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「ヴィエンチャン」の版間の差分

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'''ヴィエンチャン'''(Vientiane([[英語]]、[[フランス語]])、[[画像:Vientiane_lao.PNG]]([[ラオ語]])、<font lang="th">เวียงจันทน์</font>[[タイ語]]))は、[[ラオス]]の[[首都]]。
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! colspan="2" align=center bgcolor="#DEFFAD"|ヴィエンチャン市
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||面積||3,920km&sup2;
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||人口||692,900人 <small>''([[2004年]])''</small>
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||人口密度||176人/km&sup2;
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||[[ISO]] 3166-2||LA-VT
|-
!colspan="2" align=center bgcolor="#DEFFAD"|地図
|-
|colspan="2" align=center|[[画像:ラオス地図上のヴィエンチャン市.PNG]]
|}
'''ヴィエンチャン'''(Vientiane([[英語]]、[[フランス語]])、[[画像:Vientiane_lao.PNG]]([[ラオ語]])、<font lang="th">เวียงจันทน์</font>[[タイ語]]))は、[[ラオス]]の[[首都]]。[[画像:ビエンチャン市内.jpg|thumb|left|200px|ヴィエンチャン市]]ヴィエンチャンと書くが、[[ラオス語]]の[[ローマ字]]における「V」は[[日本語]]におけるワ行であるため、'''ウィエンチャン'''と書くのがより現地の発音に近い。ヴィエンチャンの正式名称はヴィエンチャン特別市である。


ヴィエンチャンは[[ヴィエンチャン市]]のうち、首都機能を持つ、チャンタブリー郡、シーコッタボーン郡、サイセーター郡、シーサッタナーク郡、ハートサーイフォン郡をさして言う。
''[[ヴィエンチャン県]]についてはそちらを参のこと''

[[画像:ビエンチャン市内.jpg|thumb|right|200px|ヴィエンチャン市]]ヴィエンチャンと書くが、[[ラオス語]]の[[ローマ字]]における「V」は[[日本語]]におけるワ行であるため、'''ウィエンチャン'''と書くのがより現地の発音に近い。ヴィエンチャンの正式名称はヴィエンチャン市である。

*[[ヴィエンチャン市]]、[[ヴィエンチャン県]]についてはそちらを参のこと。


== 概要 ==
== 概要 ==
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[[メコン川]]をはさんで[[タイ王国|タイ]]の[[ノーンカーイ]]県の国境に面していて、ビエンチャン特別市の郊外から対岸のタイ領へ行く船が出ており、ビエンチャン特別市の住民はビザ無しでノーンカーイまで行くことが[[国際協定]]によって許されている。
[[メコン川]]をはさんで[[タイ王国|タイ]]の[[ノーンカーイ]]県の国境に面していて、ビエンチャン特別市の郊外から対岸のタイ領へ行く船が出ており、ビエンチャン特別市の住民はビザ無しでノーンカーイまで行くことが[[国際協定]]によって許されている。

[[de:Vientiane]]
[[de:Vientiane]]
[[en:Vientiane]]
[[en:Vientiane]]

2004年8月30日 (月) 15:24時点における版

ヴィエンチャン(Vientiane(英語フランス語)、ファイル:Vientiane lao.PNGラオ語)、เวียงจันทน์タイ語))は、ラオス首都

ヴィエンチャンはヴィエンチャン市のうち、首都機能を持つ、チャンタブリー郡、シーコッタボーン郡、サイセーター郡、シーサッタナーク郡、ハートサーイフォン郡をさして言う。

ヴィエンチャン市

ヴィエンチャンと書くが、ラオス語ローマ字における「V」は日本語におけるワ行であるため、ウィエンチャンと書くのがより現地の発音に近い。ヴィエンチャンの正式名称はヴィエンチャン市である。

概要

セーターティラート王(King Setthathirath)が1560年にヴィエンチャンをラーンサーン王国の首都として定めた。1707年、ラーンサーン王国が分裂した際、ヴィエンチャン王国の首都とされた。1779年チャクリー王国(現在のタイ)のチャオプラヤー・チャックリー将軍(チュラーローク王=のちチャックリー王朝ラーマ1世)に征服され、チャクリー王国の領土となる。

1827年アヌ王(King Anouvong)がクーデターに失敗した際、シャム軍に滅ぼされる。1893年、ラオスがフランス保護国(Protectorate)となり、1899年に再びラオスの首都とされた。

後の1989年にはヴィエンチャン県から分離し、ヴィエンチャン市が成立した。

メコン川をはさんでタイノーンカーイ県の国境に面していて、ビエンチャン特別市の郊外から対岸のタイ領へ行く船が出ており、ビエンチャン特別市の住民はビザ無しでノーンカーイまで行くことが国際協定によって許されている。