「黄金の夜明け団」の版間の差分
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'''黄金の夜明け団'''(おうごんのよあけだん、''{{lang|en|The Hermetic Order of the Golden Dawn}}'')は、[[19世紀]]末の[[イギリス]]で創設された[[近代魔術|西洋魔術]]結社である。'''黄金の暁会'''とも訳され、'''GD'''と略名される。現代[[近代魔術|西洋魔術]]の思想、教義、儀式、実践作法の源流になった近現代で最も著名な西洋[[神秘学|隠秘学]]組織である。 |
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創設者の{{仮リンク|W・R・ウッドマン|en|William Robert Woodman}}、{{仮リンク|ウィリアム・W・ウェストコット|en|William Wynn Westcott}}、[[マグレガー・メイザース|マグレガー・マザーズ]]の三人は[[フリーメイソン]]であったが、それとは一線を画して団内の運営は男女平等に定められており、補職と待遇に性差による区別を付けなかったことが特筆されている。この団体は建前上三層構造とされ、第一層の「黄金の夜明け団」は一般団員用で基礎教義を学び、第二層の「ルビーの薔薇と黄金の十字架団」は幹部団員専用で高度な実践を行い、第三層は[[秘密の首領]]が在籍する霊的団体とされた。この三層の総称として'''黄金の夜明け団'''と呼ばれる。 |
創設者の{{仮リンク|W・R・ウッドマン|en|William Robert Woodman}}、{{仮リンク|ウィリアム・W・ウェストコット|en|William Wynn Westcott}}、[[マグレガー・メイザース|マグレガー・マザーズ]]の三人は[[フリーメイソン]]であったが、それとは一線を画して団内の運営は男女平等に定められており、補職と待遇に性差による区別を付けなかったことが特筆されている。この団体は建前上三層構造とされ、第一層の「黄金の夜明け団」は一般団員用で基礎教義を学び、第二層の「ルビーの薔薇と黄金の十字架団」は幹部団員専用で高度な実践を行い、第三層は[[秘密の首領]]が在籍する霊的団体とされた。この三層の総称として'''黄金の夜明け団'''と呼ばれる。 |
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{{See also|暗号文書 (黄金の夜明け団)}} |
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黄金の夜明け団の誕生は、英国[[フリーメイソン]]の[[サロン|オカルト系サロン]]{{efn2|フリーメイソンの組織ではないが{{sfn|吉村|2013|pp=52}}、それに付属する[[秘教]]研究会のような存在であった(魔術は研究対象ではなかった){{sfn|吉村|2013|pp=62-63}}。}}である{{仮リンク|英国薔薇十字協会|en|Societas Rosicruciana in Anglia}}の会員{{仮リンク|ウィリアム・ウィン・ウェストコット|en|William Wynn Westcott}}が、1887年8月に知人 |
黄金の夜明け団の誕生は、英国[[フリーメイソン]]の[[サロン|オカルト系サロン]]{{efn2|フリーメイソンの組織ではないが{{sfn|吉村|2013|pp=52}}、それに付属する[[秘教]]研究会のような存在であった(魔術は研究対象ではなかった){{sfn|吉村|2013|pp=62-63}}。}}である{{仮リンク|英国薔薇十字協会|en|Societas Rosicruciana in Anglia}}の会員{{仮リンク|ウィリアム・ウィン・ウェストコット|en|William Wynn Westcott}}が、1887年8月に知人より60枚の[[暗号文書 (黄金の夜明け団)|暗号文書]]を譲り受けたことから始まる。 |
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この一連の文書 |
以下はウェストコットの供述となるが、この一連の文書が16世紀の書物『{{仮リンク|ポリグラフィア|en|Polygraphia (book)}}』記載の[[換字式暗号|暗号法]]で書かれている事に気付いた彼は、早速解読に取り掛かったという。1887年9月に全ての復号化に成功したウェストコットは、文書の中にドイツ在住の{{仮リンク|アンナ・シュプレンゲル|en|Anna Sprengel}}という人物の住所を見つけ、同時に返信を望んでいる一文も確認した。アンナと書簡連絡を取るようになったウェストコットは、彼女を伝説の[[薔薇十字団]]の教義を継承する偉大な魔術師であると認め、[[秘密の首領]]と仰ぐようになった。かねてより独自のオカルト団体を作りたいと考えていたウェストコットは、アンナ嬢との手紙のやり取りの中でその意志を伝えると、彼女からドイツ[[薔薇十字団]]が公認する魔術結社設立の許可を受け取った。その教義は暗号文書の記載内容に則ったものと定められた。ウェストコットはこの秘密の首領のお墨付きを元に、友人[[マグレガー・メイザース|マグレガー・マザーズ]]と年長の{{仮リンク|W・R・ウッドマン|en|William Robert Woodman}}を共同創立者にして、1888年3月1日に[[神殿|神殿(テンプル)]]と称する魔術結社の運営施設をロンドンに開いた。 |
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これが黄金の夜明け団の発足であり、ドイツ[[薔薇十字団]]の流れを汲むものとされた。ウェストコットが運営面を担当し、マザーズは教義面を担当した。冒頭の英国薔薇十字協会の会長でもあるウッドマンは権威付けのための名義貸しのようなものだった。この三人は同時に[[アデプト]]となり団体の首領となった。英国薔薇十字協会は[[キリスト教神秘主義]]のさらに深遠を扱う{{仮リンク|キリスト教秘儀派|en|Esoteric Christianity}}のサロンであり{{要出典|date=2019-05-25}}、在籍者は[[フリーメイソン]]に限られていた。黄金の夜明け団は事実上その分派であったが、一般人でも入団できたことから組織的な繋がりはなく、また教義上の系譜も否定された。 |
これが黄金の夜明け団の発足であり、ドイツ[[薔薇十字団]]の流れを汲むものとされた。ウェストコットが運営面を担当し、マザーズは教義面を担当した。冒頭の英国薔薇十字協会の会長でもあるウッドマンは権威付けのための名義貸しのようなものだった。この三人は同時に[[アデプト]]となり団体の首領となった。英国薔薇十字協会は[[キリスト教神秘主義]]のさらに深遠を扱う{{仮リンク|キリスト教秘儀派|en|Esoteric Christianity}}のサロンであり{{要出典|date=2019-05-25}}、在籍者は[[フリーメイソン]]に限られていた。黄金の夜明け団は事実上その分派であったが、一般人でも入団できたことから組織的な繋がりはなく、また教義上の系譜も否定された。 |
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ブライスロードの事件で黄金の夜明け団の確執と亀裂は修復不可能となった。イシス・ウラニア神殿は主宰者フロレンス・ファーの多数派と、{{仮リンク|E・W・ベリッジ|en|Edmund William Berridge}}<!--なぜか英語版の記事名は Edmund William Berridge になっているが、Edward が正しい。-->を中心とするマザーズ支持派に分裂した。この内紛を傍観する立場であったホルス神殿とオシリス神殿はそのままマザーズの下に残った。ブロディ=イネス主宰のアメン・ラー神殿はファー派に合流した。こうして1900年6月の時点で黄金の夜明け団は、マザーズ派とファー派に二分されることになった。 |
ブライスロードの事件で黄金の夜明け団の確執と亀裂は修復不可能となった。イシス・ウラニア神殿は主宰者フロレンス・ファーの多数派と、{{仮リンク|E・W・ベリッジ|en|Edmund William Berridge}}<!--なぜか英語版の記事名は Edmund William Berridge になっているが、Edward が正しい。-->を中心とするマザーズ支持派に分裂した。この内紛を傍観する立場であったホルス神殿とオシリス神殿はそのままマザーズの下に残った。ブロディ=イネス主宰のアメン・ラー神殿はファー派に合流した。こうして1900年6月の時点で黄金の夜明け団は、マザーズ派とファー派に二分されることになった。 |
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その後のファー派では新たな内輪揉めが発生したので、収束のために[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|W・B・イェイツ]]が新しく代表に就任したが、数々の衝突に嫌気が差したイェイツは1901年に退団した。同年に{{仮リンク|ホロス夫妻|en|Ann O'Delia Diss Debar}}の詐欺事件にマザーズが巻き込まれて黄金の夜明け団の名称がスキャンダラスに報道されてしまったために、社会的体面を重んじるファー派は「{{仮リンク|暁の星|en|Stella Matutina}}」と改称した。直後にファーは退団し「暁の星」はブロディ=イネスと{{仮リンク|R・フェルキン|en|Robert William Felkin}}が代表になった。1903年になると従来の教義に否定的だった[[アーサー・エドワード・ウェイト|A・E・ウェイト]]の派閥が「暁の星」から離脱して |
その後のファー派では新たな内輪揉めが発生したので、収束のために[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|W・B・イェイツ]]が新しく代表に就任したが、数々の衝突に嫌気が差したイェイツは1901年に退団した。同年に{{仮リンク|ホロス夫妻|en|Ann O'Delia Diss Debar}}の詐欺事件にマザーズが巻き込まれて黄金の夜明け団の名称がスキャンダラスに報道されてしまったために、社会的体面を重んじるファー派は「{{仮リンク|暁の星|en|Stella Matutina}}」と改称した。直後にファーは退団し「暁の星」はブロディ=イネスと{{仮リンク|R・フェルキン|en|Robert William Felkin}}が代表になった。1903年になると従来の教義に否定的だった[[アーサー・エドワード・ウェイト|A・E・ウェイト]]の派閥が「暁の星」から離脱して、黄金の夜明けの「独立修正儀礼」と称する新団体を組織した。儀式魔術に反発しつつ在籍を続けたウェイトは、自分の団体作りのためにイシス・ウラニア神殿を利用していたことになるが、いわく付きとなった黄金の夜明け名義を採用しているので一定の思い入れはあったようである。ウェイトの独立劇で「暁の星」は多くの団員を失った。1906年にマザーズは黄金の夜明け団の幕引きを決めて、パリのアハトル神殿を本部とする魔術結社「{{仮リンク|A∴O∴|en|Alpha et Omega}}」に組織再編した。同じ頃、ブロディ=イネスはフェルキンの方針に不満を覚えて[[エディンバラ]]へ帰還し、1907年に自身主宰のアメン・ラー神殿とともに「暁の星」を離れて、マザーズと和解した後に「A∴O∴」へ合流した。さらに団員を失った「暁の星」はフェルキンの下で数々の混乱を経ながら続いた。一方で分裂の原因となった[[アレイスター・クロウリー]]は結局、マザーズとも仲違いした末に飄然と世界放浪へ旅立って帰還後の1907年に「[[銀の星]]」を結成した。 |
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最終的に、黄金の夜明け団は「{{仮リンク|暁の星|en|Stella Matutina}}」「{{仮リンク|A∴O∴|en|Alpha et Omega}}」「G∴D∴独立修正儀礼」といった三つの団体に分裂して、その教義は様々な形で受け継がれながらも歴史の中に姿を消したのである。 |
最終的に、黄金の夜明け団は「{{仮リンク|暁の星|en|Stella Matutina}}」「{{仮リンク|A∴O∴|en|Alpha et Omega}}」「G∴D∴独立修正儀礼」といった三つの団体に分裂して、その教義は様々な形で受け継がれながらも歴史の中に姿を消したのである。 |
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==教義概要== |
==教義概要== |
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黄金の夜明け団の教義は、古今東西の隠秘学知識の綜合体とも言うべきものある。ユダヤの秘教哲学である[[カバラ]]を中心にして、[[神智学]]の流れを汲む東洋神秘思想、[[エジプト神話|エジプト神話学]]、[[グリモワール]]、[[四元素|古典元素]]、[[タロット]]、[[星占い|占星術]]、[[ジオマンシー]]、[[錬金術]]、[[エノク語]] |
黄金の夜明け団の教義は、古今東西の隠秘学知識の綜合体とも言うべきものある。ユダヤの秘教哲学である[[カバラ]]を中心にして、[[神智学]]の流れを汲む東洋神秘思想、[[エジプト神話|エジプト神話学]]、[[グリモワール]]、[[四元素|古典元素]]、[[タロット]]、[[星占い|占星術]]、[[ジオマンシー]]、[[錬金術]]、[[エノク語]]、[[タットワ]]を含むインド密教などあらゆる知識が習合されていた。ただし、彼ら英国人にとって親しみ易いはずの[[キリスト教神秘主義]]はある程度意図的に避けられていたようで、これは同時に一つの方向性を示している。カバラに内包される[[生命の樹]]が団内の聖典的な象徴図表とされ、上述の各分野から引用される多種多様な知識は生命の樹の各要素に対照させる形で分類され整理された。その中にはこじつけ的な照応も散見されるが、あらゆる隠秘学および神秘思想分野から蒐集された知識群の比較的高度な体系化が黄金の夜明け団教義の最大の特徴であった。 |
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上述の知識群は、創設者をはじめとするアデプトたちが言わば自由研究的に持ち寄って考察を加えた後に、教義の方向性に沿う形で再解釈され、必要に応じて団内のカリキュラムに組み込まれた。魔術の研鑽に必要とされる様々な知識は、アデプトによってテキスト化されて秘儀参入者たちに学ばれた。団内ではアデプト一人一人の独自研究が奨励されており、それぞれの研究成果は「飛翔する巻物」と題された団内文書の各巻に編集されてアデプトたちの間で相互に閲覧された。この自由な知識探究の気風は団内の教義を発展させる原動力となったが、他方で迷走の一因にもなった。 |
上述の知識群は、創設者をはじめとするアデプトたちが言わば自由研究的に持ち寄って考察を加えた後に、教義の方向性に沿う形で再解釈され、必要に応じて団内のカリキュラムに組み込まれた。魔術の研鑽に必要とされる様々な知識は、アデプトによってテキスト化されて秘儀参入者たちに学ばれた。団内ではアデプト一人一人の独自研究が奨励されており、それぞれの研究成果は「飛翔する巻物」と題された団内文書の各巻に編集されてアデプトたちの間で相互に閲覧された。この自由な知識探究の気風は団内の教義を発展させる原動力となったが、他方で迷走の一因にもなった。 |
2019年5月27日 (月) 11:23時点における版
黄金の夜明け団の薔薇十字徽章 | |
略称 | GD |
---|---|
前身 | 英国薔薇十字協会 |
後継 | |
設立 | 1887 |
解散 | 1903 |
種類 | 秘密結社 |
本部 | ロンドン |
所在地 | |
首領 |
|
黄金の夜明け団(おうごんのよあけだん、The Hermetic Order of the Golden Dawn)は、19世紀末のイギリスで創設された西洋魔術結社である。黄金の暁会とも訳され、GDと略名される。現代西洋魔術の思想、教義、儀式、実践作法の源流になった近現代で最も著名な西洋隠秘学組織である。
創設者のW・R・ウッドマン、ウィリアム・W・ウェストコット、マグレガー・マザーズの三人はフリーメイソンであったが、それとは一線を画して団内の運営は男女平等に定められており、補職と待遇に性差による区別を付けなかったことが特筆されている。この団体は建前上三層構造とされ、第一層の「黄金の夜明け団」は一般団員用で基礎教義を学び、第二層の「ルビーの薔薇と黄金の十字架団」は幹部団員専用で高度な実践を行い、第三層は秘密の首領が在籍する霊的団体とされた。この三層の総称として黄金の夜明け団と呼ばれる。
誕生までの経緯
黄金の夜明け団の誕生は、英国フリーメイソンのオカルト系サロン[注 1]である英国薔薇十字協会の会員ウィリアム・ウィン・ウェストコットが、1887年8月に知人より60枚の暗号文書を譲り受けたことから始まる。
以下はウェストコットの供述となるが、この一連の文書が16世紀の書物『ポリグラフィア』記載の暗号法で書かれている事に気付いた彼は、早速解読に取り掛かったという。1887年9月に全ての復号化に成功したウェストコットは、文書の中にドイツ在住のアンナ・シュプレンゲルという人物の住所を見つけ、同時に返信を望んでいる一文も確認した。アンナと書簡連絡を取るようになったウェストコットは、彼女を伝説の薔薇十字団の教義を継承する偉大な魔術師であると認め、秘密の首領と仰ぐようになった。かねてより独自のオカルト団体を作りたいと考えていたウェストコットは、アンナ嬢との手紙のやり取りの中でその意志を伝えると、彼女からドイツ薔薇十字団が公認する魔術結社設立の許可を受け取った。その教義は暗号文書の記載内容に則ったものと定められた。ウェストコットはこの秘密の首領のお墨付きを元に、友人マグレガー・マザーズと年長のW・R・ウッドマンを共同創立者にして、1888年3月1日に神殿(テンプル)と称する魔術結社の運営施設をロンドンに開いた。
これが黄金の夜明け団の発足であり、ドイツ薔薇十字団の流れを汲むものとされた。ウェストコットが運営面を担当し、マザーズは教義面を担当した。冒頭の英国薔薇十字協会の会長でもあるウッドマンは権威付けのための名義貸しのようなものだった。この三人は同時にアデプトとなり団体の首領となった。英国薔薇十字協会はキリスト教神秘主義のさらに深遠を扱うキリスト教秘儀派のサロンであり[要出典]、在籍者はフリーメイソンに限られていた。黄金の夜明け団は事実上その分派であったが、一般人でも入団できたことから組織的な繋がりはなく、また教義上の系譜も否定された。
神殿の開設
1888年3月1日に最初の運営施設となる「イシス・ウラニア神殿」が英国ロンドンに開かれた。続けて年内にサマセット州のウェストン・スーパー・メア区に「オシリス神殿」を設置し、西ヨークシャー州のブラッドフォード市にも「ホルス神殿」を開設した。さらに主要団員のJ・W・ブロディ=イネスがエディンバラの地に「アメン・ラー神殿」を設立した。1892年にマザーズはロンドンを離れてパリに移住し、そこで自身の「アハトル神殿」を立ち上げた。その後、アメリカからの参加者が増えたので、1900年までに「トート・ヘルメス神殿」がシカゴに開かれたが、こちらはフランチャイズ的な組織であったようである。
フリーメイソン限定であった英国薔薇十字協会と異なり、ウェストコットの意向で黄金の夜明け団は一般人にも門戸が開かれていた。またメイソン系とは一線を画して団内を男女平等にし、補職と待遇に性差による区別を付けなかった。団員は主に紹介と推薦によって集められ、また大英博物館周辺などでこれはと思った人物を勧誘することもあった。その際はフリーメイソンと英国薔薇十字協会のブランドが利用され、さらに興味を引いた人間には薔薇十字団の名も持ち出された。こうして設立から2年の間に文化人、知識人、中産階級を中心にして100名以上が加入した。
隆盛そして軋轢
1890年秋の時点で黄金の夜明け団には、ヴィクトリア朝社会の様々な階層から参加した100名以上の団員が在籍していた。その中には女優のフロレンス・ファー、アイルランド革命家兼女優モード・ゴン、画家パメラ・C・スミス、ノーベル賞詩人W・B・イェイツ、小説家のアーサー・マッケンやアルジャノン・ブラックウッド、詩人のウィリアム・シャープ、文筆家のA・E・ウェイトといった当時の著名な文化人や知識人も名を連ねており、後に魔術師として名を成すアレイスター・クロウリーも一時期メンバーであった。かのコナン・ドイルも勧誘されたことがあった。
1891年、ウェストコットは秘密の首領であるアンナ嬢からの連絡が途絶えたと団内で公表した。これは独自のスタイルで今後の教義と活動の幅を広げようとする意思表示でもあった。同年末に高齢の首領ウッドマンが死去した。1892年にマザーズは妻のモイナとともにパリへ移住し、そこで新たな秘密の首領との接触に成功したと発表した。ウェストコットはやや驚いたようで、この辺から団内のぎくしゃくが始まったと見られている。ウェストコットは対立を回避し、以後の教義はマザーズが全面的に作成することになった。1897年に検死官が本職のウェストコットは、団員の誰かが辻馬車内に置き忘れた団内文書から、勤務先の当局に魔術結社との繋がりを知られてしまい、黄金の夜明け団から手を引くことを余儀なくされ首領職を辞任した。その結果、パリ在住のマザーズが唯一の首領になった。マザーズはロンドンのイシス・ウラニア神殿の運営をフロレンス・ファーにまかせてイギリス側の代表とした。しかし、ファーを始めとするロンドンの団員たちは、マザーズの日頃の言動と頻繁な会議欠席に不満を募らせて、彼のリーダーシップに疑問を抱くようになっていった。
1899年、イシス・ウラニア神殿は団内の問題児であったアレイスター・クロウリーのアデプト昇格を拒否した。これに反発したクロウリーはパリにいる首領マザーズを頼った。1900年1月16日にマザーズはロンドン側への当てつけも兼ねて、パリのアハトル神殿でクロウリーをアデプトに昇格させた。ロンドンに帰還したクロウリーは、ファーたちにマザーズの昇格決定に従うよう要求した。ファーは断固拒絶し、問題が収束するまでのイシス・ウラニア神殿の閉鎖とイギリス代表辞任の意思を表明した。パリのマザーズは、ファーたちの背後でウェストコットが糸を引いていると疑うようになり、彼の信用を落とせばロンドン側を切り崩せると考えて、秘密の首領アンナ嬢の書簡はウェストコットの捏造であったと暴露した。これによって団内全体が紛糾することになった。ファーたちはウェストコットの回答も得た上で事態収拾の会合を繰り返し開き、3月3日にマザーズに対して捏造とする証拠の提示を求めた。この予想外の反応に困惑したマザーズは拒否という態度を取った。調停は決裂し、23日にパリのマザーズはファーの解任指示を出したが、逆に29日のロンドンの会議で首領マザーズの追放が決定された。憤激したマザーズは愛弟子であるクロウリーをロンドンへ派遣し、イシス・ウラニア神殿の保管庫にある重要文書と儀式道具を押収させて運営不能にするという型破りの作戦に出た。これは保管庫の所在地からブライスロードの戦いと呼ばれたが、建物に押し入ったところで当然のごとく通報されて失敗した。
分裂
ブライスロードの事件で黄金の夜明け団の確執と亀裂は修復不可能となった。イシス・ウラニア神殿は主宰者フロレンス・ファーの多数派と、E・W・ベリッジを中心とするマザーズ支持派に分裂した。この内紛を傍観する立場であったホルス神殿とオシリス神殿はそのままマザーズの下に残った。ブロディ=イネス主宰のアメン・ラー神殿はファー派に合流した。こうして1900年6月の時点で黄金の夜明け団は、マザーズ派とファー派に二分されることになった。
その後のファー派では新たな内輪揉めが発生したので、収束のためにW・B・イェイツが新しく代表に就任したが、数々の衝突に嫌気が差したイェイツは1901年に退団した。同年にホロス夫妻の詐欺事件にマザーズが巻き込まれて黄金の夜明け団の名称がスキャンダラスに報道されてしまったために、社会的体面を重んじるファー派は「暁の星」と改称した。直後にファーは退団し「暁の星」はブロディ=イネスとR・フェルキンが代表になった。1903年になると従来の教義に否定的だったA・E・ウェイトの派閥が「暁の星」から離脱して、黄金の夜明けの「独立修正儀礼」と称する新団体を組織した。儀式魔術に反発しつつ在籍を続けたウェイトは、自分の団体作りのためにイシス・ウラニア神殿を利用していたことになるが、いわく付きとなった黄金の夜明け名義を採用しているので一定の思い入れはあったようである。ウェイトの独立劇で「暁の星」は多くの団員を失った。1906年にマザーズは黄金の夜明け団の幕引きを決めて、パリのアハトル神殿を本部とする魔術結社「A∴O∴」に組織再編した。同じ頃、ブロディ=イネスはフェルキンの方針に不満を覚えてエディンバラへ帰還し、1907年に自身主宰のアメン・ラー神殿とともに「暁の星」を離れて、マザーズと和解した後に「A∴O∴」へ合流した。さらに団員を失った「暁の星」はフェルキンの下で数々の混乱を経ながら続いた。一方で分裂の原因となったアレイスター・クロウリーは結局、マザーズとも仲違いした末に飄然と世界放浪へ旅立って帰還後の1907年に「銀の星」を結成した。
最終的に、黄金の夜明け団は「暁の星」「A∴O∴」「G∴D∴独立修正儀礼」といった三つの団体に分裂して、その教義は様々な形で受け継がれながらも歴史の中に姿を消したのである。
教義概要
黄金の夜明け団の教義は、古今東西の隠秘学知識の綜合体とも言うべきものある。ユダヤの秘教哲学であるカバラを中心にして、神智学の流れを汲む東洋神秘思想、エジプト神話学、グリモワール、古典元素、タロット、占星術、ジオマンシー、錬金術、エノク語、タットワを含むインド密教などあらゆる知識が習合されていた。ただし、彼ら英国人にとって親しみ易いはずのキリスト教神秘主義はある程度意図的に避けられていたようで、これは同時に一つの方向性を示している。カバラに内包される生命の樹が団内の聖典的な象徴図表とされ、上述の各分野から引用される多種多様な知識は生命の樹の各要素に対照させる形で分類され整理された。その中にはこじつけ的な照応も散見されるが、あらゆる隠秘学および神秘思想分野から蒐集された知識群の比較的高度な体系化が黄金の夜明け団教義の最大の特徴であった。
上述の知識群は、創設者をはじめとするアデプトたちが言わば自由研究的に持ち寄って考察を加えた後に、教義の方向性に沿う形で再解釈され、必要に応じて団内のカリキュラムに組み込まれた。魔術の研鑽に必要とされる様々な知識は、アデプトによってテキスト化されて秘儀参入者たちに学ばれた。団内ではアデプト一人一人の独自研究が奨励されており、それぞれの研究成果は「飛翔する巻物」と題された団内文書の各巻に編集されてアデプトたちの間で相互に閲覧された。この自由な知識探究の気風は団内の教義を発展させる原動力となったが、他方で迷走の一因にもなった。
団員たちは秘儀参入時に団内で得た知識を口外しないことを誓約していたので、その教義内容が公にされることはなかった。しかし、後継団体の度重なる分裂と内輪揉めにより、知識そのものの喪失を危惧したイスラエル・リガルディーが関係文書を書籍にまとめて公開出版するという手段に踏み切ったことで、それまで謎に包まれていた黄金の夜明け団教義の大部分が一般に入手できるようになった。この英断または独断は魔術関係者の間で大きな賛否を巻き起こした。なお、リガルディーは1969年に自宅を魔術マニアに荒らされ数々の貴重なコレクションを盗まれるという憂き目に合っている。魔術関係者の中にはこれを天罰と見る者[誰?]もいた[3]。
実践内容
黄金の夜明け団は儀式魔術を眼目にした団体であり、上述の教義知識はそのセレモニー(魔術儀式)の中で最大活用された。儀式魔術とは、舞台となる密室の設置から室内に細かく配置する大道具小道具の取り揃えおよび参加者それぞれの衣装と台詞と動作の一つ一つに特定の知識を伴うという特別な演劇を媒体にした秘教哲学の体現化芸術であった。儀式魔術の実践は団員の連帯感を高めると同時に、参加者たちの感性と知覚能力に一定の影響を及ぼすと信じられており定期的に履行された。
また、アストラル投射と称される夢見技法も持てはやされていた。黄金の夜明け団はこの夢見技法をマニュアル化しており、かなりの個人差はあったがそれなりの確率で白昼夢の世界に入り込むことができたようである。アストラル投射の手順とは、特定の象徴物を凝視しながら意識を集中し自分自身がその象徴の中に入り込むように想像力を強く働かせるというものであった。熟達するにつれて始めはむりやり想像していたイメージの実感が徐々に明確になり、ついには立体化した想像空間が意識の集中を離れて自動的に脳内で織りなされるようになる。それがアストラル旅行の出発点となった。スクライングとの違いは、より能動的に幻視された世界を動き回れることである。凝視する象徴物の組み合わせを変えることで、アストラル旅行の内容も様々に変化するという奥深さが多くのアデプトを虜にした。前述の生命の樹を中心にした象徴照応教義はこの時に最大活用された。ただし、情緒不安定を誘引するという副作用も指摘されており、多用は戒められていた。また、アストラル投射の中で時折得られる印象的な啓示や神託は、自我の肥大と過度の自己主張を引き起こす原因にもなって団体内に不和と軋轢を生じさせることもあった。
団員の位階
ウェストコットは黄金の夜明け団の位階を制定するに際し、英国薔薇十字協会の位階をほとんどそのまま持ち込んでいる。その最下位に「新参者」を新設し、最上位に「イプシシマス」を追加した。黄金の夜明け団の初位階である「新参者」とその上の4位階は暗号文書に依拠していたが、その4位階は18世紀ドイツの黄金薔薇十字団のそれと一致していた[4]。英国薔薇十字協会の位階制度も黄金薔薇十字団の模倣であった[5]。魔術結社風のアレンジとして各位階を生命の樹のそれぞれのセフィラに対応させ、上昇=下降のペア階段値を付け加えた。「新参者」は生命の樹の枠外とした。入団者は「新参者」を出発点とし、それぞれの段階の昇格試験をクリアすることで上の位階へと進んだ。この黄金の夜明け団の位階制度は、後継魔術団体の手本とされて現代に到るまで踏襲され続けている。
11の位階は第一オーダー(外陣)、第二オーダー(内陣)、第三オーダーの三層に分割されており、それぞれ別グループに扱われて個別の団名を持った。黄金の夜明け団は建前上この三層構成とされた。外陣は一般団員用である。ポータルは外陣と内陣の橋渡し段階であり、アデプトになる前の準備期間とされた。内陣に進むと晴れてアデプトとして認められた。内陣は幹部団員専用であった。当初は肉体を持ったままの魔術師が到達できるのはアデプタス・マイナーまでとされていたが、後継団体を含む後期になると幹部団員の中から特に根拠もなくアデプタス・メジャー昇格を宣言する者も現れるようになった。アデプタス・イグゼンプタスは創立者専用の名誉位階として用いられることが多い。第三オーダーはほとんど架空の存在であった。
第一オーダー「黄金の夜明け団」(外陣)
- 新参者(Neophyte、ニーオファイト)(0°=0□)
- 熱心者(Zelator、ジーレイター[注 2](1°=10□)
- 理論者(Theoricus、セオリカス)(2°=9□)
- 実践者(Practicus、プラクティカス)(3°=8□)
- 哲学者(Philosophus、フィロソファス)(4°=7□)
- 予科門(Portal Grade、ポータル・グレード)
第ニオーダー「ルビーの薔薇と黄金の十字架団」(内陣)
- 小達人 (Adeptus Minor、アデプタス・マイナー)(5°=6□)
- 大達人 (Adeptus Major、アデプタス・メイジャー)(6°=5□)
- 被免達人(Adeptus Exemptus、アデプタス・イグゼンプタス)(7°=4□)
第三オーダー「秘密の首領」
- 神殿の首領(Magister Templi、マジスター・テンプリ)(8°=3□)
- 魔術師 (Magus、メイガス)(9°=2□)
- 自己自身者(Ipsissimus[注 3]、イプシシマス)(10°=1□)
在籍した人物
- ウィリアム・バトラー・イェイツ - 1923年度ノーベル文学賞
- アーサー・エドワード・ウェイト
- アレイスター・クロウリー
- アルジャーノン・ブラックウッド - 作家
- アーサー・マッケン - 作家
- グスタフ・マイリンク - 作家
- ウィリアム・シャープ - 作家
- パメラ・コールマン・スミス - 画家
- エドワード・ウィリアム・ベリッジ - 医師、ホメオパシスト。
- アラン・ベネット - 英国仏教協会創立者
- アンナ・ド・ブレモン - ジャーナリスト
- ジョン・ウィリアム・ブロディ=イネス - 弁護士
- フロレンス・ファー - 女優
- ロバート・ウィリアム・フェルキン - 医師
- フレデリック・リー・ガードナー
- モード・ゴン - 女優、女性運動家
- アニー・ホーニマン - 資産家、演劇の支援活動に従事
- モイナ・マザーズ
登場する作品
鎌池和馬『とある魔術の禁書目録』 アレイスター・クロウリー - 学園都市統括理事長。元世界最高最強の魔術師にして現世界最高の科学者。アニメ版の担当声優は関俊彦。黄金夜明 - マグレガー・メイザース率いる勢力。
関連文献
- 『ロンドンを旅する60章』 (42章「魔都」ロンドン 執筆担当太田直也) 2012年、明石書店、ISBN 978-4-7503-3603-9
脚注
註釈
出典
参考文献
- 吉村正和『図説 近代魔術』河出書房新社、2013年。
- フランシス・キング『英国魔術結社の興亡』江口之隆訳、国書刊行会、1994年。
- Gilbert, R. A. (1997). The Golden Dawn Scrapbook. Samuel Weiser
関連項目
外部リンク
- リガルディと「黄金の夜明け」
- The Golden Dawn FAQ (original from 1990s Usenet groups)
- The Golden Dawn Library Project
- Golden Dawn entries in Llewellyn Encyclopedia
- Golden Dawn Tradition, by co-founder Dr. W. Wynn Westcott
- Photocopies and the translation of the original Cipher Manuscripts
- Lots of GD material on display in Yeats exhibition including Ritual Notebooks.
- The Golden Dawn Roll Call
- Golden Dawn - DMOZ
- Hermetic Order of the Golden Dawn: Biographies of Members