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「宇井昇」の版間の差分

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== 人物 ==
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晩年は東京都[[江戸川区]]に住み、出身地の墨田区で[[ボランティア]]活動を行う[[特定非営利活動法人]]「てーねん・どすこい倶楽部」の理事を務めながら余生を送っていた。
晩年は東京都[[江戸川区]]に住み、出身地の墨田区で[[ボランティア]]活動を行う[[特定非営利活動法人]]「てーねん・どすこい倶楽部」の理事を務めながら余生を送っていた。

2019年9月13日 (金) 06:55時点における版

宇井 昇(うい のぼる、1923年4月28日 - 2008年3月18日)は、元中部日本放送(CBC)アナウンサー。日本の民間放送(本放送)で第一声を発した人物でもあった[1][2][3]

人物

東京都墨田区出身。東京工業大学卒業後、大蔵省に入省する。1951年、同省を退職し、開局直前の中部日本放送に入社。プロ野球中日ドラゴンズ戦や大相撲の実況中継、クイズ番組司会などで活躍。1959年、同社を退社しフリーに。主に日本短波放送ラジオ関東で活躍。1981年から2002年まで、リクルートホールディングスで企業の社員研修を行うトレーナーを勤める。

晩年は東京都江戸川区に住み、出身地の墨田区でボランティア活動を行う特定非営利活動法人「てーねん・どすこい倶楽部」の理事を務めながら余生を送っていた。

2008年3月18日、自宅アパート火事により焼死した。84歳没。

エピソード

下記の第一声の直前に元NHKの松内則三和田信賢より(NHKからの移籍組4名を除く)他の第1期とともにアナウンス研修を(当時にNHKで1年かかる内容を)半年で受けた。

宇井の民間放送第一声は『中部日本放送、JOAR、1090キロサイクルでお送りします。みなさん、お早うございます。こちらは名古屋のCBC、中部日本放送でございます。昭和二十六年九月一日、わが国ではじめての民間放送、中部日本放送は本日ただ今、放送を開始しました』であった[1]

1954年、初のリーグ優勝を遂げた中日ドラゴンズが出場した中日球場での日本シリーズ第1戦と第7戦のラジオ実況を担当(当時、CBCテレビは開局前)。ドラゴンズが日本一に輝いた瞬間を全国に伝えた。

その53年後、宇井が実況して以来53年ぶりの日本一となる2007年の日本シリーズ第5戦の模様を東京都江戸川区の自宅で観戦、「これまで『中日の日本一を見るまでは死ねない』と言っていた私ですが、思い残すことはありません。落合よ、落合よ。よくぞやってくれた」と感慨に浸った。しかし、その4か月半後に宇井は火災で焼死した。

また、宇井は野球雑誌・ホームラン編集部制作の「12球団全選手カラー百科名鑑」(1999年まで「12球団全選手百科名鑑」)第1号(1977年発行)の中継担当アナウンサー名鑑において紹介文を担当した。

出演番組

脚注

  1. ^ a b 石井清司『日本の放送をつくった男 フランク馬場物語』毎日新聞社(原著1998年10月30日)、200頁頁。ISBN 4-620-31247-9 
  2. ^ asahi.com:民放第一声の元アナウンサー焼死 - 社会”. asahi.com (2008年3月21日). 2008年3月24日閲覧。
  3. ^ 東京新聞:伝える誇り最期まで 民放第一声アナ 故宇井さん:社会(TOKYO Web)”. 東京新聞 (2008年3月22日). 2008年3月24日閲覧。
  4. ^ CBCテレビのプロ野球中継は1959年まで日本テレビともネットを組んでいた。

外部リンク