「琉球の位階」の版間の差分
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琉球王国の位階(りゅうきゅうおうこくのいかい)は、1509年、第二尚氏王統の第三代・尚真王の時代に制定された。九品十八階の等級からなり、身につける冠(ハチマチ)と簪(かんざし)の違いによって、等級が区別された。
位階制度表
身分 | 称号 | 品位 | 位階 | 久米村位階 | 簪(かんざし) | 冠 | |||||
王族 | 大 名 |
王子 | 無品 | 王子 | 金簪 | 赤地金入 五色浮織冠 |
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按司 | 按司 | 赤地五色浮織冠 黄地五色浮織冠 |
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上級 士族 |
親方 | 正一品 | 紫地浮織三司官 | 紫地五色浮織冠 青地五色浮織冠 |
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従一品 | 三司官 | 紫冠 | |||||||||
正二品 | 三司官座敷 | 三司官座敷 | |||||||||
従二品 | 紫官 | 紫金大夫 | 花金 茎銀簪 |
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士 | 親 雲 |
親雲上 (総地頭) |
正三品 | 申口 | 銀簪 | 黄冠 | |||||
従三品 | 申口座 | 申口座 | |||||||||
正四品 | 吟味役 那覇里主 |
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従四品 | 座敷 | 座敷 | |||||||||
一般 士族 |
正五品 | 下庫理当 | |||||||||
従五品 | 当座敷 | 当座敷 | |||||||||
正六品 | 下庫理勢頭 | ||||||||||
従六品 | 勢頭座敷 | 勢頭座敷 | |||||||||
正七品 | 里之子親雲上 | 里之子親雲上 | |||||||||
従七品 | 筑登之親雲上 | 筑登之親雲上 通事親雲上 |
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里之子 | 正八品 | 下庫理里之子 | 赤冠 | ||||||||
従八品 | 若里之子 | 若里之子 通事 |
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筑登之 | 正九品 | 下庫理筑登之 | |||||||||
従九品 | 筑登之座敷 | 筑登之座敷 通事 |
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子 | 無位 | 子 | 秀才 | 品外 | 青冠 緑冠 |
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仁屋 | 仁屋 | 銅簪 | |||||||||
若秀才 | |||||||||||
平民 | 町百姓(町民)、田舎百姓(農民)、筆算人(役人) |
概要
王族
国王の親族で、九品十八階のさらに上位に位置し、最高品位の無品とされた。王子や按司は国王の親族のため、公平性を期すために、国政に直接携わる要職などにはつかず、儀典関係の閑職につくことが多かった。王子、按司は一間切(今日の市町村)を領地として与えられ、それぞれ、王子地頭、按司地頭と呼ばれた。一般にはこの二つを一括して、按司地頭と呼ぶ。王子、按司は、領地とする間切名から、宜野湾王子、本部按司などと呼ばれた。
- 王子(オージ)
- 国王の子の称号。世子(世継ぎ)は、特に中城(ナカグスク)王子と呼ばれた。一代限りで、王子の子は按司になった。他に、功績のある按司は、破格の恩典として王子位を賜ることもあった。この場合は、従王子と呼ばれた。羽地朝秀(1666年 - 1673年、尚質王の摂政)などがその例である。赤地金入五色浮織冠を戴き、金かんざしを差した。
- 按司(アジ)
- 王族のうち、王子に次ぐ位階で王子や按司の長男がなった。王家の分家であり、日本の宮家に相当する。按司は、大功があれば王子位に昇格することもあったが、少なければ士(サムレー)に降格された。赤地五色浮織冠か黄地五色浮織冠を戴き、金かんざしを差した。
上級士族
正一品から従四品までの士族は上級士族に相当する。士族のエリートで国政の要職を司った。親方は原則として一間切を領地として賜り、総地頭と呼ばれた。親雲上(ペークミー)は、間切内の一村を領地として賜り、脇地頭と呼ばれた。親方、親雲上(ペークミー)も、原則として領地名から、それぞれ浦添親方、知花親雲上などと呼ばれることが多かったが、そうでない場合もあった。
- 親方(ウェーカタ)
- 士族の最高位で、国政の要職についた。親方位は世襲ではなく、功績のある士族が昇格して賜るものであったので、親方の子が親方になるとは限らなかった。王族が儀典関係の閑職につくのに対して、親方は政治の実務を担当し、投票で選ばれれば三司官(首相)に就くこともあった。紫冠を戴き、花金茎銀かんざしを差した。正二品以上に昇ると、金かんざしを差した。親方の邸宅は殿内(トゥンチ)と呼ばれた。王子から親方までは、それぞれ一間切の領主であったので、琉球では大名(デーミョー)と呼ばれた。
- 親雲上(ペークミー)
- 琉球の士族は、一般に親雲上(ペーチン)と呼ばれたが、その中でも上級士族は、特に親雲上(ペークミー)と発音して区別された。親雲上(ペークミー)も世襲ではなく、努力次第でなることができた。さらに功績を積めば、親方位に昇格した。黄冠を戴き、銀かんざしを差した。
一般士族
正五品以下の士族は一般士族に相当する。五品、六品に昇るのにも大変な努力が必要であったが、さらに四品以上の上級士族に昇格するのは、困難を極めた。
一般士族には、里之子家(里之子筋目)と筑登之家(筑登之筋目)という二つの家格があった。里之子家は中級士族、筑登之家は下級士族に相当する。里之子家では、子 → 里之子 → 里之子親雲上 → 親雲上と出世していくのに対して、筑登之家では子 → 筑登之 → 筑登之親雲上 → 親雲上と出世していった。初位はいずれも子である。
里之子と筑登之の家格は固定したものではなく、筑登之出身であっても功績を積めば親方位まで昇ることができた。その場合、里之子家に昇格した。また里之子家も功績がなければ、筑登之家へと降格した。譜代とは古くからの士族の家柄、新参とは新たに士族になった家柄のことを言う。
- 里之子親雲上(サトゥヌシペーチン)
- 里之子家の者が正七品に昇格すると、里之子親雲上の称号を賜った。黄冠を戴き、銀かんざしを差した。地頭職に任じられると、親雲上の称号を賜った。
- 筑登之親雲上(チクドゥンペーチン)
- 筑登之家の者が従七品に昇格すると、筑登之親雲上の称号を賜った。黄冠を戴き、銀かんざしを差した。地頭職に任じられると、親雲上の称号を賜った。
- 里之子(サトゥヌシ)
- 里之子家の者が八品に昇格すると、里之子の称号を賜った。赤冠を戴き、銀かんざしを差した。
- 筑登之(チクドゥン)
- 筑登之家の者が九品に昇格すると、筑登之の称号を賜った。赤冠を戴き、銀かんざしを差した。
- 子(シー)
- 譜代の子弟で、無位の者を子と称した。元服すると赤冠を戴き、銀かんざしを差した。
- 仁屋(ニヤ)
- 新参士族の子弟で、無位の者を仁屋と称した。銅かんざしを差した。元服すると緑冠を戴いた。上級平民(村役人など)の子弟で無位の者も同じく仁屋と称した。
平民
- 百姓(ヒャクショウ)
- 琉球では、平民一般を百姓と呼んだ。町民は町百姓、農民は田舎百姓というふうに呼ばれた。田舎百姓のうち、村役人に取り立てられた者は筆算人と呼ばれた。