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「范陽邁1世」の版間の差分

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== 生涯 ==
== 生涯 ==
『[[梁書]]』『[[南史]]』では[[范農]]の子、『[[水経注]]』が引く『江東旧事』では[[范胡達|バドラヴァルマン1世]]の子とする。范陽邁が母の胎内にいた頃、母は夢にある人が陽邁金(最上の金)でできた席を用意していたのを見た。母が子供と共にその席に落ちたところ、まばゆい金色の光が溢れ出したことから、産まれた子に「陽邁」と名づけたという。
『[[梁書]]』『[[南史]]』では[[范農]]の子、『[[水経注]]』が引く『江東旧事』では[[范胡達|バドラヴァルマン1世]]の子とする。范陽邁が母の胎内にいた頃、母は夢にある人が陽邁金(最上の金)でできた席を用意していたのを見た。母が子供と共にその席に落ちたところ、まばゆい金色の光が溢れ出したことから、産まれた子に「陽邁」と名づけたという。


[[420年]]に即位。翌[[421年]]に[[南北朝時代 (中国)|南朝]][[宋 (南朝)|宋]]に遣使し、[[劉裕|武帝]]から林邑王に封じられた。よく民心を掴み、自らが見た夢で国の吉兆を占ったという。
[[420年]]に即位。翌[[421年]]に[[南北朝時代 (中国)|南朝]][[宋 (南朝)|宋]]に遣使し、[[劉裕|武帝]]から林邑王に封じられた。よく民心を掴み、自らが見た夢で国の吉兆を占ったという。

2018年4月23日 (月) 04:24時点における版

范陽邁1世
第3王朝
初代国王
王朝 第3王朝
在位期間 420年 - 421年?
生年 不詳
没年 421年?

范陽邁1世(はんようまい1せい、ベトナム語: Phạm Dương Mại I, 生年不詳 - 421年?)は、チャンパ王国林邑国中国語版)第3王朝の初代国王(在位:420年 - 421年?)。

生涯

梁書』『南史』では范甄農の子、『水経注』が引く『江東旧事』ではバドラヴァルマン1世の子とする。范陽邁が母の胎内にいた頃、母は夢にある人が陽邁金(最上の金)でできた席を用意していたのを見た。母が子供と共にその席に落ちたところ、まばゆい金色の光が溢れ出したことから、産まれた子に「陽邁」と名づけたという。

420年に即位。翌421年南朝に遣使し、武帝から林邑王に封じられた。よく民心を掴み、自らが見た夢で国の吉兆を占ったという。

参考資料

  • George Cœdès (May 1, 1968). The Indianized States of South-East Asia. University of Hawaii Press. ISBN 978-0824803681 
  • 宋書』巻九十七 列伝第五十七 夷蛮
  • 南斉書』巻五十八 列伝第三十九 林邑国
  • 梁書』巻五十四 列伝第四十八 林邑国
  • 南史』巻七十八 列伝第六十八 林邑国
  • 水経注』巻三十六 鬱水
先代
ガンガーラージャヴァルマン2世
チャンパ王
第3王朝初代:
420年 - 421年?
次代
范陽邁2世