「女人禁制」の版間の差分
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女性の[[月経]]に関係する特定の期間を忌みとする一時的な女人禁制と、女性を男性と区別して恒常的に立入りを禁ずる永続的な女人禁制がある。 |
女性の[[月経]]に関係する特定の期間を忌みとする一時的な女人禁制と、女性を男性と区別して恒常的に立入りを禁ずる永続的な女人禁制がある。 |
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2017年11月1日 (水) 02:41時点における版
女人禁制(にょにんきんせい[1][2][3][4][5][6]、にょにんきんぜい[1][7])とは、女性に対して社寺や霊場、祭場などへの立入りを禁じ、男性主体の修行や参拝に限定する事。女人結界(にょにんけっかい)も同じ意味で使われる[7]。また、この禁が解かれることを女人解禁という。
女性の月経に関係する特定の期間を忌みとする一時的な女人禁制と、女性を男性と区別して恒常的に立入りを禁ずる永続的な女人禁制がある。
女人禁制とは反対に、男性の立入りを禁じる事を便宜上男子禁制と呼ぶことがある。
由来
霊山などへの女人禁制は、主に修験道の伝統にもとづくとされている。 修験道は仏教(主に密教)に、日本の古来の神道や大陸由来の道教などが習合して成立したものであるため、女性の入山を禁止している理由を明確に知ることは難しい。
仏教の戒律に由来する理由
本来の仏教には、ある場所を結界して、女性の立ち入りを禁止する戒律は存在しない。道元の正法眼蔵にも、日本仏教の女人結界を「日本国にひとつのわらひごとあり」と批判している箇所があり、法然や親鸞なども女人結界には批判的である。
ただし仏教は、人間の欲望を煩悩とみなし、智慧をもって煩悩を制御することを理想としており、人間の欲のうち、最も克服しがたい性欲を抑えることを薦めてもいる。そのため出家者の戒律には、性行為の禁止(不淫戒)、自慰行為の禁止(故出精戒)、異性と接触することの禁止(触女人戒)、猥褻な言葉を使うことの禁止(麁語戒)、供養として性交を迫ることの禁止(嘆身索供養戒)、異性と二人きりになることを禁止(屏所不定戒)、異性と二人でいる時に関係を疑われる行動することを禁止(露処不定戒)など、性欲を刺激する可能性のある行為に関しては厳しい制限がある。
また修験者は、半僧半俗の修行者であるが、その場合でも、修行中は少なくとも不淫戒を守る必要がある(八斎戒の一つ)。
ちなみに在家信徒も、淫らな性行為は不邪淫戒として禁じられている(五戒の一つ)。また在家者も坐禅や念仏などの修行に打ち込む期間だけは不淫戒を守ることが薦められる。
それらの目的を達成するために、修験道では、男性の修行場から女性を排除したものと思われる。逆に尼寺(女性出家者の施設)は(女性出家者を性暴力などの被害から守る理由で)もともと僧寺(男性出家者の施設)に付属する施設と規定されており、そのため男性を厳格には排除しづらかった。
また、仏教では、本来(破戒僧が自分の愛人を出家させて身辺に置くことを防ぐため)仏陀を除く出家者は異性の出家者を弟子として得度することは禁じられている。(僧を得度できるのは僧のみ。尼を得度できるのは尼のみ)
そもそも日本で最初の出家者は尼であったが、その戒壇の設置に朝廷の許可が必要であった奈良時代以降、鎌倉時代くらいまで、戒壇の設置を許された東大寺や延暦寺などの戒壇が全て男性僧侶を対象としており、女性(尼)の授戒得度が困難であった点との関連も考えられている。
ただ仏教の戒律は、上記のように出家者、修行者、在家で求められる戒律がそれぞれ異なり、戒律の内容や解釈、厳格さも各宗派で異同がある。そのため尼寺でも「男子禁制」の寺院が存在したり、山岳部にあっても女人禁制が取られていない寺院も存在する。
神道の血穢による理由
神道においては、生物の身体から離れて、流出した血液は血の穢れとみなされる。(これは身体の一部が身体から分離したものをケガレとみなす考え方で、頭髪や爪、排泄物などにも同様な観念がみられる、また他の宗教や神話にも類似した観念が存在する)
そのため、生理中の女性や産褥中の女性が、神聖とされる場所(神社の境内など)に入ることや、神聖な物(御輿など)に接触することを禁止するタブーが古来よりある。
本来は、女性だけでなく、生傷を負って流血している男性が神域に入ることや、神域での狩猟なども同様な理由で禁止されている。
道教や密教などの神通力信仰
一説には古代日本においては、おもに道教や密教の影響で、僧侶に対し加持祈祷による法力、神通力が期待されていたためとする説もある。僧侶が祈祷に必要な法力を維持するためには持戒の徹底が必要であると考られていた。
性欲を起こすと仙人が神通力を失う話としては、今昔物語にある久米仙人の話が有名である。
中世における神仏習合
上記の仏教と神道、道教などの異なるタブー観が、中世に習合し、山岳の寺院、修験道などを中心として、鎌倉時代ごろに今の女人禁制、女人結界のベースとなる観念が成立したものと考えられている。
また、唯識論で説かれた「女人地獄使。能断仏種子。外面似菩薩。内心如夜叉」(華厳経を出典とする俗説あり)や法華経の「又女人身。猶有五障」を、その本来の意味や文脈から離れ、「女性は穢れているので成仏できない、救われない」という意味に曲げて解釈し、引用する仏教文献も鎌倉時代ごろから増えてくる。(原典にそういう意味はない)
これらをもって、女人禁制は鎌倉仏教の女性観に基づくと説明されることがある。 ただし上記のように法然・道元・日蓮といった鎌倉時代の宗祖たちには、概ね女人禁制に批判的だった。
その他に、女人禁制の由来と思われる理由
また修験道の修行地が人跡未踏の厳しい山岳地帯であったためとの見方がある。
古代においては山は魑魅魍魎が住む危険な場所と考えられていた。そのため子供を産む女性は安全のため近づかない、近づいてはならない場所であったとする。
そのような場所だからこそ、修験者は異性に煩わされない厳しい修行の場として、山岳を選んだのだといわれている。文明が進んで、山道などが整備されると、信心深い女性が逆に修験者を頼って登山してくるようになり、困った修験者たちが結界石を置いてタブーの範囲を決め、その外側に女人堂を置いて祈祷や説法を行なった。
民俗学者の柳田國男は姥捨山・岩木山の登山口にも姥石という結界石があるのに着目し、結界を越えた女性が石に化したという伝説を『妹の力』『比丘尼石』のなかで紹介している。結界石・境界石の向こうは他界(他界#山上他界)であり、宗教者は俗世から離れた一種の他界で修行を積むことによって、この世ならぬ力を獲得すると考えられた。
また、石長比売が女神であったことに代表されるように、古来より日本各地において山そのものが女神であり、嫉妬深いと考えられた場所も多く、女人の入山が禁制されたのは女神の嫉妬を避ける為であるとされる。 たとえば『遠野物語』に登場する遠野三山伝説では、早池峰山・六角牛山にそれぞれ3人の女神が住んだ山とされ、長らく女人禁制であった。また熊野三山周辺でも、山は女神で嫉妬深いと考えられているほか、上り子といわれる男たちは松明を掲げて山へ上るが、女たちは闇の中で祈りを捧げて男たちが持ち帰った神火を迎える役割があり、そこには祭事における男女の役割分担の違いがあるとされる。
また別の説では巫女やイタコといった「女性には霊がつきやすい」から荒修行が女性には困難であるという説明づけもされることがある。
女人禁制の理由については、上記のようなさまざまな由来や学説が唱えられている。各々の場所には各々の由来が伝えられている。またそれらが歴史的な過程で絡み合い変容していく場合もあり、どれか一つをもって一般論を導き出すのは、困難といえる。
なお、祭りに女人禁制が取り入れられたのは、男尊女卑が広く浸透したとされる江戸時代ないし明治時代以降のことと考えられ、『古事記』には祭りに女性が参加していた記述が見られる。また古代の日本では、女性は神聖な者で神霊が女性に憑依すると広く信じられており、卑弥呼に代表されるように神を祭る資格の多くは、女性にあると考えられていた。一例として神道の祖形を留めているといわれる沖縄では女性は「神人(かみんちゅ)」と呼ばれ(男性は「海人(うみんちゅ)」、ノロなどの神職が祭祀を行う場では女人禁制とは逆の男子禁制が敷かれていた。現在でも風習の名残は残っている。
女人禁制に対する反対(大峰山の事例)
2005年11月3日、大峰山の女人禁制に反対する伊田広行、池田恵理子らが結成した「大峰山に登ろうプロジェクト」(以下、プロジェクト)のメンバーが、大峯山登山のために現地を訪れ、寺院側に質問書を提出し、解禁を求めたが不調に終わった。その結果改めて話し合いの場を設けることで合意して両者解散したが、その直後に問題提起の為としてプロジェクトの女性メンバー池田恵理子を含む3人が登山を強行した。この行為に対し寺院側、反対派地元住民、およびいくつかの報道機関が批判を行った。
- プロジェクト側の行動を賞賛する意見
- 男尊女卑を肯定する象徴であり、男女共同参画理念に反する悪習である。また、「大峰山」を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」は世界遺産にも登録された人類共有の財産であり、登山道は税金で整備された公道でもあるため、誰もがアクセス可能であるべきである。
- 女人禁制は堅持すべきとする意見
- 女人禁制は男性の修験者が性欲に惑わされること無く修行するために存在する制であり女性には稲村ヶ岳が女人大峯として提供されている。男尊女卑などの差別を推進する意図はない。このような性別による隔離は修道院など他の宗教でも一般化しているだけでなく男子校や女子校、またトイレなども含めて世界共通である。宗教的な一例として同じ世界遺産であるアトス山も正教会の修道院として1406年以降は法令によって女人禁制となっている。強行登山は独善の正義感から他人の宗教を冒涜する身勝手な愚行である。また、日本には沖縄の御嶽や久高島の御嶽のように男子禁制の地域も存在することから、女人禁制の地域のみを批判の対象とする行為は、男女平等の理念に反する。
日本の信仰や風習で女人禁制とされている(されていた)場所
山岳・霊場
仏教・山岳修験道系
- 富士山 - ただし江戸時代後期より解禁。
- 立山 - ただし1872年(明治5年)より解禁。
- 白山 - 上に同じ。
- 比叡山 - 上に同じ。
- 御嶽山 - ただし1877年(明治10年)頃より解禁。
- 高野山 - ただし1904年(明治37年)より解禁。
- 出羽三山 1997年(平成9年)より解禁。ただし男女別の修行期間がある。
- 石鎚山(愛媛県) - 現在はお山開きの7月1日のみ女人禁制。
- 大峰山山上ヶ岳(奈良県) - 山体全域が対象で、登山道には大きな看板が立つ。反対運動あり。
- 後山(道仙寺奥の院)(岡山県) - 後山中腹にある母御堂から奥の院に至る行者道が女人禁制とされている。登山道は別にあり、後山への登山は女性でも問題ない。
- 蓼科山- 山頂に高皇産霊尊が鎮座するが、位の高い天地開闢の神なので、女性登頂が許されなかった[8]。
神道系
- 沖ノ島 - 男性でも上陸時に精進潔斎が必要。
神道系の祭
- 田名部まつり(青森県むつ市) - 近年、女性がヤマを曳くことは許されているが、基本的には女人禁制であり、ヤマに乗ることは許されていない。
- 竿燈(秋田市)
- 祇園祭(京都市)の山鉾 - 一部の山鉾には女性の囃子方がいるが、巡行の先頭に立つ長刀鉾などは女人禁制である。
- 博多祇園山笠(福岡県) - ただし小学生以下の女児は男性同様の扮装(締め込み)で参加を認められる。
- 岸和田だんじり祭 - 女性がだんじりを曳くことは許されているが、だんじりに乗ることはできない。
異能を持つ特殊技能者のメンバーシップに基づくもの
女人禁制とされている(されていた)芸能
- 歌舞伎 - 歌舞伎の創始者とされているのは女性であるが、各地で歌舞伎劇と売春を兼ねる集団が出現するなど風紀上の問題から、女人禁制となり、現在に連なる男性のみの「野郎歌舞伎」となった。
- 能楽 - 能楽協会への女性能楽師の加入は1948年に認められた。日本能楽会への加入は2004年に認められた。なお、日本能楽会の構成員は重要無形文化財「能楽」の保持者として認定(総合認定)されている。
日本以外で日本の女人禁制と類似したタブーがある場所
- アトス山 - 正教会の修道院が置かれる、家畜でもメスの持ち込みは禁止。ただしネコを除く。
- アトス自治修道士共和国 - ギリシャから治外法権を認められた国。女性は難民や漂流した場合を除き、入国は勿論、岸から500m以内に近づくことも許されない。
- ローマ教皇の私室 - 現代では厳密に守られているわけではないが、例としてヨハネ・パウロ1世が自室で急逝した時、第一発見者は修道女であったが、聖職者の私室に女性が立ち入ってはならないとの理由から、第一発見者が秘書に変更された。
- 古代ギリシャのオリンピア競技場(古代オリンピック) - 既婚の女性のみ観戦禁止。未婚女性は出場はできないが観戦は可。
- フリーメイソンの至聖所 - 会員資格も五体満足で文盲でない成人男子に限定されている。
- オックスフォード大学 - かつてオックスフォードは女人禁制で教授は生涯独身と決められていた。
- 会員制ゴルフ場(会員資格や施設使用権等を男性に限定しているゴルフクラブ) - 小金井カントリー倶楽部などの歴史の古いゴルフ場が多い。かつてはセント・アンドリュース オールドコースやオーガスタ・ナショナルGC、ミュアフィールドでも適用されていたが、現在は女性にも開放している。
- ムエタイ - 2大聖地と言われるラジャダムナン・スタジアムとルンピニー・スタジアムでは女性はリングに上がれない。
- チャイティーヨー・パゴダ - ツアースポットとしても有名なゴールデンロックの付近には女人禁制の場所がある。
備考
- 一時的に女人禁制とする例として、武家作法では、戦場に出陣する3日前か、あるいは7日前に女を断ち、精力を蓄えてから出発した(実質上、戦に出る数日前の武士周辺は女人禁制となる)。
- 上泉信綱伝の『訓閲集』(大江家の兵法書を戦国風に改めた兵書)巻一「発向」に記されている事として、「陣中に女人を入れる事、禁制なり」としており、戦時中も女人禁制が取られている(前述と合わせると、戦前1週間から戦時にかけて禁制という事になる)。
ただし、戦の中では、予測し得ない突発的な戦闘や奇襲も起こり得る上、武士個人の考えにも左右されるので、小田原征伐で豊臣秀吉が側室の淀殿たちを伴う事例が見られるなど(戦国期の場合、伝統的な武家ではなく、百姓からの成り上がり層が増えた為)、常に守られる作法ではなかった。
参考文献
出典
- ^ a b 石田瑞麿『例文仏教語大辞典』小学館、1997年2月、848頁。ISBN 978-4095081113。
- ^ 『日本国語大辞典』 14巻、小学館、2003年1月10日、6頁。ISBN 978-4095219011。
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『女人禁制』 - コトバンク
- ^ 世界大百科事典 第2版『女人禁制』 - コトバンク
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『女人禁制』 - コトバンク
- ^ 『歴史民俗用語よみかた辞典』日外アソシエーツ、1998年8月。ISBN 978-4816915185。
- ^ a b “大辞典. 第二十卷”. 平凡社. pp. 96,97. 2017年5月7日閲覧。
- ^ 『佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会 全434頁中83頁昭和53年11月15日発行
- ^ “改正労働基準法(妊産婦等の坑内労働の就業制限関係)の施行について”. 厚生労働省 (2006年10月11日). 2014年6月24日閲覧。