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「漢姓」の版間の差分

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'''漢姓'''(かんせい)は、[[漢民族]]および[[漢化]]された周辺民族の間で用いられている[[姓]]である。その分布は[[ベトナム]]、[[マレーシア]]、[[インドネシア]]、[[台湾]]、[[韓国]][[朝鮮]]、[[日本]]などに渡る。漢姓は[[漢字]]で書かれるのが普通だが、現代では[[アルファベット]]表記される機会も増えた。漢字一字の「単姓」が大多数を占めるが、漢字二字以上の「複姓」も存在する。漢姓は伝統的に父からその子達に受け継がれ、日本と異なり女性は[[婚姻]]しても自身の姓を変更しない。なお、[[香港]]などの西欧化された地域では女性が配偶者の姓に合わせる事例も見られる。[[周|周時代]]以前の古代の漢姓は「姓」と「氏」の二つの要素を内包し、前者は母系の[[邑|同邑]]血縁を示し、後者は父系の同族血筋を表していたが、[[秦]][[漢]]時代以降になるとその区別は廃れた。
'''漢姓'''(かんせい)は、[[漢民族]]の[[姓]]およびそれを受け入れた近隣民族の姓である。漢姓、漢名は[[漢字]]で書かれるか、書かれなくても対応する漢字が存在する。


中国では「[[王氏|王]]」「[[李氏|李]]」「[[張 (姓)|張]]」の姓保有者が多く、韓国朝鮮では「[[金 (姓)|金]]」「[[李 (朝鮮人の姓)|李]]」「[[朴 (姓)|朴]]」を持つ者が多い。「[[李 (朝鮮人の姓)|李]]」は世界最大人数の姓(''surname'')として知られ、総計1億1000万人を数えて[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]にも掲載されている。その内訳は中国大陸に約9300万人、韓国朝鮮に約679万人、ベトナムと日本に約1万人 (1966世帯) である。
漢字一字の'''単姓'''がもっとも多いが、漢字二字以上の姓('''複姓''')も存在する。複姓の代表としては「[[司馬氏|司馬]]」や「[[欧陽]]」「[[皇甫]]」などがある。

人口が多い姓は民族によっても、地域によっても異なる。[[中国]]では[[王氏|王]]、[[李氏|李]]、[[張 (姓)|張]]が多く、[[朝鮮]]では[[金 (姓)|金]]、[[李 (朝鮮人の姓)|李]]、[[朴 (姓)|朴]]が多い。世界の約1億1000万人は李で、中国約9300万、韓国679万、ベトナム、日本に約1万人 (1966世帯) である。李は世界で最も多い姓として[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]にも紹介されている。


== 中国 ==
== 中国 ==
中国の姓は、漢字一文字が普通である。これ単姓という。少数ではあが、漢字2文字以上の姓もあり、これを複姓とい。現在、の上位300位まで含まれる複姓は[[欧陽]]のみである。
中国の姓は、漢字一文字が一般的であこれは「単姓といわれ漢字文字以上は「複姓といわれ少数派である。現代の中国において多い姓・上位300以内入っている複姓は[[欧陽]]のみである。複姓の多くは[[漢民族]]以外に由来し、特に三文字以上の姓はほぼ全てが非漢民族のものである。

複姓の多くは[[漢民族]]以外に由来し、特に3字以上の姓はほぼすべてが非漢民族のものである。


=== 姓と氏 ===
=== 姓と氏 ===
[[夏 (三代)|夏]]、[[殷]]、[[周]]の時代においては「姓」と「氏」は明確に異なるものであった。古代集落の誕生に伴い同[[邑]]の血縁集団を示す「姓」の概念が先に生まれ、文明の発展に伴い特定の社会的地位の一族を表す「氏」の考え方が生まれた。伝統的に姓は母系の血縁を示し、氏は父系の血筋を意味した。[[夏王朝]]以前の古代社会は[[母系制]]であったと考えられており、邑社会特有の事情から父親不詳の出生が多かったので(似た例は江戸時代の村落にも見られる)姓は母親からその子息と息女に受け継がれていた。古代に存在したそれぞれの[[邑]]の呼称に因むとされる姓は、祖先の出生地([[邑]])を表しており、時代が進んで各地に移住した同邑の子孫達は姓で互いの由来を確認して連帯した。また、同じ姓を持つ者同士の婚姻は禁忌とされていた。
古代、姓と氏は異なるものであった。先に姓ができ、後に氏ができた。[[周]]王朝以前には、姓は貴族のみが持っており、周辺の属国に与えられた官位が氏であった。貴族には土地が与えられ、それもまた氏となった。


社会が発展して一つの王朝が開かれる時代になると、所領や官職を得た者たちはその社会的地位に従った一族の連帯を望むようになり、明確な親族集団を表す「氏」が誕生した。氏は父親からその子息に受け継がれた。息女は氏を持たなかった。嫡男以外の者は自らの所領や官職を得るとそれに因んだ新たな氏を興した。姓は、氏より広く薄い連帯を示す一門名として扱われるようになり、高貴な氏を輩出した姓は名門と見なされてブランド的な価値を持った。姓の重要な役割として同姓婚を回避する事があった。この同姓婚禁忌の風習は古代の人々に重要だったようで(後述)[[周|周時代]]前半まで色濃く残っていた。[[父系制|父系制社会]]への移行に従い、姓は父親から受け継がれる事が多くなった。基本的に嫡子は父親の姓を継承し、それ以外の子息と子女は父親または母親の姓を受け継いだ。
[[夏]]、[[殷|商]]、[[周]]の三代においては、男は氏を称し、女は姓を称した。また、貴族には氏も名もあるが、平民には氏が無かった。また、姓が同じであれば結婚することはできなかった(以後現代に至るまで、同姓同士の結婚はタブーとされた。今はそのタブーはなくなったが、一般には同姓同士の結婚は好まれない)。


[[春秋戦国時代]]、周朝基本制度であった[[宗法]]瓦解し、氏制度変化した。この頃から、氏が姓同なっていった。また、平民も姓を称するようにな、民「[[百姓#概略|百姓]]」と呼るようになった。これは貴族の地位の下落も意味した。
[[春秋戦国時代]]になると姓が持つ同邑血縁意義薄らいで人々に認知されなくなり姓との意味が混同されて姓が氏の意味で用いられるようになった。、同婚を禁忌とする風習は従来の姓が同氏置き換わた儒教的価値観の下で残存した。また、下克上の世相を反映した激動する社会の中でその存在感を強めた平民の中からも姓を名乗る者達が出るようになったのでに対する「[[百姓#概略|百姓]]」というび方が生まれた。


[[秦]][[漢]]以降、姓と氏は同じ意味なり「姓氏」と呼ばれるようになった。
[[秦]][[漢]]の時代以降、姓と氏意味の境目は完全に無くなり「姓氏」とまとめて扱われるようになった。


=== 中国の姓氏の起源 ===
=== 中国の姓氏の起源 ===
「姓」の起源は紀元前3000年から紀元前4000年前まで遡ると言われる。古代中国の村落共同体であるそれぞれの「[[邑]]」の呼称に因んでいるとされ、大抵は母系を示す女偏が付いた。[[姫 (姓)|姫]]・[[:zh:嬴姓|嬴]]・[[姜]]・[[姚]]などがその例である。姓は祖先の出生地(邑)を表していた。邑は城壁を持った集落を意味し、外敵を防いで代々の自治性を保つ事が出来たが、それは同時に代々の住民が同じ閉鎖空間の中で婚姻を繰り返す事を意味した。中国大陸には[[黄土]]など粘土質の土砂が多く、それを煉瓦状に固めて積み重ねるという比較的単純な作業で城壁を築けたので、こうした城壁に囲まれた閉鎖空間が中国各地に多数存在していた。最も古い邑は紀元前4000年頃まで遡れるとされ、[[夏 (三代)|夏]]ないし[[殷]]が開かれて社会が発展し人々の往来と移住が増えるまでの数千年もの間、同じ邑内でのいわゆる狭い婚姻が代々続いていた事になる。様々な弊害が出ていた事は想像に難くなく、同姓婚の禁忌という風習はこうした事情から生まれ、恐らく祖先伝来の本能的な危機意識により周の時代まで続いた。時代が進み[[春秋戦国時代]]の頃になると、古代の邑に由来する同姓婚に対しての危機意識はほとんど無くなり、同時に姓の存在感も低下して本来の意味での姓は消滅した。
歴史研究者によると、姓の起源は5、6000年前にまでさかのぼる。その属する集落の名、あるいはその集落の長の名が起源と思われる。姓は母系を示すため、最も古い姓は部首に「女」を含む。例えば[[姫 (姓)|姫]](周王)、[[:zh:嬴姓|嬴]](秦王)、[[姜]]、[[姚]]などである。姓の役割は、集落の区別にあった。ただし後の[[氏族]]の区別ではなく、近親の通婚を防ぐことにあった。


氏は伝説によれば[[黄帝]]の時代に生まれた。信頼できる史実しては、[[周]]代で例が見る。周朝初期、周王は家臣を諸侯として地方に封じ、そ後裔はその名を氏とした。諸侯さらにの部下役人と領地を与え、これ役人後裔はその領地をて氏とした。中国氏の99%までは、の時に生まれたと考えられている。
は伝説によると[[黄帝]]の時代を起源するが明確な記録は[[周|周王朝]]の時代かである。周王によって諸侯に封じられた者子孫はその封地名を氏とし、官職を与えられ者の子孫はそれに因んだ氏た。諸侯から領地または官職を与えられた者達子孫同様にして氏を持った。現代中国に存在する氏の大半は、[[周|西周]]から[[春秋戦国時代|東周]]の時かけて誕たと考えられている。


=== 姓氏の変遷 ===
=== 姓氏の変遷 ===
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*四字姓([[愛新覚羅氏|愛新覚羅]]など)
*四字姓([[愛新覚羅氏|愛新覚羅]]など)
*五字姓(苫滅古麻里など)
*五字姓(苫滅古麻里など)
*六字姓(主赤臺祐など)
*六字姓(主赤臺祐など)
*七字姓(卜領勒多伯臺、ふうりんしゅとぅおりぽたい)<ref>「中国姓氏考」(王泉根、1988年・広西人民出版社)</ref>
*七字姓(卜領勒多伯臺、ふうりんしゅとぅおりぽたい)<ref>「中国姓氏考」(王泉根、1988年・広西人民出版社)</ref>


=== 中国の姓の分類 ===
=== 中国の姓の分類 ===
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なお、この統計では「蕭」と「肖」、「傅」と「付」、「閻」と「閆」を同一の姓として扱っている。漢字の扱いについて、詳細はそれぞれの姓を参照。
なお、この統計では「蕭」と「肖」、「傅」と「付」、「閻」と「閆」を同一の姓として扱っている。漢字の扱いについて、詳細はそれぞれの姓を参照。


実際には、地域ごとに多い姓は大きく異なる。たとえば、[[広西チワン族自治区]]では「黄・李・韋・陳・梁」の順であった<ref>{{cite web|title={{zh|新百家姓排名出炉 黄、李、、梁为广西五大姓}}|publisher=中国新聞網 広西|date=2013-04-17|accessdate=2015-12-02|url=http://www.gx.chinanews.com/content-14-71600-1.html}}</ref>。
実際には、地域ごとに多い姓は大きく異なる。たとえば、[[広西チワン族自治区]]では「黄・李・韋・陳・梁」の順であった<ref>{{cite web|title=新百家姓排名出炉 黄、李、、梁為広西五大姓|publisher=中国新聞網 広西|date=2013-04-17|accessdate=2015-12-02|url=http://www.gx.chinanews.com/content-14-71600-1.html}}</ref>。


[[2016年]][[6月30日]]の[[中華民国内政部]]による統計によると、[[中華民国]]の上位20位の姓は以下の順である<ref>{{cite web|url=http://www.ris.gov.tw/zh_TW/346|title=政部政司全球資訊網人口資料庫|accessdate=2017-02-25}}うち人口調查報告 > C全国姓名統計分析 > 02全国姓名統計分析重点摘要 p.49.</ref>。
[[2016年]][[6月30日]]の[[中華民国内政部]]による統計によると、[[中華民国]]の上位20位の姓は以下の順である<ref>{{cite web|url=http://www.ris.gov.tw/zh_TW/346|title=政部政司全球資訊網人口資料庫|accessdate=2017-02-25}}うち人口調查報告 > C全国姓名統計分析 > 02全国姓名統計分析重点摘要 p.49.</ref>。
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!順位
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=== 本節の参考文献 ===
=== 本節の参考文献 ===
*[[籍秀琴]]、『<span lang=zh-cn>姓氏·名字·谓</span>』、大象出版社、1997年 ISBN 7534720109
*[[籍秀琴]]、『姓氏名字』、大象出版社、1997年 ISBN 7534720109


== ベトナム ==
== ベトナム ==

2019年3月6日 (水) 03:05時点における版

漢姓(かんせい)は、漢民族および漢化された周辺民族の間で用いられているである。その分布はベトナムマレーシアインドネシア台湾韓国朝鮮日本などに渡る。漢姓は漢字で書かれるのが普通だが、現代ではアルファベット表記される機会も増えた。漢字一字の「単姓」が大多数を占めるが、漢字二字以上の「複姓」も存在する。漢姓は伝統的に父からその子達に受け継がれ、日本と異なり女性は婚姻しても自身の姓を変更しない。なお、香港などの西欧化された地域では女性が配偶者の姓に合わせる事例も見られる。周時代以前の古代の漢姓は「姓」と「氏」の二つの要素を内包し、前者は母系の同邑血縁を示し、後者は父系の同族血筋を表していたが、時代以降になるとその区別は廃れた。

中国では「」「」「」の姓保有者が多く、韓国朝鮮では「」「」「」を持つ者が多い。「」は世界最大人数の姓(surname)として知られ、総計1億1000万人を数えてギネスブックにも掲載されている。その内訳は中国大陸に約9300万人、韓国朝鮮に約679万人、ベトナムと日本に約1万人 (1966世帯) である。

中国

中国の姓は、漢字一文字が一般的でありこれは「単姓」といわれる。漢字二文字以上は「複姓」といわれ少数派である。現代の中国において人数の多い姓・上位300以内に入っている複姓は欧陽のみである。複姓の多くは漢民族以外に由来し、特に三文字以上の姓はほぼ全てが非漢民族のものである。

姓と氏

の時代においては「姓」と「氏」は明確に異なるものであった。古代集落の誕生に伴い同の血縁集団を示す「姓」の概念が先に生まれ、文明の発展に伴い特定の社会的地位の一族を表す「氏」の考え方が生まれた。伝統的に姓は母系の血縁を示し、氏は父系の血筋を意味した。夏王朝以前の古代社会は母系制であったと考えられており、邑社会特有の事情から父親不詳の出生が多かったので(似た例は江戸時代の村落にも見られる)姓は母親からその子息と息女に受け継がれていた。古代に存在したそれぞれのの呼称に因むとされる姓は、祖先の出生地()を表しており、時代が進んで各地に移住した同邑の子孫達は姓で互いの由来を確認して連帯した。また、同じ姓を持つ者同士の婚姻は禁忌とされていた。

社会が発展して一つの王朝が開かれる時代になると、所領や官職を得た者たちはその社会的地位に従った一族の連帯を望むようになり、明確な親族集団を表す「氏」が誕生した。氏は父親からその子息に受け継がれた。息女は氏を持たなかった。嫡男以外の者は自らの所領や官職を得るとそれに因んだ新たな氏を興した。姓は、氏より広く薄い連帯を示す一門名として扱われるようになり、高貴な氏を輩出した姓は名門と見なされてブランド的な価値を持った。姓の重要な役割として同姓婚を回避する事があった。この同姓婚禁忌の風習は古代の人々に重要だったようで(後述)周時代前半まで色濃く残っていた。父系制社会への移行に従い、姓は父親から受け継がれる事が多くなった。基本的に嫡子は父親の姓を継承し、それ以外の子息と子女は父親または母親の姓を受け継いだ。

春秋戦国時代になると姓が持つ同邑血縁の意義が薄らいで人々に認知されなくなり、姓と氏の意味が混同されて姓が氏の意味でも用いられるようになった。だが、同姓婚を禁忌とする風習は従来の同姓が同氏に置き換わった儒教的価値観の下で残存した。また、下克上の世相を反映した激動する社会の中でその存在感を強めた平民の中からも姓を名乗る者達が出るようになったので、平民に対する「百姓」という呼び方が生まれた。

の時代以降は、姓と氏の意味の境目は完全に無くなり「姓氏」とまとめて扱われるようになった。

中国の姓氏の起源

「姓」の起源は紀元前3000年から紀元前4000年前まで遡ると言われる。古代中国の村落共同体であるそれぞれの「」の呼称に因んでいるとされ、大抵は母系を示す女偏が付いた。などがその例である。姓は祖先の出生地(邑)を表していた。邑は城壁を持った集落を意味し、外敵を防いで代々の自治性を保つ事が出来たが、それは同時に代々の住民が同じ閉鎖空間の中で婚姻を繰り返す事を意味した。中国大陸には黄土など粘土質の土砂が多く、それを煉瓦状に固めて積み重ねるという比較的単純な作業で城壁を築けたので、こうした城壁に囲まれた閉鎖空間が中国各地に多数存在していた。最も古い邑は紀元前4000年頃まで遡れるとされ、ないしが開かれて社会が発展し人々の往来と移住が増えるまでの数千年もの間、同じ邑内でのいわゆる狭い婚姻が代々続いていた事になる。様々な弊害が出ていた事は想像に難くなく、同姓婚の禁忌という風習はこうした事情から生まれ、恐らく祖先伝来の本能的な危機意識により周の時代まで続いた。時代が進み春秋戦国時代の頃になると、古代の邑に由来する同姓婚に対しての危機意識はほとんど無くなり、同時に姓の存在感も低下して本来の意味での姓は消滅した。

「氏」は伝説によると黄帝の時代を起源とするが、明確な記録は周王朝の時代からである。周王によって諸侯に封じられた者の子孫はその封地名を氏とし、官職を与えられた者の子孫はそれに因んだ氏を興した。諸侯から領地または官職を与えられた者達の子孫も同様にして氏を持った。現代中国に存在する氏の大半は、西周から東周の時代にかけて誕生したと考えられている。

姓氏の変遷

中国史上に登場した姓氏は1万2000に上り、そのうち単姓は5000余り、二字姓は4000余り、三字以上の姓は2000余りである。

現在使われている姓氏は4700余りであり、そのほとんどが単姓であり、二字姓は100余り、三字以上は極稀である。そのうち、上位の100姓で全人口の60%以上を占める。漢民族は平均すると32万人で一つの姓を共有していることになる。

中国の姓氏は、時代と共に一定の規則に従って変わっていった。

  1. 音節上、複音の姓氏は単音に変わっていった。
  2. 用字上、俗な字は美字に変わっていった。
  3. 字形上、複雑な字は簡単な字に変わっていった。

ローマ字表記

19世紀以降、貿易、留学、移民が増えたため、中国の姓をアルファベットで表す必要が出てきた。ところが同じ字でも方言によって発音がまちまちだったので、同じ姓に幾通りもの表記が生まれた。つまり、香港広東語、その他地域は標準中国語の発音を基に表記された。シンガポールマレーシアはこれら双方とも異なっていた。また韓国や日本でも違う表記となった。そのため、移民の姓は今でもその移民の出身地の発音を基に表記されている。一般的な中国姓の表記 (英語版) も参照。

姓氏と階級

元来、姓氏に貴賎の区別はなく、諸侯とその親族にのみ姓があり、土地を与えられた一族にのみ氏があり、庶民には姓氏共に無かった。しかし、その後、氏にランクが生じた時代がある。

後漢の頃、朝廷は儒教経学)の素養で士分を取り立て、取り立てられた者はその経学を代々伝えていって官職を得たため、おのずと名門と呼ばれる家ができていった。とりわけ汝南袁氏は四代にわたって最高職の三公となる人物を輩出した。

魏晋南北朝時代には、官吏の採用に九品官人法が採用された。この制度は元来、豪族の力関係で官吏が決まっていた状況を、現官吏の推挙により能力がある者を登用する制度であったが、すぐに特定の一族だけで官職を独占することとなり、名家と呼ばれる氏族集団を生み出すことになった。例えば王導を始めとする琅邪王氏謝安を始めとする陳郡謝氏中国語版などである。

その後も、この当時ほどの厳格さは無くなったものの、姓の階層は意識し続けられ、近代になってようやく無くなることとなった。現在では姓の階層は全く無くなり、姓を並べる順番にもピンイン(発音)等が用いられる。例えば香港特別行政区立法会では、議員の名を筆画順とするよう定められている。

少数民族の姓氏

漢民族の姓氏は、周辺民族の姓氏と互いに影響を受けた。通常、周辺民族が中原(中国中心部)に進入すると、漢文化の影響を受けて漢字の姓氏を称するようになった。その多くは音訳であるため、大抵は三字以上が使われた。例えば北魏拓跋氏愛新覚羅氏などである。

もっとも、しばらくすると、簡単のため、あるいは政治的理由により多くは単姓に変わった。例えば北魏は孝文帝の時に漢化政策を取り、拓跋氏を改めて元姓となった。また、清朝滅亡後、愛新覚羅氏は金姓に変えた。満州民族も参照。

ただし、今でも二字以上の姓がある。例えば長孫尉遅などである。一方、少数民族が漢化して新たに姓を作ることもあり、例えばタイ族が刀姓を作った例がある。

三字以上の複姓

  • 三字姓(甘木魯、密赤思、乙那婁など)
  • 四字姓(愛新覚羅など)
  • 五字姓(苫滅古麻里など)
  • 六字姓(主児赤臺烏祐など)
  • 七字姓(卜領勒多礼伯臺、ふうりんしゅとぅおりぽたい)[1]

中国の姓の分類

中国の姓の由来はさまざまなものが絡み合っているため、非常に複雑である。大まかには、次のように分けられる。

  • 出身地、居住地、封国、封地:)、)、)、)、)、、蔡、)、)。
  • 祖先の名、廟号諡号)、)。
  • 祖先の爵位、官職:上官公孫公孙)、司空司馬司马)、司徒
  • 職業、技能:など。
  • 動物:)、羊、魚()など。
  • 植物:楊()、など。
  • 順序:伯、など。(共に1番目を意味する)
  • 帝王からの賜姓:)、、李、趙()など。
  • 少数民族の漢化:)、、譚()など。
  • 避諱や音便変化:求、(孔子の名「」を避諱)、諸葛诸葛)。

中国の姓の統計

2007年4月24日中華人民共和国公安部治安管理局が発表した統計[2]によると、中国で最も多い姓は「王」であり、9288.1万人、全人口の7.25%である。2位は「李」で9207.4万人、7.19%。3位は「張」で8750.2万人、6.83%。最少の姓は「」である。

上位10位の姓の人はそれぞれ2000万人以上いる。上位22位の姓の人はそれぞれ1000万人以上いる。

上記の統計による上位100位の姓は、

1-10
11-20
21-30
31-40
41-50
51-60
61-70
71-80
81-90
99-100

である。これで人口の84.77%を占める。

なお、この統計では「蕭」と「肖」、「傅」と「付」、「閻」と「閆」を同一の姓として扱っている。漢字の扱いについて、詳細はそれぞれの姓を参照。

実際には、地域ごとに多い姓は大きく異なる。たとえば、広西チワン族自治区では「黄・李・韋・陳・梁」の順であった[3]

2016年6月30日中華民国内政部による統計によると、中華民国の上位20位の姓は以下の順である[4]

順位 人数 順位 人数 順位 人数 順位 人数
1 2,619,560 6 965,500 11 546,901 16 342,819
2 1,953,760 7 949,564 12 442,563 17 337,718
3 1,421,439 8 741,771 13 413,844 18 315,461
4 1,239,653 9 684,431 14 352,602 19 310,160
5 1,206,119 10 624,646 15 351,385 20 296,123

本節の参考文献

ベトナム

ベトナムの主要民族であるキン族などの漢字文化民族の姓は全て漢姓である。古代等において、漢姓以外の固有の姓を持っていたかどうかを確認できる史料は存在しない。ベトナムの姓名は姓+ミドルネーム+名の3部分(多くは漢字でいえば3文字)構成になっている事が多い。

名に関しては、農村部を中心に字音によらない固有語の名の例が前近代から見られる。ただし前近代では諱ではない通称に限られ、現在でも女性名に多い。

ベトナムにおける上位14位の姓は以下の通りである。この14姓でベトナム全国の人口の90%位を占めている[5]

クォック・グー チュニョ ベトナム語読み 割合(2005年)
Nguyễn グエン 38.4%
Trần チャン 12.1%
9.5%
Phạm ファム 7%
Hoàng/Huỳnh ホアン/フイン 5.1%
Phan ファン 4.5%
Vũ/Võ /(禹の場合はVũだけ) ヴー/ヴォー 3.9%
Đặng ダン 2.1%
Bùi ブイ 2%
Đỗ ドー 1.4%
Hồ ホー 1.3%
Ngô 1.3%
Dương /陽/羊 ズオン 1%
0.5%

朝鮮

朝鮮では漢姓ではない固有語による名の記録があり、古代日本の記録でも、当時渡来してきた百済人の名前は、明らかに漢風ではない事が確認できる。しかし、遅くとも7世紀までには固有語の命名法が消え、漢姓漢名が採用された。

日本

日本においては漢風の姓名はごく一部の例外を除いて見られないが、奈良時代以降旧来の氏名(ウヂナ)を佳字に変える動きが見られ、名も伝統的な動植物名に基づくものから、漢風の二文字名を用いる「名乗り(諱)」と、より和語的な「通称」に分化している。

例:土師氏菅原氏大江氏
  兎、入鹿、魚名 等→和麿、安麿、基経

中国、朝鮮と異なり、「名乗り(諱)」に世代の同一性を示す輩行字が使われることは少なく、むしろ氏ごとに世代を超えて決まった字を継承することが多い。また、武家においては主君の「名乗り」から一字を賜って改名する風習もあった。一方、字音で読む姓は少数であるが、唐風文化が盛んであった奈良時代から平安時代初期においては、藤原氏を藤氏、菅原氏を菅氏というように氏を漢字一文字とし、字音で読むことが行われていた。

また、琉球処分以前の琉球では、士族は漢風の姓名(「唐名(からなー)」と呼ばれ、現在でも姓のみは「氏」として門中の呼称となっている)と、領地の名(采地名)を「名乗り」(やはり音読みで読む漢風の命名二字で、はじめの一字は「氏」ごとに世代を超えて継承される共通の字を使う。これを「名乗頭(なのりがしら)」という)に冠した「大和名(やまとぅなー)」の双方をもっていた。まれに唐名を持たない士族もあり、この場合は中国に対して「氏+大和名」を用いた。日本の戸籍制度の適用以降、姓には尚家を除き「大和名」の采地名が採用され、これが「家名」となった(沖縄県の名字を参照)。

江戸時代に、儒者が著書などに署名する際に、本姓を省略して漢姓のようにするケースがみられる。荻生徂徠が本姓の物部を略して「物徂徠」と名乗ったのが有名である。

現代における呼びかけ方

  • 「~さん」にあたる中国語は「先生」(男性)、「小姐」(若い女性)、「女士」または「太太」(既婚女性)で、これを姓(名)の後に付ける。親しくなったら姓の前に「小」(同い年か年下)や「老」(年上)をつけて呼ぶ。ただし、「欧陽」などの複姓には「小」「老」を付けず、呼び捨てにする。一字姓の場合、呼び捨てにできない。呼び捨てにしたい場合は、姓と名を併せて呼ぶ。
  • 中国の漢民族の姓は約 1000 ~ 2000 種(台湾シンガポールは約 400 種と言われる)で、人口の割には非常に少ない。そのため、上記の「小(老)+姓」ではとても間に合わないため、最近は名で呼ぶことが多い。
  • 漢民族で名が一字の場合、それだけで呼んでいいのはよほど親しい場合(恋人、家族、親友)に限られ、普通は愛称の「小」(北方方言の場合)「阿」(南方方言の場合)を前に付けるか、2回繰り返しで呼ぶ(たとえばチェン・ミンなら「ミンミン」)か、フルネームで呼ぶ。むしろ家族でさえも一字だけでは落ち着かないため二字にして呼ぶくらいである。ただし、香港やシンガポールでは一字で呼ぶことが許される範囲が比較的広い。
  • 中国では改革開放以前は、中国人同士で「先生」「小姐」「女士」ではなく「同志」をつけて呼ぶのが一般的であったが、現在は相手が政府役人や中国共産党関係者でなければ嫌がられる。また、「小姐」も風俗嬢を指すようになったため、近年嫌がられる傾向がある。
  • 北朝鮮では「トンジ、동지(同志)」(目上の人に対して)のほか、同等または下位階級の者に対しては「トンム、동무(同務)[6]」という敬称をつける。
  • 韓国では年の近い相手にはフルネームまたは名に「氏」をつけて呼ぶのが一般的である。「金氏」のように「姓+氏」というのも新聞などでは用いられるが、これで相手を呼ぶのは失礼である。ただし、外国人に対しては「姓+氏」で呼んでもよい。ある程度年上の相手に対して、または姓だけで呼びたい場合は「姓+ソンセンニム(朝鮮語: 선생님漢字で「先生」に"様"を表す敬称をつけたもの」で呼ぶ。若者の間では、「JJ」のようにイニシャルで呼び合うこともある
  • 中国では兄姉に対して呼び捨てにすることもよくあるが、朝鮮半島では、兄姉に対しての呼び捨ては受け入れられない。一方、中国で特に2人兄弟の場合、弟、妹に対して「弟弟」、「妹妹」と呼ぶこともある。
  • ベトナムでは、呼びかけの際には名に個人の特徴を付加したニックネーム(「色白のフェン」など)で呼ばれる。姓+敬称で呼ぶのは、建国の父ホー・チ・ミン(胡志明)を「ホーおじさん(胡翁)」と呼ぶなどのきわめて例外的な高い敬意を表すときに限られる。
  • 漢姓漢名の社会では結婚後も出身一族の姓を持つため、夫婦別姓である。既婚女性は英語では姓の前に Mrs. ではなく Madame を付けて呼ばれることを好む。

注釈、引用

  1. ^ 「中国姓氏考」(王泉根、1988年・広西人民出版社)
  2. ^ 公安部統計分析顕示:王姓成為我国第一大姓
  3. ^ 新百家姓排名出炉 黄、李、韋、陳、梁為広西五大姓”. 中国新聞網 広西 (2013年4月17日). 2015年12月2日閲覧。
  4. ^ 内政部戸政司全球資訊網人口資料庫”. 2017年2月25日閲覧。うち人口調查報告 > C全国姓名統計分析 > 02全国姓名統計分析重点摘要 p.49.
  5. ^ Lê Trung Hoa (2005). Họ và tên người Việt Nam. Hà Nội, Việt Nam: NXB Khoa học Xã hội (Social Sciences Publishing House) 
  6. ^ 友達のことを親しく呼ぶ朝鮮語の固有語で朝鮮分断以前では普通に使われていたが、北朝鮮側がこれをロシア語のТоварищの訳語として使い始め、社会主義色の強いニュアンスを帯びてしまったため、韓国では次第に使われなくなった。漢字の同務は当て字。

関連項目

外部リンク