「黄金の夜明け団」の版間の差分
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'''黄金の夜明け団'''(おうごんのよあけだん、''{{lang|en|The Hermetic Order of the Golden Dawn}}'')は、[[19世紀]]末の[[イギリス]]で創設された[[近代魔術|西洋魔術]]結社である。'''黄金の暁会'''とも訳され、'''G.D.'''と略名される。現代[[近代魔術|西洋魔術]]の思想、教義、儀式、実践作法の源流になった近現代で最も著名な西洋[[神秘学|隠秘学]]組織である。 |
'''黄金の夜明け団'''(おうごんのよあけだん、''{{lang|en|The Hermetic Order of the Golden Dawn}}'')は、[[19世紀]]末の[[イギリス]]で創設された[[近代魔術|西洋魔術]]結社である。'''黄金の暁会'''とも訳され、'''G.D.'''と略名される。現代[[近代魔術|西洋魔術]]の思想、教義、儀式、実践作法の源流になった近現代で最も著名な西洋[[神秘学|隠秘学]]組織である。 |
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創設者の{{仮リンク|ウィリアム・ロバート・ウッドマン|en|William Robert Woodman}}、{{仮リンク|ウィリアム・ウィン・ウェストコット|en|William Wynn Westcott}}、[[マグレガー・メイザース]]{{efn2|[[江口之隆]]は「マサース」、ヘイズ中村は「マザース」、[[吉村正和]]は「マザーズ」とカナ表記している。}}の三人は[[フリーメイソン]]であったが、それとは一線を画して団内の運営は男女平等に定められており、補職と待遇に性差による区別を付けなかったことが特筆されている。この団体は建前上、三つ |
創設者の{{仮リンク|ウィリアム・ロバート・ウッドマン|en|William Robert Woodman}}、{{仮リンク|ウィリアム・ウィン・ウェストコット|en|William Wynn Westcott}}、[[マグレガー・メイザース]]{{efn2|[[江口之隆]]は「マサース」、ヘイズ中村は「マザース」、[[吉村正和]]は「マザーズ」とカナ表記している。}}の三人は[[フリーメイソン]]であったが、それとは一線を画して団内の運営は男女平等に定められており、補職と待遇に性差による区別を付けなかったことが特筆されている。この団体は建前上、三つの団(オーダー)による階層構造をなしており、第一団の「黄金の夜明け」は一般団員用で基礎教義を学び、第二団の「紅薔薇黄金十字」{{efn2|原語はラテン語で「Ordo Rosae Rubeae et Aureae Crucis (R. R. et A. C.)」。「紅い薔薇と黄金の十字の教団」の意。[[澁澤龍彦]]は「紅薔薇黄金十字」{{sfn|キング|澁澤訳|1978|p=90}}、江口之隆は「ルビーの薔薇と金の十字架」団と翻訳{{sfn|江口|亀井|1983|p=50}}。}}<!--Ruberaeという言葉は存在してません。[[:en:Hermetic Order of the Golden Dawn]]、[[:en:Ancient Mystical Order Rosae Crucis]][[:en:Rose Cross]]を参照されたいがOrdo Rosae Rubeae et Aureae Crucisです。[[wiktionary:ja:ordo#ラテン語]][[wiktionary:ja:rosa#ラテン語]][[wiktionary:rubeus#Latin]][[wiktionary:ja:et#ラテン語]][[wiktionary:aureus#Latin]][[wiktionary:crucis]]より階層、薔薇、赤い、と、黄金、十字架で意味はが通りますし、恐らくルビーは誤解・誤植・誤訳で間違いないでしょう。読みというなら他も同じでなければおかしいです。またルビーだと普通は宝石で誤解に繋がります。紅い、紅、深紅でも構いませんが、ルビーは認められないです-->は幹部団員専用で高度な実践を行い、第三団は[[秘密の首領]]らが在籍する霊的団体とされた。この三層の総称として'''黄金の夜明け団'''と呼ばれる。 |
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==誕生までの経緯== |
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黄金の夜明け団の創設は、[[フリーメイソン|メイソン]]系[[薔薇十字団|薔薇十字]]団体のひとつである{{仮リンク|英国薔薇十字協会|en|Societas Rosicruciana in Anglia}}{{sfn|キング|江口訳|1994|p=31}}{{efn2|英国薔薇十字協会は、[[秘教]]的な事柄に関心をもつ少数のフリーメイソン(フリーメイソンリーの会員)によって1866年に結成された{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=196}}社交クラブ([[サロン]])のような団体であった。メイソンのみで構成された団体ではあるが、フリーメイソン組織ではなく{{sfn|吉村|2013|pp=52}}、メイソンリーに付属する秘教研究会のような存在であった(黄金の夜明け団とは異なり、魔術は研究対象ではなかった){{sfn|吉村|2013|pp=62-63}}。1870年代から1880年代にかけて、同協会ではいくつかの儀式や、カバラやフリーメイソンの象徴性についての講義などが行われていた{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=197}}。}}の会員{{仮リンク|ウィリアム・ウィン・ウェストコット|en|William Wynn Westcott}}が、1887年8月に知人より60枚の[[暗号文書 (黄金の夜明け団)|暗号文書]]を譲り受けたことに端を発する。 |
黄金の夜明け団の創設は、[[フリーメイソン|メイソン]]系[[薔薇十字団|薔薇十字]]団体のひとつである{{仮リンク|英国薔薇十字協会|en|Societas Rosicruciana in Anglia}}{{sfn|キング|江口訳|1994|p=31}}{{efn2|英国薔薇十字協会は、[[秘教]]的な事柄に関心をもつ少数のフリーメイソン(フリーメイソンリーの会員)によって1866年に結成された{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=196}}社交クラブ([[サロン]])のような団体であった。メイソンのみで構成された団体ではあるが、フリーメイソン組織ではなく{{sfn|吉村|2013|pp=52}}、メイソンリーに付属する秘教研究会のような存在であった(黄金の夜明け団とは異なり、魔術は研究対象ではなかった){{sfn|吉村|2013|pp=62-63}}。1870年代から1880年代にかけて、同協会ではいくつかの儀式や、カバラやフリーメイソンの象徴性についての講義などが行われていた{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=197}}。}}の会員{{仮リンク|ウィリアム・ウィン・ウェストコット|en|William Wynn Westcott}}が、1887年8月に知人より60枚の[[暗号文書 (黄金の夜明け団)|暗号文書]]を譲り受けたことに端を発する。 |
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{{要出典範囲|以下はウェストコットの供述となるが、この一連の文書が16世紀の書物『{{仮リンク|ポリグラフィア|en|Polygraphia (book)}}』記載の[[換字式暗号|暗号法]]で書かれている事に気付いた彼は、早速解読に取り掛かったという|date=2019-05-27}}。同年9月に全ての復号化に成功したウェストコットは、文書の中にドイツ在住の{{仮リンク|アンナ・シュプレンゲル|label=シュプレンゲル|en|Anna Sprengel}}という人物の住所を見つけ、同時に返信を望んでいる一文も確認した。シュプレンゲル(後にファーストネームがアンナという老嬢であると判明する)と書簡連絡を取るようになったウェストコットは、彼女を伝説の[[薔薇十字団]]の教義を継承する偉大な魔術師であると認め、[[秘密の首領]]と仰ぐようになった。かねてより独自のオカルト団体を作りたいと考えていたウェストコットは、シュプレンゲルとの手紙のやり取りの中でその意志を伝えると、彼女からドイツ「黄金の夜明け({{lang-de-short|die goldene Dämmerung}})」団の公認する支部設立の許可を受け取った。その教義は暗号文書の記載内容に則ったものと定められた。ウェストコットはこの秘密の首領のお墨付きを元に、友人[[マグレガー・メイザース]]と年長の{{仮リンク|ウィリアム・ロバート・ウッドマン|en|William Robert Woodman}}を共同創立者にして、1888年3月1日に[[神殿|神殿(テンプル)]]と称する魔術結社の運営施設をロンドンに開いた |
{{要出典範囲|以下はウェストコットの供述となるが、この一連の文書が16世紀の書物『{{仮リンク|ポリグラフィア|en|Polygraphia (book)}}』記載の[[換字式暗号|暗号法]]で書かれている事に気付いた彼は、早速解読に取り掛かったという|date=2019-05-27}}。同年9月に全ての復号化に成功したウェストコットは、文書の中にドイツ在住の{{仮リンク|アンナ・シュプレンゲル|label=シュプレンゲル|en|Anna Sprengel}}という人物の住所を見つけ、同時に返信を望んでいる一文も確認した。シュプレンゲル(後にファーストネームがアンナという老嬢であると判明する)と書簡連絡を取るようになったウェストコットは、彼女を伝説の[[薔薇十字団]]の教義を継承する偉大な魔術師であると認め、[[秘密の首領]]と仰ぐようになった。かねてより独自のオカルト団体を作りたいと考えていたウェストコットは、シュプレンゲルとの手紙のやり取りの中でその意志を伝えると、彼女からドイツ「黄金の夜明け({{lang-de-short|die goldene Dämmerung}})」団の公認する支部設立の許可を受け取った。その教義は暗号文書の記載内容に則ったものと定められた。ウェストコットはこの秘密の首領のお墨付きを元に、友人[[マグレガー・メイザース]]と年長の{{仮リンク|ウィリアム・ロバート・ウッドマン|en|William Robert Woodman}}を共同創立者にして、1888年3月1日に[[神殿|神殿(テンプル)]]と称する魔術結社の運営施設をロンドンに開いた。 |
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上記の公式創立譚によって発足する事になった黄金の夜明け団は{{efn2|この創立譚はあくまで神話である。前述の暗号文書がウェストコットの偽造でないことはほぼ確実であるが、その入手経路について現代の研究者はウェストコットの主張を必ずしも額面通りに受けとっていない{{sfn|吉村|2013|pp=63-64}}。そして、その後に行われたシュプレンゲルとの文通はウェストコットの捏造であろうと考えられている{{sfn|吉村|2013|p=65}}{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=197}}。}}、ドイツ[[薔薇十字団]]の流れを汲むものとされた。ウェストコットが運営面を担当し、メイザースは教義面を担当した。冒頭の英国薔薇十字協会の会長でもあるウッドマンは権威付けのための名義貸しのようなものであった。この三人は同時に[[アデプト]](達人)となり団体の首領(''Chief'')となった。英国薔薇十字協会は{{要出典|[[キリスト教神秘主義]]のさらに深遠を扱う{{仮リンク|キリスト教秘儀派|en|Esoteric Christianity}}のサロンであり|date=2019-05-25}}、在籍者は[[フリーメイソン]]に限られていた。黄金の夜明け団は事実上その分派であったが、一般人でも入団できたことから組織的な繋がりはなく、また教義上の系譜も否定された。<gallery mode="packed" heights="160"> |
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ファイル:WilliamRobertWoodman.png|ウッドマン |
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ファイル:William Wynn Westcott PNG.png|ウェストコット |
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[[ファイル:Pamela Colman Smith circa 1912.jpg|サムネイル|252x252px|パメラ・C・スミス|代替文=]] |
[[ファイル:Pamela Colman Smith circa 1912.jpg|サムネイル|252x252px|パメラ・C・スミス|代替文=]] |
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1888年3月1日に最初の運営施設となる「{{仮リンク|イシス・ウラニア神殿|en|Isis-Urania Temple}}」 |
1888年3月1日に最初の運営施設となる「{{仮リンク|イシス・ウラニアNo.3神殿|en|Isis-Urania Temple}}」が英国ロンドンに開かれた。続けて年内に[[サマセット州]]の[[ウェストン・スーパー・メア|ウェストン・スーパー・メア区]]に「[[オシリス]]No.4神殿」が、[[ウェスト・ヨークシャー州|西ヨークシャー州]]の[[ブラッドフォード (イングランド)|ブラッドフォード市]]にも「[[ホルス]]No.5神殿」が開設された。さらに主要団員の{{仮リンク|J・W・ブロディ=イネス|labe=ブロディ=イネス|en|John William Brodie-Innes}}が[[エディンバラ]]の地に「[[アメン]]・[[ラー]]No.6神殿」を設立した。1892年にメイザースはロンドンを離れて[[パリ]]に移住し、そこで自身の「[[ハトホル|アハトル]]No.7神殿」を立ち上げた。またアメリカからの参入者も増えたので、1900年までに[[シカゴ]]の「[[トート]]・[[ヘルメース|ヘルメス]]神殿」を含む複数個が現地に設置された{{sfn|江口|亀井|1983|pp=65-66}}。こちらでは物好きな米国人の為の位階売買が行なわれていたと言われるが{{sfn|キング|江口訳|1994|pp=134-135}}、{{仮リンク|P・F・ケイス|en|Paul Foster Case}}など著名オカルティストも輩出している。なお、No.1神殿はドイツにある本部とされ、No.2神殿は過去に計画頓挫した在英支部とされた。 |
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[[フリーメイソン]]限定であった英国薔薇十字協会と異なり、ウェストコットの意向で黄金の夜明け団は一般人にも門戸が開かれていた。またメイソン系とは一線を画して団内を男女平等にし、補職と待遇に性差による区別を付けなかった。団員は主に紹介と推薦によって集められ、また[[大英博物館]]周辺などでこれはと思った人物を勧誘することもあった。その際はフリーメイソンと英国薔薇十字協会のブランドが利用され、さらに興味を引いた人間には[[薔薇十字団]]の名も持ち出された。こうして設立から2年の間に文化人、知識人、中産階級を中心にして100名以上が加入した。 |
[[フリーメイソン]]限定であった英国薔薇十字協会と異なり、ウェストコットの意向で黄金の夜明け団は一般人にも門戸が開かれていた。またメイソン系とは一線を画して団内を男女平等にし、補職と待遇に性差による区別を付けなかった。団員は主に紹介と推薦によって集められ、また[[大英博物館]]周辺などでこれはと思った人物を勧誘することもあった。その際はフリーメイソンと英国薔薇十字協会のブランドが利用され、さらに興味を引いた人間には[[薔薇十字団]]の名も持ち出された。こうして設立から2年の間に文化人、知識人、中産階級を中心にして100名以上が加入した。 |
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==分裂== |
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ブライスロードの事件で黄金の夜明け団の確執と亀裂は修復不可能となった。イシス・ウラニア神殿は主宰者フロレンス・ファーの多数派と、{{仮リンク|E・W・ベリッジ|en|Edmund William Berridge}}<!--なぜか英語版の記事名は Edmund William Berridge になっているが、Edward が正しい。-->を中心とするメイザース支持派に分裂した。この内紛を傍観する立場であったホルス神殿とオシリス神殿はそのままメイザースの下に残った。ブロディ=イネス主宰のアメン・ラー神殿はファー派に合流した。こうして1900年6月の時点で黄金の夜明け団は、メイザース派とファー派に二分されることになった。 |
ブライスロードの事件で黄金の夜明け団の確執と亀裂は修復不可能となった。イシス・ウラニア神殿は主宰者フロレンス・ファーの多数派と、{{仮リンク|E・W・ベリッジ|en|Edmund William Berridge}}<!--なぜか英語版の記事名は Edmund William Berridge になっているが、Edward が正しい。-->を中心とするメイザース支持派に分裂した。この内紛を傍観する立場であったホルス神殿とオシリス神殿はそのままメイザースの下に残ったが、双方ともメンバーは少数だった。ブロディ=イネス主宰のアメン・ラー神殿はファー派に合流した。アメリカにある複数の神殿はメイザースとのコネクションを維持した。こうして1900年6月の時点で黄金の夜明け団は、メイザース派とファー派に二分されることになった。 |
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その後のファー派では彼女と{{仮リンク|アニー・ホーニマン|en|Annie Horniman}} の対立が深刻化したので、収束の為に[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|W・B・イェイツ]]が新たな代表に就任したが、数々の衝突に嫌気が差したイェイツは1901年に退団した。同年に{{仮リンク|ホロス夫妻|en|Ann O'Delia Diss Debar}}の詐欺事件にメイザースが巻き込まれて黄金の夜明け団の名称がスキャンダラスに報道されてしまったために、社会的体面を重んじるファー派は「{{仮リンク|暁の星|en|Stella Matutina}}」と改称した。直後にファーは退団し「暁の星」はブロディ=イネスと{{仮リンク|R・フェルキン|en|Robert William Felkin}}が代表になった。1903年になると従来の教義に否定的であった[[アーサー・エドワード・ウェイト|A・E・ウェイト]]の派閥が「暁の星」から離脱して「聖黄金の夜明け団」と称する団体を組織した{{sfn|江口|亀井|1983|pp=91-93}}。儀式魔術に反発しつつ在籍を続けたウェイトは、{{独自研究範囲|自分の団体作りのためにイシス・ウラニア神殿を利用していたことになるが、いわく付きとなった黄金の夜明け名義を採用しているので一定の思い入れはあったようである|date=2019-05-27}}。ウェイトの独立劇で「暁の星」は多くの団員を失った。{{要出典範囲|1906年にメイザースは黄金の夜明け団の幕引きを決めて、パリのアハトル神殿を本部とする魔術結社「{{仮リンク|A∴O∴|en|Alpha et Omega}}」に組織再編した|date=2019-05-27}}。同じ頃、ブロディ=イネスはフェルキンの方針に不満を覚えて[[エディンバラ]]へ帰還し、1907年に自身主宰のアメン・ラー神殿とともに「暁の星」を離れて、メイザースと和解した後に「A∴O∴」 |
その後のファー派では彼女と{{仮リンク|アニー・ホーニマン|en|Annie Horniman}} の対立が深刻化したので、収束の為に[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|W・B・イェイツ]]が新たな代表に就任したが、数々の衝突に嫌気が差したイェイツは1901年に退団した。同年に{{仮リンク|ホロス夫妻|en|Ann O'Delia Diss Debar}}の詐欺事件にメイザースが巻き込まれて黄金の夜明け団の名称がスキャンダラスに報道されてしまったために、社会的体面を重んじるファー派は「{{仮リンク|暁の星|en|Stella Matutina}}」と改称した。直後にファーは退団し「暁の星」はブロディ=イネスと{{仮リンク|R・フェルキン|en|Robert William Felkin}}が代表になった。1903年になると従来の教義に否定的であった[[アーサー・エドワード・ウェイト|A・E・ウェイト]]の派閥が「暁の星」から離脱して「聖黄金の夜明け団」と称する団体を組織した{{sfn|江口|亀井|1983|pp=91-93}}。儀式魔術に反発しつつ在籍を続けたウェイトは、{{独自研究範囲|自分の団体作りのためにイシス・ウラニア神殿を利用していたことになるが、いわく付きとなった黄金の夜明け名義を採用しているので一定の思い入れはあったようである|date=2019-05-27}}。ウェイトの独立劇で「暁の星」は多くの団員を失った。{{要出典範囲|1906年にメイザースは黄金の夜明け団の幕引きを決めて、パリのアハトル神殿を本部とする魔術結社「{{仮リンク|A∴O∴|en|Alpha et Omega}}」に組織再編した|date=2019-05-27}}。同じ頃、ブロディ=イネスはフェルキンの方針に不満を覚えて[[エディンバラ]]へ帰還し、1907年に自身主宰のアメン・ラー神殿とともに「暁の星」を離れて、メイザースと和解した後に「A∴O∴」へ合流した。さらに団員を失った「暁の星」はフェルキンの下で数々の混乱を経ながら続いた。 |
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以上の経緯 |
以上の経緯により、黄金の夜明け団は「{{仮リンク|暁の星|en|Stella Matutina}}」「{{仮リンク|A∴O∴|en|Alpha et Omega}}」「聖黄金の夜明け団」といった三つの団体に分裂して{{sfn|江口|亀井|1983|pp=93-94}}、その教義は様々な形で受け継がれながらも歴史の中に姿を消したのである。分裂の引金をひく事になった[[アレイスター・クロウリー]]は結局、メイザースとも仲違いした末に飄然と世界放浪へ旅立って帰還後の1907年に「[[銀の星]]」を結成した。 |
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==分派団体のその後== |
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==分派== |
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;暁の星 |
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:メイザースに反旗を翻したロンドン・グループの多数派が1902年に組織した「黄金の夜明け」の後継団体{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=203}}。 |
:メイザースに反旗を翻したロンドン・グループの多数派が1902年に組織した「黄金の夜明け」の後継団体{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=203}}。 |
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:A・E・ウェイトとM・W・ブラックデンによって結成された組織{{sfn|吉村|2013|p=112}}。'''聖黄金の夜明け団'''とも。 |
:A・E・ウェイトとM・W・ブラックデンによって結成された組織{{sfn|吉村|2013|p=112}}。'''聖黄金の夜明け団'''とも。 |
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:1899年に第二団に昇進したA・E・ウェイトは儀式魔術よりもキリスト教神秘主義を志向していた。元祖イシス・ウラニア神殿を掌握した{{efn2|フランシス・キングは、イシス・ウラニアの名を冠した独自の神殿としている{{sfn|キング|江口訳|1994|p=114}}。}}ウェイトは、異教的要素を排した修正版の儀礼体系を作り上げた{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|pp=203-204}}。その「黄金の夜明けの独立修正儀礼 (Independent and Rectified Rite of the Golden Dawn)」{{efn2|Independent and Rectified Order R. R. et A. C. とも。}}は1903年から1914年まで活動した{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=204}}。この結社では第三団や秘密の首領の存在は否定され{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=204}}、魔術作業は廃止された{{sfn|キング|江口訳|1994|p=115}}。会員には、キリスト教神秘主義の著作で知られる{{仮リンク|イーヴリン・アンダーヒル|en|Evelyn Underhill}}がいた{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=204}}。その後、ウェイトは1915年に「薔薇十字同志会」という新たな神秘主義団体を作った。後者の団体には『万聖節の夜』などの幻想小説を著した文学者{{仮リンク|チャールズ・ウィリアムズ (文学者)|label=チャールズ・ウィリアムズ|en|Charles Williams (British writer)}}が所属していた{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=204}}。 |
:1899年に第二団に昇進したA・E・ウェイトは儀式魔術よりもキリスト教神秘主義を志向していた。元祖イシス・ウラニア神殿を掌握した{{efn2|フランシス・キングは、イシス・ウラニアの名を冠した独自の神殿としている{{sfn|キング|江口訳|1994|p=114}}。}}ウェイトは、異教的要素を排した修正版の儀礼体系を作り上げた{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|pp=203-204}}。その「黄金の夜明けの独立修正儀礼 (Independent and Rectified Rite of the Golden Dawn)」{{efn2|Independent and Rectified Order R. R. et A. C. とも。}}は1903年から1914年まで活動した{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=204}}。この結社では第三団や秘密の首領の存在は否定され{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=204}}、魔術作業は廃止された{{sfn|キング|江口訳|1994|p=115}}。会員には、キリスト教神秘主義の著作で知られる{{仮リンク|イーヴリン・アンダーヒル|en|Evelyn Underhill}}がいた{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=204}}。その後、ウェイトは1915年に「薔薇十字同志会」という新たな神秘主義団体を作った。後者の団体には『万聖節の夜』などの幻想小説を著した文学者{{仮リンク|チャールズ・ウィリアムズ (文学者)|label=チャールズ・ウィリアムズ|en|Charles Williams (British writer)}}が所属していた{{sfn|Goodrick-Clarke|2008|p=204}}。 |
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==教義概要== |
==教義概要== |
2019年5月31日 (金) 15:49時点における版
黄金の夜明け団の薔薇十字徽章 | |
略称 | G.D. |
---|---|
前身 | 英国薔薇十字協会 |
後継 | |
設立 | 1887 |
解散 | 1903 |
種類 | 秘密結社 |
本部 | ロンドン |
所在地 | |
首領 |
|
黄金の夜明け団(おうごんのよあけだん、The Hermetic Order of the Golden Dawn)は、19世紀末のイギリスで創設された西洋魔術結社である。黄金の暁会とも訳され、G.D.と略名される。現代西洋魔術の思想、教義、儀式、実践作法の源流になった近現代で最も著名な西洋隠秘学組織である。
創設者のウィリアム・ロバート・ウッドマン、ウィリアム・ウィン・ウェストコット、マグレガー・メイザース[注 1]の三人はフリーメイソンであったが、それとは一線を画して団内の運営は男女平等に定められており、補職と待遇に性差による区別を付けなかったことが特筆されている。この団体は建前上、三つの団(オーダー)による階層構造をなしており、第一団の「黄金の夜明け」は一般団員用で基礎教義を学び、第二団の「紅薔薇黄金十字」[注 2]は幹部団員専用で高度な実践を行い、第三団は秘密の首領らが在籍する霊的団体とされた。この三層の総称として黄金の夜明け団と呼ばれる。
誕生までの経緯
黄金の夜明け団の創設は、メイソン系薔薇十字団体のひとつである英国薔薇十字協会[3][注 3]の会員ウィリアム・ウィン・ウェストコットが、1887年8月に知人より60枚の暗号文書を譲り受けたことに端を発する。
以下はウェストコットの供述となるが、この一連の文書が16世紀の書物『ポリグラフィア』記載の暗号法で書かれている事に気付いた彼は、早速解読に取り掛かったという[要出典]。同年9月に全ての復号化に成功したウェストコットは、文書の中にドイツ在住のシュプレンゲルという人物の住所を見つけ、同時に返信を望んでいる一文も確認した。シュプレンゲル(後にファーストネームがアンナという老嬢であると判明する)と書簡連絡を取るようになったウェストコットは、彼女を伝説の薔薇十字団の教義を継承する偉大な魔術師であると認め、秘密の首領と仰ぐようになった。かねてより独自のオカルト団体を作りたいと考えていたウェストコットは、シュプレンゲルとの手紙のやり取りの中でその意志を伝えると、彼女からドイツ「黄金の夜明け(独: die goldene Dämmerung)」団の公認する支部設立の許可を受け取った。その教義は暗号文書の記載内容に則ったものと定められた。ウェストコットはこの秘密の首領のお墨付きを元に、友人マグレガー・メイザースと年長のウィリアム・ロバート・ウッドマンを共同創立者にして、1888年3月1日に神殿(テンプル)と称する魔術結社の運営施設をロンドンに開いた。
上記の公式創立譚によって発足する事になった黄金の夜明け団は[注 4]、ドイツ薔薇十字団の流れを汲むものとされた。ウェストコットが運営面を担当し、メイザースは教義面を担当した。冒頭の英国薔薇十字協会の会長でもあるウッドマンは権威付けのための名義貸しのようなものであった。この三人は同時にアデプト(達人)となり団体の首領(Chief)となった。英国薔薇十字協会はキリスト教神秘主義のさらに深遠を扱うキリスト教秘儀派のサロンであり[要出典]、在籍者はフリーメイソンに限られていた。黄金の夜明け団は事実上その分派であったが、一般人でも入団できたことから組織的な繋がりはなく、また教義上の系譜も否定された。
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ウッドマン
-
ウェストコット
-
メイザース
神殿の開設
1888年3月1日に最初の運営施設となる「イシス・ウラニアNo.3神殿」が英国ロンドンに開かれた。続けて年内にサマセット州のウェストン・スーパー・メア区に「オシリスNo.4神殿」が、西ヨークシャー州のブラッドフォード市にも「ホルスNo.5神殿」が開設された。さらに主要団員のJ・W・ブロディ=イネスがエディンバラの地に「アメン・ラーNo.6神殿」を設立した。1892年にメイザースはロンドンを離れてパリに移住し、そこで自身の「アハトルNo.7神殿」を立ち上げた。またアメリカからの参入者も増えたので、1900年までにシカゴの「トート・ヘルメス神殿」を含む複数個が現地に設置された[10]。こちらでは物好きな米国人の為の位階売買が行なわれていたと言われるが[11]、P・F・ケイスなど著名オカルティストも輩出している。なお、No.1神殿はドイツにある本部とされ、No.2神殿は過去に計画頓挫した在英支部とされた。
フリーメイソン限定であった英国薔薇十字協会と異なり、ウェストコットの意向で黄金の夜明け団は一般人にも門戸が開かれていた。またメイソン系とは一線を画して団内を男女平等にし、補職と待遇に性差による区別を付けなかった。団員は主に紹介と推薦によって集められ、また大英博物館周辺などでこれはと思った人物を勧誘することもあった。その際はフリーメイソンと英国薔薇十字協会のブランドが利用され、さらに興味を引いた人間には薔薇十字団の名も持ち出された。こうして設立から2年の間に文化人、知識人、中産階級を中心にして100名以上が加入した。
隆盛そして軋轢
1890年秋の時点で黄金の夜明け団には、ヴィクトリア朝社会の様々な階層から参加した100名以上の団員が在籍していた。アイルランド革命家兼女優モード・ゴン、小説家のアーサー・マッケンやアルジャノン・ブラックウッド、詩人フィオナ・マクラウドことウィリアム・シャープ、物理学者ウィリアム・クルックス、コンスタンス・ワイルド(オスカー・ワイルド夫人)といった当時の著名な文化人や知識人も一時的にせよ名を連ねていた。かのコナン・ドイルも勧誘されたことがあった。特筆すべき団員としては女優のフロレンス・ファー、ノーベル賞詩人W・B・イェイツがおり、フリーメイソンや魔術に関する書籍を濫造していた隠秘学者A・E・ウェイト、後に魔術師として名を成すアレイスター・クロウリー、ウェイト版タロットを作画した画家として知られるパメラ・C・スミスも団員であった。
1891年、ウェストコットは秘密の首領であるシュプレンゲル嬢からの連絡が途絶えたと公表し、団体運営は新たな節目を迎えた。これはより自由なスタイルで今後の教義と活動の幅を広げようとする意思表示でもあった。同年末に高齢の首領ウッドマンが死去した。1892年にメイザースは妻のモイナとともにパリへ移住し、そこで新たな秘密の首領との接触に成功したと発表した。ウェストコットはやや驚いたようで、この辺から団内のぎくしゃくが始まったと見られている。ウェストコットは対立を回避し、以後の教義はメイザースが全面的に作成することになった。1897年頃にウェストコットは突然首領職を辞して[12]団体運営から手を引いた[13]。これには諸説あるが、ロンドン警察の検死官が本職のウェストコットは、団員の誰かが辻馬車内に置き忘れた団内文書から勤務先の当局に魔術結社との繋がりを知られてしまい、職業倫理上の難色を示された結果だと見られている[13]。こうしてパリ在住のメイザースが唯一の首領になった。メイザースはロンドンのイシス・ウラニア神殿の運営をフロレンス・ファーにまかせてイギリス側の代表とする新体制を発足させたが、ファーを始めとするロンドンの団員たちは、メイザースの日頃の言動と頻繁な会議欠席に不満を募らせて、彼のリーダーシップに疑問を抱くようになっていった。
1899年、イシス・ウラニア神殿は団内の問題児であったアレイスター・クロウリーのアデプト昇格を拒否した。これに反発したクロウリーはパリにいる首領メイザースを頼った。1900年1月16日にメイザースはロンドン側への当てつけも兼ねて、パリのアハトル神殿でクロウリーをアデプトに昇格させた。ロンドンに帰還したクロウリーは、ファーたちにメイザースの昇格決定に従うよう要求したが、ファーは断固拒絶し問題が収束するまでのイシス・ウラニア神殿の閉鎖とイギリス代表辞任の意思を表明した。パリのメイザースは、ファーたちの背後でウェストコットが糸を引いていると疑心暗鬼に駆られるようになり、彼の信用を落とせばロンドン側を切り崩せると考えて、秘密の首領シュプレンゲル嬢の書簡はウェストコットの捏造であったと暴露した。これによって団内全体が紛糾することになった。ファーたちはウェストコットの回答も得た上で事態収拾の会合を繰り返し開き、3月3日にメイザースに対して捏造とする証拠の提示を求めた。この予想外の反応に困惑したメイザースは拒否という態度を取った。調停は決裂し、23日にパリのメイザースはファーの解任指示を出したが、逆に29日のロンドンの会議で首領メイザースの追放が決定された。憤激したメイザースは愛弟子であるクロウリーをロンドンへ派遣し、イシス・ウラニア神殿の保管庫にある重要文書と儀式道具を押収させて運営不能にするという型破りの作戦に出た。これは保管庫の所在地からブライスロードの戦いと呼ばれたが、建物に押し入ったところで当然のごとく通報されて失敗した。
分裂
ブライスロードの事件で黄金の夜明け団の確執と亀裂は修復不可能となった。イシス・ウラニア神殿は主宰者フロレンス・ファーの多数派と、E・W・ベリッジを中心とするメイザース支持派に分裂した。この内紛を傍観する立場であったホルス神殿とオシリス神殿はそのままメイザースの下に残ったが、双方ともメンバーは少数だった。ブロディ=イネス主宰のアメン・ラー神殿はファー派に合流した。アメリカにある複数の神殿はメイザースとのコネクションを維持した。こうして1900年6月の時点で黄金の夜明け団は、メイザース派とファー派に二分されることになった。
その後のファー派では彼女とアニー・ホーニマン の対立が深刻化したので、収束の為にW・B・イェイツが新たな代表に就任したが、数々の衝突に嫌気が差したイェイツは1901年に退団した。同年にホロス夫妻の詐欺事件にメイザースが巻き込まれて黄金の夜明け団の名称がスキャンダラスに報道されてしまったために、社会的体面を重んじるファー派は「暁の星」と改称した。直後にファーは退団し「暁の星」はブロディ=イネスとR・フェルキンが代表になった。1903年になると従来の教義に否定的であったA・E・ウェイトの派閥が「暁の星」から離脱して「聖黄金の夜明け団」と称する団体を組織した[14]。儀式魔術に反発しつつ在籍を続けたウェイトは、自分の団体作りのためにイシス・ウラニア神殿を利用していたことになるが、いわく付きとなった黄金の夜明け名義を採用しているので一定の思い入れはあったようである[独自研究?]。ウェイトの独立劇で「暁の星」は多くの団員を失った。1906年にメイザースは黄金の夜明け団の幕引きを決めて、パリのアハトル神殿を本部とする魔術結社「A∴O∴」に組織再編した[要出典]。同じ頃、ブロディ=イネスはフェルキンの方針に不満を覚えてエディンバラへ帰還し、1907年に自身主宰のアメン・ラー神殿とともに「暁の星」を離れて、メイザースと和解した後に「A∴O∴」へ合流した。さらに団員を失った「暁の星」はフェルキンの下で数々の混乱を経ながら続いた。
以上の経緯により、黄金の夜明け団は「暁の星」「A∴O∴」「聖黄金の夜明け団」といった三つの団体に分裂して[15]、その教義は様々な形で受け継がれながらも歴史の中に姿を消したのである。分裂の引金をひく事になったアレイスター・クロウリーは結局、メイザースとも仲違いした末に飄然と世界放浪へ旅立って帰還後の1907年に「銀の星」を結成した。
-
A∴O∴首領 メイザース
-
暁の星主宰 フェルキン
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聖G∴D∴代表 ウェイト
分派団体のその後
- 暁の星
- メイザースに反旗を翻したロンドン・グループの多数派が1902年に組織した「黄金の夜明け」の後継団体[16]。
- 1902年の総会でブロディ=イネス、パーシー・ブロック、R・W・フェルキンを三首領に選出したこのグループは、第一団の「黄金の夜明け」という名称を放棄することに決し、「暁の星 (Stella Matutina)」に名称変更することが内定した[17]。翌1903年、団の方針転換を画策したA・E・ウェイトは、支持者とともに分離独立に至った[18]。残されたロンドンの団員たちは正式に第一団を「暁の星」に改称し、フェルキンを指導者として新たにアマウン神殿を立ち上げた[19]。ブロディ=イネスは引き続きエジンバラのアメン・ラー神殿を運営した[19]。1916年にはフェルキンの指導下でマーリン・ロッジ、後にイスラエル・リガルディーが参入することになるヘルメス・ロッジなど4つの支部が設立された[20]。フェルキンがニュージーランドに設立した支部「エメラルドの海」は、1916年に当地に永住したフェルキンとその家族によって運営され、フェルキン没後も存続した[21]。現代の黄金の夜明けの権威の一人であるパット・ザレウスキは、このニュージーランド支部の団員ジャック・テイラーの弟子であった。
- A∴O∴
- メイザースの支持者らによって1910年に[注 5]再建された黄金の夜明け団[22]。
- ロンドン・グループの多数派によって追放されたメイザースは、E・W・ベリッジをロンドンの代表に指名した[23]。ベリッジが独自にロンドンに設立したイシス・ウラニア神殿は、後に「A∴O∴(Alpha et Omega, アルファにしてオメガ)」と呼ばれるようになった[16][注 6]。ベリッジの運営するロンドン支部は1903年から少なくとも1913までは活動していたようである[23]。当初メイザースに反乱したグループに属していたブロディ=イネスは、1908年頃メイザースとの和解を果たした後、1913年にロンドンのA∴O∴幹部に就任、自身の主宰するエジンバラのアメン・ラー神殿もA∴O∴派となった[25]。以後、ブロディ=イネスがイングランドとスコットランドのA∴O∴派を監督するようになり、一方、メイザースはアメリカの支部とのコネクションを保持しながらパリのアハトル神殿の運営に専念した[26]。ダイアン・フォーチュンは黄金の夜明け団の出身と言われることがあるが、正確にはオリジナルの黄金の夜明け団ではなく、その後継結社であるA∴O∴の参入者である。
- 独立修正儀礼
- A・E・ウェイトとM・W・ブラックデンによって結成された組織[27]。聖黄金の夜明け団とも。
- 1899年に第二団に昇進したA・E・ウェイトは儀式魔術よりもキリスト教神秘主義を志向していた。元祖イシス・ウラニア神殿を掌握した[注 7]ウェイトは、異教的要素を排した修正版の儀礼体系を作り上げた[29]。その「黄金の夜明けの独立修正儀礼 (Independent and Rectified Rite of the Golden Dawn)」[注 8]は1903年から1914年まで活動した[30]。この結社では第三団や秘密の首領の存在は否定され[30]、魔術作業は廃止された[19]。会員には、キリスト教神秘主義の著作で知られるイーヴリン・アンダーヒルがいた[30]。その後、ウェイトは1915年に「薔薇十字同志会」という新たな神秘主義団体を作った。後者の団体には『万聖節の夜』などの幻想小説を著した文学者チャールズ・ウィリアムズが所属していた[30]。
教義概要
黄金の夜明け団の教義は、古今東西の隠秘学知識の綜合体とも言うべきものある。ユダヤの秘教哲学であるカバラを中心にして、神智学の流れを汲む東洋神秘思想、エジプト神話学、グリモワール、古典元素、タロット、占星術、ジオマンシー、錬金術、エノク語、タットワを含むインド密教などあらゆる知識が習合されていた。ただし、彼ら英国人にとって親しみ易いはずのキリスト教神秘主義はある程度意図的に避けられていたようで、これは同時に一つの方向性を示している。カバラに内包される生命の樹が団内の聖典的な象徴図表とされ、上述の各分野から引用される多種多様な知識は生命の樹の各要素に対照させる形で分類され整理された。その中にはこじつけ的な照応も散見されるが、あらゆる隠秘学および神秘思想分野から蒐集された知識群の比較的高度な体系化が黄金の夜明け団教義の最大の特徴であった。
上述の知識群は、創設者をはじめとするアデプトたちが言わば自由研究的に持ち寄って考察を加えた後に、教義の方向性に沿う形で再解釈され、必要に応じて団内のカリキュラムに組み込まれた。魔術の研鑽に必要とされる様々な知識は、アデプトによってテキスト化されて秘儀参入者たちに学ばれた。団内ではアデプト一人一人の独自研究が奨励されており、それぞれの研究成果は「飛翔する巻物」と題された団内文書の各巻に編集されてアデプトたちの間で相互に閲覧された。この自由な知識探究の気風は団内の教義を発展させる原動力となったが、他方で迷走の一因にもなった。
団員たちは秘儀参入時に団内で得た知識を口外しないことを誓約していたので、その教義内容が公にされることはなかった。しかし、後継団体の度重なる分裂と内輪揉めにより、知識そのものの喪失を危惧したイスラエル・リガルディーが関係文書を書籍にまとめて公開出版するという手段に踏み切ったことで、それまで謎に包まれていた黄金の夜明け団教義の大部分が一般に入手できるようになった。この英断または独断は魔術関係者の間で大きな賛否を巻き起こした。なお、リガルディーは1969年に自宅を魔術マニアに荒らされ数々の貴重なコレクションを盗まれるという憂き目に合っている。魔術関係者の中にはこれを天罰と見る者[誰?]もいた[31]。
実践内容
黄金の夜明け団は儀式魔術を眼目にした団体であり、上述の教義知識はそのセレモニー(魔術儀式)の中で最大活用された。儀式魔術とは、舞台となる密室の設置から室内に細かく配置する大道具小道具の取り揃えおよび参加者それぞれの衣装と台詞と動作の一つ一つに特定の知識を伴うという特別な演劇を媒体にした秘教哲学の体現化芸術であった。儀式魔術の実践は団員の連帯感を高めると同時に、参加者たちの感性と知覚能力に一定の影響を及ぼすと信じられており定期的に履行された。
また、アストラル投射と称される夢見技法も持てはやされていた。黄金の夜明け団はこの夢見技法をマニュアル化しており、かなりの個人差はあったがそれなりの確率で白昼夢の世界に入り込むことができたようである。アストラル投射の手順とは、特定の象徴物を凝視しながら意識を集中し自分自身がその象徴の中に入り込むように想像力を強く働かせるというものであった。熟達するにつれて始めはむりやり想像していたイメージの実感が徐々に明確になり、ついには立体化した想像空間が意識の集中を離れて自動的に脳内で織りなされるようになる。それがアストラル旅行の出発点となった。スクライングとの違いは、より能動的に幻視された世界を動き回れることである。凝視する象徴物の組み合わせを変えることで、アストラル旅行の内容も様々に変化するという奥深さが多くのアデプトを虜にした。前述の生命の樹を中心にした象徴照応教義はこの時に最大活用された。ただし、情緒不安定を誘引するという副作用も指摘されており、多用は戒められていた。また、アストラル投射の中で時折得られる印象的な啓示や神託は、自我の肥大と過度の自己主張を引き起こす原因にもなって団体内に不和と軋轢を生じさせることもあった。
シンボル
黄金の夜明け団の儀式中に胸に装着されたデザインは、薔薇十字団、カバラ、メイザースによって教えられた色の象徴に基づいた紅い薔薇と黄金の十字架である。薔薇の22枚の花弁はそれぞれ異なる色で、ヘブライ文字の22文字の三母字、七複字、十二単字を表している。そして22本の小径にも対応している。薔薇の花弁の中央には死と霊的な復活を象徴する聖十字架がある。薔薇は十字架の上にあり、熟練者が心の中で金に変身しなければならない要素を象徴している。また五芒星は四元素に加えて本質を表している。
団員の位階
ウェストコットは黄金の夜明け団の位階を制定するに際し、英国薔薇十字協会の位階をほとんどそのまま持ち込んでいる。その最下位に「新参者(ニオファイト)」位階を新設し、最上位に「イプシシムス」を追加した。黄金の夜明け団の初位階である「新参者」とその上の4位階は暗号文書に依拠していたが、その4位階の名称は18世紀ドイツの黄金薔薇十字団(独: Gold- und Rosenkreuzer)のそれと一致していた[32]。英国薔薇十字協会の位階制度も黄金薔薇十字団の模倣であった[33]。魔術結社風のアレンジとして各位階を生命の樹の10のセフィラと22個の小径に対応させ、上昇=下降のペア階段値を付け加えた。「新参者」位階は生命の樹の枠外とした。入団者は「新参者」を出発点とし、それぞれの段階の昇格試験をクリアすることで上の位階へと進んだ。この黄金の夜明け団の位階制度は、後継魔術団体の手本とされて現代に到るまで踏襲され続けている。
11の位階は第一団(外陣)、第二団(内陣)、第三団の三層に分割されており、それぞれ別グループに扱われて個別の団名を持った。黄金の夜明け団は建前上この三層構成とされた。外陣は一般団員用で、火・空気・水・土の四元素を学ぶ。ポータルは外陣と内陣の橋渡し段階であり、アデプト(達人)になる前の準備期間とされた。内陣に進むと晴れてアデプトとして認められた。内陣は幹部団員専用であった。当初は肉体を持ったままの魔術師が到達できるのは「小達人(アデプタス・マイナー)」位階までとされていたが、後継団体を含む後期になると幹部団員の中から特に根拠もなく「大達人(アデプタス・メイジャー)」昇格を宣言する者も現れるようになった。「被免達人(アデプタス・イグゼンプタス)」は創立者専用の名誉位階として用いられることが多い。第三オーダーはほとんど架空の存在であった。
団 | 位階 | セフィラ | 意味 | 四元素 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
慣用 | 和訳 | 原語 | 数値 | ||||
第一団 「黄金の夜明け」 (外陣) |
ニオファイト | 新参者 | Neophyte (ニーオファイト) | 0°=0□ | |||
ジェレーター | 熱心者 | Zerator (ゼラトル) | 1°=10□ | マルクト | 王国 | 地 | |
セオリカス | 理論者 | Theoricus (テオリクス) | 2°=9□ | イェソド | 基礎 | 風 | |
プラクティカス | 実践者 | Practicus (プラクティクス) | 3°=8□ | ホド | 栄光 | 水 | |
フィロソファス | 哲学者 | Philosophus (フィロソフス) | 4°=7□ | ネツァク | 勝利 | 火 | |
ポータル | 予備門 | ||||||
第ニ団 「紅薔薇黄金十字」 (内陣) |
アデプタス・マイナー | 小達人 | Adeptus Minor (アデプトゥス・ミノル) | 5°=6□ | ティファレト | 美 | |
アデプタス・メイジャー | 大達人 | Adeptus Major (アデプトゥス・マヨル) | 6°=5□ | ゲブラー | 峻厳 | ||
アデプタス・イグゼンプタス | 被免達人 | Adeptus Exemptus (アデプトゥス・エクセンプトゥス) | 7°=4□ | ケセド | 慈悲 | ||
第三団 (秘密の首領たち) |
マジスター・テンプリ | 神殿の首領 | Magister Templi (マギステル・テンプリ) | 8°=3□ | ビナー | 理解 | |
メイガス | 魔術師 | Magus (マグス) | 9°=2□ | コクマー | 知恵 | ||
イプシシマス | Ipsissimus (イプシシムス)[注 9] | 10°=1□ | ケテル | 王冠 |
在籍した人物
名前 | 生没年 | 職業 | 位階 | 魔法名 | 意味 | 分裂後 |
---|---|---|---|---|---|---|
ウィリアム・バトラー・イェイツ | 1865-1939 | 詩人 | 7°=4□ | Demon Est Deus Inversus | 悪魔は裏返しの神 | 暁の星 |
アーサー・エドワード・ウェイト | 1857-1942 | 著作家 | 5°=6□ | Sacramentum Regis | 王の秘蹟 | 聖黄金の夜明け団 → 薔薇十字同志会 |
アレイスター・クロウリー | 1875-1947 | 魔術師 | Perdurabo | われ(最後まで)耐え抜かん | ||
9°=2□[注 10] | To Mega Therion | 大いなる獣 | 銀の星 | |||
パメラ・コールマン・スミス | 1878-1951 | 画家 | 1°=10□ | Quod Tibi id aliis | The same for thyself as for another | 聖黄金の夜明け団 |
アルジャーノン・ブラックウッド | 1869-1951 | 小説家 | Umbram Fugat Veritas | 聖黄金の夜明け団 | ||
アーサー・マッケン | 1863-1947 | 小説家 | Avallaunius | 聖黄金の夜明け団 | ||
マグレガー・メイザース | 1854ー1918 | 魔術師 | 5°=6□ | 'S Rioghail Mo Dhream | 王族こそわが種族 | A∴O∴ |
7°=4□ | Deo Duce Comite Ferro | 神は我が導き手なり、剣は我が同朋なり | ||||
ウィリアム・ロバート・ウッドマン | 1828-1891 | 医者 | 5°=6□ | Magna est Veritas et Praevalebit | 真理は偉大にして卓越し続けるであろう | |
7°=4□ | Vincit Omnia Veritas | 真理はすべてのものに勝利する | ||||
ジョン・ウィリアム・ブロディ=イネス | 1848-1923 | 弁護士 | 5°=6□ | Sub Spe | 希望の下に | 暁の星 → A∴O∴ |
ウィリアム・ウィン・ウェストコット | 1848ー1925 | 検死官 | 5°=6□ | Sapere Aude | 勇心もて賢くあれ | |
7°=4□ | Non Omnis Moriar | 悉く滅することあらじ | ||||
フレデリック・リー・ガードナー | 1857-1930 | 株式仲買人 | 5°=6□ | De Profundis Ad Lucem | 奈落を出でて光へ | |
モード・ゴン[注 11] | 1865-1953 | 女優 | Per Ignem Ad Lucem | 火を経て光へ | ||
フロレンス・ファー | 1860ー1917 | 女優 | 5°=6□ | Sapientia Sapienti Dono Data | 知恵は賢者に授けられた賜物 | |
ロバート・ウィリアム・フェルキン | 1853-1926 | 医師 | 5°=6□ | Finem Respice | 終わりを想え | 暁の星 |
エドワード・ウィリアム・ベリッジ | 1843-1920 | ホメオパシスト | 5°=6□ | Resurgam | 再び立ち上がらん | A∴O∴ |
アラン・ベネット | 1872-1923 | 化学者 | 5°=6□ | Iehi Aour | 英国仏教協会創立 | |
アニー・ホーニマン | 1860-1937 | 富裕層 | 5°=6□ | Fortiter et Recte | 勇敢に、公正に | |
モイナ・メイザース | 1865ー1928 | 美術学芸員 | 6°=5□ | Vestigia Nulla Retrorsum | 後戻りせず | A∴O∴ |
在籍が取り沙汰される人物
- ウィリアム・シャープ - 文芸ジャーナリスト
- グスタフ・マイリンク - 小説家
- アンナ・ド・ブレモン - ジャーナリスト
登場する作品
- アレイスター・クロウリー - 学園都市統括理事長。元世界最高最強の魔術師にして現世界最高の科学者。アニメ版の担当声優は関俊彦。
- 黄金夜明 - マグレガー・メイザース率いる勢力で、ウェストコット、ミナ=メイザース、ベネット、べリッジ、ホーニマン、イネス、フェルキン、ウェイト、ファー、ガードナーが登場する。
関連文献
- 『ロンドンを旅する60章』 (42章「魔都」ロンドン 執筆担当太田直也) 2012年、明石書店、ISBN 978-4-7503-3603-9
脚注
注釈
- ^ 江口之隆は「マサース」、ヘイズ中村は「マザース」、吉村正和は「マザーズ」とカナ表記している。
- ^ 原語はラテン語で「Ordo Rosae Rubeae et Aureae Crucis (R. R. et A. C.)」。「紅い薔薇と黄金の十字の教団」の意。澁澤龍彦は「紅薔薇黄金十字」[1]、江口之隆は「ルビーの薔薇と金の十字架」団と翻訳[2]。
- ^ 英国薔薇十字協会は、秘教的な事柄に関心をもつ少数のフリーメイソン(フリーメイソンリーの会員)によって1866年に結成された[4]社交クラブ(サロン)のような団体であった。メイソンのみで構成された団体ではあるが、フリーメイソン組織ではなく[5]、メイソンリーに付属する秘教研究会のような存在であった(黄金の夜明け団とは異なり、魔術は研究対象ではなかった)[6]。1870年代から1880年代にかけて、同協会ではいくつかの儀式や、カバラやフリーメイソンの象徴性についての講義などが行われていた[7]。
- ^ この創立譚はあくまで神話である。前述の暗号文書がウェストコットの偽造でないことはほぼ確実であるが、その入手経路について現代の研究者はウェストコットの主張を必ずしも額面通りに受けとっていない[8]。そして、その後に行われたシュプレンゲルとの文通はウェストコットの捏造であろうと考えられている[9][7]。
- ^ 設立年については諸説あるが、ここでは Goodrick-Clarke (2008) に拠った。
- ^ この改名時期についてフランシス・キングは、ブロディ=イネスとメイザースの和解が成立した頃、第一団の名称が「黄金の夜明け」から「A∴O∴」に変更されたとしている[24]。
- ^ フランシス・キングは、イシス・ウラニアの名を冠した独自の神殿としている[28]。
- ^ Independent and Rectified Order R. R. et A. C. とも。
- ^ 「真の自己」を指す造語[32]。
- ^ 銀の星において自ら任じた位階であり、黄金の夜明け団在籍時の位階ではない。魔法名 To Mega Therion も同様。
- ^ 短期間で退団。
出典
- ^ キング & 澁澤訳 1978, p. 90.
- ^ 江口 & 亀井 1983, p. 50.
- ^ キング & 江口訳 1994, p. 31.
- ^ Goodrick-Clarke 2008, p. 196.
- ^ 吉村 2013, pp. 52.
- ^ 吉村 2013, pp. 62–63.
- ^ a b Goodrick-Clarke 2008, p. 197.
- ^ 吉村 2013, pp. 63–64.
- ^ 吉村 2013, p. 65.
- ^ 江口 & 亀井 1983, pp. 65–66.
- ^ キング & 江口訳 1994, pp. 134–135.
- ^ 江口 & 亀井 1983, pp. 75–76.
- ^ a b キング & 江口訳 1994, p. 55.
- ^ 江口 & 亀井 1983, pp. 91–93.
- ^ 江口 & 亀井 1983, pp. 93–94.
- ^ a b Goodrick-Clarke 2008, p. 203.
- ^ 江口 & 亀井 1983, pp. 88–89.
- ^ キング & 江口訳 1994, p. 113-114.
- ^ a b c キング & 江口訳 1994, p. 115.
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- ^ 江口 & 亀井 1983, pp. 110, 113, 119.
- ^ Goodrick-Clarke 2008, p. 206.
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- ^ 江口 & 亀井 1983, pp. 110–111.
- ^ キング & 江口訳 1994, pp. 133–134.
- ^ 吉村 2013, p. 112.
- ^ キング & 江口訳 1994, p. 114.
- ^ Goodrick-Clarke 2008, pp. 203–204.
- ^ a b c d Goodrick-Clarke 2008, p. 204.
- ^ リガルディー編 & 江口訳 1993b, 訳者解説.
- ^ a b 吉村 2013, p. 67.
- ^ 吉村 2013, p. 73.
参考文献
- フランシス・キング『魔術 もう一つのヨーロッパ精神史』澁澤龍彦訳、平凡社、1978年。
- 江口之隆、亀井勝行『黄金の夜明け』国書刊行会、1983年。
- イスラエル・リガルディー編『黄金の夜明け魔術全書(上)』江口之隆訳、国書刊行会、1993年。
- イスラエル・リガルディー編『黄金の夜明け魔術全書(下)』江口之隆訳、国書刊行会、1993年。
- フランシス・キング『英国魔術結社の興亡』江口之隆訳、国書刊行会、1994年。
- 吉村正和『図説 近代魔術』河出書房新社、2013年。
- Gilbert, R. A. (1997). The Golden Dawn Scrapbook. Samuel Weiser
- Goodrick-Clarke, Nicholas (2008). The Wstern Esoteric Traditions. Oxford University Press
関連項目
外部リンク
- リガルディと「黄金の夜明け」
- 黄金の夜明け団ANIMA MYSTICA
- HermeticismKheper
- The Golden Dawn FAQ (original from 1990s Usenet groups)
- The Golden Dawn Library Project
- Golden Dawn entries in Llewellyn Encyclopedia
- Golden Dawn Tradition, by co-founder Dr. W. Wynn Westcott
- Photocopies and the translation of the original Cipher Manuscripts
- Lots of GD material on display in Yeats exhibition including Ritual Notebooks.
- The Golden Dawn Roll Call
- Golden Dawn - DMOZ
- Hermetic Order of the Golden Dawn: Biographies of Members