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伴國道(とものくにみち、神護景雲2年(768年) - 天長5年(828年))は平安時代前期の貴族。大伴継人の子。伴善男の父。
785年、父継人が藤原種継暗殺事件に関与したため、連座して佐渡国に流される。国道が聡明ですぐれた人物であったため、佐渡国守は彼を優遇して師友と仰ぎ、行政を補佐してもらった。803年、恩赦令が出て京に帰る。
内官(在朝官人)と下官(地方官)で優れた業績を残し、従四位上・参議となった。
823年に淳和天皇の名が大伴であったので、それを避けて大伴氏から伴氏へ改姓した。
828年、陸奥按察使となり、陸奥国で死去。