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'''ヴァン・クライバーン'''(Van Cliburn、[[1934年]][[7月12日]] - [[2013年]][[2月27日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[ピアニスト]]である
'''ヴァン・クライバーン'''(''Van Cliburn''、[[1934年]][[7月12日]] - [[2013年]][[2月27日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[クラシック音楽]]の[[ピアニスト]]。


== 人物・来歴 ==
== 歴 ==
[[アメリカ合衆国]][[ルイジアナ州]]生まれで、本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニア(Harvey Lavan Cliburn Jr.)。
[[アメリカ合衆国]][[ルイジアナ州]]生まれで、本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニア(Harvey Lavan Cliburn Jr.<ref>{{Cite web |url =https://www.geni.com/people/Van-Cliburn/6000000015791045912 |title =Harvey Lavan Cliburn, Jr. |publisher =www.geni.com |date = |accessdate =2018-12-17 }}</ref>。6歳でテキサス州に家族とともに引っ越した。12歳で州のコンクールに優勝して[[ヒューストン交響楽団]]と共演した。[[ロジーナ・レヴィーン]]に師事


6歳でテキサス州に家族とともに引っ越した。12歳で州のコンクールに優勝して[[ヒューストン交響楽団]]と共演した。[[ロジーナ・レヴィーン]]に師事した後、[[1958年]]、23歳で世界的に権威のある第1回[[チャイコフスキー国際コンクール]]で優勝。このコンクールは1957年10月の[[スプートニク1号]]打ち上げによる科学技術での勝利に続く芸術面でのソビエトの優越性を誇るために企画された。クライバーンのチャイコフスキー協奏曲第1番とラフマニノフ協奏曲第3番の演奏後はスタンディングオベーションが8分間も続いた。審査員一同は審査終了後、[[ニキータ・フルシチョフ]]に向かって、アメリカ人に優勝させてもよいか、慎重に聞いた。フルシチョフは「彼が一番なのか?」と確認、「それならば賞を与えよ」と答えた。冷戦下のソ連のイベントに赴き優勝したことにより、一躍アメリカの国民的英雄となる。このコンクールに審査員として参加していた[[スヴャトスラフ・リヒテル]]は、クライバーンに満点の25点を、他の者すべてに0点<ref>この操作がなかった場合、クライバーンが優勝だったのかどうかは疑問視されているが、クライバーンの演奏が聴衆に大いに受けているのは録音で確認できる。</ref>をつけた。凱旋公演では、コンクール本選で指揮を担当した[[キリル・コンドラシン]]を帯同させている<ref>[[キリル・コンドラシン]]の国外デビューである。</ref>。この優勝を祝して[[ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール]]が[[1962年]]より開催されている。[[1966年]]には初来日も果たした。
[[1958年]]、23歳で世界的に権威のある第1回[[チャイコフスキー国際コンクール]]で優勝。このコンクールは1957年10月の[[スプートニク1号]]打ち上げによる科学技術での勝利に続く芸術面でのソビエトの優越性を誇るために企画された。クライバーンのチャイコフスキー協奏曲第1番とラフマニノフ協奏曲第3番の演奏後はスタンディングオベーションが8分間も続いた。審査員一同は審査終了後、[[ニキータ・フルシチョフ]]に向かって、アメリカ人に優勝させてもよいか、慎重に聞いた。フルシチョフは「彼が一番なのか?」と確認、「それならば賞を与えよ」と答えた。冷戦下のソ連のイベントに赴き優勝したことにより、一躍アメリカの国民的英雄となる。このコンクールに審査員として参加していた[[スヴャトスラフ・リヒテル]]は、クライバーンに満点の25点を、他の者すべてに0点をつけた。凱旋公演では、コンクール本選で指揮を担当した[[キリル・コンドラシン]]を帯同させている<ref>[[キリル・コンドラシン]]の国外デビューである。</ref>。この優勝を祝して[[ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール]]が[[1962年]]より開催されている。[[1966年]]には初来日も果たした。


クライバーンの『[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]:[[ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)|ピアノ協奏曲第1番]]』(コンドラシン指揮RCA交響楽団)(1958は、[[ビルボード]]のポップアルバムチャートで1位(7週連続を獲得した唯一のクラシック作品である(2007年現在)。[[キャッシュボックス]]のポップアルバムチャートでも最高2位を記録。続く『[[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]]:[[ピアノ協奏曲第3番 (ラフマニノフ)|ピアノ協奏曲第3番]]』(コンドラシン指揮[[シンフォニー・オブ・ジ・エア]])もビルボードのポップアルバムチャートで最高10位を獲得している。その後、[[フリッツ・ライナー]]指揮[[シカゴ交響楽団]]との共演で、ラフマニノフの[[ピアノ協奏曲第2番 (ラフマニノフ)|ピアノ協奏曲第2番]]、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[ピアノ協奏曲第4番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第4番]]と[[ピアノ協奏曲第5番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第5番「皇帝」]]、[[ワルター・ヘンドル]]指揮[[シカゴ交響楽団]]との共演で[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]の[[ピアノ協奏曲第3番 (プロコフィエフ)|ピアノ協奏曲第3番]]なども録音した。
クライバーン演奏コンドラシン指揮RCA交響楽団『[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]:[[ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)|ピアノ協奏曲第1番]]』(1958)は、[[ビルボード]]のポップアルバムチャートで7週連続1位を獲得した唯一の[[クラシック音楽]]作品である。[[キャッシュボックス]]のポップアルバムチャートでも最高2位を記録。続くコンドラシン指揮[[シンフォニー・オブ・ジ・エア]]共演『[[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]]:[[ピアノ協奏曲第3番 (ラフマニノフ)|ピアノ協奏曲第3番]]』もビルボードのポップアルバムチャートで最高10位を獲得した。


その後、クライバーンは健康上の理由で長期間のブランクに入り、1980年代には公の場で演奏する機会をほとんど失ってしまうが、1990にカムバックした。
その後、クライバーンは健康上の理由で長期間のブランクに入り、1980年代には公の場で演奏する機会をほとんど失ってしまうが、[[1991]]にカムバックして再度来日も果した。しかしピアニストの[[中村紘子]]は「その演奏はもはや正面きってどうのこうの、といえるような対象ではありませんでした。」と論じつつ、「彼が芸術家として成熟することなく終わってしまったのは、結局アメリカのこの豊かさ、楽しい生活に問題があったのではないか、と考えたものです」と述べている<ref>NHK『人間講座』[[2003年]][[4月]] - [[5月]]期「国際コンクールの光と影」63ページ</ref>


[[2003年]]に[[大統領自由勲章]][[2004年]]に[[親善勲章]]([[ロシア]])を受章している。2013年に骨癌で死去。
[[2013年]]に[[]][[]]で死去。


==受賞歴==
1990年代に、ピアニストの[[中村紘子]]は「その演奏はもはや正面きってどうのこうの、といえるような対象ではありませんでした。<ref>その影響でクライバーン国際の入賞者が日本をツアーから外す傾向が一時みられたが、現在は元に戻っている。</ref>」と論じつつ、「彼が芸術家として成熟することなく終わってしまったのは、結局アメリカのこの豊かさ、楽しい生活に問題があったのではないか、と考えたものです」と述べている<ref>NHK『人間講座』2003年4月 - 5月期「国際コンクールの光と影」63ページ</ref>。
*[[1958年]] - 第1回[[チャイコフスキー国際コンクール]][[ピアノ]]部門第1位([[ソビエト連邦]])
*[[2001年]] - [[ケネディ・センター名誉賞]]([[アメリカ合衆国]])
*[[2003年]] - [[大統領自由勲章]]([[アメリカ合衆国]])
*[[2004年]] - [[親善勲章]]([[ロシア連邦]])


==ディスコグラフィー選==
== クライバーンが書かれている本 ==
===協奏曲===
[[中村紘子]]著チャイコフスキー・コンクール」に、一介の「田舎のピアニスト」だった彼が、チャイコフスキーコンクールの第一位になり、文字通りの「アメリカン・ドリーム」を実現するまでと、その後の停滞と挫折までが、アメリカのクラシック事情と共に詳しく述べられている。
*Van Cliburn, Kyrill Kondraschin - Tchaikovsky's Concerto No. 1
*Van Cliburn, Fritz Reiner - Schumann's Concerto
*Van Cliburn, Walter Hendl - Prokofieff' Concerto No. 3 / MacDowell's Concerto No. 2
*Van Cliburn, Fritz Reiner - Rachmaninoff's Concerto No. 2
*Van Cliburn, Kyrill Kondraschin, Walter Hendl - Rachmaninoff's Concerto No. 3 / Prokofiev's Concerto No. 3
*Van Cliburn, Fritz Reiner - Brahms's Concerto No. 2
*Van Cliburn, Erich Leinsdorf - Brahms's Concerto No. 1
*Van Cliburn, Eugene Ormandy - Chopin's Concerto No.1
*Van Cliburn, Eugene Ormandy - Liszt's Concerto No. 2 / Rachmaninoff's Rhapsody On A Theme Of Paganini
*Van Cliburn, Fritz Reiner - Rachmaninoff's Concerto No. 2 / Beethoven's Concerto No. 5
*Van Cliburn, Fritz Reiner - Beethoven's Concertos No. 4 & 5
*Van Cliburn, Eugene Ormandy - Grieg's Concerto In A Minor / Liszt's Concerto No. 1 In E-Flat


===独奏===
== 出典・脚注 ==
*Van Cliburn - Rachmaninoff Sonata No.2 In B-Flat Minor (and Preludes)
<references />
*Van Cliburn - Chopin's Sonata In B-Flat Minor Op. 35, "Funeral March" / Sonata In B Minor, Op. 58
*Van Cliburn - Beethoven's "Les Adieux" Sonata / Mozart's Sonata In C, K. 330
*Van Cliburn, Two 20th-Century Masterpieces - Prokofieff's Sonata No. 6 / Barber's Sonata
*Van Cliburn - Beethoven's 3 Great Sonatas
*Van Cliburn - Van Cliburn Plays Liszt
*Van Cliburn - My Favorite Debussy
*Van Cliburn - My Favorite Chopin
*Van Cliburn - The World's Favorite Piano Music
*Van Cliburn - A Romantic Collection
*Van Cliburn - My Favorite Encores


== 外部リンク ==
== 参考文献 ==
*[[中村紘子]]著チャイコフスキー・コンクール<ref>一介の「田舎のピアニスト」だった彼が、チャイコフスキーコンクールの第一位になり、文字通りの「アメリカン・ドリーム」を実現するまでと、その後の停滞と挫折までが、アメリカのクラシック事情と共に詳しく述べられている。</ref>』 (新潮文庫)
* [http://www.cliburn.org/ Van Cliburn Foundation]
*[[中村紘子]]著 『コンクールでお会いしましょう―名演に飽きた時代の原点』 (中公文庫)
*[[中村紘子]]著 [[NHK人間講座]] 2003年-4・5月期 中村紘子 国際コンクールの光と影 (NHK出版)


==関連文献==
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*Moscow Nights: The Van Cliburn Story-How One Man and His Piano Transformed the Cold War ASIN: B019WVIZK4
*When the World Stopped to Listen: Van Cliburn's Cold War Triumph, and Its Aftermath ISBN-13: 978-0385352185


== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
* [http://www.cliburn.org/ Van Cliburn Foundation]
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[[Category:アメリカ合衆国のクラシック音楽のピアニスト]]
[[Category:アメリカ合衆国のクラシック音楽のピアニスト]]
[[Category:グラミー賞受賞者]]
[[Category:グラミー賞受賞者]]

2018年12月24日 (月) 16:40時点における版

Van Cliburn
基本情報
出生名 Harvey Lavan Cliburn, Jr.
別名 Van Cliburn
生誕 (1934-07-12) 1934年7月12日
ルイジアナ州シュリーブポート
死没

2013年2月27日(2013-02-27)(78歳没)


テキサス州フォートワース
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ
活動期間 1946–2013
レーベル RCAビクター

ヴァン・クライバーンVan Cliburn1934年7月12日 - 2013年2月27日)は、アメリカ合衆国クラシック音楽ピアニスト

略歴

アメリカ合衆国ルイジアナ州生まれで、本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニア(Harvey Lavan Cliburn Jr.[1])。6歳でテキサス州に家族とともに引っ越した。12歳で州のコンクールに優勝してヒューストン交響楽団と共演した。ロジーナ・レヴィーンに師事。

1958年、23歳で世界的に権威のある第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。このコンクールは1957年10月のスプートニク1号打ち上げによる科学技術での勝利に続く芸術面でのソビエトの優越性を誇るために企画された。クライバーンのチャイコフスキー協奏曲第1番とラフマニノフ協奏曲第3番の演奏後はスタンディングオベーションが8分間も続いた。審査員一同は審査終了後、ニキータ・フルシチョフに向かって、アメリカ人に優勝させてもよいか、慎重に聞いた。フルシチョフは「彼が一番なのか?」と確認、「それならば賞を与えよ」と答えた。冷戦下のソ連のイベントに赴き優勝したことにより、一躍アメリカの国民的英雄となる。このコンクールに審査員として参加していたスヴャトスラフ・リヒテルは、クライバーンに満点の25点を、他の者すべてに0点をつけた。凱旋公演では、コンクール本選で指揮を担当したキリル・コンドラシンを帯同させている[2]。この優勝を祝してヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール1962年より開催されている。1966年には初来日も果たした。

クライバーン演奏のコンドラシン指揮RCA交響楽団『チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番』(1958年)は、ビルボードのポップアルバムチャートで7週連続1位を獲得した唯一のクラシック音楽作品である。キャッシュボックスのポップアルバムチャートでも最高2位を記録。続くコンドラシン指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア共演『ラフマニノフピアノ協奏曲第3番』もビルボードのポップアルバムチャートで最高10位を獲得した。

その後、クライバーンは健康上の理由で長期間のブランクに入り、1980年代には公の場で演奏する機会をほとんど失ってしまうが、1991年にカムバックして再度来日も果たした。しかしピアニストの中村紘子は「その演奏はもはや正面きってどうのこうの、といえるような対象ではありませんでした。」と論じつつ、「彼が芸術家として成熟することなく終わってしまったのは、結局アメリカのこの豊かさ、楽しい生活に問題があったのではないか、と考えたものです」と述べている[3]

2013年で死去。

受賞歴

ディスコグラフィー選

協奏曲

  • Van Cliburn, Kyrill Kondraschin - Tchaikovsky's Concerto No. 1
  • Van Cliburn, Fritz Reiner - Schumann's Concerto
  • Van Cliburn, Walter Hendl - Prokofieff' Concerto No. 3 / MacDowell's Concerto No. 2
  • Van Cliburn, Fritz Reiner - Rachmaninoff's Concerto No. 2
  • Van Cliburn, Kyrill Kondraschin, Walter Hendl - Rachmaninoff's Concerto No. 3 / Prokofiev's Concerto No. 3
  • Van Cliburn, Fritz Reiner - Brahms's Concerto No. 2
  • Van Cliburn, Erich Leinsdorf - Brahms's Concerto No. 1
  • Van Cliburn, Eugene Ormandy - Chopin's Concerto No.1
  • Van Cliburn, Eugene Ormandy - Liszt's Concerto No. 2 / Rachmaninoff's Rhapsody On A Theme Of Paganini
  • Van Cliburn, Fritz Reiner - Rachmaninoff's Concerto No. 2 / Beethoven's Concerto No. 5
  • Van Cliburn, Fritz Reiner - Beethoven's Concertos No. 4 & 5
  • Van Cliburn, Eugene Ormandy - Grieg's Concerto In A Minor / Liszt's Concerto No. 1 In E-Flat

独奏

  • Van Cliburn - Rachmaninoff Sonata No.2 In B-Flat Minor (and Preludes)
  • Van Cliburn - Chopin's Sonata In B-Flat Minor Op. 35, "Funeral March" / Sonata In B Minor, Op. 58
  • Van Cliburn - Beethoven's "Les Adieux" Sonata / Mozart's Sonata In C, K. 330
  • Van Cliburn, Two 20th-Century Masterpieces - Prokofieff's Sonata No. 6 / Barber's Sonata
  • Van Cliburn - Beethoven's 3 Great Sonatas
  • Van Cliburn - Van Cliburn Plays Liszt
  • Van Cliburn - My Favorite Debussy
  • Van Cliburn - My Favorite Chopin
  • Van Cliburn - The World's Favorite Piano Music
  • Van Cliburn - A Romantic Collection
  • Van Cliburn - My Favorite Encores

参考文献

  • 中村紘子著『チャイコフスキー・コンクール[4]』 (新潮文庫)
  • 中村紘子著 『コンクールでお会いしましょう―名演に飽きた時代の原点』 (中公文庫)
  • 中村紘子NHK人間講座 2003年-4・5月期 中村紘子 国際コンクールの光と影 (NHK出版)

関連文献

  • Moscow Nights: The Van Cliburn Story-How One Man and His Piano Transformed the Cold War ASIN: B019WVIZK4
  • When the World Stopped to Listen: Van Cliburn's Cold War Triumph, and Its Aftermath ISBN-13: 978-0385352185

脚注

  1. ^ Harvey Lavan Cliburn, Jr.”. www.geni.com. 2018年12月17日閲覧。
  2. ^ キリル・コンドラシンの国外デビューである。
  3. ^ NHK『人間講座』2003年4月 - 5月期「国際コンクールの光と影」63ページ
  4. ^ 一介の「田舎のピアニスト」だった彼が、チャイコフスキーコンクールの第一位になり、文字通りの「アメリカン・ドリーム」を実現するまでと、その後の停滞と挫折までが、アメリカのクラシック事情と共に詳しく述べられている。

外部リンク