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「'''横浜市歌'''」(よこはましか<ref>{{NDLDC|1319237|横浜市歌|format=EXTERNAL}}</ref>)は、[[神奈川県]][[横浜市]]の[[市町村歌|市歌]]である。 |
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[[1909年]]([[明治]]42年)[[7月1日]]に[[横浜港]]の新港埠頭で行われた「開港五十年記念大祝賀会式典」の席で、初めて披露された。以来、市民に広く歌い継がれている。作詞は森林太郎([[森鴎外]])、作曲は[[東京芸術大学|東京音楽学校]]教師の[[南能衛]](よしえ)。この曲は、横浜市が東京音楽学校に仲介を委託し、南が作った旋律の上に、森が歌詞を作り、完成させたものである。森に対する作詞謝礼は100円、南に対する作曲謝礼は50円だった。 |
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横浜市立の学校では披露から約100年後の2010年現在においても、[[音楽 (教科)|音楽]]の授業で[[校歌]]とともに歌唱指導される<ref name=kanaloco2010-08-31>{{Cite web|和書|url= http://www.kanaloco.jp/article/18082/cms_id/17912|title= 市営地下鉄各駅で横浜市歌を放送、誕生 |
横浜市立の学校では披露から約100年後の2010年現在においても、[[音楽 (教科)|音楽]]の授業で[[校歌]]とともに歌唱指導される<ref name=kanaloco2010-08-31>{{Cite web|和書|url= http://www.kanaloco.jp/article/18082/cms_id/17912|title= 市営地下鉄各駅で横浜市歌を放送、誕生100周年を記念|accessdate= 2014-08-13|date= 2010-08-31|year= 2010|publisher= 神奈川新聞}}</ref><ref name="kanaloco2013-12-30">{{Cite web|和書|url= http://www.kanaloco.jp/article/65812/cms_id/65603|title= 鎌倉駅の発車メロディー「暗い」?、ネットで話題に/神奈川|accessdate= 2014-08-13|date= 2013-12-30|year= 2013|publisher= 神奈川新聞}}</ref>。また、[[6月2日]]の開港記念日や市立学校の[[卒業式]]、市大会などで演奏や斉唱される<ref name="kanaloco2013-12-30" /><ref>{{Cite web|和書|url= http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/gakusyu/sika/|title= 横浜市生涯学習ページ「はまなび」|横浜市歌について|accessdate= 2014-08-13|date= 2013-07-08|year= 2013|publisher= 教育委員会事務局 生涯学習文化財課}}</ref>(ただし、校歌のほかに校歌に準ずる歌(愛唱歌等)が存在する一部学校においては、各種式典や学校行事において市歌の代わりにそれらの歌を斉唱し、授業での指導もなされていない)。[[横浜市立大学]]の[[入学式]]及び[[卒業式]]でも演奏され、横浜市の式典(成人式を含む)や市職員の会合などでも愛唱される。また[[日本プロサッカーリーグ]]・[[J1リーグ]]の[[横浜F・マリノス]]の[[チャント]]や[[プロ野球]]・[[横浜DeNAベイスターズ]]の試合前の練習時・本塁打による得点時や試合勝利時、さらには[[横浜市立横浜商業高等学校|横浜商業高校]]野球部が試合で得点を挙げた時などに演奏されるなど、横浜市民にとってはきわめて身近な存在である。また、[[湘南台駅]]を除く横浜市営地下鉄の構内BGMとしても使われている。 |
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また[[湘南台駅]]を除く横浜市営地下鉄の構内BGMとしても使われている。 |
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[[大さん橋]]に客船が入港する際も、この曲を行進曲風にアレンジしたバージョンを流して歓迎の意を表すことが慣例となっている。 |
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横浜市歌の歌詞は以下の通り。1909年(明治42年)[[6月17日]]付「横浜貿易新報」より。 |
横浜市歌の歌詞は以下の通り。1909年(明治42年)[[6月17日]]付「横浜貿易新報」より。 |
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{{Indent2|『'''横濱市歌'''』 作詞:森林太郎(森鴎外) 作曲:南能衛}} |
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:;わが日の本は島國よ 朝日輝ふ海に |
:;わが日の本は島國よ 朝日輝ふ海に |
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:<small>はてなくさかえてゆくらんみよを かざるたからもいりくるみなと</small> |
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現代語訳 : わが国日本は島国です。朝日が輝く海に、連なりそびえる島々なので、あらゆる国から船が通ってくるのです。それだからこそ、港の数は多いのですが、この横浜に勝る港はないでしょう。昔を思えば、この横浜は、粗末な家から炊事の煙がちらほらと立つ寂しいところでした。しかし、ご覧なさい、今や多くの船が停泊する活気ある港となりました。この果てしなく栄えてゆく天皇陛下の治世を彩る文物が、今日も横浜港から入ってきます。 |
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* {{Cite book|和書|author=田中祥夫|authorlink=田中祥夫|year=2007|month=9|title=横浜港の七不思議――象の鼻・大桟橋・新港埠頭|publisher=有隣堂|series=有隣新書|isbn=978-4-89660-200-5|ref=田中2007}} |
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== 関連項目 == |
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*[[神奈川県の市町村歌一覧]] |
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*[[浜松市歌]](初代、[[1921年]] - [[2005年]]) |
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== 外部リンク == |
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* [http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/gakusyu/sika/ 横浜市生涯学習ページ「はまなび」 |
* [http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/gakusyu/sika/ 横浜市歌について] - 横浜市生涯学習ページ「はまなび」(横浜市教育委員会事務局生涯学習文化財課) |
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* [http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/library/chosa/theme/shikalist2.html 読んで知る横浜市歌] - 調査のミカタ([[横浜市中央図書館]]調査資料課) |
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* {{青空文庫|000315|53712|新字新仮名|横浜市歌}}([[森鴎外|森林太郎]]作詞) |
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2018年2月25日 (日) 14:50時点における版
横浜市歌 | |
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作詞 | 森林太郎(森鴎外) |
作曲 | 南能衛 |
採用時期 | 1909年7月1日 |
言語 | 日本語 |
「横浜市歌」(よこはましか[1])は、神奈川県横浜市の市歌である。
概要
1909年(明治42年)7月1日に横浜港の新港埠頭で行われた「開港五十年記念大祝賀会式典」の席で、初めて披露された。以来、市民に広く歌い継がれている。作詞は森林太郎(森鴎外)、作曲は東京音楽学校教師の南能衛(よしえ)。この曲は、横浜市が東京音楽学校に仲介を委託し、南が作った旋律の上に、森が歌詞を作り、完成させたものである。森に対する作詞謝礼は100円、南に対する作曲謝礼は50円だった。
横浜市立の学校では披露から約100年後の2010年現在においても、音楽の授業で校歌とともに歌唱指導される[2][3]。また、6月2日の開港記念日や市立学校の卒業式、市大会などで演奏や斉唱される[3][4](ただし、校歌のほかに校歌に準ずる歌(愛唱歌等)が存在する一部学校においては、各種式典や学校行事において市歌の代わりにそれらの歌を斉唱し、授業での指導もなされていない)。横浜市立大学の入学式及び卒業式でも演奏され、横浜市の式典(成人式を含む)や市職員の会合などでも愛唱される。また日本プロサッカーリーグ・J1リーグの横浜F・マリノスのチャントやプロ野球・横浜DeNAベイスターズの試合前の練習時・本塁打による得点時や試合勝利時、さらには横浜商業高校野球部が試合で得点を挙げた時などに演奏されるなど、横浜市民にとってはきわめて身近な存在である。また、湘南台駅を除く横浜市営地下鉄の構内BGMとしても使われている。
大さん橋に客船が入港する際も、この曲を行進曲風にアレンジしたバージョンを流して歓迎の意を表すことが慣例となっている。
2003年には、横浜生まれの作曲家中村裕介によって『横浜市歌〜ブルースバージョン』が発表された。
歌詞
横浜市歌の歌詞は以下の通り。1909年(明治42年)6月17日付「横浜貿易新報」より。
- わが日の本は島國よ 朝日輝ふ海に
- わがひのもとはしまぐによ あさひかがよううみに
- 聯り峙つ島々なれば あらゆる國より舟こそ通へ
- つらなりそばだつしまじまなれば あらゆるくによりふねこそかよえ
- されば港の数多かれど 此横濱に優るあらめや
- さればみなとのかずおおかれど このよこはまにまさるあらめや
- むかし思へば苫屋の烟 ちらりほらりと立てりし處
- むかしおもえばとまやのけむり ちらりほらりとたてりしところ
- 今は百舟百千舟 泊る處ぞ見よや
- いまはももふねももちふね とまるところぞみよや
- 果なく榮えて行くらん御代を 飾る寶も入り來る港
- はてなくさかえてゆくらんみよを かざるたからもいりくるみなと
現代語訳 : わが国日本は島国です。朝日が輝く海に、連なりそびえる島々なので、あらゆる国から船が通ってくるのです。それだからこそ、港の数は多いのですが、この横浜に勝る港はないでしょう。昔を思えば、この横浜は、粗末な家から炊事の煙がちらほらと立つ寂しいところでした。しかし、ご覧なさい、今や多くの船が停泊する活気ある港となりました。この果てしなく栄えてゆく天皇陛下の治世を彩る文物が、今日も横浜港から入ってきます。
参考文献
- 田中祥夫『横浜港の七不思議――象の鼻・大桟橋・新港埠頭』有隣堂〈有隣新書〉、2007年9月。ISBN 978-4-89660-200-5。
脚注
- ^ 『横浜市歌』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “市営地下鉄各駅で横浜市歌を放送、誕生100周年を記念”. 神奈川新聞 (2010年8月31日). 2014年8月13日閲覧。
- ^ a b “鎌倉駅の発車メロディー「暗い」?、ネットで話題に/神奈川”. 神奈川新聞 (2013年12月30日). 2014年8月13日閲覧。
- ^ “横浜市生涯学習ページ「はまなび」|横浜市歌について”. 教育委員会事務局 生涯学習文化財課 (2013年7月8日). 2014年8月13日閲覧。
関連項目
- 神奈川県の市町村歌一覧
- 浜松市歌(初代、1921年 - 2005年)