「高松中央商店街」の版間の差分
高松市 2006年7月1日 (土) 01:01の版から一部転記 |
(相違点なし)
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2006年7月23日 (日) 04:03時点における版
高松では商店街が発達しており、全ての商店街の総称を「高松中央商店街」と言う。商店街のほぼ全てを覆うアーケードは総延長が2.7㎞あり、総延長では日本一の長さを誇る(大阪天神橋筋商店街の総延長が2.6㎞)。一日の往来は約28万人で、約800の小売店、飲食店が軒を連ねている。主に丸亀町周辺には全国チェーンの店や高級品を扱う店鋪が多く、南新町、常磐街などに南進する程に庶民的な店が増えて行く傾向にある。
かつては、大都市の商店街にも劣らない程の賑わいを見せていたが、近年では他の地方都市と同様に、郊外の大型ショッピングセンターやロードサイドショップに消費者が流れ、有力テナントが撤退するなど、状況は劣勢になって来ている。このため、現在は丸亀町、三越高松店周辺では大規模な再開発事業が始まっており、商店街の起爆剤として期待されている。その他、このほど高松市内を中心に新規出店の店舗やおしゃれな店舗が開店し始め、高松も少しながらおしゃれでにぎやかになってきているが、この商店街も空き店舗等に若者向けの服や雑貨、美容院などができ始め、若者向けの店舗も増えてきている。尚、1990年代までは90%がたの店鋪が月曜定休で、現在も月曜定休の店鋪は半数ほどに上る。
- 高松中央商店街(北から)
- 兵庫町商店街
東西に伸びる通り。江戸時代に高松藩の武器庫があったことからこの名がついた。現在は中央通りを横切り、周りにビジネス街や官庁街にあることから、平日はビジネスマンが多くそれ向けの衣料品店などがあるが空き店舗も目立つ。
- 片原町商店街
東西に伸びる通り。商店街の中には菅原道真公を祀り、地元の人々に「古天神さん」と呼ばれる「華下天満宮」がある。現在東は繁華街、西は庶民的な食料品店などが多い。高松三越に隣接していることからデパート客も多い。
- 丸亀町商店街
高松中央商店街に於いて中心的な商店街。南北に伸び、この商店街を境に以西がビジネス街、以東が繁華街や歓楽街である。最も歴史が古く、高松を開拓した生駒親正により高松城築城と同時に造られた通りである。那珂郡丸亀(現在の丸亀市)から町人を連れて来て商売をさせたのが名前の由来。当時から現在に至るまで最も人通りが多く、また賑わいがある。幅員は狭い。現在は衣料品店が多く、書店などもあるため、老若男女を問わず幅広い年齢層の人通りがある。とはいえ高度経済成長の最盛期に比べ人通りは減り、空き店舗も増えた為、現在北から順に再開発計画が進行中である。
- ライオン通商店街
丸亀町商店街の一本東にある南北に伸びる通り。他の商店街が夜になるとゴーストタウン化してしまうのに対し、この商店街は繁華街や歓楽街の真ん中を突っ切っていることもあり、昼夜人通りがある。
- 南新町商店街
高松の町の南限がこの辺りであった頃、南にある新しい町という意味でつけられた名前。高級衣料品店、ジュエリー店の他に若者向けの雑貨店もあり、他の商店街に比べ幅員が広い。
- 常磐町商店街
他の商店街と瓦町駅を結ぶ東西の通り。戦後に瓦町・常盤町地区の一部として発展した歴史を持つ。戦前、南瓦町と呼ばれていたこの地区は戦後、同地区内にある「旅館常盤本館」から名前をとり常盤町と呼ばれるようになった。闇市から高度経済成長期に繁華街として発展した為、比較的歴史は浅い。現在では空き店舗が目立つが、若者向けの衣料品店や雑貨屋などがあり、低い年齢層の往来が目立つ。
- 田町商店街
高松中央商店街の中で最も南に位置する。田町は江戸時代末期に周りを田畑が取り囲んだ通り沿いに町が出来たことからそう呼ばれるようになった。現在では庶民的な食料品店などがあるが同時に空き店舗もかなり多い。