コンテンツにスキップ

「森稔」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
67行目: 67行目:
[[アークヒルズ]]や[[六本木ヒルズ]]の建設を通して森ビルを全国ブランドに押し上げた森であったが、六本木ヒルズでは[[2003年]]([[平成]]15年)の開業翌年に[[回転扉]]死亡事故が発生、中国での大型プロジェクト「[[上海環球金融中心]]」では[[2008年]](平成20年)のビル完成が[[リーマン・ショック]]に重なるなど、苦境に立たされた時期もあった<ref name="nikkei20120313"/>。
[[アークヒルズ]]や[[六本木ヒルズ]]の建設を通して森ビルを全国ブランドに押し上げた森であったが、六本木ヒルズでは[[2003年]]([[平成]]15年)の開業翌年に[[回転扉]]死亡事故が発生、中国での大型プロジェクト「[[上海環球金融中心]]」では[[2008年]](平成20年)のビル完成が[[リーマン・ショック]]に重なるなど、苦境に立たされた時期もあった<ref name="nikkei20120313"/>。


趣味は[[ゴルフ]]。[[リクルート]]創業者の[[江副浩正]]は[[東京大学新聞]]編集部の後輩で、江副の起業時には第2森ビルの屋上に仮設事務所を作って貸すなど親しい間柄だった<ref name="nikkei20120313"/>。
趣味は[[ゴルフ]]。[[リクルートホールディングス]]創業者の[[江副浩正]]は[[東京大学新聞]]編集部の後輩で、江副の起業時には第2森ビルの屋上に仮設事務所を作って貸すなど親しい間柄だった<ref name="nikkei20120313"/>。


== 略歴 ==
== 略歴 ==

2019年9月13日 (金) 06:59時点における版

もり みのる

森 稔
生誕 (1934-08-24) 1934年8月24日
日本の旗 日本 京都府
死没 (2012-03-08) 2012年3月8日(77歳没)
日本の旗 日本 東京都
出身校 東京大学教育学部
職業 実業家
森泰吉郎(森ビル及び森トラスト創業者)
親戚 兄:森敬(慶應義塾大学教授)
弟:森章(森トラスト社長)
義妹:森洋子 (美術史家)
姪:森万里子伊達美和子
テンプレートを表示

森 稔(もり みのる、1934年8月24日 - 2012年3月8日)は、日本実業家

森ビル初代社長である森泰吉郎の二男であり、森ビルの実質的創業者とされる[1]。森ビル株式会社代表取締役社長、同会長などを歴任した。

人物

1934年昭和9年)、森泰吉郎京都高等蚕業学校教授の次男として京都府に生まれる。実家は東京・田村町(現在の港区西新橋の一部)で米穀店を営んでおり、副業として貸家経営も行っていた[1]

湘南学園中学校、神奈川県立湘南高等学校を経て東京大学教育学部1959年(昭和34年)卒業、取締役として森ビルに入社する。以後、実家近隣の虎ノ門西新橋を中心に「第5森ビル」といった具合に番号をふった「ナンバービル」を数多く建設したが、地権者との長期にわたる交渉など、事業の陣頭指揮を執った[1]

学生時代には小説家になることを志していた[1]。大学在学中、胸膜炎により1年間の自宅療養が必要となったため、自宅の米穀店を4階建ての賃貸ビルに建て替えるにあたっての工事管理や入居者探しを任され、これが後のビル経営の原点となった[1]。コストや効率性を重視した父・泰吉郎とは対照的に、積極的な事業拡大を打ち出した。一方で父同様に人付き合いを好み、常に周囲に人がいると評される[2]。社団法人不動産協会理事、社団法人経済同友会理事、東京都首都移転問題専門委員などを歴任した。

東京の過密化の解決策として、都心に超高層ビルを増やして空いた土地を公園とすることを提唱しており[3]、原則100メートル以上のビルは建設すべきでないとしている弟で森トラスト社長の森章[4]とは対極的であった。

フォーブス』の世界長者番付では、弟の章と違って長らくランクインしていなかったが、2008年度版において初めて10億ドルの純資産を保有する1,062位の富豪として認められた。

アークヒルズ六本木ヒルズの建設を通して森ビルを全国ブランドに押し上げた森であったが、六本木ヒルズでは2003年平成15年)の開業翌年に回転扉死亡事故が発生、中国での大型プロジェクト「上海環球金融中心」では2008年(平成20年)のビル完成がリーマン・ショックに重なるなど、苦境に立たされた時期もあった[1]

趣味はゴルフリクルートホールディングス創業者の江副浩正東京大学新聞編集部の後輩で、江副の起業時には第2森ビルの屋上に仮設事務所を作って貸すなど親しい間柄だった[1]

略歴

家族

父は森ビル創業者の森泰吉郎、兄は経済学者森敬、弟は森トラスト社長の森章。子供は、妻との間に2女をもうけた。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 森ビル会長森氏死去・粘りの交渉で超大型案件 『日本経済新聞』 平成24年3月13日朝刊 企業3面
  2. ^ 日経ビジネス』1993年4月12日号、P.80
  3. ^ 『日経ビジネス』1999年3月29日号 P.846
  4. ^ 財界』2011年9月20日号 P.52
  5. ^ 弊社代表取締役社長 森 稔、英国より名誉大英勲章を受章 (PDF) (森ビル株式会社2003年2月18日付プレスリリース、2012年3月12日閲覧)
  6. ^ 森ビル社長 森 稔:英国より名誉大英勲章KBEを受章
  7. ^ “森稔・森ビル会長死去 六本木ヒルズを手がける”. 朝日新聞. (2012年3月12日). http://www.asahi.com/obituaries/update/0312/TKY201203120174.html 2012年3月12日閲覧。 
  8. ^ 故 森 稔「旭日重光章」受章のお知らせ、森ビル公式サイト、2012年4月11日プレスリリース

参考文献

外部リンク

先代
森泰吉郎
森ビル社長
第2代:1993年 - 2011年
次代
辻慎吾