村文化協会、2002年。ISBN 4-540-02060-9
  • JA東京中央会 『江戸・東京ゆかりの野菜と花』 農山漁村文化協会、1992年。ISBN 4-540-92065-0