「黄金の夜明け団」の版間の差分
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'''黄金の夜明け団'''(おうごんのよあけだん、''{{lang|en|The Hermetic Order of the Golden Dawn}}'')は、[[19世紀]]末 |
'''黄金の夜明け団'''(おうごんのよあけだん、''{{lang|en|The Hermetic Order of the Golden Dawn}}'')は、[[19世紀]]末の[[イギリス]]で創設された[[神秘学|隠秘学]]結社である。'''黄金の暁会'''とも訳され、'''GD'''と略名される。現代西洋[[魔術]]の主なスタイルである[[ウイッカ]]、[[セレマ]]、[[テウルギア]]、[[スピリチュアル]]などの思想、教義、儀式、実践作法に影響を与えたとされる近現代で最も著名な西洋[[オカルト]]組織である。 |
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創設者の{{仮リンク| |
創設者の{{仮リンク|W・R・ウッドマン|en|William Robert Woodman}}、{{仮リンク|ウィリアム・W・ウェストコット|en|William Wynn Westcott}}、[[マグレガー・メイザース]]の三人は[[フリーメイソン]]であったが、それとは一線を画して団内の運営は男女平等に定められており、補職と待遇に性差による区別を付けなかった事が特筆されている。この団体は建前上三層構造とされ、第一層の「黄金の夜明け団」は一般団員用で基礎教義を学び、第二層の「ルビーの薔薇と黄金の十字架団」は幹部団員専用で高度な実践を行い、第三層は[[秘密の首領]]が在籍する霊的団体とされた。この三層の総称として'''黄金の夜明け団'''と呼ばれる。 |
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==誕生までの経緯== |
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==前史== |
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{{Main|{{仮リンク|暗号写本|en|Cipher Manuscripts}}}} |
{{Main|{{仮リンク|暗号写本|en|Cipher Manuscripts}}}} |
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[[File:Polygraphiae.jpg|thumb| |
[[File:Polygraphiae.jpg|thumb|160x160px|ポリグラフィア|代替文=]] |
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[[ファイル:Golden Dawns charter.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|設立許可証]] |
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「黄金の夜明け団」は[[薔薇十字団]]の影響から[[1865年]]頃に設立された[[フリーメイソン|メーソン]]系団体{{仮リンク|英国薔薇十字協会|en|Societas Rosicruciana in Anglia}}(SRIA)の会員が創設した団体である。[[1886年]][[2月]]、{{仮リンク|ウィリアム・ウィン・ウェストコット|en|William Wynn Westcott}}は、[[ヨハンネス・トリテミウス|トリテミウス]]の{{仮リンク|ポリグラフィア|en|Polygraphia (book)}}による[[換字式暗号|暗号]]で書かれていた黄金の夜明け団の{{仮リンク|暗号写本|en|Cipher Manuscripts}}と呼ばれる物を手にした。彼は同僚の[[マグレガー・メイザース]]と会長{{仮リンク|ウィリアム・ロバート・ウッドマン|en|William Robert Woodman}}に助けを頼み、[[1887年]][[9月]]、復号に成功し、それには[[ドイツ]]の{{仮リンク|アンナ・シュプレンゲル|en|Anna Sprengel}}の住所があり、送った書簡の返信に、[[秘密の首領]]から[[テンプル|聖堂]]の設立と、ウェストコット・メイザース・ウッドマンの三人に[[アデプト|アデプタス]]の許可があったとした。 |
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黄金の夜明け団の誕生は、英国[[フリーメイソン|フリーメーソン]]内の[[サロン|オカルト系サロン]]である{{仮リンク|英国薔薇十字協会|en|Societas Rosicruciana in Anglia}}の会員{{仮リンク|ウィリアム・ウィン・ウェストコット|en|William Wynn Westcott}}が、1886年2月に知人から「{{仮リンク|暗号写本|en|Cipher Manuscripts}}」と呼ばれる興味深い小冊子を受け取った事から始まる。ウェストコットはこの写本が、中世の学者[[ヨハンネス・トリテミウス|トリテミウス]]が著した書物{{仮リンク|ポリグラフィア|en|Polygraphia (book)}}にある[[換字式暗号|暗号法]]で書かれてる事を見抜き、友人の[[マグレガー・メイザース]]に協力を依頼して解読に取り掛かった。 |
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1887年9月に全ての復号化に成功したウェストコットは、文書の中にドイツ在住の{{仮リンク|アンナ・シュプレンゲル|en|Anna Sprengel}}という人物の住所を見つけ、同時に返信を望んでいる一文も確認した。アンナと書簡連絡を取るようになったウェストコットは、彼女を伝説の[[薔薇十字団]]の教義を継承する偉大な魔術師であると認め、[[秘密の首領]]と仰ぐようになった。かねてより独自のオカルト団体を作りたいと考えていたウェストコットは、アンナ嬢との手紙のやり取りの中でその意志を伝えると、彼女からドイツ[[薔薇十字団]]が公認する魔術結社設立の許可を受け取った。その教義内容は暗号写本に記載されてるものとなった。ウェストコットはこの秘密の首領のお墨付きを元に、友人メイザースと年長の{{仮リンク|ウッドマン博士|en|William Robert Woodman}}を共同創立者にして、1888年3月1日に[[聖堂|聖堂(テンプル)]]と称する魔術結社の運営施設をロンドンに開いた。 |
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[[File:FlorenceFarrFace.jpg|thumb|right|150px|フローレンス・ファー]] |
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これが黄金の夜明け団の発足であり、ドイツ[[薔薇十字団]]の流れを汲むものとされた。ウェストコットが運営面を担当し、メイザースは教義面を担当した。冒頭の英国薔薇十字協会の会長でもあるウッドマン博士は権威付けの為の名義貸しの様なものだった。この三人は同時に[[アデプト]]となり団体の首領となった。英国薔薇十字協会は[[キリスト教神秘主義]]の更に深遠を扱う{{仮リンク|キリスト教秘儀派|en|Esoteric Christianity}}のサロンであり、在籍者は[[フリーメイソン|フリーメーソン]]会員に限られていた。黄金の夜明け団は事実上その分派であったが、一般人でも入団出来た事から組織的な繋がりはなく、また教義上の系譜も否定された。 |
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==黄金時代== |
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[[ファイル:Annie Horniman.jpg|サムネイル|203x203ピクセル|アニー・ホーニマン]] |
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[[ファイル:Maude Gonne McBride nd.jpg|サムネイル|234x234ピクセル|モード・ゴーン]] |
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[[ファイル:Pamela Colman Smith circa 1912.jpg|サムネイル|252x252ピクセル|パメラ・C・スミス]] |
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[[ファイル:Sara Allgood - Project Gutenberg eText 19028.jpg|サムネイル|220x220ピクセル|サラ・オールグッド]] |
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[[ファイル:Photoevelyn3.jpg|サムネイル|207x207ピクセル|エブリン・アンダーヒル]] |
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[[ファイル:Moina Mathers.jpg|サムネイル|228x228ピクセル|モイナ・ベルグソン]] |
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⚫ | 1888年3月1日に最初の運営施設となる「{{仮リンク|イシス・ウラニア聖堂|en|Isis-Urania Temple}}」が英国ロンドンに開かれた。続けて年内に[[サマセット州]]の[[ウェストン・スーパー・メア|ウェストン・スーパー・メア区]]に「[[オシリス]]聖堂」を設置し、[[ウェスト・ヨークシャー州|西ヨークシャー州]]の[[ブラッドフォード (イングランド)|ブラッドフォード市]]にも「[[ホルス]]聖堂」を開設した。更に主要団員の{{仮リンク|ブロディ・イネス|en|John William Brodie-Innes}}が[[エディンバラ]]の地に「[[アーメン]]・[[ラー]]聖堂」を設立した。1892年にメイザースはロンドンを離れて[[パリ]]に移住し、そこで自身の「[[ハトホル]]聖堂」を立ち上げた。その後、アメリカからの参加者が増えたので、1900年までに「[[トート]]・[[ヘルメース]]聖堂」が[[シカゴ]]に開かれた。 |
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[[フリーメイソン|フリーメーソン]]会員限定だった{{仮リンク|英国薔薇十字協会|en|Societas Rosicruciana in Anglia}}と異なり、ウェストコットの意向で黄金の夜明け団は一般人にも門戸が開かれていた。またメーソン系とは一線を画して団内を男女平等にし、補職と待遇に性差による区別を付けなかった。団員は主に紹介と推薦によって集められ、また[[大英博物館]]周辺などでこれはと思った人物を勧誘する事もあった。その際はフリーメーソンと英国薔薇十字協会のブランドが利用され、更に興味を引いた人間には[[薔薇十字団]]の名も持ち出された。こうして設立から2年の間に文化人、知識人、上流階層を中心にして100名以上が加入した。 |
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==隆盛そして軋轢== |
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{{See also|秘密の首領}} |
{{See also|秘密の首領}} |
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1890年 |
1890年秋の時点で黄金の夜明け団には、[[ヴィクトリア朝]]社会の様々な階層から参加した100名以上の団員が在籍していた。その中には女優の{{仮リンク|フローレンス・ファー|en|Florence Farr}}、アイルランド革命家兼女優{{仮リンク|モード・ゴーン|en|Maud Gonne}}、画家[[パメラ・コールマン・スミス|パメラ・C・スミス]]、ノーベル賞詩人[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|W・B・イェイツ]]、作家の[[アーサー・コナン・ドイル|コナン・ドイル]]と[[アーサー・マッケン]]と[[アルジャーノン・ブラックウッド|アルジャノン・ブラックウッド]]と[[ウィリアム・シャープ (作家)|ウィリアム・シャープ]]、[[オカルト|オカルティスト]]の[[アーサー・エドワード・ウェイト|A・E・ウェイト]]と[[アレイスター・クロウリー]]といった当時の著名な文化人または知識人が名を連ねていた。 |
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1891年、ウェストコットは秘密の首領であるアンナ嬢からの連絡が途絶えたと団内で公表した。これは教義の幅をより柔軟に広げようとする意思表示でもあった。その頃に高齢の首領ウッドマンが死去した。1892年にメイザースは妻の{{仮リンク|モイナ|en|Moina Mathers}}と共にパリへ移住し、そこで新たな秘密の首領との接触に成功したと発表した。以後の教義はメイザースが全面的に作成する事になった。1897年に検死官が本職のウェストコットは、団員の誰かが[[ハンサムキャブ|辻馬車]]内に置き忘れた団内文書から、勤務先の当局に魔術結社との繋がりを知られてしまい、黄金の夜明け団から手を引く事を余儀なくされ首領職を辞任した。その結果、パリ在住のメイザースが唯一の首領になった。メイザースはロンドンのイシスウラニア聖堂の運営をフローレンス・ファーにまかせてイギリス側の代表とした。しかし、ファーを始めとするロンドンの団員達は、メイザースの日頃の言動と頻繁な会議欠席に不満を募らせて、彼のリーダーシップに疑問を抱くようになっていった。 |
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1899年、イシスウラニア聖堂は団内の問題児であった[[アレイスター・クロウリー]]の[[アデプト]]昇格を拒否した。これに反発したクロウリーはパリにいる首領メイザースを頼った。1900年1月16日にメイザースはロンドン側への当てつけも兼ねて、パリのハトホル聖堂でクロウリーをアデプトに昇格させた。ロンドンに帰還したクロウリーは、ファー達にメイザースの昇格決定に従うよう要求した。ファーは断固拒絶し、問題が収束するまでのイシスウラニア聖堂の閉鎖とイギリス代表辞任の意思を表明した。パリのメイザースは、ファー達の背後でウェストコットが糸を引いてると疑うようになり、彼の信用を落とせばロンドン側を切り崩せると考えて、秘密の首領アンナ嬢の書簡はウェストコットの捏造であったと暴露した。これによって団内全体が紛糾する事になった。ファー達はウェストコットの回答も得た上で事態収拾の会合を繰り返し開き、3月3日にメイザースに対して捏造とする証拠の提示を求めた。これに困惑したメイザースは拒否という態度を取った。調停は決裂し、23日にパリのメイザースはファーの解任指示を出したが、逆に29日のロンドンの会議で首領メイザースの追放が決定された。憤激したメイザースは愛弟子であるクロウリーをロンドンへ派遣し、イシスウラニア聖堂の保管庫にある重要文書と儀式道具を押収させて運営不能にするという型破りの作戦に出た。これは保管庫の所在地からブライスロードの戦いと呼ばれたが、建物に押し入った所で当然の如く通報されて失敗した。 |
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==分裂== |
==分裂== |
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ブライスロードの事件で黄金の夜明け団の確執と亀裂は修復不可能となった。イシスウラニア聖堂は主宰者{{仮リンク|フローレンス・ファー|en|Florence Farr}}の多数派と、{{仮リンク|ベリッジ|en|Edmund William Berridge}}を中心とするメイザース支持派に分裂した。この内紛を傍観する立場だったホルス聖堂とオシリス聖堂はそのままメイザースの下に残った。{{仮リンク|ブロディ・イネス|en|John William Brodie-Innes}}主宰のアメンラー聖堂はファー派に合流した。こうして1900年6月の時点で黄金の夜明け団は、メイザース派とファー派に二分される事になった。 |
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メイザースにはウェストン・スーパー・メアとブラッドフォード聖堂がつき、{{仮リンク|エドモンド・ウィリアム・ベリッジ|en|Edmund William Berridge}}をロンドン代表として「{{仮リンク|黄金の夜明け団メイザース派、後の、A∴O∴(アルファオメガ)|en|Alpha et Omega}}」を設立した。残ったイシス・ウラニア聖堂は、ファーの創設したスフィア・グループと他のアデプタス・マイナーの間で揉めていた。[[ウィリアム・バトラー・イェイツ]]を代表としたが、{{仮リンク|アニー・ホーニマン|en|Annie Horniman}}が衝突し、[[1901年]]にイェイツは辞職した。{{仮リンク|ローラ・ホロス|en|Ann O'Delia Diss Debar}}をシュプレンゲルと信じたメイザースによる事件が発生し、{{仮リンク|ジョン・ウィリアム・ブロディ・イネス|en|John William Brodie-Innes}}らが代表になった。1903年5月には[[アーサー・エドワード・ウェイト]]らと紛争があり、{{仮リンク|曙の星|en|Stella Matutina}}に改名した。{{仮リンク|ロバート・ウィリアム・フェルキン|en|Robert William Felkin}}が代表になりイェイツは所属したが、ブロディ・イネスはアーメン・ラー聖堂に戻った。ウェイト・[[アーサー・マッケン]]・[[アルジャーノン・ブラックウッド]]・[[パメラ・コールマン・スミス]]らはイシス・ウラニアを残して「聖黄金の夜明け団」を設立した。またアレイスター・クロウリーは世界各国への旅に出た後の[[1907年]]に[[銀の星]]を設立した。 |
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その後のファー派では新たな内輪揉めが発生したので、収束の為に[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|W・B・イェイツ]]が新しく代表に就任したが、数々の衝突に嫌気が差したイェイツは1901年に退団した。同年に{{仮リンク|ホロス夫妻|en|Ann O'Delia Diss Debar}}の詐欺事件にメイザースが巻き込まれて黄金の夜明け団の名称がスキャンダラスに報道されてしまった為に、止む無くメイザース派は「{{仮リンク|A∴O∴|en|Alpha et Omega}}」と改称し、体面を重んじるファー派も「{{仮リンク|曙の星|en|Stella Matutina}}」に改名した。直後にファーは退団し「暁の星」はブロディ=イネスと{{仮リンク|フェルキン|en|Robert William Felkin}}が代表になった。1903年になると従来の教義に否定的だった[[アーサー・エドワード・ウェイト|A・E・ウェイト]]の派閥が「暁の星」から離脱して、新しく「聖黄金の夜明け団」を設立した。儀式魔術に反発しつつ在籍を続けたウェイトは、自分の団体作りの為にイシスウラニア聖堂を利用していた事になるが、いわく付きとなった黄金の夜明け名義を採用してるので一定の思い入れはあった様である。ウェイトの独立劇で「暁の星」は多くの団員を失った。その後はブロディ=イネスがフェルキンの方針に不満を覚えて[[エディンバラ]]へ帰還し、1907年までに自身主宰のアメンラー聖堂と共に「暁の星」を離れて、メイザースと和解した後に「A∴O∴」へ合流した。更に団員を失った「暁の星」はフェルキンの下で数々の混乱を経ながら続いた。一方で分裂の原因となった[[アレイスター・クロウリー]]は結局、メイザースとも仲違いした末に飄然と世界放浪へ旅立って帰還後の1907年に「[[銀の星]]」を結成した。 |
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最終的に、黄金の夜明け団は「{{仮リンク|曙の星|en|Stella Matutina}}」「{{仮リンク|A∴O∴|en|Alpha et Omega}}」「聖黄金の夜明け団」「[[銀の星]]」といった四つの団体に分裂して、その教義は様々な形で受け継がれながらも歴史の中に姿を消したのである。 |
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黄金の夜明け団の教義は、古今東西の隠秘学知識の綜合体とも言うべきものある。ユダヤの秘教哲学である[[カバラ]]を中心にして、[[神智学]]の流れを汲む東洋神秘思想、[[エジプト神話|エジプト神話学]]、[[グリモワール]]、[[四元素|古典元素]]、[[タロット]]、[[星占い|星占術]]、[[ジオマンシー]]、[[錬金術]]、[[エノク語]]、ルネサンス期系譜魔術、[[タットワ]]を含むインド密教などあらゆる知識が習合されていた。ただし、彼ら英国人にとって親しみ易いはずの[[キリスト教神秘主義]]はある程度意図的に避けられていたようで、これは同時に一つの方向性を示している。カバラに内包される[[生命の樹]]が団内の聖典的な象徴図表とされ、上述の各分野から引用される多種多様な知識は生命の樹の各要素に対照させる形で分類され整理された。その中にはこじつけ的な照応も散見されるが、あらゆる隠秘学及び神秘思想分野から蒐集された知識群の比較的高度な体系化が黄金の夜明け団教義の最大の特徴であった。 |
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上述の知識群は創設者を始めとするアデプト達が、言わば自由研究的に持ち寄って考察を加えた後に教義の方向性に沿う形で再解釈され、必要に応じて団内のカリキュラムに組み込まれた。魔術の研鑽に必要とされる様々な知識は、アデプトによってテキスト化されて秘儀参入者達に学ばれた。団内ではアデプト銘々の独自研究が奨励されており、それぞれの研究成果は飛翔する巻物と題された団内文書の各巻に編集されてアデプト達の間で相互に閲覧された。この自由な知識探究の気風は団内の教義を発展させる原動力となったが、他方で迷走の一因にもなった。 |
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⚫ | 団員たちは秘儀参入時に団内で得た知識を口外しない事を誓約していたので、その教義内容が公にされる事は無かった。しかし、後継団体の度重なる分裂と内輪揉めにより、知識そのものの喪失を危惧したアメリカの魔術研究家[[イスラエル・リガルディー]]が関係文書を書籍にまとめて公開出版するという手段に踏み切った事で、それまで謎に包まれていた黄金の夜明け団教義の大部分が一般に入手出来るようになった。この英断または独断は魔術関係者の間で大きな賛否を巻き起こした。なお、リガルディーは1969年に自宅を魔術マニアに荒らされ数々の貴重なコレクションを盗まれるという憂き目に合っている。魔術関係者の中にはこれを天罰と見る者{{誰|title=この記述およびその情報源(註参照)は、「これは天罰だろう」と述べた人物の名を明示していません。|date=2014年2月}}もいた<ref>イスラエル・リガルディー編 『黄金の夜明け魔術全書 下』 [[江口之隆]]訳、国書刊行会、1993年、「訳者解説」</ref>。 |
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== 実践内容 == |
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黄金の夜明け団は儀式魔術を眼目にした団体であり、上述の教義知識はそのセレモニー(魔術儀式)の中で最大活用された。儀式魔術とは、舞台となる密室の設置から室内に細かく配置する大道具小道具の取り揃え及び参加者それぞれの衣装と台詞と動作の一つ一つに特定の知識を伴うという特別な演劇を媒体にした秘教哲学の体現化芸術であった。儀式魔術の実践は団員の連帯感を高めると同時に、参加者たちの感性と知覚能力に一定の影響を及ぼすと信じられており定期的に履行された。 |
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また、[[アストラル投射]]と称される夢見技法も持てはやされていた。黄金の夜明け団はこの夢見技法をマニュアル化しており、かなりの個人差はあったがそれなりの確率で白昼夢の世界に入り込む事が出来たようである。アストラル投射の手順とは、特定の象徴物を凝視しながら意識を集中し自分自身がその象徴の中に入り込むように想像力を強く働かせるというものだった。熟達するにつれて始めは無理矢理想像していたイメージの実感が徐々に明確になり、ついには立体化した想像空間が意識の集中を離れて自動的に脳内で織り成されるようになる。それが[[アストラル旅行]]の出発点となった。[[スクライング]]との違いは、より能動的に幻視された世界を動き回れる事である。凝視する象徴物の組み合わせを変える事で、アストラル旅行の内容も様々に変化するという奥深さが多くのアデプトを虜にした。前述の[[生命の樹]]を中心にした象徴照応教義はこの時に最大活用された。ただし、情緒不安定を誘引するという副作用も指摘されており多用は戒められていた。またアストラル投射の中で時折得られる印象的な啓示や神託は、自我の肥大と過度の自己主張を引き起こす原因にもなって団体内に不和と軋轢を生じさせる事もあった。 |
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{{See also|[[銀の星#位階構造]]}} |
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その教義は[[カバラ]]を中心に、 当時ヨーロッパでブームを起こしていた[[神智学]]の東洋哲学や[[薔薇十字団]]伝説、[[錬金術]]、[[エジプト神話]]、[[タロット]]、[[占い]]、[[グリモワール]]などを習合させたものであった。 |
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==団員の位階== |
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階級構造の大部分は{{仮リンク|英国薔薇十字協会|en|Societas Rosicruciana in Anglia}}を踏襲している。教義の習得ごとに、[[生命の樹]]([[カバラ]]の創世論の図)になぞらえた位階を設定した。昇格試験を経て上位の位階に進むというシステムを採用し、一種の「魔法学校」の様相を呈していた。のちに英語圏で設立された多くの[[秘教]]団体がこのシステムに倣っている。数字の左側は下から、右側は上からの序列を表している。第一階級は火・空気・水・土の[[四元素]]に関連している。[[ポータル]]・[[グレード]]は、一階と二階を分離する中間の階級である。人間の階級は、当初は最低が「ニーオファイト」で最高が「[[アデプト|アデプタス]]・[[マイナー]]」であるとされていたが、後期には指導者が勝手にそれらより上の階級である「アデプタス・メジャー」等を名乗り始める。 |
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{{See also|[[銀の星#位階構造]]}}ウェストコットは黄金の夜明け団の位階を制定するに際し、{{仮リンク|英国薔薇十字協会|en|Societas Rosicruciana in Anglia}}の位階をほとんどそのまま持ち込んでいる。その最下位にニオファイトを新設し、最上位にイプシシマスを追加した。魔術結社風のアレンジとして各位階を[[生命の樹]]のそれぞれの[[セフィロト|セフィラ]]に対応させ、上昇=下降のペア階段値を付け加えた。ニオファイトは生命の樹の枠外とした。入団者はニオファイトを出発点とし、それぞれの段階の昇格試験をクリアする事で上の位階へと進んだ。この黄金の夜明け団の位階制度は、後継魔術団体の手本とされて現代に到るまで踏襲され続けている。 |
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11の位階は第一オーダー(外陣)、第二オーダー(内陣)、第三オーダーの三層に分割されており、それぞれ別グループに扱われて個別の団名を持った。黄金の夜明け団は建前上この三層構成とされた。外陣は一般団員用である。ポータルは外陣と内陣の橋渡し段階であり、アデプトになる前の準備期間とされた。内陣に進むと晴れてアデプトとして認められた。内陣は幹部団員専用だった。当初は肉体を持ったままの魔術師が到達出来るのはアデプタス・マイナーまでとされていたが、後継団体を含む後期になると幹部団員の中から特に根拠も無くアデプタス・メジャー昇格を宣言する者も現れるようになった。アデプタス・イグゼンプタスは創立者専用の名誉位階として用いられる事が多い。第三オーダーはほとんど架空の存在だった。 |
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<br/>'''第一オーダー「黄金の夜明け団」(外陣)''' |
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:新参者({{lang|en|Neophyte}}、ニーオファイト)(0°=0<sup>{{unicode|□}}</sup>) |
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:実践者({{lang|la|Practicus}}、プラクティカス)(3°=8<sup>{{unicode|□}}</sup>) |
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:哲学者({{lang|la|Philosophus}}、フィロソファス)(4°=7<sup>{{unicode|□}}</sup>) |
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;実践者({{lang|la|Practicus}}、プラクティカス) |
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:(3°=8<sup>{{unicode|□}}</sup>) |
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;哲学者({{lang|la|Philosophus}}、フィロソファス) |
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:(4°=7<sup>{{unicode|□}}</sup>) |
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'''第ニオーダー「ルビーの薔薇と黄金の十字架団」(内陣)''' |
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:小達人 ({{lang|la|Adeptus Minor}}、アデプタス・マイナー)(5°=6<sup>{{unicode|□}}</sup>) |
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:( |
:大達人 ({{lang|la|Adeptus Major}}、アデプタス・メイジャー)(6°=5<sup>{{unicode|□}}</sup>) |
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:被免達人({{lang|la|Adeptus Exemptus}}、アデプタス・イグゼンプタス)(7°=4<sup>{{unicode|□}}</sup>) |
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:(6°=5<sup>{{unicode|□}}</sup>) |
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;被免達人({{lang|la|Adeptus Exemptus}}、アデプタス・イグゼンプタス) |
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:(7°=4<sup>{{unicode|□}}</sup>) |
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'''第三オーダー「秘密の首領」''' |
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:神殿の首領({{lang|la|Magister Templi}}、マジスター・テンプリ)(8°=3<sup>{{unicode|□}}</sup>) |
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:( |
:魔術師 ({{lang|la|Magus}}、メイガス)(9°=2<sup>{{unicode|□}}</sup>) |
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;魔術師({{lang|la|Magus}}、メイガス) |
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:(9°=2<sup>{{unicode|□}}</sup>): |
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:(10°=1<sup>{{unicode|□}}</sup>) |
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==在籍した人物== |
==在籍した人物== |
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*[[アーサー・エドワード・ウェイト]] |
*[[アーサー・エドワード・ウェイト]] |
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*[[アレイスター・クロウリー]] |
*[[アレイスター・クロウリー]] |
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*[[アルジャーノン・ブラックウッド]] |
*[[アルジャーノン・ブラックウッド]] - 作家 |
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*[[アーサー・マッケン]] |
*[[アーサー・マッケン]] - 作家 |
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*[[グスタフ・マイリンク]] |
*[[グスタフ・マイリンク]] - 作家 |
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*[[ウィリアム・シャープ (作家)|ウィリアム・シャープ]] |
*[[ウィリアム・シャープ (作家)|ウィリアム・シャープ]] - 作家 |
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*[[パメラ・コールマン・スミス]] |
*[[パメラ・コールマン・スミス]] - 画家 |
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*{{仮リンク|エドモンド・ウィリアム・ベリッジ|en|Edmund William Berridge}} - |
*{{仮リンク|エドモンド・ウィリアム・ベリッジ|en|Edmund William Berridge}} - 医師、[[ホメオパシー|ホメオパシスト]]。 |
||
*{{仮リンク|アラン・ベネット (魔術師)|label=アラン・ベネット|en|Charles Henry Allan Bennett}} |
*{{仮リンク|アラン・ベネット (魔術師)|label=アラン・ベネット|en|Charles Henry Allan Bennett}} |
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*{{仮リンク|アンナ・デ・ブレモント|en|Anna de Brémont}} |
*{{仮リンク|アンナ・デ・ブレモント|en|Anna de Brémont}} - ジャーナリスト |
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*{{仮リンク|ジョン・ウィリアム・ブロディ・イネス|en|John William Brodie-Innes}} |
*{{仮リンク|ジョン・ウィリアム・ブロディ・イネス|en|John William Brodie-Innes}} - 医師 |
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*{{仮リンク|フローレンス・ファー|en|Florence Farr}} |
*{{仮リンク|フローレンス・ファー|en|Florence Farr}} - 女優 |
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2019年5月23日 (木) 23:16時点における版
黄金の夜明け団が掲げた薔薇十字 | |
略称 | GD |
---|---|
前身 | 英国薔薇十字協会 |
後継 | |
設立 | 1887 |
解散 | 1903 |
種類 | 秘密結社 |
本部 | ロンドン |
所在地 | |
首領 |
|
黄金の夜明け団(おうごんのよあけだん、The Hermetic Order of the Golden Dawn)は、19世紀末のイギリスで創設された隠秘学結社である。黄金の暁会とも訳され、GDと略名される。現代西洋魔術の主なスタイルであるウイッカ、セレマ、テウルギア、スピリチュアルなどの思想、教義、儀式、実践作法に影響を与えたとされる近現代で最も著名な西洋オカルト組織である。
創設者のW・R・ウッドマン、ウィリアム・W・ウェストコット、マグレガー・メイザースの三人はフリーメイソンであったが、それとは一線を画して団内の運営は男女平等に定められており、補職と待遇に性差による区別を付けなかった事が特筆されている。この団体は建前上三層構造とされ、第一層の「黄金の夜明け団」は一般団員用で基礎教義を学び、第二層の「ルビーの薔薇と黄金の十字架団」は幹部団員専用で高度な実践を行い、第三層は秘密の首領が在籍する霊的団体とされた。この三層の総称として黄金の夜明け団と呼ばれる。
誕生までの経緯
黄金の夜明け団の誕生は、英国フリーメーソン内のオカルト系サロンである英国薔薇十字協会の会員ウィリアム・ウィン・ウェストコットが、1886年2月に知人から「暗号写本」と呼ばれる興味深い小冊子を受け取った事から始まる。ウェストコットはこの写本が、中世の学者トリテミウスが著した書物ポリグラフィアにある暗号法で書かれてる事を見抜き、友人のマグレガー・メイザースに協力を依頼して解読に取り掛かった。
1887年9月に全ての復号化に成功したウェストコットは、文書の中にドイツ在住のアンナ・シュプレンゲルという人物の住所を見つけ、同時に返信を望んでいる一文も確認した。アンナと書簡連絡を取るようになったウェストコットは、彼女を伝説の薔薇十字団の教義を継承する偉大な魔術師であると認め、秘密の首領と仰ぐようになった。かねてより独自のオカルト団体を作りたいと考えていたウェストコットは、アンナ嬢との手紙のやり取りの中でその意志を伝えると、彼女からドイツ薔薇十字団が公認する魔術結社設立の許可を受け取った。その教義内容は暗号写本に記載されてるものとなった。ウェストコットはこの秘密の首領のお墨付きを元に、友人メイザースと年長のウッドマン博士を共同創立者にして、1888年3月1日に聖堂(テンプル)と称する魔術結社の運営施設をロンドンに開いた。
これが黄金の夜明け団の発足であり、ドイツ薔薇十字団の流れを汲むものとされた。ウェストコットが運営面を担当し、メイザースは教義面を担当した。冒頭の英国薔薇十字協会の会長でもあるウッドマン博士は権威付けの為の名義貸しの様なものだった。この三人は同時にアデプトとなり団体の首領となった。英国薔薇十字協会はキリスト教神秘主義の更に深遠を扱うキリスト教秘儀派のサロンであり、在籍者はフリーメーソン会員に限られていた。黄金の夜明け団は事実上その分派であったが、一般人でも入団出来た事から組織的な繋がりはなく、また教義上の系譜も否定された。
聖堂の開設
1888年3月1日に最初の運営施設となる「イシス・ウラニア聖堂」が英国ロンドンに開かれた。続けて年内にサマセット州のウェストン・スーパー・メア区に「オシリス聖堂」を設置し、西ヨークシャー州のブラッドフォード市にも「ホルス聖堂」を開設した。更に主要団員のブロディ・イネスがエディンバラの地に「アーメン・ラー聖堂」を設立した。1892年にメイザースはロンドンを離れてパリに移住し、そこで自身の「ハトホル聖堂」を立ち上げた。その後、アメリカからの参加者が増えたので、1900年までに「トート・ヘルメース聖堂」がシカゴに開かれた。
フリーメーソン会員限定だった英国薔薇十字協会と異なり、ウェストコットの意向で黄金の夜明け団は一般人にも門戸が開かれていた。またメーソン系とは一線を画して団内を男女平等にし、補職と待遇に性差による区別を付けなかった。団員は主に紹介と推薦によって集められ、また大英博物館周辺などでこれはと思った人物を勧誘する事もあった。その際はフリーメーソンと英国薔薇十字協会のブランドが利用され、更に興味を引いた人間には薔薇十字団の名も持ち出された。こうして設立から2年の間に文化人、知識人、上流階層を中心にして100名以上が加入した。
隆盛そして軋轢
1890年秋の時点で黄金の夜明け団には、ヴィクトリア朝社会の様々な階層から参加した100名以上の団員が在籍していた。その中には女優のフローレンス・ファー、アイルランド革命家兼女優モード・ゴーン、画家パメラ・C・スミス、ノーベル賞詩人W・B・イェイツ、作家のコナン・ドイルとアーサー・マッケンとアルジャノン・ブラックウッドとウィリアム・シャープ、オカルティストのA・E・ウェイトとアレイスター・クロウリーといった当時の著名な文化人または知識人が名を連ねていた。
1891年、ウェストコットは秘密の首領であるアンナ嬢からの連絡が途絶えたと団内で公表した。これは教義の幅をより柔軟に広げようとする意思表示でもあった。その頃に高齢の首領ウッドマンが死去した。1892年にメイザースは妻のモイナと共にパリへ移住し、そこで新たな秘密の首領との接触に成功したと発表した。以後の教義はメイザースが全面的に作成する事になった。1897年に検死官が本職のウェストコットは、団員の誰かが辻馬車内に置き忘れた団内文書から、勤務先の当局に魔術結社との繋がりを知られてしまい、黄金の夜明け団から手を引く事を余儀なくされ首領職を辞任した。その結果、パリ在住のメイザースが唯一の首領になった。メイザースはロンドンのイシスウラニア聖堂の運営をフローレンス・ファーにまかせてイギリス側の代表とした。しかし、ファーを始めとするロンドンの団員達は、メイザースの日頃の言動と頻繁な会議欠席に不満を募らせて、彼のリーダーシップに疑問を抱くようになっていった。
1899年、イシスウラニア聖堂は団内の問題児であったアレイスター・クロウリーのアデプト昇格を拒否した。これに反発したクロウリーはパリにいる首領メイザースを頼った。1900年1月16日にメイザースはロンドン側への当てつけも兼ねて、パリのハトホル聖堂でクロウリーをアデプトに昇格させた。ロンドンに帰還したクロウリーは、ファー達にメイザースの昇格決定に従うよう要求した。ファーは断固拒絶し、問題が収束するまでのイシスウラニア聖堂の閉鎖とイギリス代表辞任の意思を表明した。パリのメイザースは、ファー達の背後でウェストコットが糸を引いてると疑うようになり、彼の信用を落とせばロンドン側を切り崩せると考えて、秘密の首領アンナ嬢の書簡はウェストコットの捏造であったと暴露した。これによって団内全体が紛糾する事になった。ファー達はウェストコットの回答も得た上で事態収拾の会合を繰り返し開き、3月3日にメイザースに対して捏造とする証拠の提示を求めた。これに困惑したメイザースは拒否という態度を取った。調停は決裂し、23日にパリのメイザースはファーの解任指示を出したが、逆に29日のロンドンの会議で首領メイザースの追放が決定された。憤激したメイザースは愛弟子であるクロウリーをロンドンへ派遣し、イシスウラニア聖堂の保管庫にある重要文書と儀式道具を押収させて運営不能にするという型破りの作戦に出た。これは保管庫の所在地からブライスロードの戦いと呼ばれたが、建物に押し入った所で当然の如く通報されて失敗した。
分裂
ブライスロードの事件で黄金の夜明け団の確執と亀裂は修復不可能となった。イシスウラニア聖堂は主宰者フローレンス・ファーの多数派と、ベリッジを中心とするメイザース支持派に分裂した。この内紛を傍観する立場だったホルス聖堂とオシリス聖堂はそのままメイザースの下に残った。ブロディ・イネス主宰のアメンラー聖堂はファー派に合流した。こうして1900年6月の時点で黄金の夜明け団は、メイザース派とファー派に二分される事になった。
その後のファー派では新たな内輪揉めが発生したので、収束の為にW・B・イェイツが新しく代表に就任したが、数々の衝突に嫌気が差したイェイツは1901年に退団した。同年にホロス夫妻の詐欺事件にメイザースが巻き込まれて黄金の夜明け団の名称がスキャンダラスに報道されてしまった為に、止む無くメイザース派は「A∴O∴」と改称し、体面を重んじるファー派も「曙の星」に改名した。直後にファーは退団し「暁の星」はブロディ=イネスとフェルキンが代表になった。1903年になると従来の教義に否定的だったA・E・ウェイトの派閥が「暁の星」から離脱して、新しく「聖黄金の夜明け団」を設立した。儀式魔術に反発しつつ在籍を続けたウェイトは、自分の団体作りの為にイシスウラニア聖堂を利用していた事になるが、いわく付きとなった黄金の夜明け名義を採用してるので一定の思い入れはあった様である。ウェイトの独立劇で「暁の星」は多くの団員を失った。その後はブロディ=イネスがフェルキンの方針に不満を覚えてエディンバラへ帰還し、1907年までに自身主宰のアメンラー聖堂と共に「暁の星」を離れて、メイザースと和解した後に「A∴O∴」へ合流した。更に団員を失った「暁の星」はフェルキンの下で数々の混乱を経ながら続いた。一方で分裂の原因となったアレイスター・クロウリーは結局、メイザースとも仲違いした末に飄然と世界放浪へ旅立って帰還後の1907年に「銀の星」を結成した。
最終的に、黄金の夜明け団は「曙の星」「A∴O∴」「聖黄金の夜明け団」「銀の星」といった四つの団体に分裂して、その教義は様々な形で受け継がれながらも歴史の中に姿を消したのである。
教義概要
黄金の夜明け団の教義は、古今東西の隠秘学知識の綜合体とも言うべきものある。ユダヤの秘教哲学であるカバラを中心にして、神智学の流れを汲む東洋神秘思想、エジプト神話学、グリモワール、古典元素、タロット、星占術、ジオマンシー、錬金術、エノク語、ルネサンス期系譜魔術、タットワを含むインド密教などあらゆる知識が習合されていた。ただし、彼ら英国人にとって親しみ易いはずのキリスト教神秘主義はある程度意図的に避けられていたようで、これは同時に一つの方向性を示している。カバラに内包される生命の樹が団内の聖典的な象徴図表とされ、上述の各分野から引用される多種多様な知識は生命の樹の各要素に対照させる形で分類され整理された。その中にはこじつけ的な照応も散見されるが、あらゆる隠秘学及び神秘思想分野から蒐集された知識群の比較的高度な体系化が黄金の夜明け団教義の最大の特徴であった。
上述の知識群は創設者を始めとするアデプト達が、言わば自由研究的に持ち寄って考察を加えた後に教義の方向性に沿う形で再解釈され、必要に応じて団内のカリキュラムに組み込まれた。魔術の研鑽に必要とされる様々な知識は、アデプトによってテキスト化されて秘儀参入者達に学ばれた。団内ではアデプト銘々の独自研究が奨励されており、それぞれの研究成果は飛翔する巻物と題された団内文書の各巻に編集されてアデプト達の間で相互に閲覧された。この自由な知識探究の気風は団内の教義を発展させる原動力となったが、他方で迷走の一因にもなった。
団員たちは秘儀参入時に団内で得た知識を口外しない事を誓約していたので、その教義内容が公にされる事は無かった。しかし、後継団体の度重なる分裂と内輪揉めにより、知識そのものの喪失を危惧したアメリカの魔術研究家イスラエル・リガルディーが関係文書を書籍にまとめて公開出版するという手段に踏み切った事で、それまで謎に包まれていた黄金の夜明け団教義の大部分が一般に入手出来るようになった。この英断または独断は魔術関係者の間で大きな賛否を巻き起こした。なお、リガルディーは1969年に自宅を魔術マニアに荒らされ数々の貴重なコレクションを盗まれるという憂き目に合っている。魔術関係者の中にはこれを天罰と見る者[誰?]もいた[1]。
実践内容
黄金の夜明け団は儀式魔術を眼目にした団体であり、上述の教義知識はそのセレモニー(魔術儀式)の中で最大活用された。儀式魔術とは、舞台となる密室の設置から室内に細かく配置する大道具小道具の取り揃え及び参加者それぞれの衣装と台詞と動作の一つ一つに特定の知識を伴うという特別な演劇を媒体にした秘教哲学の体現化芸術であった。儀式魔術の実践は団員の連帯感を高めると同時に、参加者たちの感性と知覚能力に一定の影響を及ぼすと信じられており定期的に履行された。
また、アストラル投射と称される夢見技法も持てはやされていた。黄金の夜明け団はこの夢見技法をマニュアル化しており、かなりの個人差はあったがそれなりの確率で白昼夢の世界に入り込む事が出来たようである。アストラル投射の手順とは、特定の象徴物を凝視しながら意識を集中し自分自身がその象徴の中に入り込むように想像力を強く働かせるというものだった。熟達するにつれて始めは無理矢理想像していたイメージの実感が徐々に明確になり、ついには立体化した想像空間が意識の集中を離れて自動的に脳内で織り成されるようになる。それがアストラル旅行の出発点となった。スクライングとの違いは、より能動的に幻視された世界を動き回れる事である。凝視する象徴物の組み合わせを変える事で、アストラル旅行の内容も様々に変化するという奥深さが多くのアデプトを虜にした。前述の生命の樹を中心にした象徴照応教義はこの時に最大活用された。ただし、情緒不安定を誘引するという副作用も指摘されており多用は戒められていた。またアストラル投射の中で時折得られる印象的な啓示や神託は、自我の肥大と過度の自己主張を引き起こす原因にもなって団体内に不和と軋轢を生じさせる事もあった。
団員の位階
ウェストコットは黄金の夜明け団の位階を制定するに際し、英国薔薇十字協会の位階をほとんどそのまま持ち込んでいる。その最下位にニオファイトを新設し、最上位にイプシシマスを追加した。魔術結社風のアレンジとして各位階を生命の樹のそれぞれのセフィラに対応させ、上昇=下降のペア階段値を付け加えた。ニオファイトは生命の樹の枠外とした。入団者はニオファイトを出発点とし、それぞれの段階の昇格試験をクリアする事で上の位階へと進んだ。この黄金の夜明け団の位階制度は、後継魔術団体の手本とされて現代に到るまで踏襲され続けている。
11の位階は第一オーダー(外陣)、第二オーダー(内陣)、第三オーダーの三層に分割されており、それぞれ別グループに扱われて個別の団名を持った。黄金の夜明け団は建前上この三層構成とされた。外陣は一般団員用である。ポータルは外陣と内陣の橋渡し段階であり、アデプトになる前の準備期間とされた。内陣に進むと晴れてアデプトとして認められた。内陣は幹部団員専用だった。当初は肉体を持ったままの魔術師が到達出来るのはアデプタス・マイナーまでとされていたが、後継団体を含む後期になると幹部団員の中から特に根拠も無くアデプタス・メジャー昇格を宣言する者も現れるようになった。アデプタス・イグゼンプタスは創立者専用の名誉位階として用いられる事が多い。第三オーダーはほとんど架空の存在だった。
第一オーダー「黄金の夜明け団」(外陣)
- 新参者(Neophyte、ニーオファイト)(0°=0□)
- 熱心者(Zelator、ジーレイター[注釈 1])(1°=10□)
- 理論者(Theoricus、セオリカス)(2°=9□)
- 実践者(Practicus、プラクティカス)(3°=8□)
- 哲学者(Philosophus、フィロソファス)(4°=7□)
- 予科門(Portal Grade、ポータル・グレード)
第ニオーダー「ルビーの薔薇と黄金の十字架団」(内陣)
- 小達人 (Adeptus Minor、アデプタス・マイナー)(5°=6□)
- 大達人 (Adeptus Major、アデプタス・メイジャー)(6°=5□)
- 被免達人(Adeptus Exemptus、アデプタス・イグゼンプタス)(7°=4□)
第三オーダー「秘密の首領」
- 神殿の首領(Magister Templi、マジスター・テンプリ)(8°=3□)
- 魔術師 (Magus、メイガス)(9°=2□)
- 自己自身者(Ipsissimus[注釈 2]、イプシシマス)(10°=1□)
在籍した人物
- ウィリアム・バトラー・イェイツ - 1923年度ノーベル文学賞
- アーサー・エドワード・ウェイト
- アレイスター・クロウリー
- アルジャーノン・ブラックウッド - 作家
- アーサー・マッケン - 作家
- グスタフ・マイリンク - 作家
- ウィリアム・シャープ - 作家
- パメラ・コールマン・スミス - 画家
- エドモンド・ウィリアム・ベリッジ - 医師、ホメオパシスト。
- アラン・ベネット
- アンナ・デ・ブレモント - ジャーナリスト
- ジョン・ウィリアム・ブロディ・イネス - 医師
- フローレンス・ファー - 女優
- ロバート・ウィリアム・フェルキン - 医師
- フレデリック・リー・ガードナー
- モード・ゴーン - 女優、女性運動家
- アニー・ホーニマン - 劇場主催者
- ミナ・メイザース
登場する作品
鎌池和馬『とある魔術の禁書目録』 アレイスター・クロウリー - 学園都市統括理事長。元世界最高最強の魔術師にして現世界最高の科学者。アニメ版の担当声優は関俊彦。黄金夜明 - マグレガー・メイザース率いる勢力。
関連文献
- 『ロンドンを旅する60章』 (42章「魔都」ロンドン 執筆担当太田直也) 2012年、明石書店、ISBN 978-4-7503-3603-9
脚注
注釈
- ^ 日本では慣習的に「ジェレイター」と表記される。
- ^ ipsissimus:ラテン語の強意代名詞 ipse (他ならぬ;それ自身)を語幹とする形容詞最上級の男性単数主格形。「まさしく他ならぬ…そのもの」の意。
出典
関連項目
外部リンク
- リガルディと「黄金の夜明け」
- The Golden Dawn FAQ (original from 1990s Usenet groups)
- The Golden Dawn Library Project
- Golden Dawn entries in Llewellyn Encyclopedia
- Golden Dawn Tradition, by co-founder Dr. W. Wynn Westcott
- Photocopies and the translation of the original Cipher Manuscripts
- Lots of GD material on display in Yeats exhibition including Ritual Notebooks.
- The Golden Dawn Roll Call
- Golden Dawn - DMOZ
- Hermetic Order of the Golden Dawn: Biographies of Members